2015年フェスピ&マジラビ舞台記念SS第5弾
Fate Spinnerより、依織の過去話です。恩と出会う前の話。おおいにネタバレを含むため、本編第59話を読了後にお読み下さい。
「そなたが我の影か」
初めて顔を合わせた時、彼は淡々とそう言った。
同じ顔。同じ声。なのに、表情は自分がよく見知ったものとは真逆で。
「はいです。初めましてですね、ジルティリードさま」
少女はそれでも、精一杯の笑顔を作った。
ジルティリードは「是」と小さく頷いて、背中を向けた。
前史が消え、再構築されたこの世界に降り立った彼女が初めて見たものは、それだった。
この新しい世界での自分の在り方、これまでの歴史は、降り立った瞬間に自然と魂に刻み込まれた。
この世界において、自分は『存在しないもの』だった。
時空神ジルティリードの影。だから、名前すらもない。
「そなたは我に仕える影。何をすべきかは、すでに知っていよう」
「はいです。ジルティリードさまの助けになれるよう、頑張ります」
戸惑いを隠し、少女は微笑んだ。見知った顔なのに、まったく違う態度。
歴史も、今まで自分が憶えてきたものとは若干違う。
この世界には、自分を知る者は誰一人いない。孤独感。
けれども少女は不安や寂しさを押し殺し、自分の為すべきことをした。
寿命が近づき、弱ったジルティリードに代わり、時空の乱れなどを調査、観察、修正。それが彼女の役割だった。
存在しない者である彼女は、神殿から外に出ることができない。誰にも姿を見せてはいけない。
誰かと会う時は、全身を覆う白いローブに身を包み、フードを目深にかぶって顔を隠した。
名前もないので、ジルティリードからは「守人」と呼ばれた。
時空神の別名である“時空の守人”から来ているのだろう。
時空神の神殿では時間の変化がない。朝や夜があるわけでもなければ四季もない、不変の空間。
変化があるとすれば、現在や過去、未来、異界へ渡る者がこの神殿を訪れるくらいだ。
来訪者は元の時間も時代も空間もバラバラで、そのわずかな変化だけが、少女に外の世界を教えてくれる。
なので、今はどの時間か、どの時代から来たのか、どんな世界で生きてきたのか。
それを想像するのが少女の唯一の楽しみである。
ジルティリードとは、時々たわいもないおしゃべりをした。
彼はほとんどしゃべらないので、少女がほとんど一方的に話すのだが、興味が無いわけではなく、表情の変化に乏しいだけである。
神気の弱った彼は、頻繁に眠りを要する。眠って神気を回復し、蓄えるのだ。
前史でも、ジルティリードは寿命が近づいていたため、眠りにつくことが多かった。それでも、今の彼ほどではない。
一人になると、途端に不安が襲ってくる。きちんと仕事をこなせるだろうか。目覚めてくれるだろうか。
……あのひとに、会いたい。
考えてしまう。ジルティリードがいる時や、仕事をしている時は忘れられるのに、一人になると、脳裏をかすめていく面影がある。
もうあのひとはいないのだ。世界とともに消えてしまった。いつかは再構築されたあのひとに会えるだろう。
けれど、いつその時が来るのかは、少女にもジルティリードにも判らない。
不変かつ無限の空間で、少女は一人待ち続けるのだ。彼が目覚めるのを。新しいあのひとに巡り逢える日を。
その時は唐突にやってきた。眠りから覚めたジルティリードが切り出す。
「守人よ。直に宿命を紡ぐ者が誕生する」
「えっ」
「いずれ、相見えることもあろう」
少女はただただ呆然としていた。とうとう、あのひとが。不変の時が終わる。
宿命を紡ぐ者が生まれれば、宿命を紡ぐ者を支える柱たるジルティリードも動く。
そして、その代役である自分も、宿命の刻のみだけれど、外に出られる。
時の流れに乗れる。世界に関わることができるのだ。
少女は胸の高鳴りを覚えた。あのひとに会える。生きているあのひとに。
はやる気持ちを抑えきれず、笑みを零す少女に、ジルティリードは心持ち優しい声音で言う。
「そなたは、宿命を紡ぐ者に焦がれているのであるな」
「ほえ? 何か言ったですか?」
小首を傾げる少女を、ジルティリードはじっと見つめる。
「守人よ、そなたは我の影。我同然の者よ」
「???」
「時空神たる我は宿命を紡ぐ者の柱。故に、宿命を紡ぐ者が生まれたならば支えとならねばならぬ。だが、我にはそれだけの力が残っておらぬ」
「そんなっ」
少女は打って変って悲しげな顔をする。ジルティリードは少女の前で膝をつき、少女と目線を合わせた。
突然のことに、少女は目を丸くする。こんなことは初めてだ。
「であるからして、そなたが宿命を紡ぐ者の柱となれ」
「……え?」
「これまでも、そなたは我の代わりを務めてきた。ならば、宿命を紡ぐ者の柱も務めることができよう」
「そ、それとこれとは別のお話ではないのですか? だって、今までジルさまの代わりをしていたのは、わたしが影だからで……」
戸惑う少女の頬に、ジルティリードが触れる。これまた初めてのことで、少女は硬直する。一体、どうしたのだろう、急に?
「そなたは、我にとって必要不可欠のもの。そなたがいなければ、我はこうして姿を保つことも難儀だったであろう。
世界がそなたの存在を受け入れずとも、我はそなたを受け入れよう」
「!」
「そなたはもう、我の影ではない」
その言葉に、少女の目から無意識に涙が零れ落ちた。
ずっと、こうして生きていくのだと思った。存在も、名前もなく、ジルティリードの影として、世界から隔絶されていくのだと。
けれど、彼は言った。もう、そうではないと。少女は顔を覆って泣き出した。
家族や友人、想い人、名前、その過去を失い、得たものは……世界からの拒絶。
苦しかった。悲しかった。消えてしまいたいと願ったこともあった。
耐えられたのは、あのひとへの想いがあったから。そして、ジルティリードの存在。
本当にこの神殿に独りだったら、きっと耐えられなかった。壊れてしまっていたかもしれない。
ジルティリードは感情の起伏も、表情の変化も乏しく、平坦に話す。それでも、こんなに優しい。
「ジルさま……わたしは――ここにいるですか?」
存在していますか? この世界に、一つの命として。
投げかけることのできなかった問いを、少女は問う。ジルティリードは、ささやかに微笑した。
「無論だ」
少女はたまらず、ジルティリードに抱きついた。この新世界に降り立ってから、体感で数十年。
ようやく、世界に受け入れられた気がした。
「ジルさま……ジルさま。ありがとうなのです……」
「そなたは影ではないゆえ、名が必要であるな」
「……名前…?」
「そなたの、名はなんと言うのだ? そなたが産まれた時に賜った名は」
名前など、久しく呼ばれていない。忘れかけてさえいた。過去と一緒に、記憶に埋もれかけていた、自分の名は。
「…………い、お……」
少女は手を下ろして、呟く。両親が授けてくれた名前。自分が、世界に存在している証。
顔を上げ、ジルティリードの目を真っ直ぐ見て告げる。
「わたしの名前は、依織……皇斐依織、なのです」
かつて呼ばれていた、人間だった時の名前を。
「依織、か。良い名だ」
少女――依織は、はにかんで笑った。
それから長い時が経ち、ジルティリードは依織を名前で呼ぶようになった。依織も少しずつ、昔の明るさを取り戻していった。
「依織よ。時が来た」
「ほえ? なんの時ですか?」
「宿命を紡ぐ者がこちらに来る」
ついに、その時が来た。待ち焦がれていた、その時が。
「本当、ですか?」
「是。そなたは宿命を紡ぐ者の対になる者、時空の守人として接するがよい」
「タイムプロテクター、ですか?」
「我の影でなくなったとはいえ、そなたの存在が異質であることに変わりない。故に、偽る必要がある。
いずれ、そなたが前史と同様に時空神を継ぐまでは、そう名乗っておくがよい」
確かに、今の自分は時空神であって時空神ではない。だから時空神とも名乗れないし、人間でもないので、ジルティリードの言うとおりにした方がいいだろう。
「分かりましたです。宿命を紡ぐ者さんに会ったら、イオは時空の守人と言うです」
そして、対面の時。その姿を見て、依織は涙が出そうになった。自分の知るあのひととは年齢が違うけれど、面影があって。
ずっとこの時を待っていた。やっと。
「やっと会えたですね。あなたが宿命を紡ぐ者さんですか?」
平静を装い、依織は笑みを浮かべて宿命を紡ぐ者である少年――恩に話しかけた。
「あ……はい」
「はじめましてですね。わたしは時空を守る者、時空の守人です」
依織はフードを外し、ローブを脱いだ。宿命を紡ぐ者が生まれてからは、姿を見せてもいいことになった。ただし、正体は明かしてはならない。
「わたしの名前は皇斐依織。依織と呼んで下さいね。あなたの名前も教えてくださいですっ」
「お……俺は、穂積 恩」」
少し高い子供の声。前史と違って、今度の彼は年齢が近いようだ。昔は「お兄ちゃん」と呼んでいた。けれど、今度は。
「恩くんですね。それじゃあ、めーちゃんって呼んでいいですか?」
「め、めーちゃん?」
「ダメですか?」
気に障っただろうか? 顔色を窺う依織に、恩はなぜか顔を赤くして、慌てて否定した。
「ううん! いいよ、それで!」
「はいですっ。あのですね、イオはめーちゃんのパートナーになるです。同じ時空渡りの力を持つ者として。だからこれからよろしくです!」
ここから始まるのだ。恩と、彼を支える柱としての時間が。
宿命の刻にしか神殿からは出られないし、恩とも簡単には会えないけれど、ようやく時間が交わったのだ。
今度こそ、彼のために生きたい。もう二度と喪いたくないから。
愛していこう。あのひとへの想いを、君に重ねて。




