2015年フェスピ&マジラビ舞台記念SS第3弾
Fate Spinnerよりカーレンの過去話です。恩と出会う前、まだカーレンが幼かった頃。
約三百年前、天界メイプルローゼ。
カーレンはリアウィスとともに、ある神を訪ねていた。
鼻歌を歌い、寄ってくる小鳥たちと戯れながら、カーレンは軽快な足取りで歩いていく。
小高い丘が見えてきた。同時に、綺麗な竪琴の音色が風に乗って聞こえてくる。
カーレンは顔を輝かせ、駆け出した。
「ロクテルス様~!」
「カーレン、走ると転ぶぞ!」
忠告に耳を貸さず、カーレンは丘の上を目指す。
丘の上にある白い四阿で竪琴を鳴らしていた男神は、声を聞きつけてそちらに目をやった。
「おや? あれはカーレンと……」
視界に入ってきたのは、愛らしい女神とその保護者である男神。しかし、リアウィスが忠告した直後、カーレンが草で足を滑らせて転ぶ。
「なんということだ」
ロクテルスはすぐさま立ち上がり、カーレンの元に駆けつけた。
「怪我はありませんか? カーレン」
「はい、ロクテルス様」
カーレンはにっこりと笑う。まるで心地よい陽だまりのような笑顔だ。
リアウィスが頭を押さえながらやってくる。
「言ったそばから転ぶとは……」
現天帝フェリオスの斂子で、生まれてからまだ五年しか経っていない幼子。
とは言っても、神族・魔族は人間や動物のように、赤子の姿で生まれるわけではないので、カーレンもまた生後五年とはいえ、人間で言えば十五歳程度の姿だ。
まあ立派なのは外見だけで、中身はてんで子供である。
明るい笑顔を振りまき、誰にでも優しく温厚。他者の痛みや悲しみを我がことのように受け止め、涙することもある。
その性情は良いことなのだが、どうにも彼女はのんびりしすぎている。
一方で好奇心旺盛なのか、なんにでも興味をもって、あちこちに出掛けては生来のぼんやりさで、木にぶつかったり、妙なところに迷い込んだり、池に落ちたりと散々である。
それでも体が丈夫なのか、これまでたいした怪我もなくあるのだが、どうにも不安なので、彼女が外出する時は、誰かが付き添うことになっている。
ロクテルスはカーレンを抱き起こし、リアウィスを見上げた。
「いらっしゃいませ、リアウィス殿」
「邪魔をするぞ、ロクテルス」
長い紫色の髪と眼。端正な顔立ちは女性と見まごうほどで、物腰も非常に優雅だ。
「おふたりはどのようなご用件でこちらへ?」
ロクテルスはティーカップに紅茶を注ぎ、カーレンに差し出す。それを受け取りながら、カーレンは満面の笑みを浮かべた。
「あの、また人間界を見せてほしいのです」
「ふふ、カーレンは人間界が好きなのですね。では、用意を致しましょう」
ロクテルスは壁にかけてある、先に宝石のついた杖を取った。
「毎度すまないな、ロクテルス」
「いいえ、私にはこれくらいしかできませんから」
急いで紅茶を飲み干し、カーレンは庭先にある巨大な水鏡の所へ走った。
ロクテルスは水鏡の前に立つと、杖の宝石のついた方をを水鏡の上に翳す。
「ピュアラレウン=ウォージェイシー」
一言唱えると、水はゆらりと揺らめき、徐々に何かを映し出した。カーレンは目を輝かせて、水鏡を覗き込む。
映し出されたのは、天界とはまったく異なる世界、人間界だった。
あれは村というもので、今は収穫の時期らしい。作物を持った人間たちがせわしなく動いている。
「落ちないように気をつけて下さいね。今は人間界に直接繋がっていますから、落ちると人間界直行です」
「はい」
久し振りに見る人間界を、カーレンは水鏡の縁に頬杖をついて、楽しそうに眺めている。
ロクテルスが席に戻ると、リアウィスがロクテルスの前のティーカップに紅茶を注ぐ。「ありがとうございます」と、ロクテルスは紅茶に口をつけた。
「あれを見ている時はおとなしいのだが」
ティーカップを傾け、リアウィスが苦笑する。ロクテルスはスコーンに手を伸ばした。
「我々天界の者は、人間界を守るためにいますが、限られた者しか人間界に行けませんからね。幼体であるカーレンには興味深いものなのでしょう」
「興味があるのは結構。いずれ守るものゆえ、その姿を見ておくのは良いことだが……」
言葉を濁すリアウィスに、ロクテルスはくすりと笑みを漏らす。
「ここを訪れるのが問題なのでしょう? 私は、罪ある者です」
罪を犯し、その罰として天界の外れでひとり暮らしている。この処遇に文句などない。
それどころか、これでも甘いと感じていた。初めは少し寂しくも感じたが、今はここでの暮らしを気に入っている。
リアウィスは申し訳ないと言う表情で視線を落とした。
「そのような顔をしないで下さい、リアウィス。私のことを気にかけてくれるのはありがたいですよ」
「あれから長い時が経つ。フェリオスも時々、こちらに使いを出していると聞いた。
……もう、戻ってきてもいいのではありませんか?」
「…………」
「本来ならば、貴方はこのような所にいてはいけない方だ。なぜなら貴方は……」
「ロクテルス様ーっ、あれはなんですか?」
カーレンがはしゃぎながら水鏡の中を指差している。微笑ましい姿を見ながら、ロクテルスは目を細め、立ち上がった。
「ロクテルス様!」
「リアウィス、私はここの暮らしに不満などありません」
あの子は自分が何者なのかを知らない。なぜここにいるのかも。
新しく生まれた斂子や天使は、自分の存在すら知らない。
それでいい。知らなくてもいいことだってある。知ってしまって、もしもその笑顔が曇るくらいなら――
「私は戻りませんよ。私がここにひとりでいる方が、皆の為になるでしょうから」
「!」
にっこり笑みを浮かべ、ロクテルスは駆け寄ってきたカーレンに手を引かれ、水鏡の方へ歩いていく。
「ロクテルス様、早く早くっ」
「はいはい。ああ、ですがね、リアウィス殿? もし、この天界と人間界に甚大な被害が及ぶような事象が起きたならば……私は助力を惜しみませんよ」
「ロクテルス……」
それまでは、ここでひっそりと暮らしていたい。
せめてこの幼い女神が、心から愛せる者を見つけられるまでは。