第78話 トーロス・アプシーはとらわれている
銀の歌
第78話
アルトの踵下ろしは、マーガレットに当たることなく、その手前で止まっていた。彼が自分で止めた訳でないのは、靴の踵から飛び出ている、鋭利な仕込み刃を見れば分かることだ。
確実に殺そうという殺意がのったアルトの一撃は、骨でできた仮面をかぶった、やたらと猫背な何者かに、食い止められた。
「ーー!」
アルトは形勢が不利と見ると、瞬時に数歩下がって、それから距離をとった。
その何者かは黒いぼろきれを身に纏い、身体を覆い隠していた。しかしぼろきれには、いくつも穴が開いていて、そこから身体は覗き見れた。
ぼろきれの隙間から見える身体は、なんだか人とは異なっているように見えた。痩せこけて肋骨が浮き上がっている肌は、皮と骨だけの骸のように思えたし、何より肌の色が、くすんだ朱色で、どこか汚らしかった。
大部分を趣味の悪い仮面で覆い隠しているから、分かりにくいが、思えば顔の輪郭も、だいぶおかしい気がした。
そんな奇妙な風態をした人物は、鋭利な鎖鎌を、両手に一つずつ持っていた。恐らくはそれで、アルトの攻撃を防いだのだろう。
「貴様……何者だ?」
アルトはカチャリと、足元で音を鳴らしながら、目の前のそれに向けて問いかけた。
その人型は、アルトの言葉が分からないと言いたげに、しばらくの間、首を横に九十度傾けて黙っていた。
だがその数秒後、何事か腑に落ちたかのように手を叩いて頷くと、突如として高らかに笑い出した。
「くきゃきゃきゃきゃきゃきゃ」
キンと耳をつんざくような甲高い声。耳の中の何かがじわりと痛んだ。このままではいけないことになると思い、耳を塞いだ。
「ーーっく! ……痛ぇなぁ。耳を責められたのはこれで何度目だ」
アルトは僕を抱くために、両腕を使っているから耳を塞げない。だから彼は、さらに数歩、彼女達から距離をとった。
アルトの対処に、何か思うところがあったのか。骨の仮面を付けた人型は、首をまた九十度傾けると、鎌を構えた。
それを見てアルトも腰を落とし、即座に対応できる姿勢を作る。だが彼の視線は、それでもマーガレットを捉えていた。
「このままは……やはりまずいな」
アルトはそんな弱音を呟いた。「えっ?」と聞き返えそうとして、彼の顔を見ようとしたその時だ。身体が大きく揺れた。
何が起きたのか、腕の中の狭い視界じゃ、よく分からなかった。けれどアルトの身体が、大きく動いたことだけは理解できた。
下を見れば、先ほどよりも、あっと驚く程地面が近かったので、恐らくはしゃがんだのだ。何故急にそんなことをしたのかは、考えなくても分かることだ。
アルトは僕を抱いたまま、低い姿勢を生かし地面を転がって移動すると、後隙の無い動きで立ち上がった。
ようやく視界が良好になったと、周りを見渡せば案の定、骨の仮面を付けた人型が、先程僕らがいた場所で、鎌をくるくると回し立っていた。
「速いな……」
アルトの頰には切り傷が出来ていて、赤い血を滲ませていた。それてそれは滴り、僕の頰へと落ちてきた。
「ヘテル、多少激しく動くが許せ。あいつらを、ユークリウス達がいる方へ追い立てて、挟撃して殺す」
紡ぐ言葉は凄惨で、表情は冷たく固まり、寒厳のようだった。
「……ねぇ。あの骨の仮面の人は何かな?」
アルトの雰囲気から、何か畏怖すべきものを感じ取った僕は、多分恐れから尋ねた。
「……よく分からんが、俺達の敵で、あいつの味方ってことは確かだ。疑わしきは罰せよってやつだな。両方仕留める。逃し損ねたら、どんなことになるか分からんしな」
決意が宿った言葉は、やはり激しくて、そこに優しさは存在しなかった。
「あんまり怖いことは言わない方が……良いと思う」
血走らせた目をしていたアルトは一度目を伏せ、ゆっくりと開けると、身体を脱力させた。
「………………はぁ。ほんと……」
アルトはそれから、僕のことは一切見ず、目の前にいる二人だけに集中した。軽い身のこなしを活かして、宣言通り誘導を始めていた。
僕を抱える腕からは、微細な気遣いを感じ取れたが、心中どんな気持ちだったか、想像に難くなかった。
✳︎
「どっわぁ!!」
下から這い出てきた死体を、ぴょんと飛び跳ねて避け、トーロスさん達がいる、陣形の中心部へ急ぐ。
「セアちゃん! 早く……!」
「はい……!」
地中深くへ案内しようとしてくれる、死体達の勧誘を断って、辛うじて一番安全な場所へとたどり着いた。
「危ねぇです! アルトさん! 助けてくださいよ……!」
誰の助けも借りず、こんな混沌とした場所を無傷で駆け抜けれた自分を褒めつつ、逆に頼りにならなかった保護者を責める。が、後ろを振り向いても誰もいない。それでわたしは、彼がヘテル君を探しに行ったことを思い出した。
ユークリウスさんが死体を斬り飛ばして、その後すぐさま多くの死体が地面から這い出てきた。その異常な事態を鑑みて、ヘテル君を聖騎士団の人達に任せようとしたんだけど、いつ間にかあの子は消えていた。
だからアルトさんは、わたしのことを聖騎士団の皆さんに任せると、ヘテル君を探しに単独で行ってしまったのだ。
「セアちゃんごめんね。逃してあげられなかった」
「いえいえ!」
トーロスさんは謝ってくるが、事前準備もなしに、一人この場から逃げさせるというのは、無理があったと思う。それに死体が本当に動いてるだなんて、つい先程まではアルトさん以外、誰も考えてもいなかっただろうから。
そしてそれが、ここまでの凶暴さと数を備えていたとあっては、対処に追われるのは仕方のない所だろう。
「いや本当に、一般市民を避難させることも間に合わ……シグリア剣兵! ドルバ剣兵の援護に回りなさい! 討ち漏らしてる!!」
なんとも言えない瞳で、自分の不甲斐なさを訴えてくるものの、トーロスさんが頑張っているのは、一目で分かることだ。陣形の中で、一番安全な中心にいるとはいえ、その分彼女は、指揮官として全方位に注意を向け、それぞれの動きをよく見て指示を出す必要がある。
本来ならユークリウスさんが、指示を出すべきものなのかもしれないが、彼は体制を整えるために、前線に立つ必要があるようだった。準備もできないままいきなり襲われた弊害だ。
方円という円形の陣を組めてはいるものの、どれだけの数がいるかも分からない今、少しの油断も許されない。しかも敵がいつ、どこからでも【地面から現れる】ことができるとあっては、対応するのも難しいだろう。
取り敢えず今見える範囲での、周りに現れた動く死体達は、聖騎士団の奮闘もあって、遠くに追いやれてはいる。しかし方円の中心部だって、いつ危険に晒されるか安心できたものではない。
なにもかもが後手に回っている状況だ。こんな時に一人だけ、特別扱いしろだなんて言う方がどうかしている。
聖騎士団は誰一人として、手が空いていない。強いていうなら、車椅子を押すラックルさんだが。ここも安全とは言い切れない以上、彼女がわたしを先導するという話はありえない。だってそうした場合、その間トーロスさんは一切動けなくなるのだ。万が一の時、誰が彼女を守れるというのだろう。
自分の身は、自分で守るべきだと、固く誓った。
幸いなことに、方円の内側に現れる死体はそこまでいない。外側に比べれば、圧倒的に殲滅しやすいらしく、アスハさんの指揮のもと、小班が編成され対処に当たっていた。
だがもちろん彼女達だって、余裕のある雰囲気ではない。だからわたしはなるべくじっとして、周りを観察しながら迷惑にならないよう努めた。
方円の陣の外側では、激しい戦闘が繰り広げられていて、たくさんの腐肉が飛び、肉塊を引き裂く嫌な音が、何度も響いていた。
「ハッハァーー! どっけーーー!!!!」
聖騎士団ーユークリウス班ーの中には、当然知り合いが何人もいて、周りを見渡せば、見慣れた面々が剣を振るっていた。
「おい……! さっきもトーロス剣兵長に言われてたろ! いくら巨大な斧だからって、大雑把に振り回し過ぎだ!」
右翼ではドルバやシグリアが中心となって、敵をうち払っている。アルトさんとの戦いの時は、剣を持っていたドルバだったが、今回は馬鹿でかい斧を握りしめている。
全部でわたしの背丈程ありそうな斧は、細かいことを考えるのが苦手なドルバには、とても合っている武器らしく、非常に割り切った戦い方をしていた。ユークリウスさんをのぞいたら、この班の中で一番破壊力がありそうだ。
ただあまりにも大雑把に武器を扱うものだから、確実に相手を仕留めることができていない。まぁそこをシグリアが対処している訳だが。
左翼ではラーニキリスさんが中心となって、堅実な戦いを繰り広げている。死体と戦ったことなんてないだろうに、彼の剣の扱い方と、指示は的確なもので、間合いを上手くはかり、怪我人の一人も出していない。
普段はユークリウスさん等の影に隠れ、印象に残りにくいが、こういう風な戦い方を見ると、やはり彼も実力者なんだと思わざるを得ない。
そして後方ではただ一人、敵を殲滅し続けるユークリウスさんが居た。
あまりの速さに死体達は誰も追いつけず、ただ斬りつけられるだけで何もできていない。一番数が多いはずなのに、一番何もできていないというのだから、死体側からしたら皮肉もいいところだろう。皮についた肉が、あるかどうかは知らないが。
「ハッ!」
ユークリウスさんは剣を白いマントに包ませると、次の瞬間、死体達に向けて何かを抜き放った。するとあり得ないことに、その剣の進行方向にいた死体達が、遠くにいるものまで一気に斬り伏せられた。どれもこれも胴体が真っ二つだ。まるで斬撃が飛んだような……。
「すごい……」
思わず呟いた言葉はトーロスさん達の耳に入っていたようで、大分余裕を取り戻してきた彼女達が、ありがたいことに説明をしてくれた。
「ああ。ユークリウス剣士長のアレね。本当に凄いよね。自身の持つ風銀と、マントに帯させた水の力を合わせた神業よ」
「はぁ。風銀……?」
「うーん。悠長には説明できないから、誤解覚悟で簡単に言うね。この世界では誰もがギン素を持っている。それはいいよね?」
促され、それは理解していると頷いた。
「ギン素には、まだ解明されていないことが多いんだけど。大きく分けて、四っつの属性があることまでは判明している。
……で、その内一つの属性を、動物、植物、人間に問わず、誰もが何かしら持っている。抽出すれば何にでもなるんだけど、そうする前までは、自分が持っている属性のものしか扱えない。扱う方法は……アスハ副剣士長が一番分かりやすいんだけど、あの人の戦い方知らないよね?」
困ったように言ってくるが、それに対するわたしの返答は否定の「いいえ」だ。意外だったとトーロスさんは驚き、「じゃあ大丈夫」とそのまま説明を続けてくれる。
「自身の中にあるギン素は、実は慣れてくれば誰もが自由自在に扱えるようになるの。
使い方の方法としては、自身の特性を備えたギン素を具現化させたり、身体に纏わせたり、さらに技術が成熟すれば手に持つ武器に、属性を付与させたり、遠くに自身の持つギン素の特性を発生させることができる。【手に持つ武器に】ってところがアスハ副剣士長がやるやつね」
今でもわたしの心に残っている、あの夜の教会での出来事を思い出した。確かにアスハさんが、そんな風なことをやっていた気がする。
「でも、誰もがって凄いですね……」
アスハさんのことを思い返したら、自分にもそうしたことができるのかという期待が生まれていた。トーロスさんの説明では、自分が持つ属性であれば、誰もが理論上出来るという話だし。だがそんな目論見は甘いみたいだ。
トーロスさんが困り眉で微笑した。
「うん、そうだけど。でも使いこなすには、恐ろしいほどの年月がかかるの。自由に扱えるようになるのは、早くても四十歳から、五十歳くらいよ」
途方も無い年月に、ただただ口を開けて、間抜けな顔を晒すことしかできない。大丈夫だからと、気遣うようにトーロスさんは微笑むと、「私もできないから」そう言った。
「うん。そう。だからこそユークリウス剣士長や、若くしてギン素の扱い方を成熟させたアスハ副剣士長は、天才だって言われてるの。あのくらいの年で扱えるのは、本当に一部の限られた人達だけよ」
「へぇ〜」
トーロスさんの言葉には確かな諦めがあって、ユークリウスさんやアスハさんのことを、【自分とは違うの】と暗に示しているようだった。昨夜の話の記憶がある分、彼女のそうした言い方には、少し思うところがあった。
「で、そのギン素を扱って、ユークリウス剣士長は、斬撃を実際に飛ばしたわけ……」
「なるほど。そういうわけですか」
先程トーロスさんは風銀がどうたら言っていたから、多分風を利用したとか、そんな所なのだろう。確かにそんな技術は、一朝一夕で身につくものだとは思えない。そしてその技術を、苦もなく使いこなすユークリウスさん達が、別次元の存在のように見えるのも、仕方ない話だった。
もちろんわたしからしたら、動く死体を目の前にして、ここまで冷静な判断で、場を作り出せるトーロスさんだって、十分に凄いわけだが。
そんなわたしの気持ちはきっと、あの過去に縛られている今のトーロスさんには、劣等感を煽るだけにしかならないだろう。彼女はあの時の力の無い自分を恨んで、諦めたような表情を浮かべたのだから。
トーロスさんを救えるのはトーロスさんだけ。
あなたにはもう十分、周りを見渡せる目があると思うのだけど。きっと言わない方がいいのだろう。足を怪我して車椅子に座るトーロスさんを見て、そう思った。
「……ねぇ。ラックル。そろそろセアちゃん避難させてあげられないかしら? 大分死体の数も減ってきたし、ユークリウス剣士長側からなら多分……楽勝よ? あの人も、こちらの意図が分かれば、流石に手助けしてくれるだろうし」
しばらくの間、戦況把握のために無言だったわけだが、トーロスさんは、もう、大丈夫だと思うからと、そんなことを言った。
「ですがトーロス剣兵長。私が離れれば、いざという時に貴方が動けません。もし私がいない時に貴方が襲われれば……言わずとも分かるでしょう」
ラックルさんは落ち着いた声音で、トーロスさんの考えを指摘する。しかしそんな反論は予想していたようで。
「そうかもしれないけれど。アスハ副剣士長を含めて、何人も円の内側にいるし、何よりもセアちゃんは、一市民よ。戦うための私達とは違う。余裕が生まれたなら、ちゃんと安全な所に逃がしてあげるべきよ」
語気は強いもので、普段のトーロスさんには見られない、強気な姿勢であるように思えた。ここまで意固地になる彼女は本当に珍しい。
トーロスさんの言うことは、彼女達聖騎士団からしたら、至極真っ当な意見なのだと思うが、何故か今の彼女には危うさがあるように思えた。こんなやりとりをしてる間でも、周りを見渡すことを忘れず、指示を出す優秀な人であるはずなのに……だ。
「いいえ。飲めません」
「上官命令よ?」
「それでもです」
ラックルさんも何かしら感じ取っているらしい。トーロスさんに負けず劣らず、こちらも引かない。
ラックルさんは、トーロスさんほどではないにせよ。日頃からアスハさんと行動を共にし、人を支える振る舞いを、よくしていた。そんな彼女もまた、相手の心情や、状況把握能力に優れているのだろう。
聖騎士団としておかしいのは、ラックルさんの方かもしれないが、非常に落ち着いた様子の彼女を見ていたら、様子がおかしいのはトーロスさんの方である気がした。
「いい加減にして……! 困らせないで! 私なら……大丈夫だから。私のせいで誰かが困るのは……見たくないの」
車椅子に座ったトーロスさんは呼吸を荒げると、ラックルさんを睨んだ。そんな彼女は武装しているとはいえ、足を怪我していることもあって、やはりどこか弱って見える。
「飲めません」
頑として頷かないラックルさんは、冷たくそれだけ言った。あまりの温度の違いに、トーロスさんは自分がどういう態度を取っているのか、気づけていないのだろう。
トーロスさんはラックルさんの前掛けの襟を掴んで、ぐいと寄せると「お願いだから!!」と強制するように言った。
最初こそ強い語気だったので誤解していたが、その後に続いた言葉で、トーロスさんの心で、どんな葛藤が生まれていたか、ようやく気づいた。
「もう。死なせたくないの……。万が一があったら困るから……二度も目の前で誰かを失いたくない…………」
流石のラックルさんも、これには驚いたようで、すぐに返答できず顔を硬直させ、数秒固まった。
けれどどうにか首を振ると、ラックルさんは何か、その後否定の言葉を口にしようとしていた。だがその時、ラーニキリスさんがいる左翼の方で、何か動きがあった。激しい金属音が、左翼で響いた。
いざこざを一時止めると、すぐにそちらを見た。
するとそこには、ヘテル君を抱いたアルトさんが、一人の少女と、ぼろきれをまとった何かを、背後から追い立てていた。
だが追い立てる側にしては何かおかしく、アルトさんは全身に切り傷を作り、非常に疲弊しているようであった。そして彼は、ラーニキリスさん達やわたしと視線が合うと、ゲポと血を吐いて、ヘテル君を抱えたまま地面に倒れた。
「アルトさん!!!!!」
第78話 終了




