第128話 創世神話 【 】
前回のあらすじ
『おじさんはストーカー』
「散々だ……」
トリオンさんは机の上に突っ伏していた。
「隠しているからそういうことになるんだ。この際だ。全て話せ」
あんたが言うか。
でもアルトさんと同じくらい、トリオンさんが色々隠しているのも分かる。なんだろう、差別的になっちゃうけど、もうここまで来ると男性特有の性質なのかとも疑ってしまう。
「セアちゃんのことかー。神話に関してだったら話せるんだけど。流石にもう聞いてるよね」
顔だけひょっこり上げて、そんなことを言う。まるでわたしみたいな動作だ、片側の脳ではそう思いながら、残りの片方の脳で、引っかかった言葉を繰り返した。
「神話?」
「そう神話。て、あれ。その反応……もしかしてまだ知らない? 創世神話について」
「ええ、そう言えば。なんだかんだで、まだ知らないですね」
少し考えて思い出してみると、アタラクト神にまつわる話は、話題にこそ上がったことはあるが、その中身に関して、実際に教えてもらったことは、まだなかった。
何気なくアルトさんに視線を投げたら、彼は気まずそうに前髪を引っ張っていた。
なんだろう。その動作の理由が分からない。強いて思いつくとすれば、アルトさんはわたしの保護者で、教育者でもあったから、有名な神話を教えていないことに罪悪感でも感じているのだろうか? その可能性を追ってみたら……。
あり得る。アルトさんそう言う所あるからな。
「あーー。創世神話を知らないのは、少しまずいことだし。君に関係しそうな話もあるから。よければ話してしまっても? それとも青年がする予定?」
「いや。せっかくなら、おっさん。あんたがしてくれて構わない」
机に髭を押し当てていたおっさんは、意外そうに口をすぼめた後、いつもの何も考えていないような柔和な笑みを返した。
「うん、分かった。それなら任せて」
トリオンさんは、胸をドンと叩くと、どこから話したものかなと、思案に入ったようだった。そんな時。
「さて長い話になるだろうから、俺は先に失礼する。荷を下ろしたいからな」
アルトさんが席を立ったのだ。
「ええ、居てくれるんじゃないんですか!? それは無責任では」
口を大きく開けて抗議する。するとアルトさんはわたしに何か言うでもなく、ただ冷ややかな目だけ向けて、静かに帰り支度を始めた。
茶化した言い方はしたが、それにしたって完全にスルーは酷くない?
「僕は……どうしよ」
ヘテル君が不安そうに、わたしとアルトさんの顔を、交互に何度か見る。すぐに声をかけようと思ったが、彼の手の方が早かった。
ヘテル君の頭をわしゃわしゃと、いやもう少し気遣って撫でていた。
「好きに決めていい。残りたいなら残って話を聞けばいいし。それとも、少し商談見ていくか?」
わたしにはあまり見せない類の、幼児に歩み寄るような、口元をやんわりと緩めた笑みを見せるとそう言った。それでヘテル君の心は決まったみたいで。
「うん。じゃあお兄ちゃんに付いてく」
わたし達へは一度ぺこりと頭を下げて、それからアルトさんの後ろをついて行った。
アルトさんの対応には、やっぱり思う所があったけど……二人を見送るつもりで、手を振った。
エリーゼちゃんも、アルトさん達がいなくなるのとほとんど同時くらいに、話し疲れて眠いからと席を後にした。トリオンさんは彼女を気にかけて、「宿はもう取ってあるから、休むならそこにね」なんて言っていた。
わたし達の連れはいなくなったが、夜が深まって来たのだ。料亭には徐々に人が集まり出していた。けれどこちらを気にする者はいない。だからトリオンさんのこう言う言い方にも、違和感はなかった。
「二人っきりになっちゃったね」
トリオンさんは、深呼吸するようだった。彼に目がまだあったなら、きっと瞼を閉じていたのだろう。わたしが傾聴する姿勢になったのを察したらしい。やがて「少し長くなるよ」と前置きをして、彼は何気ない風を装って、話し出した。
トリオンさんが語る神話は全部で七つの章分けがされていた。内容としては以下のようなものであった。
✳︎
一
その昔、世界の始まりには、たった一つの存在だけがありました。暗いような、白けたような、何もない空間の中、ただそれだけがありました。
それは花の形をしていたと言われています。それは数え切れないほど長い時間を一人で過ごしました。やがてそれは形を変えました。形を変え世界を創り上げたのです。
一枚の花弁は大地を創り、一枚の花弁は空を創り、一枚の花弁は海を創り、一枚の花弁は太陽になりました。こうして世界の土台を創り上げました。花の種子は、それから世界に命の源を創り上げ、茎は五つに裂けると世界を支え繋げる螺旋の柱となり、葉は無数に散ると、世界に色を付けました。
そして世界が創られたと同時に、世界を創り上げた存在があらわになりました。世界は無意識と共にありました。それは神と呼ばれるものになりました。これこそが我らの神、唯一神アタラクトです。
ニ
神は自分の創った世界を知りたかった。しかし神は動くことが出来ず、そして神が作った世界には、最初神以外の何者も存在しませんでした。だから神は、自分の代わりに動ける物を創り、世界を知ってもらおうと思ったのです。
最初に創られた動く物、それは白銀に輝く蛇でした。蛇は地を這い動き、世界を見ました。世界を見渡して来た蛇は、神に世界のことを伝えました。それを聞いた神は、大変喜びました。しかし蛇は同時に伝えたのです。
「私は地を這い動けますが、空は飛べません」
神はそれを知り、次に飛べる物を創りました。そしてまた蛇は言ったのです。
「私は地を這います、あれは空を飛びます、しかし私達は泳げません」
神はそれを知り、泳げる物を創りました。そしてまた蛇は言ったのです。
「私は地を這います、あれは空を飛びます、これは泳ぎます、しかし世界は広いです」
神はそれを知り、多様な動く物を創りました。そして世界は動く物、すなわち【動物】であふれ、豊かになりました。
三
それぞれが自由に動き回り世界を謳歌する中、ただ一人神だけが動かずにじっとしていました。
それを憐れに思った白銀の蛇は、動かぬ神の身体に巻きつき、神の身体に植わりました。やがて蛇は、白銀に輝く花へと姿を変え、大地と神の身体に根付きました。神は、自分のために花へと成ったこの蛇を想い、寂しくないようにと、自分に植わった花を参考に、世界に様々な根付き植わる物を創りました。そして世界は植わる物、すなわち【植物】であふれ、豊かになりました。
神のすぐ側で咲いた花、何より神に愛された花、これを動物と植物は畏敬の念を持って、神隣花と呼ぶようになりました。
四
世界が動物と植物であふれ豊かになった時。誰も近づかない神に、ただ一人近づく動く物がいました。その動く物は、神に植わった花を手折りました。彼は悪魔に囁かれていました。
この動物は、神が何より愛した花を手折るだけでなく、あろうことか花を汚しました。そしてこれだけしても、神が動かないのを知ると、更なる蛮行を繰り広げました。多くの動く物、植わる物を汚しました。そして多くの動く物と植わる物は、子を身籠りました。
世界に多種多様な生命が産まれました。その全てが、原罪を背負った動く物を父に持ちます。産まれた子の中には、神隣花の子もいました。それは双子でした。神が創った世界は、その酷い動物が支配しました。無秩序に産まれた命は、ひどく衰弱していました。存在が希薄でした。
しかしその酷い動物は、彼らを省みることなく、身勝手に新しい子を身籠らせるばかりでした。この酷い動物は、他の動く物と差別され、こう呼ばれるようになりました。すなわち人と。
五
やがてその時が来ました。神が人間の蛮行に耐えきれず、怒り狂いました。それは天上から降り注ぎました。
黒いドロドロが世界を覆いつくさん勢いで現れたのです。
黒いドロドロは不定形で、触れる物全てを呑み込みました。植る物も動く物も、そして世界でさえも呑み込まれていきました。呑み込まれた全ての物は、この世から消え去りました。
多く物がなくなった後、黒いドロドロは役目を終えたように、空へと帰っていきました。そして神もまた、くだらない人に呆れ、その姿を隠されました。後に残ったのは、苦しみに喘ぐ世界だけでした。
六
世界が終わる光景を前にして、人は、ついに自らの行いを悔いました。そして悪魔と関係を断ち、世界にただ尽くすことだけを決めました。そうして生き残った僅かな命、自分の娘や息子達、良き隣人と共に、世界の復興をしていきました。世界が活力を取り戻し、なんとか体裁が保たれた時、神はこの世界へと帰って来て下さいました。
人はこれに感謝し、以後世界を見守ることになったのです。
そして人は、最後に現れたあのドロドロに名前をつけました。異種交配という原罪を背負わず、神の祝福もなく、それは全く別の新しい罪と、呪いだけを持っているように人には見えました。
ドロドロは唯一、喜びからではなく、神の怒りと悲しみと苦しみによって創られました。祝福を受けず、ただ世界を消すための存在。私達を構成する根本的な罪と祝福──業が全く異なっている存在。すなわち異業種と。
七
人間は異業種を憂い、世界を憂い、神を憂い、己を恥じて、世界と永遠の約束を結んだのです。
こうして世界は成り立ったのです。
✳︎
「おしまい」
長く話したからと、トリオンさんは机に置かれた水を飲んだ。
「面白かった?」
トリオンさんの話を聞いて、最初に抱いた感想はこれだった。
「異業種って、悪なんでしょうか?」
深刻に訊くことは避けたかったが、どうしても声音は厳しくなってしまった。トリオンさんは眉尻を下げていた。
「自分がそうだからっていう、保身的な贔屓目があるかもしれないけど。
儂は……そう思っていない。ただ儂らを構成する業と、決定的に違っているだけなんだ。理不尽な世界の犠牲者とも言える。本当の悪は、この最初の人間だよ。今の子達にも原罪は残ってしまったが、本質的な罪はない。悪を犯したのは、この一人だけだ」
異業は自分のことと言いつつ、どこか他人事のような語り口と、逆に一人を指して言う所は語気が強くて、なんだか統一性がないなと思ったが。しかしトリオンさんの回答は、大旨わたしが求めるものであったので、頷くと共に納得した。
トリオンさんはそれから気を取り直したように、表情と雰囲気とを変えた。
「さて、セアちゃん。この話を聞いて分かったと思う。何が君に関係しているか」
自分の首元を指して言うトリオンさん。
「神隣花ですね」
本人は親切のつもりでやっているのだろうが、流石に馬鹿にしすぎた。そんなのちゃんと分かりますよと、真面目な顔つきで答えた。ただ目が見えないからだろうか。トリオンさんにその想いは、届かなかったようで。
わたしの回答の何がそんなに嬉しかったのか、トリオンさんは大変気を良くしていた。
「無関係ではないかもしれない。ただこの花、伝説上の存在だからね。特徴はおろか、実在していたかすら怪しい。だから君は、この世界の神話を深く探ってみるといいよ。儂が話したのは、創世神話のほんの少しだけだから」
まるで幼児に語りかけるような話し方だったから、少しむすっとなった。でも話の内容事態は、どこもおかしい所はなく、むしろ助かるものだった。
それにこの人、態度や話し方から悪意を感じないのはもちろん、こちらを馬鹿にしている訳でもないのは、容易に分かる。何というか本当に、大切な我が子に話しかけているというか……。過保護にされていると言ったら分かってもらえるかもしれない。
だからまぁ、はいと言って、また頷いた。ただその時、この人はこんな助言も不意にした。
「ただ青年から訊くのは、やめた方がいいかもしれない。彼は色々な話に詳しすぎる」
それは何というか、ちょっと意味が分からなかったが、続く言葉で多少はその意図が理解できた。
「セアちゃんに渡す情報を、厳選するかもしれない。だから、彼があまりに簡単に本を渡してくれたり、逆に極端に渋るようであれば、青年から神話に関することは訊かない方が無難だ」
これまでの経験から、アルトさんが秘密主義なのは知っている。彼のことだから、秘密にする理由はあるのだろうが、どういう事情にせよ、語ってもらえないというのは、事実としてある。
そのことを思えば、トリオンさんの危惧は真っ当なものと思えた。しかしそれなら、情報はどこから集めればいいのか? それに関して訊いてみたら、「普通に街で神話に関する本を買うでもいい」と教えてくれた。
ただ少しすると、考え込む素振りを見せ、今言ったことは間違いだとでも言うように、改めてその方法を話してくれた。
「これまでの会話から、君達がこれからどこに行こうとしているかは、だいたい察しがつく」
行き先に関して告げた覚えはないが、わたしが記憶喪失であることは知ってもらっている。
そしてこの人、アルトさんも上回るほど、多くの知識を持っている。わたしの髪色から彼がそう結びつけたように、この人がそのことを考えつき、それを察するのは不思議な話ではないと思った。
「森の精霊達に、自分の事を知っているかどうか訊くついでに、神話に関しても尋ねてみたらいい」
彼らは詳しいのか? そう訊いたら、特別そう言う訳ではない。でも信心深いのは確かだと言ってくれた。それからこんなことも話してくれた。
「話を聞いたなら、セアちゃんはきっとそこで、最低一つは疑問に思うはずだ。その疑問を軸に、考察を立ててみると、勘づくことがあるんじゃないかな? でなくても疑問が湧けば、大切な物事を決める時、判断の材料になると思う」
言っている意味がちょくちょく分からない。さっきも思ったけど、賢い人っていうのは、もしかしたらそういう、ややこしく言わなきゃいけない縛りでもあるのだろうか。
でもまぁ単純に咀嚼したら、こういうことだろう。『他の人から、もう一回神話を聞いたら、違う視点も見えてくるかもしれないよ』ということ。
その意味を理解したら、つくづく子ども扱いされているようで、胸の内では悔しい気持ちが燻った。しかし示された指針は、やっぱり悪くない気がするから、そうすると伝えた。ただその時、むくれた言い方をしたから、流石に気付かれたらしかった。
トリオンさんは身をたじろがせながら笑った。
「君らに会えて嬉しかった。今後も見かけたら、話しかけてくれると儂は嬉しい。その時は美味しい物を、またこうやって一緒に食べよう」
そして取り繕うように話を締めたのだ。相変わらずこの人は都合の良い。でもアルトさんと違って、不快感は全くないのだから、変な話だ。そう言う天性の人柄を持っている気がしてならない。
しょうがないですねぇ。そんな悪態をついて、また頷いてあげる。
「トリオンさんよく食べますよね。わたしも食べるのは好きです。トリオンさんも……ですよね?」
同じように話を閉める方向に持っていく。
辺りを見渡せば、賑わいもすっかり失せていて、また静かな時間が訪れていた。そんな折にトリオンさんは、また敵意の全くない声を響かせるのだ。
「ああ。美味しい物を食べるのは好きだよ。かなりの」
そう言ってみせたトリオンさんの喋り口調は明るく、柔和な笑みだって浮かべたままで、特別なものではなかった。
しかしわたしには、この時のトリオンさんの姿が、どれに対してかも分からなかったが。確かに……何かを憂いて儚んでいるように見えたのだ。
それでお互いに店を出て別れたのだが、その時わたしの背には、こんな声が届いた。
「情動を伴うよい旅を」
意味する所が、やっぱりよく分からなかった。でも取り敢えずこう返したのだ。
「トリオンさんもですよ! ……また会いましょうね」