第17話 夜の街②
夕闇を思わせるような黒いローブを着た男、カリナさんの自己紹介が終わった時、不意に横から「アリア……だと」という言葉が聞こえた。
それを発したのはアルトさんだった。彼は人差し指を曲げて顎に付け、しばらくの間何かしら思案している様子だった。逡巡を終えたのか、一度頷くとカリナさんの方を見た。
「これは、ご丁寧にどうも。私の名前は……商売上では【アークス】と名乗っております。大貴族様のお噂はかねがね」
アルトさんは腕を曲げて手を胸に付け恭しくお辞儀をする。その姿は実に堂にいったものだ。この人本当小技上手いな。
けれど今、アルトさんは何か気になることを言わなかったか?小声でアルトさんに問いかける。
「あの……アルトさん」
「なんだ?」
「大貴族様ってなんです?」
「んっ? ああ、そうだな。そこら辺も分からんか。長々説明することも出来るが、今は……何度も言ってるが時間が惜しい。手短に言うと物凄く偉い人ってことだ。だからあまり失礼な態度はとるなよ」
偉い人という言葉を頭の中で反芻させて、もう一度カリナさんの方を見る。シワひとつない黒のローブをまとったシュッとした出で立ち、余裕を感じさせる笑み。
確かに言われてみれば、どことなく偉い人なのかなと思えた。
「それでカリナさん。あなたが知っているその重大な情報というのはいったいどのようなものなのですか?」
アルトさんが問いかけるが、邪魔者が入る。それはもちろんわたしだと言いたいが、そんなことはない。
「ア〜ル〜くん! その前に!」
ギーイさんが憎たらしい笑みを浮かべてアルトさんとカリナさんの間に割って入った。
そしてアルトさんに向けて、両手をおわんのようにして差し出しベロをペロッと出した。
うーん、あざとい。しかしこれもまた堂にいったもので不快感を感じさせない。どこか笑いは込み上げてくるが。
アルトさんはそれを見ると少し疲れたようにため息をついて、口を開く。
「わーってるよ、情報量分の金だろ。いくらだ?」
「うーーん! 流石にアル君は話が早い! そうだね〜だいたい情報料、仲介手数料、などを込めて」
そこでギーイさんは言葉を区切るとにっと、またいやらしく笑って。
「まぁ金貨九枚くらいじゃない」
とにっこり言った。わたしには相場が分からないので、それがどれくらい高いのか低いのかの判断がつかない。けれどもアルトさんの続く言葉で判断はできた。
「うわっ……。また随分ふっかけたな」
そんなに高いんですかと、耳元で囁いた。
「バカみたいに高いぞー。そこそこやり手の商人が稼げる年間の金が、金貨二十枚くらいだからな〜。だいたいそれの半分……ふざけてやがる」
そんなにとは……。ならアルトさんってそんなに払えるのかな……?
カリナさんとアルトさんを見比べてそう思う。カリナさんは全体的にシュッとしててカッコいい黒の服で、お金をたくさん持ってるように見えるが、アルトさんのは黄土色や茶色の色合いであまりぱっとしない。
そうした不安をよそに、アルトさんは「クリエイト」と一言呟いて、空間に黒い何かを創り出した。
そこへアルトさんは手を突っ込むと、何か引っかかっているのか、もたついた動作で時間をかけながらも、大きな布袋を取り出した。それをギーイさんに見せつける。
「ほら、これでいいか?」
何かが山ほど入った大きな布袋は、本来は丸みを帯びていたのだろうが、中に入っているものが圧迫しボコボコと膨れ変形している。それをアルトさんはギーイさんに手渡した。
「これは?」
ギーイさんが尋ねる。袋の中身が分からないからだろう。
でもまぁ話の流れから、あの袋に入っているのはお金だろうとは予想できるけど。
でも一介の商人でしかないアルトさんが、即座に九枚も払えるはずがないだろうし。
そうやって冷えた夜空の元考えていたわたしは、また驚きの言葉を聞いた。
「そこには、だいたい二十七枚くらい金貨が入ってる」
「「!?」」
驚きが重なった。これはわたしとカリナさんのものだ。ギーイさんだけはニコニコしながら「うんうん♪」と頷いている。それはどこかお金を払えるのを確信していたような反応であった。その姿は、驚くわたし達とは、相対的であった。
ギーイさんは満足そうにそれを受け取ると、中身を覗き出した。やがて袋の中を確認し終わったのか、ほくほく顔で口を開いた。
「で? アル君。わざわざ三倍の額を私に渡してくれたんだ。ほかに何か言いたいこと……あるんじゃないかなぁ?」
餌を欲しがる犬のように、ギーイさんは期待した眼差しでアルトさんを真っ直ぐに見つめる。
「俺の足したい要件は……ただ一つだけだ。分かってるだろう? ギーイ」
うんざりした顔を浮かべるアルトさん。今日だけで何度この顔を見ただろう。
アルトさんが何か喋ろうとしたその瞬間、彼の口元はニィと釣り上がり、辺りが暗闇なのも合わさりどこか悪役っぽい顔つきになった。
「いつも言っているが、お前から俺に関わるのは禁止だ。お前は俺が呼んだ時にだけ現れればいい……都合のいい女でいろ」
そんな状態の彼が続けた言葉は最低なものだった。
「このゴミィ!!」
わたしは反射的に粗大ゴミーアルトさんーの顔面へ、右フックを放っていた。身長差がありクリーンヒットとはいかなかったが、それでもかなりいい音がした。
「ぐべらぁ!」
よろけるアルトさん。少し効きすぎたのか、アルトさんの唇が切れ、血が流れた。
けれどこれは当然の報いだ。女の人相手にあのセリフはいくらなんでも酷すぎる。正直極刑でもおかしくないレベルだ。※
※セアちゃん独自の基準。
「うう……分かってくれるの? ありがとうセア〜」とギーイさんは悲しげな表情で目を潤ませて、わたしに抱きつき豊満な胸を押し当てる。
「ギーイてめぇ、この野郎……。お前にはそれだけ言われる前科が山ほどあるだろうが……」
などとアルトさんはほざいているが気にしない。
少しの沈黙の後、アルトさんはかぶりを振って口元の血を手の甲で拭った。そしてカリナさんの方に向き直った。
それにしてもアルトさん。唇からあんなに血を流して……痛そうに……。いったい誰がやったというのだろう。
「ゴホン。お金はこうしてしっかり払いました。
カリナさん。殺人鬼に対する有力な情報を、それでは教えていただいてもよろしいでしょうか?」
カリナさんは、薄目で今の一連の流れを苦笑いしながら見守っていたが、アルトさんがそう言うのを聞くと、先ほどとはまた違う笑みを浮かべた。
「うーーん。なんだか色々複雑そうな事情があるみたいだね……。それとそこの翠の髪のお嬢さんはまだアークスさんのことを訝しげな目で見てるけどいいのかな?」
アルトさんは「それはもう大丈夫です」とあきれた顔で手早く答えた。それを聞いてカリナさんは、いよいよ本題に入り始めた。
「それじゃあ僕が知っていることを話していくね…………」
夜の中、月から漏れ出た光が、彼の顔にかけているレンズに反射し、カリナさんの目元を照らした。
その時彼の薄目から見えた眼は、なんだか酷く残酷で冷徹なものに見えた気がしたが……まぁきっと気のせいだ。