第104話 前半 誰が馬鹿だったか
前回に続きアルトさんの視点ですよ〜
銀の歌
第104話
「アルトさん見てください! ついに三十個目の花を創りあげることができましたよ!」
夜が明けて昼間、賑やかな声が聞こえる。
しかしその声は、どこまでいっても賑やかな声の域を出ない。セアはこちらに呼びかけているが、俺はどうしても考えたいことがあって、そちらに気を向けているから。
「アルトさん?」
二度目の呼びかけは無視出来なくて、セアへと顔を向ける。
「すまん。考え事をしていた。って。おお、よくやったな」
褒めてやると「えへへぇ」と、身体をくねらせて喜んだ。実際触媒が上手く機能していなくて、頭の痛みがあるというのに、それだけの量を創れるのは、自分の目から見ても凄いことだ。セアがこれまで、まじめに取り組んできたことの成果が如実に出ている。そろそろ次の段階に移っても良い頃だと思えた。
けれど昨日得た新しい情報を整理する方が、今の自分の中では優先されている。なので褒めるのもほどほどに、セアを追い返すように手で制す。
セアは少し残念そうにしていたが、まぁあいつのことだから。ほっといてもいいだろう。
昨夜。アクストゥルコはあの後、なんだかんだでカリナについて教えてくれた。稀代の殺人鬼が、本当に頭一つ下げるだけで教えてくれるなんて、今でも信じられないが、それでも事実として、俺の脳にはカリナの情報が入っている。
認め難いが、自分の見立てが余りにも検討外れだったと言うことだ。アクストゥルコ──彼女は何か利益や損得で動くのではなく、本当に感情のままに素直に生きていた。
「はぁ〜」
「どうしたんですか。ため息なんかついちゃって」
セアが心配そうに尋ねてくる。別に状況は悪くなってない、どころかよくなっているのだが……。それでもため息をつくのは、どこまでも深読みしていた過去の自分が、馬鹿らしく思えたからだ。
大量に人を殺す極悪人が、あそこまで素直な人格を有しているともなれば、そりゃため息も出る。
「いや、こっちの話だ。気にしないでくれ」
セアには軽く返して、ヘテルが家事を代わってくれたことで出来た、自由時間を有効活用して、昨夜のことを振り返ることとした。
✳︎
『めんどくさ』そう言ってから、しばらくの時間が過ぎた。アクストゥルコはそっぽを向いてしまっているが、今までとは明らかに違った。こちらに失望した訳ではなく、恐らくは照れから顔を背けていた。視線を感じるし、何より彼女の顔は赤い。まぁ、俺の顔も引っかかれたり噛みつかれたりしたから、赤いんですがね。
「あのさぁ、いい加減にしてくれませんかねぇ」
「……ぅぅぅ」
呼びかけると唸り声が返って来た。
アクストゥルコはどうやら言葉による反論は苦手らしく、すぐに手が出るたちらしい。そしてやった後に後悔をするみたいで、ひとしきり暴行を俺に加えた後、彼女ははっとしたように表情を強張らせて、しゅんと大人しくなった。
普段からセアの理不尽な暴力を受け、慣れている俺でなければ、ここまで無抵抗に嬲られ続けることはできなかっただろう。
暴力系ヒロインの時代はもう終わったと思っていたんだけどなぁ。最近の英雄譚に、そういった人物は見うけられない。
「まぁ、小便を人にかけるような獣畜生だからな。カッとなってつい手が出ても、仕方ないのかもしれないな」
「なっ!? ち、違うぞ! 人前でおしっこぉ……なんてする訳ないだろ!」
おしっこという単語の所だけ、やたら小さく呟いていた。どうやらその言葉を言うのが恥ずかしいらしい。何百人も人を殺した殺人鬼のくせして、どういう価値観を持っているんだか。
「俺の濡れた履き物見てから言ってくれます? まだアレ、なんか変な匂いが取れねーんだよ!」
キレながら言うと、叱られた子どものような態度で、頭頂部から生えた耳をぺたんと垂れさせた。そして逃げるように目線を泳がせた。
「……だからぁ。あれはぁ。これをかけたんだよ」
そう言ってふさふさの大きな尻尾の中から、割れた酒瓶を取り出した。
「それは、まさか」
「そうだよ。なんだっけ? せいゆう、やん? とかだったか」
「そんな関西弁みたいに言われても。清流・藍な」
「そう、それだ。飲み口の方にまだ少しお酒が残ってて、何かに利用できそうだったから、割れた方を粘着性のある葉っぱとかで補修したんだ」
「だからあたしは、してないぞ。そんなこと……」アクストゥルコは頬を膨らませながら、いじけるように続けた。
なんだこいつ、急にしおらしくなりやがって。
だがこの状況は使える。無くしたと思った優位な立場が、予想もしない角度から帰ってきた。ここは一気に畳み掛けるべきだ。
「でもかけられたもんはかけられた。カリナのこと……教えてくれないか」
訊くとアクストゥルコは難しそうな顔をした後、諦めたように「何が聞きたいんだ?」負い目を感じさせる濡れた瞳で弱々しく言った。
「それじゃ、カリナってのが何なのか。お前が知ってる範囲でいいから教えてくれ」
「お前?」
「アクストゥルコ」
ギロリと睨まれる。まぁお前だなんて言われたら、貶されていると感じる者もいるだろう。現に俺がそうだ。セアに普段から、『お前だなんだ』と言い続けてきたせいで、つい出てしまった。
だがやはり味方という訳でもないのだから、気安くするのもどうかと判断した部分もある。そこら辺のことは気にしないのだろうか。
耳をぺたんと下げているアクストゥルコをじろりと見たら、彼女は「ん、なんだ?」と、敏感な彼女にしては珍しい反応を取った。
必ずしも考えている事を察せられる訳ではない……のか。
まぁ、百発百中で当てられたら、それは最早心を読むという特殊能力だ。
そうかと、アクストゥルコの情報を脳内で上書きする。
「まぁいい。カリナのことだったな? 最初は何から話そう。取り敢えず、あいつは人種の男だ。それで…………」
ついにアクストゥルコはカリナについて語り出す。
今まで完全に情報が明かされることがなかったカリナという誰か。その彼の説明を聞いていく内に……聞いていく内に……顔をしかめざるを得なくなった。
✳︎
アクストゥルコが話した、カリナのことをまとめるとこうだ。
一つ目人種の男であるということ。ヴァギスの死体が動いていたり、カリナに関することを考えようとすると、思考が停滞ー後に記述するーしたりすることを鑑みて、もしかしたら人間ではないのか? と思っていたから。取り敢えず、人であると知れたのはありがたかった。
二つ目は何人かの配下? あるいは仲間がいるということ。これに関して彼らの関係性が曖昧なのは、アクストゥルコの話に、解せない部分があったからだ。
通常部下や配下というならば、独断で行動するなんて有り得ない。だというのにアクストゥルコの話では、どう考えても勝手きままに動いている様が伺えるのだ。
アクストゥルコは【カリナに連なる者達】と表現していたが、立場的にはどうなのだろう? 【上下のない集合体】と表現した方が正しい気がする。
そして三つ目が。
「魔術?」
「うん、魔術だ」
アクストゥルコが言うに、カリナという人物は魔法とは似て非なる何か、【魔術】を使うと言う。彼女は魔法が何かを、自分が使えないから、詳しいことは言えないと前置きはしていたが、それでもはっきりと、「お前から喰らったあの火球が魔法だとするなら、あいつのやっていることは、お前のそれとは全然違う」と言っていた。
納得できないと訝しんだら、アクストゥルコは自分なりの表現で、二つの違いを説明してくれた。彼女曰く【世界に馴染みのない魔法に似た何か】が、魔術らしい。
その説明を聞いても会得はできなかったが、アクストゥルコは「これ以上の説明はあたしには無理だ」と首を振られてしまった。
でも魔法に似た何か、それも多様なことが出来るものと知れたのは大きい。もちろんその自由度を聞くたびに、あまりに万能で、絶望感が増していくことにはなったが……。
カリナの魔術は、自分が使う創世魔法と同じように、基本的になんでも出来ると認識していた方が良さそうだった。
「てことはアクストゥルコ。カリナって単語を聞いて、引っかかる部分はあるのに、俺の記憶があやふやなのは、まさか」
「カリナの仕業だな」
アクストゥルコは間違いないと、力強く頷いた。
「確か。あいつの使う魔術の一つで、【記憶を曇らせる】って名前のやつだと思う」
相手の思考領域に影響を与える魔法というのは、こちら側が使う【魔の類】としては、かなり難度の高いものだ。少なくとも自分の実力では無理だ。そんなものを間違いないと断言されてしまったのでは、こちらの物差しでは、相手の実力がさらに計り知れなくなってしまう。
何かとんでもないものを相手にしているのかもしれない。
「なるほど」
理解し難いことばかりだから、アクストゥルコの話を全てうんとは頷きにくい。でも彼女が嘘をついているようには思えない。それに自分は彼女に頭を下げて、ようやくこの話を聞くまでに漕ぎ着けたのだ。
頭ごなしにありえないと否定するよりも、なるべく話を事実としてみた方が、アクストゥルコにも過去の自分にも、義理が立つと思った。
「なるほど」
ただ話を聞けば聞くほど、本当に分からなくなってくるのも確かな事実で。元から分からなかったことーヴァギスや墓地でのことーが、さらに分からなくなった。
知れば知るほど、情報が足りないと感じる。
「もうカリナについて聞きたいことはないのか?」
質問の仕方が悪かったのか、アクストゥルコの様子から見るに、まだカリナに関して聞けることはあるみたいだ。でも今出た情報が、自分の予想の斜め上を行き過ぎていて、何を聞けばいいのか、まとまらない。
「そしたらおま……アクストゥルコとカリナはどんな関係なんだ? 差し支えない範囲でいいから教えてくれ。それによっては、悪いが情報の信憑性が大きく変わってくる」
自問自答をすれば、この質問は俺が本来聞きたい真打ではない。まぁでも、カリナについてよく知るアクストゥルコが、そいつとどんな関係なのか知っておいて損はない。
アクストゥルコは耳を立て、睨むようにして俺を睥睨した。そのまま圧をかけられること数秒。品定めが終わったのか、彼女は仕方ないと、また諦めた様子だった。
「あいつは、あたしにずっと付きまとってるんだ。綺麗だなんだって言ってな」
「なるほど?」
執着的な感じか。
言われてすぐは、彼女達の関係性に謎が深まるだけだったが、改めて目の前にいるアクストゥルコを見て、考え直した。彼女のことをこれまでは、大切な情報源として見ていたために、情報の魅力ならともかく、容姿の魅力については、考えの外にあった。
だけど最初は自分だって、アクストゥルコの容姿を美しいという言葉では飾りきれないほど、完成された存在だと思っていたじゃないか。
自分の感覚が麻痺していたのに気づいた。
だがその麻痺の原因は、カリナに対する焦りだけではなく、セアという存在が日常になってしまったせいもある。
アレも日々の言動や雰囲気で、勘違いしがちだが、アクストゥルコよりも、生物として完成された魅力がある。
脱線したが、目の前で佇む少女は、そのセアと【比べられるほどに】美しいのである。少なくとも俺の容姿では、アクストゥルコやセアと比べることすらおこがましい。
アクストゥルコは人間の肢体を持っていながら、獣との奇跡的な配合を果たした、賛美歌が生まれるほどの容姿を持っている。並いる人間、亜人、獣人では、引き立て役にすらならないだろう。
そんな奴だ。誰かが惚れるのも珍しい話じゃない。特にカリナは人間だ。人間の価値観でアクストゥルコを観たら、そりゃ執着もする。第一彼女達の種族は、その美しさゆえに人間の手によって滅ぼされたのだから。
「それは。気の毒だな」
こんな時、なんと言えばいいのか。気の利いた言葉は思い付かない。当たり障りなくそれだけ言った。
そう言ってもアクストゥルコは一切反応しなかった。代わりに何か思い出したように、身を縮こめて身震いした。
演技が得意な奴。例えばギーイならともかく、良くも悪くもここまで素直なこいつが、そんな反応をするくらいだ。語った話が嘘だとは、到底思えなくなって来た。
「なぁ、今ってお前達の歴史では何年だ?」
不意にアクストゥルコがそんなことを尋ねてきた。何気ないものだったので、俺もそこまで考えることはせずに、反射的に「1074年」だなと答えた。すると彼女は目を伏せて苦しそうに唸った。
「じゃあ、もうあれから千年近くか」
それを聞いて……目を見開いた。
第104話 前半 終了
※4/23追記
長かったので分割しました。