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銀の歌ーGoodbye to Fantasyー  作者: プチ
第4章 自分の話
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第112話 君が考え


「それはどういうことですか?」


 ワイトさんが尋ねる。


「失礼になりますが……ワイトさん、は、香木をご存知ですか?」


 ヘテル君は相手の疑問に、答える前に質問をする。それは会話の仕方としては、よくないものなの。日常会話であれば、出来るだけしない方がいい。しかしこれはあくまで商談だ。

 人間関係も大事だが、流されないことも大事だ。


「ええ、それはもちろん。香りをつける物ですよね」


 しどろもどろながらも、ヘテル君の言葉には気迫があった。だからか、ワイトさんは答えながらついつい頷いた。


「はい。香りを【変化させる】ものです」


 ヘテル君が同意したのを見て、これからどういう話運びになるか、ワイトさんはきっと、瞬時に聡く判断していた。


「なるほど。言わんとすることは分かりました。ですが、それは幾人もの人が試したことでしょう。

 そして出た結果が、獣の皮には、香り付けの類は合わないということです。香り付けをするならば、綿や毛、それから絹によって作られた服など……。そういったものに使う方が良いと、結論が出たのです」


 こめかみを抑えて、思い出しながら話している。そう言った情報も、ワイトさんの聡明な頭脳には入っているのだろう。思い出しながらでも、すぐに解答を述べられるのだから、商人というのはやはり恐ろしい。


「獣臭はなかなか取れません。どころか、反発し合うことが多々です」


 ヘテル君が返答する前に、結論づけられてしまう。

 経験則ではない情報がすらすら出てくるのは凄い。でもワイトさんの言い方には、決めつけが含まれていた。


 確かに客観的な情報は、色々な場面で重要になるだろう。しかし客観や今までの事例が、必ずしも当てはまる訳ではないのを、わたしはよく知っている。この世には体験しなければ、分からないことが沢山あるのだ。


 だからこそヘテル君の続く言葉に、ワイトさんは後退りすることになるのだ。


「……ちょっと違います。香木とか香水っていうのは、前の匂いを消すためのものではありません。そうではなくて、香りを変化させるんです」


 強い眼差しで言うヘテル君。今日買ったばかりの香水と、一体どこに隠し持っていたのか、小さな植物の種をいくつか取り出した。


「そちらはなんでしょうか?」


 ワイトさんが疑問に思って尋ねる。話の流れから、香水というのは分かっているだろうが、それが何を原材料として作られたのかは知らないのだろう。そう、実際に【体験】した訳ではないから。


「これはラルバという木から取られた香水と香木です、そしてこれに、今取り出したモロクとヨレイツの種を混ぜます」


 言って香水の蓋を開けると……植物の種をそこに入れた。


「ヨイレツ……」


 背後から不意に聞こえてきた。

 後ろにいるのは、まぁ当然アルトさん。彼は話の展開に付いていけているらしい。ヘテル君の邪魔をしたくないわたしは、彼から聞くことにした。


「知っているんですか、アルトさん」


「酒の……原材料だ。酒精分を含んでる」


 アルトさんは知識だけならと、自信なさげだった。色々と知っている彼ではあるが、香水を作ったことは流石にないらしい。何故それらを混ぜたのか理解できないのだ。わたしも理解できていないが。


 皆が分からなくて、小首をかしげる。そんな中、ヘテル君だけは迷いなく手を動かす。

 やがて混ぜ終わったらしい。自分で一度、香水の匂いを確かめると。「嗅いでみてください」そう言って、わたし達に促した。


 ラルバの香水の匂いを知らないわたしは、そこまで躊躇することはなかった。けれど知識を多く持つ商人二人は、その匂いが変わり種であることを知ってるらしく、及び腰だった。

 恐る恐るという程で、まずはアルトさんが鼻を近づけ、手を扇のように使い、その匂いを嗅いだ。すると……顔をハッとさせて驚いた。何かに気づいたような、そんな表情だ。

 その様子を見たワイトさんも、アルトさんと同じような動作で匂いを嗅ぐと、やはり驚いたような顔をした。


「思ったよりも、強い匂いではないですね」


 ワイトさんが言う。わたしも最後に嗅がせてもらったが、ヘテル君が言っていたような独特な匂いというのは、そこまで強く感じなかった。

 確かに匂いは、あまり自然の中では感じることのない、化かされているような、特殊な匂いに思えたが……。


 未知の物だからと言って、警戒し過ぎただけだったのかもしれない。ラルバの木から作られた香水は、理解の範囲外にあるようなものではないと、わたしには感じられた。

 しかし彼ら二人は納得いかない様子で、首を捻らせていた。


 わたしとは反応の差があって、柔軟性をもっと持った方が……なんてことを思った。

 でもこういう時、理屈で言わないと納得できないのが、商人という生き物なのだろう。ヘテル君もそのことを理解したみたいで、答えを言ってくれた。


「ヨイレツでラルバの香りを飛ばしています」


「ああ。そういう」


 アルトさんが呟いて頷くと、ワイトさんも、「酒精分には、そのような使い方もあるのでしたか※」と何か会得しているようだった。わたしには何がなんだか分からないが。


※アルコールで匂いを飛ばせる。


「これをチィーランの毛皮にかけて……うん。……では、また匂いを嗅いでもらえますか」


 ヘテル君が促してくる。そして各々が衝撃から、また顔をこわばらせた。特に、チィーランの毛皮とずっと一緒に、荷台で揺られていたわたしの衝撃は、ことさら強かった。


「これは……」


 みんなが驚いた。その清涼な香りに。


 獣臭いどころか、太陽の日差しに当てられた布団のような香りがする。それから果実の匂いもだ。

 変化に驚いているわたし達を前にして、ヘテル君は両手をぎゅっと胸の前で握り合わせた。それで訴えるように、切実に伝えてくれたのだ。


「獣臭が臭いと感じるのは、強すぎる匂いだからです。ですが獣臭は、必ずしも悪臭ではありません。むしろチィーランなどは、陽の光をよく浴び、果実を食べて生きていますから、肉食獣のような血生臭さはありません」


 ヘテル君はワイトさんから、毛皮を一度渡してもらうと、バサっと大きく広げ、太陽に透かした。その時に漂ってきた匂いは強くないが、思わず振り返るもので……惹きつけられるものがあった。


「獣臭を抑えたのはラルバです。ラルバは独特な匂いを出しますが、強い匂いではありません。ですが一様ヨイレツを加えて、さらにラルバの匂いを飛ばします。そうしてラルバの主張を抑えた独特な匂いで、強すぎる獣臭を誤魔化しています」


 土壇場で実践的に見せたりと、ヘテル君は工夫を凝らして伝えた。拙いながらも、その考えや狙いは、しっかり届いていた。それで自分の出来る事は終わりだからと、彼はワイトさんの反応を待った。

 待ち姿はどことなく自信なさげだが、何を恥じる必要があるのだろう。立派な交渉だった。


「ですが、この香り付け……。いえ香りの変化が終わってしまったら、結局の所、意味がないのでは? 売るだけなら出来ますが、私共はこの街に店舗を置く商会です。行商ではなく、ずっとこの街に根付くことになるのですから、悪評は避けたい所です」


 期待した反応ではない懸念に、少し気落ちした。でもワイトさんの言葉は、店舗を置く商人として正しい反応であり、真っ当だった。その場しのぎでは駄目なのだ。長いこと匂いを消せなければ、新しい購買層に届けるのは難しい。

 しかしヘテル君は臆することなく言う。


「だいたい半日以上は保ちます」


 興味深いことを聞いたと、感嘆の声が上がった。


「モロクには香りを長く保たせる効果があります。ただこちらも、色々条件はありますが……」


 先程混ぜた植物の種のもう片方には、そんな効果があるらしかった。『色々な条件』という言葉だけは気になったが、それに関してはアルトさんの言葉で納得がいった。


「そうか……組み合わせか」


 アルトさんは、知らないものを知れたと頷いている。知識が武器になることを、彼はよく知っているから。自分の知らないことに関して警戒もするが、同時に関心も高いのだ。


 素直に頷くアルトさんとは別に、ワイトさんは何か打算的にぶつぶつ呟いていた。そして結論が出たみたいで、ヘテル君に向き直ると言う。


「つまり毛皮を買ったら、その組み合わせの分量を教えてくださると?」


 ワイトさんの笑みは強いもので、どことなく悪意が感じられた。いや、その言い方は正確ではない、どうにかやり込めようとしている、そう言った方が正確か。

 こういう時、軽率に返事をするのはまずい、そういうことを日頃のアルトさんとの会話から学んでいるので、割って止めに入ろうとしたが間に合わなかった。

 ヘテル君は素直に、「はい」と頷いた。


 その瞬間、アルトさんは露骨に顔を歪めた。やはり不味かった。でも前を見据えるヘテル君に、アルトさんの顔は見えていない。


「ワイトさん、改めていくらになりますか?」


 ヘテル君が問いかけると、ワイトさんは神妙な顔つきを浮かべた。そして懐から、木でできた平べったい物を取り出すと、そこに置かれた黒い丸をパチパチと弾き出した。どうやら計算機のようだった。


「では……これでいかがでしょうか?」


 黒い丸のいくつかが、不自然な位置に置かれているので、恐らくはそれが値段だと示しているのだろうが、いかんせんわたし達は、この計算機の見方を知らない。

 なので押し黙ってしまう。


「これは失礼しました。その調合法と一緒であれば……ルカナスタ銀貨で八十枚。つまり、毛皮一つにつき、銀貨二枚でお支払い致します」


 びっくりした。最初言われた金額が銀貨で五十枚、そこから更に三十枚の増加だというのだから、これは間違いなくうまい儲けが出たのではないだろうか。


 わたし達はその値段提示に喜んだ。それで何か、了承の言葉を言おうとしたのだが、ここで待ったの声がかかった。


「……いえ、ワイトさん。こちらは現物ではなく、調合書を売り渡そうとするのです。別会計をお願いしたいです」


 わたし達に任せてくれていたアルトさんだったが、ついに割って入ってきた。

 アルトさんは柔和な笑みを浮かべていて、表面上は、敵意のかけらもなさそうだった。しかしその笑みの本質は……言わなくても分かるだろう。優しい笑みではない、むしろ怒りの感情がふんだんに含まれていた。


「……ではいかほどでしょう」


 ワイトさんが笑みを崩さないで言う。


「毛皮の方は銀貨五十枚のままで大丈夫です。けれど香水の方は、そうですね……。二十はいただきます」


 ワイトさんの問いに、すっと指を二つ立てて答えた。

 最初、アルトさんの言った意味が、誰もよく分からなかった。でもしばらくした後に、何を察したのか、ワイトさんはついに笑顔を崩して、表情を歪めた。


「それはいくら何でも……」


 常識的に考えてあり得ないと、ワイトさんは否定する。そこまで嫌がるのは何故だろうか?

 アルトさんの提示した条件は、ワイトさんが提示したものより、低い値段なのに。


「今のはこの子が、自分の人生の中で……努力や工夫によって、独自に発見したものです。安くはありません。これを安く買い叩くなら、それはこの子の人生の積み重ねを、軽く見るのも同じです。

 分かるとは思います。一に対して加算や乗算をするのが易くても、発想するまでが難しいことは。0から一を作ることは、偉業なのです。香水に他の植物などを組み合わせるというのは、私が知る限りでは誰もやっていません」


「…………」


 否定しきれず、ワイトさんはついに黙ってしまった。

 それでアルトさんが、これは決定事項だと言う。


「では納得していただけたようなので、銀貨五十枚……。それと【金貨】で二十枚でよろしかったですね?」


 禍々しくも告げられた言葉は、小さなものなのに響いた。意表をついた言葉や、真理をもたらす言葉は時として、それがどんなに小さな声量でも、脳裏に響くことがある。


 ワイトさんが嫌がっていた訳が、ようやく分かった。そもそもの前提が違った。銀貨ではなく、金貨。それはたしかに枚数の問題ではない。銀貨と金貨では、価値が全く違うのだ。


「別会計の方は銀貨ではなく、金貨で二十枚。それがこちらの提示する条件です」


 呆けているわたし達を置いてアルトさんが言う。ワイトさんは、具体的に言われては仕方ないと反発する。「流石に冗談が過ぎます」と。

 だけどアルトさんは、譲歩する気は全くないようで、力強く言い切る。


「一年間にやり手の商人が稼げる金額は、金貨で二十枚。この子がまだ、商人として発展途上なのを考えても安い方だ」


 いつだったか聞いた言葉。敬語ではなくなり、鋭さを増した態度で、あくまでも強気に攻める。


「いえ、ですがそれは」


 どうにか逃げ場を探そうと、ワイトさんの視線はあらぬ方へといく。しかしアルトさんは逃がさない。相手が対応する前に、決着をつけるつもりだ。


「考えてみて下さい。そちらは今後、その調合法を用いて、製造ラインや下請けを確立し、各商会の店舗で流通を可能とします。年間で稼げる金額は、ここで払う金額をゆうに超えることでしょう」


 『考えて』と言っている割には、ろくに考える暇も与えず、たたみかける。


 わたしには相場とか、各商会の仕組みとか分からないので。アルトさんの言ってることがどこまで正確なのか分からない。だけど冷や汗が流れるワイトさんの表情を見るに、あながち的外れではなさそうだった。


「それに貴方は何も言えなかった。『これを安く買い叩くなら、それはこの子の人生の積み重ねを、軽く見るのも同じです』。無言は肯定の証……などと言う気はありませんが、貴方も分かっているのでしょう」


「で、ですが」


 わたわたと手が揺れ動く。何か言葉を探しているのだろう。しかし追い討ちは止まらなくて……。


「貴方はまたこの子に非礼を働きますか?」


 それがトドメだった。非常に含みのある言い方。ワイトさんに自分の失態を思い出させる意図──悪意があった。

 ヘテル君の性を間違えたのには、多少の咎はあるだろうが、それほどではないはずだ……それが単体であれば。


 アルトさんの言い方は巧みで、相手の罪悪感を積み上げさせるもの。ワイトさんは苦虫を噛み潰したような、苦悶の表情を浮かべた。そしてがくりと項垂れ、目を伏せた。


「さて、金額を改めて教えていただいても?」


 その機を逃さず、アルトさんは迫った。


✳︎


「今までの非礼を、お詫びいたします」


 売買のやりとりが終わった後、開口一番ワイトさんは言う。


 それでヘテル君は恐れ慄いて、やはり首を横にぶんぶんと振る。それを見てワイトさんは、含みのない穏やかなものを浮かべた。


「いえ、心の中では多少侮りがありました。よい勉強をさせていただきました」


 目の前にいるヘテル君は小さくあるが、姿が小さいだけの商人として、ワイトさんは彼のことを扱っていた。対等な立場に立たせてもらえたのだ。


「歳若いといっても。油断してよいことなどないと、分かってはいるのですが」


 ぽりぽりとこめかみをかくワイトさんは、何かに言い訳をしているようだった。ただそこまで付き合う気がないらしく、アルトさんはやりとりを締めようとしている。相変わらず情のない人だ。


 けれどそれが失礼なことだとワイトさんは思わないようで、こちらの意図を理解して短く言葉を告げた。


「今後とも、当商会をご贔屓に」


 アルトさんの強引な攻めに恨むことはせず、そう言えるワイトさんは、人間としても商人としても、アルトさんより優っている気がした。


 そうやって色々なことを学ばせてもらった商談の帰り道。「これ、わたしいる?」と尋ねたら、アルトさんはあっさり、「いらないかな」と答えた。


 喧嘩になった。


✳︎






 セアとヘテルが商談がまとまったと喜んでいる頃、アルトが、本調子ではなさそうにしているワイトに声をかけた。


「すみません、少し伺ってもよろしいですか?」


「はい……。何でしょうか」


 多少億劫そうにしながらも、ワイトは会話に応じた。

 それに対してアルトは、申し訳なさを感じたりせず、むしろ当然のことだと、目を細めていた。


「先程話していたウェンの大森林に居た部族のことです」


 短く要点だけを言う。するとワイトは、思い出しながらええと答える。

 それで先程の事もあるから一旦は警戒した。でもこれが、商談と関係しているようには、ワイトには思えなくて……。結局は駆け引きもなく、「それがどうかなさいましたか?」と口にした。


「いや、大したことではないのですが……」


 アルトは前置きして、一息ついた後に言う。


「その部族……つまりは【ウーマ】族っていうのに聞き覚えはありませんか?」


 アルトの目がぎらりと光った。

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