四、両国橋
四谷外堀を彩った桜も散り際を迎え堀端は薄桃一色に染められていた。
そんな季節の移ろいのなか、兵史郎は四谷の屋敷奥で一人ひっそり謹慎生活を送っていた…。
だが謹慎生活とは名ばかりで、その実は屋敷奥の自室で これまで蒐集した刀剣類や鍔・小柄の類いを眺めたり磨いたりし 日がな一日趣味にうち興じていただけである。
しかし趣味に過ごすは三日もあれば飽きがくるという、やはり兵史郎も四日目の夕には刀剣類を眺めるのさえ億劫になり、欠伸を噛み殺しては耀蔵からの知らせが遅いことに苛立っていた。
そんな暇を持てあます五日目の昼近く、客人の来訪に兵史郎の心は躍った、それは韮山に帰る江川英龍と斉藤弥九郎が旅装束で兵史郎宅に訪れたからだ。
「先生、これより伊豆の韮山に帰りまする、江戸在府中はいろいろと御世話になり礼を申し上げまする、先生にはくれぐれもお体の方ご自愛下され」と挨拶し、兵史郎が上がって飯など食っていけと勧めるも「出るのが遅うなり…夕刻 程ヶ谷宿に着くには少々急がねばなりませぬ、挨拶だけで申し訳御座りませぬが玄関先で失礼いたしまする」と申し訳なさそうに言い二人は挨拶も早々に去っていった。
兵史郎は門外まで彼らを送りその後ろ姿が四谷御門右手へと消えるまで見送った。
(はぁ、挨拶だけで帰ってしもうたか…つまらぬのぅ)
兵史郎は溜息をつきつつ玄関先で下女のヨネを呼び「客人の昼餉はもういらぬ、儂の分だけでよいと琴絵さんに伝えてくれぬか」そう言いつけ手持ちぶさたに庭へと廻った。
縁石に腰を下ろすと庭木や春咲き花に焦点の合わぬ視線を送る。
庭は緑一色に萌え、この二三日降り続いた雨でその緑も一層鮮やかさを増したようだ、現に植木の下草は五寸ほどにも伸びていた。
(このままでは雑草に占拠されそうじゃ、仕方ない暇ついでに草むしりでもするか)そう思い 立ち上がりかけたとき不意にあの御用地の茂みが脳裏に浮かんだ。
(ひょっとしてあの茂みに落ちているやもしれぬ…いまからでも行ってみるか)
そう思ったが今は謹慎の身、近所とはいえ出掛けるとなれば琴絵の口から小言がもれよう…。
(やはり草でもむしるしかないか)とすぐに想いを打ち消した。
しかし半時ほども草むしりに没頭したころ 再びあの御用地の茂みが鮮やかに脳裏に浮かびはじめた。
(あぁ…頭から離れぬ、やはり行ってみるか)とそう思ったとき下女のヨネが庭に走ってきた。
「大旦那様ここにおられましたか、はぁぁ屋敷中探しました、あれまぁ!大旦那様が草むしりなど…なんて勿体ないことを」と絶句し、「そのようなこと下男が致しまするゆえおやめください、それより御部屋に昼餉を用意致しましたゆえすぐに御戻り下さいませ」そう言うと兵史郎を立ち上がらせ長着に付いた草や土をはたき始めた。
自室で遅い昼餉を済ませ やりかけの草むしりでもするかと縁側の障子を開けた、そのとき下女のヨネが膳を下げに部屋へと入ってきた。
「おや大旦那様、かぶの味噌汁はお嫌いでしたか、蕪ばかり残ってますが…」
「いやいや嫌いというわけではない、この時期の小蕪の甘さが儂の口に合わぬだけよ、それより何でおヨネが膳を下げにきたのじゃ」そう聞くと「はい、御新造様は先ほど三番町の御実家から使いの方が来られまして御一緒に出掛けられました、一時ほどで戻られるとのことでした」と知らされた。
(実家から使いとは…遠藤家で何ぞ難儀でも出来致したか、しかし難事とあれば舅の儂に黙っていくはずも無し、三番町通りの実家ならば目と鼻の先、何事か出来致したなれば正式な使い番が来るじゃろう…心配には及ぶまい)
そう思ったとき(一時もあれば御用地まで行って帰ることは出来よう…)
そう思うや「さて草むしりの続きでもするか」とヨネに聞こえるように言った。
「大旦那様にそんなことされましたなら私どもが御新造様に叱られます、今し方下男の源助に草むしりするよう言いつけましたゆえどうぞ部屋でお休み下さい」
「おヨネや、よいよい琴絵が実家に帰っているほんの一時の間だけよ、儂の好きなようにさせてくれ」そう言うとヨネの呆れ顔をよそに兵史郎は庭へと降りた、そしてヨネが膳を下げ母屋に去ったのを見届けると再び部屋に戻り、急いで外着に着替えると脇差しのみを手挟み再び庭へ降りた。
(裏の道場脇から裏辻に出た方がよさそうじゃな…)
門から出れば家人に見つかるとて兵史郎は屋敷裏に廻りそのまま裏木戸を開け密かに屋敷を抜け出した。
九段坂御用地に行く理由はたわいのないことである、それはあの夜 逃げる賊に投げた小柄が御用地の茂みに落ちていないか調べるためだ、兵史郎が投げた小柄は特に気に入りの柄で、愛用の備前長船兼光の鞘櫃内に収めていたのだが、あのときは夢中で投げてしまい後になり惜しいことをしたと嘆いていたのだ。
あれほどの銘品は日本橋界隈の刀剣屋に日参してもまず手に入らない代物、日が経つにつれ(あぁ勿体ないことをした)との思いが募り、我慢ならずこうして琴絵の留守をよいことにこっそり屋敷を抜け出して来たのだが…。
九段坂の生々しい血糊は最近の雨で消えていた、兵史郎は目印を失いそれと思しき茂みを我武者羅に探した…だが愛しい小柄は見つからず賊が逃げた奥一帯に探索の範囲を広げさらに半時ほども探したがやはり見つからなかった。
あのとき手加減して投げたつもりだったが…それは思い過ごしで必死の投げ撃ちだったのかもしれぬ、となれば相当深く刺さり賊の背に刺さったまま消え失せたのか…。
失った小柄は表裏共に薄い金の板で覆われ金哺み処理が美しく、地板は竜虎図高彫金象嵌がなされ、穂先は室町後期の無名であるが自身の目利きでは天下一の銘品と自負していた。
(はぁぁ、惜しい事をしたわい…こうなればあの賊を探すしかないか、しかし穂先が細いとて肺腑にも届いていようものを、よくもまぁ逃げおおせたものよ。
気丈な奴め、じゃが小柄を抜けば肺気胸は必至、放っておけば胸水・膿胸から胸腔内は膿液に浸され重篤に陥るはず…。
ならば…彼奴め何処ぞの医者に身を寄せているやもしれず、それを見当に探す手もあろう、しかしこの大江戸に何軒の医院が有るのやら…これは儂一人の手には負えるものではない…耀蔵に頼んでみるか)
兵史郎はそう思うと苛立ちは少し薄れ、ようやく茂みから這い出てきた。
そして伊賀袴の裾に付いた泥や草やらを払うと九段坂を下りはじめた、行き先は大名小路にある南町奉行所である、だが兵史郎は坂を下りながら躊躇っていた、今より急いで屋敷に戻れば琴絵よりは早く屋敷に着ける…しかし奉行所に行くとなれば帰るのは夜になろう…。
(ええい、それまで言い訳を考えておけばいいわさ)そう思うと吹っ切れたように早足で坂を下り始めた。
それから三日経った昼過ぎ、南町奉行所の急使が兵史郎宅を訪れた。
急使の弁は背に穿孔傷を負った武士が本日の昼九ツ両国橋近くの医院で見つかり、捕り方が医院に踏み込んだものの武士は昏睡状態にあり尋問は出来ず、為に兵史郎に面体を検めてほしいとのことだった。
兵史郎はその急使に「小柄は」と聞きたかったが…いかにもさもしいと思い「すぐに行く」とだけ伝え身支度にかかった。
両国橋までは直線距離にして1里半、四谷御門から半蔵門に至り、御城脇を抜け二御丸下へと入る、そして常盤橋御門を抜け本町・大伝馬町から横山町そして火除地の両国広小路に至る道が一番の早道とその経路を脳裏に描いた。
「では琴絵さん奉行所の御用で出掛けるよって夜は遅うなる、夕餉は外で済ませるゆえ用意はいらぬ、それと遅うなれば外泊するよって待たずともよい」
「御義父さま琴絵は心配です、先日のように賊に襲われることはございませぬか…」
「なぁに逃げた賊は今し方瀕死の重傷と聞いた、その懸念には及ぶまいて、では行ってまいる」そう言うと心配顔で門まで送り出た琴絵の肩を優しく撫で歩き出した。
(そういえば実家に帰ったあの日以来…琴絵の態度に殊勝さを感じるが、実家で何ぞあったのか…確かあの日も夜遅うに奉行所から帰ってきたが、何も聞かず儂が無事に帰ってきたことだけを喜んでおったが…これはどう考えても尋常ではないわさ、近いうち兵一郎にでも聞いてみるか)
半時の後、兵史郎は両国橋を渡っていた、春とは言え1里半の道のりを早足で歩いたためか額には汗が滲んでいた。
大川端を渡る風は春の匂いを含み川上へ緩やかに流れていた。
兵史郎は暫し橋の中程に佇むと春風に頬をなぶらせ川面を行き交う船を眺めた、そして去年の夏この橋の上流下流から一斉に打ち上げられた花火が両国の夜空を彩ったことを思い出していた。
両国橋は万治二年 千住大橋に続き大川で二番目に架橋された橋で、長さ九十四間、幅四間と大きな橋である。
当初は大橋と命名され、また武蔵国と下総国との国境に位置していたため俗名・両国橋とも呼ばれていた、しかし元禄六年 両国橋南下流に新大橋が架橋されると名が紛らわしいということで正式に「両国橋」と命名された。
汗が乾いた事に気付き兵史郎は再び歩き出した。
両国橋を渡ると突き当たりの回向院を右に折れ門前町から相生町に向かう。
奉行所の急使は、背に傷を受けた武士は相生町一之橋の袂にある蘭方医・吉田永青が医院で身柄を抑えていると言っていた。
暫く行くと大川の枝流に架かる一之橋に行き当たり、左手をみると教えられたとおり蘭方医の表札が掲げられた医院らしき建物が目に入った。
(どうやらここのようじゃな…)
院内の玄関に入り奥に声を掛けた、暫くすると奥から羽織袴の小男が出てきた。
(はて、この小男どこぞで見かけたが…)と兵史郎は首をかしげた。
「これは水野家御用人様、先日はとんだ御無礼を致しました」とその男は頭を下げた。
玄関先の明るみに出てきた顔はあの料亭香月で兵史郎の行く手を阻んだ小男であった。
「そちは確か奉行所与力の…そうそう立花殿でござったな」
「これは青山様に名を覚えていただけたとは嬉しい限り、本日はわざわざ四谷からお出で願い誠に御苦労様にござる、さっ奥に例の賊と思しき男が寝ておるゆえ、どうぞこちらへ」そういうと小男は兵史郎の前を先導し奥に歩き出した。
奥の病室らしき入口には目つきの鋭い同心二人が座って控え、兵史郎を見ると頭を軽く下げた。
病室に通されると鼻を突く異臭を感じた、それは肉が腐る独特の臭いだ、その部屋隅には薄い布団が敷かれ男が俯せに寝ていた。
「青山様、この男でござる」そういうと小男は寝ている男の布団を乱暴に剥ぎ、男の肩を掴むや強引に仰向けに起こした。
「見て下され、青山様を襲った賊はこの男でござろうか」と男の顎を引き上げ兵史郎に見せた。
「…そ…そうじゃこの男よ、顔はむくみ黒ずんではいるが、あの夜は月が満月で顔はよう見えとったゆえ目に焼き付いておる、確かにこの男じゃ」
「左様でござるか、これは嬉しや この三日の間 奉行所総動員で探した甲斐はあったというもの、すぐにも御奉行に御知らせせねば」
「ところで立花殿、肝心のこの男の身元は分かったのかえ」
「はっ、この男が医院に担ぎ込まれたのは昨日の昼過ぎで、担ぎ込んだのは北本所番場町の駕籠屋徳兵衛方の駕籠舁 芳造と伊助、医院の手代が駕籠舁の芳造を見知っておりそれで判明したのでござる。
現在駕籠屋徳兵衛方に同心を走らせ、男を乗せた場所など探らせておりまするよって、判明次第奉行所に知らせが届きましょう、どうでござりましょう それがしこれより奉行所に戻りまするが御一緒に奉行所に行かれては…」
「そうじゃのぅ、ここにおっても仕方ない、奉行所で知らせを待った方が良かろう。
して…この男さっきから眠ったままじゃが具合はどうなんじゃ」
「はっ、医者の所見に依りますれば夜半まではまずもたないとのこと、昨日ここに担ぎ込まれたときには既に全身に毒が回り意識は混濁、手当てするには遅きに過ぎ傷口を洗い消毒しただけでござるとか」
「左様か…此奴の背後で指図する親玉は身元が知れるのを怖れ医者に診せるのをぎりぎりまでためらっておったのであろう、しかし最期はどうにもならなくなり仕方なく医者に放りだした…そう考えれば駕籠舁を尋問したとて男を乗せた場所ぐらいは特定できようが…その先は霧の中に消えゆくのみであろうのぅ」
奉行所の力で何とか賊を見つけることができたが賊の正体は未だ不明、裏で暗躍する敵は相当用心深くまず残滓など残してはいまい、兵四郎は竜虎の小柄はやはり戻っては来ないだろうと死期迫り黒ずんだ男の貌を見つめ溜息をついた。
(もう諦めるしかなさそうだな…)
こうして夕闇迫るなか、兵史郎と小男は連れだって両国橋を渡り南町奉行所へ向かった。
兵史郎と小男が奉行所に着いたとき丁度 番場町の駕籠屋徳兵衛方で聴取していた同心も到着していた。
すぐさま吟味所にこの事件の担当与力・同心らが集められ兵史郎も事件の当事者として同席を求められた。
耀蔵は皆に兵史郎を紹介したのち駕籠屋で聴取に及んだ同心に調査の報告を命じた。
その同心の報告に依れば、昨日の昼九ツ 徳兵衛方に駕籠の用を頼みに来たのは十三・四才ぐらいの可愛げなる女子で、身成からどこぞの武家屋敷の下女ではなかろうかとのことである。
この使いにより駕籠舁の芳造と伊助が客が待っているという業平橋袂に走ると一人の武士が森川肥後守邸の外塀にもたれ酩酊状態にあったという、駕籠舁二人は最初その客は泥酔状態と思い近づいてみると異様な臭いを放ち四肢を小刻みに震えさせていることから重篤なる怪我人と知れた。
しかしその武士に行き先を聞くも口がきけぬほど震えており、拳だけを二人の前に突きだし何かを訴えようと藻掻いていたという。
二人の駕籠舁は途方に暮れ辺りを見回したとき森川肥後守が屋敷の門番と目が合い、急ぎ門番の所に行き「あの御武家様はこの御屋敷の方でしょうか」と聞いてみた、しかし門番は「いや違う、一時ほども前…気付いたらあそこの塀にもたれおった、気色も悪いゆえ番所に届けようと思っておったところよ」と応え「お前達こそ誰ぞに頼まれあの者を引き取りにまいったのであろう、気色悪うてたまらぬ さっさと引き取れぃ!」と逆に怒鳴られてしまった。
駕籠舁らは頭ごなしに怒鳴られたことに腹を立てたがそのままにもしておけず、仕方なしに震える武士を駕籠に乗せようと肩を掴んだとき、武士の手に何か握られているのに気付いた。
駕籠舁 芳造がその手を開いてみると紙包みが有り、その包みを開くと小判二枚が出てきた、そして紙には「蘭方医・吉田永青へ」と書かれてあったという。
次に、使いの女子に応対した駕籠屋・手代にも聴取は行われたが…重要な手掛かりになるものは得られなかった。
ただこの女子は髪形や着ているものに品の良さが感じられ、どこぞの大身旗本か大名家の下女ではなかろうかとのこと、またこの女子について駕籠舁の伊助が以前この近くの石原町で手籠をもったこの女子を見かけたことがあったと言う。
それは昨年の秋頃の事、朝早く駕籠屋に向かう道すがら 前方よりこちらへ向かってくる色白でうつむき加減に歩く女子に気付き、すれ違いざまにその面体を見ると自分好みの可愛げなる女子であったという。
若き伊助はこの女子にもう一度会いたいものと数日間この辻を同時刻に通行してみたが…それ以降その女子に出会うことはなかったと証言した。
つまりは意気込んで聴取に及んだものの駕籠舁二人、そして手代から聞けたのは武士を乗せた場所と女子の風体のみ、事件を探る手がかりらしきものは皆無と言えよう、やはり兵史郎が初っぱなに予想した通りであった。
「三途の川の渡し賃は六文銭じゃのうて二両であったか」
兵史郎は行灯に揺れる灯を見つめ誰に言うのでもなくボソっと呟いた、それを聞いた耀蔵は「先生、せっかく四谷からお出で願ったというに このような為体な仕儀とあいなり誠に面目ございませぬ、どうか御容赦下され」
「なあに、そんなことは端っから承知よ敵はそれほど甘くはないわさ、さてこうなればその使いの女子を何としても見つけねばのぅ、じゃがその女子とて全く関わりのない通りすがりの者であったならその先は闇の中ということよ…」
兵史郎はすでにその使い番である女子はこの件には全く関わりのない者と見当はつけていた、やはり奉行所の地道なる探索方法で犯人を見つけるは海辺の砂子から一粒の真珠を見つけるに等しいのやもしれぬ。
一方、水野越前守の指図により大目付・跡部肥後守がこの件で密かに探索を進めている、こちらの方は初手から敵を限定し脇より徐々に固め核心を突くという捜査方針のため、的中すれば即座に主犯に迫ることは出来よう…しかし外せば一瞬で闇の中、さてさてどちらが先に核心に迫ることが出来ようか…と兵史郎は思った。
(殿様なら探索状況など絶対に明かしてはくれぬだろうが…あの跡部であればひょっとしてその一端ほどであれば洩らすやもしれず、明日にでも聞いてみるか…)
その夜兵史郎は奉行所奥の当直与力寝所で あの小男・立花幸右衛門と布団を並べて寝た、しかしこの立花…体は小さいくせに鼾は大きくまた歯ぎしりも酷かった、兵史郎は明け方近くまで眠りにつけず、この近くに宿を手配すると耀蔵が申し出たとき「気を使わずともここでよい」と断ったことを悔いた。
翌朝起きたとき隣に寝ていたはずの小男は既に居なく、布団もかたづけられていた。
陽の高さから朝四ツはとうに過ぎていようか、外が白みかけたとき小男の鼾がようやく静かになり寝には入ったが…(はぁぁ他人とは寝るものではないわさ)と目を擦りつつ長着・袴をつけ勝手場に向かった、そこで顔を洗うと炊事係に「遅うに悪いが朝餉など出してはくれぬか」と頼んだ。
「先生 今朝は遅うに起きられたよし、余程お疲れの様子、どうか後は我らにまかせ本日のところは御屋敷にお戻り下され」と申し訳なさそうに耀蔵が申し出た。
「そうではないわさ、あの小男め…」と言いかけて話を変えた。
「耀蔵よ、これよりの捜査はどう進めるのじゃ」
「はっ、同心や下っ引きの者らおよそ三十人ほどが女子の似顔絵を手に今朝方より南北本所一体で捜索を開始しましたゆえ早晩女子は見つかるでしょう、しかしその女子が見つかったとて犯人に行き当たるとは思うてはおりませぬ、ただこの女子が犯人を見ていることだけは確か、せめてその人相風体だけでも聞き出せればと思いましてな」
「ふむぅ見つかればよいが…本所界隈と言っても広い、すぐに見つかるとは思えぬがのぅ、それで耀蔵よ話は変わるが湯島で捕縛した福田半香と供の者らは如何したのじゃ」
「あの者ら捕らえてより今日で十二日が過ぎまするが…依然口を割りませぬ、尋問が半香に集中し拷問が過ぎ重篤に至ったため半香だけは五日前より養生させておりまする、また供の者三人の内二人は半香が江戸に戻った後に雇った者らで口はすぐに割りましたが役には立ちませなんだ。
ただ半香が江戸に来て誰それにいつ密会したかの詳細は知れました、また残る一人は平井弦斎という者で半香の郷里・遠江国見附宿の出で半香の弟子となって十二年もの付き合いになるため三日前より此奴に尋問を集中しておりまする、が…ただ此奴も半香と同様に口が堅く 死しても喋らぬと言った構えで難航しておりまする」
「何じゃ、半月近くも調べこれまで知れたことは密会した者の氏名だけかよ…、儂はこの度の江川襲撃事件には料亭・香月の密会、つまり半香や遠山がなぜ江川を反水野派に引き入れようとしたのか、この辺りが襲撃事件に何か絡んでおるよう気がしてならぬ、今朝はその一端でも聞けるかと楽しみにしておったのじゃが…。
こうなったら何としても弦斎と言うたかの、そやつの口から真相を聞くしかあるまい、耀蔵よ痛めつけるだけでは貝の口は開かぬぞ」
「面目ございませぬ、今度ばかりは慎重に尋問を進めまする…」と肩を落とした。
「おっとすまぬ、つい焦ってしもうたわ これは坊主に説法じゃったな…許せ、では帰るよってまた何か分かったらすぐに知らせてくれ、ではこれでの」そう言うと兵史郎は立ち上がった。
大名小路に咲き乱れた桜はすでに散り、その枝々には若葉が萌え始めていた、兵史郎はその若葉を眺めつつふと立ち止まり どうするか思案しはじめた。
奉行所を出るときはこれより城へ行き御殿芙蓉間の跡部能登守を訪ね例の事件捜査の進み具合を聞こうと歩き出したのだが…芙蓉の間では人目も多く能登守も喋りにくかろう、やはり夜にでも屋敷を訪ねた方がよいのかもしれぬと迷い始めた。
(さてどうするか…)そう思ったとき急に眠気がさした。
(ふぅっ、あの小男め…小さいくせして肥え太っておるゆえ鼾がでかいのよ、そういえば南町の与力どもは同心と比べ皆太っているが…彼奴ら楽しておるな)
結局 一端屋敷に戻りまずはこの睡魔を癒やし、それから跡部能登守の屋敷を訪ねようとの考えに至った、しかし当の能登守の都合はわからない。
(仕方ない奥坊主に使いを頼むか)そう思い再び城に向け歩き出した。
兵史郎は西ノ丸御殿に行き大廊下で奥坊主を呼ぶと、大目付・跡部能登守に今宵屋敷に伺うが都合はよいか聞いてきてくれと頼み、廊下右手にある控之間で奥坊主の返信を待った。
この控之間は三十畳ほどの広さで俗に談合間とも呼ばれ、外来の小大名や旗本・御家人らが御殿内の要職者を呼びここで打合せなど出来るよう座卓が二十も設えられていた。
兵史郎は開け放たれた縁近くの座卓に座ると春の空をぼんやり眺め、昨日来より煙草を吸っていないことにふと気付いた。
(おや…この分だと煙草をやめるは容易いのかもしれぬ、じゃがそう思うと無性に吸いたくなるのが常…やはりやめられぬわ、しかしこの控之間には初めて座るが…煙草盆などは置いていないのか…)
煙草盆を探しキョロキョロ辺りを見渡していたとき 昵懇の奥坊主組頭・小田宗達が視界に現れた。
「おや青山様、最近お顔を見ないと思うておりましたら…こんな所で落ち着きもなく…」
「おっ、宗達殿か久しいのう、いやなに煙草盆がないかと探しておったのよ」
「青山様、玄関口は文政の頃より禁煙で御座いますよ」
「あぁそうであったな、いやぁここで休息するなど初めてのことじゃからのぅ」
「それにしてもきょうは何でまた奥に上がらずこのような玄関先で…あっ、そうそう聞きましたぞ九段坂の決闘のこと、何でも刺客四人を一瞬で斬り伏せたとか、数日間は奥坊主の間で荒木又右衛門の再来と喧しいことしきりでございましたよ」
「ほう奥坊主の間でも噂は広がったのか、まっそれが原因で今はこのように謹慎の身よ」
この小田宗達は兵史郎より歳は五つ下で、兵史郎が水野忠邦を警護しだした三十歳のころよりの知り合いである。
だがこの坊主どうも男色の気があったようで、背丈もあり凜々しかった若き兵史郎を一目見て惚れ込んでしまったらしく、以降人目も憚らず城中では何くれとなく兵史郎の世話を焼き、若き兵史郎は辟易したこともあった。
「ああそれで御子息・兵一郎殿が殿様の警護をしているわけですね、それにしても青山様は江戸随一の剣客と昔から噂されていましたが…この度の件で本物と知れわたくしも鼻が高いというもの、ほんによう御座いましたね」
「殺されそうになって よう御座いましたはなかろうが」
二人は顔を見合わせ笑い出したとき 使いの奥坊主が戻ってきた。
「能登守様におかれましては夕七ツには御屋敷に帰っているよし、どうぞ御訪ね下さいとのこと承って参りました」
「そうか使い すまなかったのぅ、では用も済んだことだし帰るとするか」
「青山様そんなに急がずとも いま茶など用意させますよってもう少しここで御寛ぎ下さい、私めも話がありますよって」
「何だ、艶っぽい話でもあるのか」
「青山様ったら、こんな爺ぃに艶などありますか、話は例の九段坂の件で御座いますよ」
「何、あの件かよ…」
この奥坊主組頭は江戸城随一の情報通とも言えようか、それゆえ老中・若年寄さえも彼には一目置き、諸侯大名も彼には盆暮れの付け届けは欠かさないというほどである。
「青山様、私め無駄に三十年も奥坊主飯など食ってはおりませぬ、城中に限らず場外での細々とした出来事など耳に届いておりまする、あの九段坂の決闘のことにしてもあの日の明け方には私の耳に入りそれはもう心配しておりました、しかし昼前には青山様の無事を聞き安堵するとともに…青山様を襲った者らに怒りを覚え今日まで私なりに調べて参りました、どうです…聞きたくなったでしょう」
そこまで言うと宗達は昔のように兵史郎を艶っぽく見つめてきた。