幕間 ある盗賊
アルト達が起きる数時間前のパルス国、首都ダングリオの深夜にて、夜を縄張りとする生き物達が、人間が寝静まったのを知りカナカナと鳴き出していた。
春先の深夜の街に冷たい風が吹く。家々が並び立つことで、その風は家の壁にあたり規則性なく吹きながらう。
このダングリオという街は主に四つの区画に分けられている。
一つ目は住宅地、大通りに沿って立ち並んでいる赤いレンガや白い壁を基調としている家々がそれだ。二つ目は農業地帯、主に南東の方に広がっていて、穀物系の植物を育てている。それからウィルプスという、山羊のような動物の放牧を行なっている。三つ目は西の端の方のスラム街である。ダングリオは比較的治安の良い場所ではあるのだが、悲しいことに全てには豊かさは届いていない。
そして最後の四つ目が、この街の中心部にある城を中心とした高級住宅地である。どの家も敷居は広く、贅沢に土地を使っている、色自体はやはりレンガの赤や壁の白が目立つが、一つ一つの家がよくある量産品のような家ではない。家の庭に高価な木を植林してみたりだとか、赤の色が目立つレンガの屋根に紫色に光る透明な照明を置いてあったりだとか、一言で言うなら贅沢だ。
そしてその高価な家の屋根に一人の端正な顔立ちをした女が、荷物を抱えて足を伸ばして座っている。
その女性のことを記述する上でまず目につくのは首元に巻かれた真っ赤なスカーフである。赤く紅く染めあげられたスカーフは、透明感のある彼女の白い素肌、特に、整った彼女の顔をより引き立て、印象付けさせている。あまりにも美形な彼女の顔は、つくりものかと思わせるほど。それも冷たい風が吹くこんな夜だ。僅かな街明かりの中でも、赤いスカーフがパタパタと揺れるたびに、彼女の顔立ちの良さは強調される。
だがそんな顔立ちの良い女が身にまとうのは、その顔立ちとはにつかわないボロついた外套である。しかもそのボロついた外套の下は、紺や黒の薄い布だけしかなかった。厳密にはもう少し着ているのだが、─例えば改良されたと思しき、短いズボンなど─しかしどれも露出度はやたらと高く、腹や鎖骨、へそ、ふとももなど大部分の肌が露出している。
その人物を一文で表すなら、【下着姿の痴女に外套を纏わせた……】といった具合である。
だが肌を露出させていることから、分かることもある。四肢には無駄な脂肪はなく、腹部も全体的に細く、ほのかに縦に筋が入っている。つまりその女の体型は素晴らしいということである。
──幾重にも鍛えている人が見れば、その女の身体が、ある種の最適解に達していることが分かる。その女の身体は筋肉が発達して膨らんでいる訳ではないが、スラリと伸びた手足を見ることで余分な物ー例えば脂肪だとかーが一切ついていないことが確認できる。
重複を恐れずにいうならば、人体にとっての無駄が極限まで無くなっているのである。ではそんな女は何の最適解に達しているのかというと、それは。
「そこの不審者!! こんな夜更けに屋根の上で何をしている! ここが歴史あるスレイブ家と知ってのことか!!!! と副剣士長はおっしゃっています」
深夜の高級住宅街に、馬鹿でかいハスキーな声が響いた。外套を纏った女は声がした方を振り向いて見る。するとそこには剣を携えた二人の人が、いつのまにか外套を纏った女と同じように屋根の上にいた。
その二人の剣士のうち、一人は身長が180はゆうに超える長身であり、兜をつけているため顔が見えずどこか威圧的だった。もう一人は美しい黄金色の髪と目元のほくろが印象的な女性だ。肌の色は浅黒い褐色で、腰の部分には真っ白なマントを取り付けている。
そしてこの二人の剣士には共通する所がある。それは腕にある銀色に輝く籠手、胸当て膝当て、様々な部位に取り付けられた統一された防具。そして、緑と白の色の糸で花が刺繍された前掛けが、共通の特徴だった。つまり彼らは王国聖騎士団コスタリカ、正義の味方である。
彼らは異業種を斬り殺すだけでなく、市民の安全を災害から守ったり、厄介ごとの収拾の役目も務めている※現代でいう警察。その為夜に不審者を見つけた場合にはこうやってその都度、審議を問い詰めているのだ。
金髪の女剣士が、兜をつけた長身の人物にゴニョゴニョと何か伝える。すると──。
「聞こえなかったのか? なんとか反応したらどうなんだ!! と副剣士長はおっしゃっています」
兜をつけた長身の人物が、大声で外套を纏った女に呼びかける。どうやら、金髪の女の方が階級が上のようだ。
白けた顔をして、膝をおり座っていた外套を纏った淫らな格好の女は、二人の剣士の正面にゆらりと立ち上がる。そうすることで、彼女の隠していた外套の下のあられもない服が晒される。
「「──!?」」
剣士二人はその格好に驚く。だがそれは当然だろう。ふつうに生きてきたらこんな格好の人物にはそうそう巡り合わないのだから。そんな異常を目にして、特に動揺がひどかったのは兜をつけた長身の人物だった。顔を赤らめ身をたじろわせる程だ。
「──き、き、貴様! いったいこんな夜更けに何を考えているんだ!! 貴族の家の屋根に上がるという行為でさえ、法に触れているというのに、そ、そ、その格好は──は、は、ハレンチだ!!!」
兜をつけた長身の剣士は、外套を纏った女性を直視することができず、途中からの声は消え入りそうだった。その様子を見て外套を纏った女は、卑しく顔をゆがませて、クスクスと声を漏らすと、やがて大きな声で笑い出した。
「クックックック、ププ、あははは! はは!! いや〜笑わせて貰ったよ〜。そっかこの格好はやっぱり恥ずかしいのかー!! それにしても、そんな顔を赤らめるなんて、ぷぷっ、お姉さんうっれしいな〜!!!」
目じりに涙をためて、心底楽しそうに言う外套を纏った女の態度は、非常に人を不快にさせるものだった。それを見た兜をつけた剣士は己の不甲斐なさからか、押し黙ってしまった。見かねた金髪の剣士は懐から大きいメモ帳と黒のペンを取り出すと何か書き始めた。
外套を纏った女は不思議そうにその様子を見守る。やや間があって。金髪の女は書いたものを外套を纏った女に見せつけた。
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悪いな、こいつはうぶなんだ。貴様のような痴女とは相性が悪い。こいつのことはほっとけ。──それよりも……。
おい! 貴様、貴様は結局なんなんだ? どう考えてもこの家の関係者じゃないだろう? 所属をさっさと名乗れ……そしてここから即座に消え失せろ。
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そこには、文字がびっしりと書いてあった。内容自体はよくある決まり言葉、しかしこの金髪の女は、声を発さず、筆談で話をしようというのだ。当然外套を纏った女は、嫌な笑みを浮かべて金髪の剣士にむかって言った。
「……へぇ、面白い喋り方ですね(笑)。喉がやられちゃってるのかな?」
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私の事もどうでもいい、さっさと答えろ。そして消え失せろ。ここは、貴族の領地だ。同じことを言わせるな…。
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「ふ〜ん、おっかない、おっかない。ちょっと涼んでいたっていうだけなのに、これだから規則に囚われた、騎士様達は〜。はいはい、所属は訳あって言えないけど、私自身は、さっさとここから消えますよ〜」
意外にも外套を纏った女は、特に言い返すこともなく、荷物の入った袋を持ち上げるために一度座り、言葉通り退去する準備を始めた。それを見た金髪の剣士は、“言い間違えた”もとい“書き間違えた”と紙に書き、言葉を続ける。
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その盗んだ荷物を置いて、ここ(この世)から失せろ……殺人鬼……。
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ばっと、手を剣に伸ばして鞘から抜き放つ、真っ暗な夜の中、月の光を受けてそれは、白く鋭く輝く。
「へっ? あっはっはっはっは!!!! それは誤解だけど、まぁ当たらずとも遠からず……かな!!」
そう言うと外套を纏った女は荷物を担いで素早く立ち上がった。外套によって見えていなかった、腰につけてある短剣の入ったポーチに手を突っ込むと、そこからいくつか取り出し、女剣士に向かって投げつけた。それらは夜の暗黒をヒュウと切り裂き女剣士へと向かう。が彼女は素早く剣を振り回し、短剣を弾き落とした。
「うっひゃあ! すっごいな〜!! この暗闇の中打ち落とせるんだー!!」
ケラケラと外套を纏った女は笑いながら言う。それに対して女騎士は、白けたような明かりのない目つきで睨む。
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貴様……これで完全に言い逃れは出来ないぞ。おいラックル、お前も剣を抜け。
ここで殺人鬼を斬り殺すぞ。
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紙に達筆な字で書き、外套を纏った女に見せた後、後方にいる兜をつけた剣士ーラックルーにも紙だけを後ろに見せラックルに促す。しかしいくら待ってもラックルからの返事はなかった。
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ラックル?
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不審に思った女剣士が後ろを振り向いた。
「あっ、が、あ……副剣士長……」
そこには胸を押さえ苦しげに、そう言って喘ぐラックルの姿があった。首元には深々と短剣が一つ突き刺さっていた。
女剣士はなぜ? 短剣は全て弾いたはずなのにと、疑問を浮かべる。
しかしすぐに気を取り直すと、過去に目を向けるのではなく、他の、もっと建設的なことに時間を割くべきと判断した。まず最初に彼女が考えたのは、ラックルの首に剣が突き刺さり、異様な苦しみ方をしていることだ。
あれ程度なら致命傷にはなりえない。ではなぜここまで苦しんでいるのか。
部下の様子を一瞥しただけで、そこまで考えが及んだ金髪の女剣士は、そのまま即座に答えにたどり着いた。
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まさか毒か!?
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「おっ!! 正解正解!! ちなみに解毒剤はここね」
外套を纏った女は胸の谷間の間から透明のビンを覗きみせる。
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………………よこせ
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女剣士のその言葉に、外套を纏った女は嘲笑した。
「ふふ! もちろんやーぁだよー!」
そう言って、透明のビンをまた谷間に戻して荷物を担ぎ女騎士に背を向けた。ダダっと駆け出し屋根を飛んだ。
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あくまで抵抗するか……。もう楽には殺さんぞ……。
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女剣士は一度だけ振り返りラックルを見て憂いの表情を浮かべる。けれどその後、何事も無いような素振りで冷静に外套を纏った女を追いかけた。
*
「──ッシ!」
「うわっ! 危ない!」
女剣士は外套を纏った女めがけて鋭く尖った刺突武器を投擲する。それは先の尖った鉄の杭のようで、非常に攻撃性のあるものだった。
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私にも遠距離攻撃の手段くらいある。
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トトトトと、屋根を駆けながら二人の女は攻防を繰り広げている。
客観的に見て二人の実力は同じくらいにも見える。しかし外套を纏った女の方は後ろを取られ、さらには荷物を抱えているので、若干彼女の方が不利なようではあるが。
「……っさっ!!」
女剣士の再びの投擲。これを外套を纏った女は、肌にすれすれのところで避ける。
先程から外套を纏った女は、ギリギリの所で女剣士の攻撃を避けている。女騎士からすれば歯がゆい気分だ。
「あっはっは! 怖い! 怖い!」
そしてまた夜の街の屋根を跳ねながら、外套を纏った女は女剣士を嘲笑する。
「……ッ!」
それに対し女騎士は舌打ち一つ。そしてメモ用紙に何かを書き、外套の女に見せつける。
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なぁおい……。ピョンピョン、ピョンピョンとうっとおしい。次の一撃は躱せねーぞ。
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最終通告だった。外套を纏った女が振り向くと、女剣士は侮蔑と激しい殺意に満ちた顔で見つめていた。それに怯んだ彼女は思わず立ち止まってしまう。
女剣士はスカートに付いているポケットに、片方手を突っ込むと、鉄の杭を三本取り出した。
「へぇ……なにをしてくれるのかな?」
外套を纏った女は挑発する。
しかし女剣士は、そんな言葉には一切耳を貸さず、右手に力を込めて、投擲の姿勢に入る。
するとだんだんと鉄の杭は赤みを帯び始めた。赤はどんどんと杭を侵食する。その赤からは明確な熱があるように見え始めた。ーー否、確実に熱を持っている。それも生易しい温度ではなく、触れればその辺りは間違いなく溶けてなくなると思えるほどに。
三本の鉄の杭は白い煙を上げジュウウウウ、という激しい音を発する。
「死ね」
まるで天使が信託を告げるような、あまりにも綺麗な声音とともに、一撃必殺のそれは女剣士から放たれた。
外套を纏った女は今まではギリギリの所で避けていた。しかしあれをギリギリで避けようとすれば、確実に避けようとした部分の肉がえぐれる。
だから外套を纏った女は、この攻撃の前にはもはや無力。決して避けることはできない。
そんなことは外套を纏った女も分かっている。だから彼女はこう考えるのだ。──だったら。
ぱかん!!!
「避けれないなら、撃ち落としちゃえばいいよね❤︎」
笑いながら手に持つ短剣でまず一つ。
ぱーーん!! ぱか!!!! と残る二つも外套の女は短剣一つで撃ち落とした。女剣士はそれを見て、目を丸くして驚いた。
「バカな……」
女剣士の綺麗な声は確かな絶望を語っていた。彼女はしばしの沈黙の後、気を取り直すとメモ帳に文字を書いた。
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私の攻撃を受けきれないから、避けていたのでは……。
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「んなわけないじゃーん! 今まで遊んであげてただけだよ!!」
外套を纏った女は心底可笑しそうに、くつくつと笑う。
「さっ! ネタばらししよっか! さっきラックル……君って言ってたっけ? あの子の首に短剣がズッポリ刺さってたわけ。副剣士長殿は、私が投げた短剣を全て打ち落とせたはず……だったのに。それなのになぜ? その答えは簡単! 一つだけ本気で投げたからだよ!!」
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ーーーーーっは?
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女剣士は唖然とする。彼女はまるで今までずっと信じていたものに裏切られたかのような、そんな表情を浮かべる。
「鈍いなぁ……つまり、こういうこと」
「──っえ?」
ドン。という鈍い音がした後、いつの間にか、女剣士の胸には一本の短剣が突き刺さっていた。それは前掛けの奥にある鋼鉄の鎧をも貫いた。そして女剣士は、胸の痛みとは別に息苦しさも感じ始めた。
毒だと女剣士が悟った時には、もう立つことすらできず、どちゃっと音を立てて屋根の上で仰向けになった。
「ありゃりゃりゃ! ちょっとだけ刺激が強かったかな? でもまぁ、それは麻痺毒だから死にはしないよぅ。確かに私は社会不適合者に分類されるかもしれないけど、別に殺し屋ではないからね! ラックル君のも同じだから安心してね〜!」
不敵に笑いながら外套を纏った女は女剣士に近寄った。そして仰向けに寝転がる女剣士の身体に足をかける。
「ただまぁ、ここはもう見逃すしかないよね……諦めな」
外套を纏った女は女剣士を、ガッと屋根の上から蹴り飛ばした。女剣士は外套を纏った女の高笑いを聞きながら落ちていく。同時に毒によるものなのか意識も朦朧とし始め、自我さえも闇の中に落ちていった。
*
「ふぅーーー。結構楽しい鬼ごっこだったかなっと」
外套を纏った女は誰もいなくなった屋根の上で一人、荷物を開けて今日の収穫物を眺めていた。そんな時この彼女の元に一羽の鳥がやって来た。一瞬ビクッと震えたが、それが銀の糸で編まれた命なきものであると分かると、落ち着きを取り戻し始めた。
「うわっ! ……ってなんだ銀糸鳥か……。私は友達少ないんだから、驚かさないでよぅ!」
銀糸鳥とは、この世界での一般的な連絡手段である。現代日本で言うところの、メールに近いものだ。ーというか伝書鳩であるーだから遠方に友人が多い人の近くでは、この鳥をよく目にすることがある。
そしてこの外套を纏った女は、先程の発言から読み解くに、あまり遠方に友人はいないようだ。
外套を纏った女は、銀糸鳥にくくりつけられた手紙を手に取る。
「ええっと、なになに? …………へぇ、あの子が私に助けを求めるなんて珍しい」
読み終えると手紙を丸めて、胸の谷間に収納した。少し伸びをした後、おふざけを捨てた声で己に語るようにつぶやく。
「いいよ、アルくん……。私に任せなさい、あなたの師匠のこの私。大盗賊ギーイ・ツェンベルンに」
そう、先ほどの答え合わせをしよう。この女の体は【盗賊】としての最適解なのである。
細い四肢で狭い空間に入り込み、無駄を省いた足で駆け抜け、飛び跳ねて逃げる。
この世界においては、最高の盗賊だ。