第123話 変わらない日々、しかして彼らは変わっていく
「ちゃん……お姉ちゃん」
昼寝をするにはもってこいの、暖かな日が照らす正午。そんな頃に、誰かの声が耳に届いてきた。聞き覚えのある声質だが、あの子はここまで明るい声音ではなかった気がする。それに、わたしのことをそんな風に呼んだりは……。
「セアお姉ちゃん」
「は、はい!?」
けれどその声はヘテル君のもので、【お姉ちゃん】は、わたしのことを指していた。
それでこれまでのことを思い出す。彼が彼女になったこと。しかしそれでも、わたしは彼と呼ぶこと。そしてわたしとアルトさんが、彼の姉と兄になったこと。
「慣れない?」
はっきり言ってしまえば、正直まだ慣れない所はある。ボフォルの街を出てから──つまりヘテル君から『お姉ちゃん』って呼ばれ出して、まだ三日だ。
「うーん。まだ……ちょっとだけね?」
変に取り繕ったら、余計に悲しくさせるかなって考えて、言葉を選びながら言ってみた訳だけど。ヘテル君は、耳をしゅんと垂れさせてしまっていたから。慌てて取り繕った。
「あっ、でもなんでだか、耳馴染みがいいんだよね! お姉ちゃんって言葉! 昨日今日じゃなく、ずっとそう呼ばれてきた気がする。
多分わたしには弟か妹がいたんだと思う。それも美形で運動神経抜群の、わたしを毎朝優しく起こしてくれる、かと思えば、わたしのだらしなさを『しょうがないなお姉ちゃんは』とか言いながら、ため息まじりに叱ってくれるような。そんな弟か妹が。いたような気がするんですよね……」
語る言葉は多く、自分でも信じられないくらい早口で、一息に話してしまった。
「記憶喪失だからって、都合の良い弟妹を捏造するな」
そんなアルトさんのツッコミも聞こえてくるが、それは無視して……。ヘテル君と目を合わせる。
「だから大丈夫だよ、お姉ちゃんって呼んでも。というかね、むしろ呼んで。呼びな! もっと! さぁ! ほら、呼ぶんだよ!」
ヘテル君の寂しそうな顔は一転。彼は「怖い」と言って、わたしから離れていった。ただしその足取りは軽く、また表情も晴れやかだった。
まぁ、逃げた先がアルトさんの後ろって言うのが、ちょっと解せないんだけどね。
✳︎
最後の村エスペンへと向かう道中は、何事もなく進んでいた。いつものように朝は走って、創世魔法を練習して、皆でご飯を食べて、眠る。時折、動物に出会うことは会ったけど、目立った問題はない。
毎日変わらない日々を、安定して過ごせているから、訓練の成果は如実に出ている。前よりもずっと体力は増えたし、創世魔法の扱いだって随分手慣れたものだ。創世魔法を使う時、まだ頭痛はするけれど、色んなものを創れるようになった。些細な変化を喜んで、何も変わらない毎日。
そしてアルトさんに関しても、だいたいそんな感じで。暇な時間には、いつも通り本を読んで、難しい顔をしている。
変わらない日々、変わらない私達だ。
でも、そう……。何も変化がない訳ではない。変わっていくものはある。例えばほら、給餌服を来て、楽しそうに味見をするあの子とか。
「夕餉が出来たよ」
言いながらヘテル君は、わたし達の皿にスープをよそっていく。それは野菜がふんだんに盛り込まれた、健康に良さそうなスープだ。
「お、悪いな。ありがとう」
受け取って頷くアルトさん。ただし片方の手には、先ほどまで読んでいた本を持ってだ。
アルトさんはたまに、本の内容に夢中になり過ぎて、周りのことが目に入らなくなる。今だって返事は返しているけれど、虚いだ様子を見るに、上の空なのは間違いない。まだヘテル君がいない二人旅だった時、本にスープを溢したこともあるのだから、やめればいいのに。
変わらないアルトさんのいつもに呆れるけれど……心配はしない。だってもうスープを溢すことはない。
「アルトお兄ちゃん。本を持ってたら、溢した時に汚しちゃうからダメ」
「えっ。ああ、すまん」
本を取り上げられたアルトさん。大人しくスープの入った皿を受け取っているが、心なしかいじけているようにも見えた。
「はい。お姉ちゃんも」
「うん。ありがとう」
頷いて、なるべくお行儀良く受け取った。それで全員に行き渡ったから、誰が始めと言わずとも、スープに口をつけたのだ。
野菜はよく煮込まれていて、噛めば溶けるようだった。繊維は変に口元に残らず、だというのに、甘みはしっかり後引くように感じるのだからすごい。
「おいしい」
ほぅと一息ついて、感想を漏らす。するとヘテル君は嬉しそうにはにかんだ。それで喜びながら自分もスープをすすっていた。
それを見て思うのだ。彼はすっかり【変わった】と。
やってることは、サスラの村を出た時から何も変わりない。でも声音だとか、そういうはにかんだ表情だとか、見違えている。
自分の素顔を隠さずに、自分のしたいことを臆さずに、自分を行うヘテル君は──自由だった。
前は、無口で物静かな子だと思っていたけど、年相応な振る舞いで、夕餉に会話の花を咲かすこの子を見ていたら、自分がどれだけ節穴で、どれだけの感情を見逃してきたか、気づくことが出来たんだ。
「それでね。お姉ちゃん、お兄ちゃん!」
「はいよ」
「うん、それでどうなったの?」
✳︎
会話をしながらの、ゆっくりとした食事は長く続いた。でも皆の皿は、流石に空になり始めていた。
「あっ、まだ食べる?」
それに気づくと、ヘテル君はそんなことを言うのだから。自分を抑えつけていない彼の言動が、もうすっごく嬉しくて。
「うん、じゃあお願い!」
何杯だって、笑顔で頼んでしまうよ。
「あっ、じゃあ俺も」
続いてアルトさんが、空になったばかりの皿をヘテル君に渡した。
「わふ」
そしてソフィーちゃんも。
まだわたしの分だって、注いでいないのだから、ヘテル君は困ってしまって、「待って待って!」と慌てて言っていた。そのあたふたする姿が、また可愛くて。助けることも忘れて、目尻を細めた。
そうするとヘテル君は口元を膨らませた。どうして助けてくれないの? そんなことを言外に言っている気がした。
これ以上意地悪しては悪いから、「手伝うね」言ってからソフィーちゃんの皿を預かった。
「あっじゃあ当方も」
「はーい、分かりました。じゃあ、ソフィーちゃんと、貴方の分は、わたしがやりますから、待ってて下さいね〜」
とぽとぽと皿にスープをよそって、笑顔で渡した。それでまた皆で話に花を咲かせ……。
「ずず、ずず。ああ……うまい。5日ぶりの飯は腹に染みるなぁ」
どう見ても、60〜70はいってそうな、お爺ちゃんが言っていた。その人は当たり前のように、わたし達の団欒の中にいて、あぐらまでかいて、ゆうゆうと座っていた。
皆、【今何が起きているのか分からない】といった感じで、戸惑うよりも先に硬直していた。
全く動かなくなったわたし達を不審に思ったらしい。お爺ちゃんと目があった。
瞳をパチクリさせると、お互い小首を傾げあった。それで言うのだ。
「いや、なんでいるんです? ヒーローさん」
「お腹が空いたから」
そう、こんな出来事だって日常の一幕。変わらない日々の一つだ。……これ、変わらない日々の一つに数えて、本当にいいの?
縁と言うのは異なものだ。
反省を生かし、今章ではすぐに出しました