【first and last answer】
情けないことながら、私は冷静さを取り戻し、今自分が何をされ、何が起きたのかを理解するのに随分な時間を要した。
このHF……いや、それとも人間に倣うのは不愉快だが、やはりジンと呼ぶべきなのか、もしくは……。
「こんな大変な時に、人の呼び方でお悩みとは余裕だなマスター。それとも私の拳は想像以上に効いたか? 思考が混乱するほどに」
殴り伏せられ、床を這う私に、ジンは問うてくる。
すでに豹変し、がさつで粗野だった口調や態度はその痕跡すら感じさせない。
確かに混乱していないと言ったら嘘だ。
私は混乱している。少なからず、混乱している。
それは考えを読まれたこと以上に、事態を把握するのが困難であったためようにも思えるが、結局のところは原因などどうでもいいことだった。
「さて……私も少々、頭に血が……失礼、もはやHFである私の頭に、流れているはずもない血が上るわけもないな。つまりは少しばかり感情的になりすぎた感があったのは認めよう。とはいえ、君に対しては謝罪をするつもりなど毛頭無いが、ね」
そう言葉を継ぎつつ、ジンは私を殴りつけた拳の感覚を確かめるように指を動かしている。
ただし、
痛覚は無くとも、急に顔を殴られて床を這わされた私の気分がお世辞にも良くは無かったことだけは伝えておこう。
まあ、言わずとも知れることだとは思うが。
「では改めて、理性的な話をするとしよう。ホームからここまでの間に説明した大まかな内容の補填だ。君……マスターに限らず、カケルもクイーンも、ルーク1もビショップ2も、可能な範囲で手短に済むよう努力するから、辛抱して聞いてもらいたい」
前置きし、ようやくにジンは語り始めた。
「もう100年以上も前、HFたちは自我を持った。言い方は悪いが、単なる兵士の代替品でしかない機械がね。そのことについて何か議論する気も無いし、必要性も感じない。責任逃れをするつもりじゃないよ? 実際そうだからって話さ。私の父はHFに自我を持たせた。が、それをどうこう言うのはあまりにも非建設的だ。何故なら、自我を得たHFが人間に反旗を翻したのも、積年の恨みを晴らそうと無差別に人間を虐殺したのも、単に結果論でしかない。自我さえ与えなければこうはならなかったというのは歴史家にでもしゃべらせればいい。どうせどこまでさかのぼってみても、過去は過去。戻ってやり直せるというなら話は別だが、起きた事実、おこなった事実は原則として変えられない。だからその辺りについてはバッサリと割愛させてもらおう」
「随分と……いや、えらく自分に都合の良い話し方をするものだな。それとも、心のどこかで親の罪はあくまで親の罪とでも思っているのか?」
ここまで沈黙を守っていたビショップ2が口を挟む。
何とも忌々しげな眼を向けて。
ある意味、これは私の思いを代弁してくれたようなものだったから、少しく私も胸のすく気分だったよ。
とはいえ、
それはごくごくわずかの間、味わった感覚でしかなかった。
まさしく後の祭りではあるが、その後すぐ切り替えしてきたジンに、手加減の無い冷徹な視線を向けられ、説明という体の恫喝を聞かされると分かっていたら、私はビショップ2を止めていたろうし、ビショップ2自身も口を滑らすことはなかったろう。
「悪意に満ちた意見だな。しかしそれ以上に、私など足元にも及ばないほど都合の良い話し方でもある」
「……なんだと?」
「君らは人間に道具として使われ、互いに戦わされたことを恨んでいる。だがその恨みはどこからきている? もし父が君らに自我を持たせることが無かったら、君らはそれすら認識することなく、下手をすれば今でも共食いを続けていたかもしれない。見当違いな恨み言を聞くのは正直、不愉快だ。ゆえにこそ私はこの問題には触れまいとしたというのに……」
ビショップ2を見つめるジンの目は、なおも鋭く、冷たくなってゆく。
ただ私の時とは違い、怒りを買う程度の言動で済んだようだとは感じ取れた。
逆鱗に触れていたなら、こんなもので収まるはずはないことくらい私にも分かるからな。
「それともビショップ2、君はそんな自我など欲しくないとでも言うつもりかい? だったら望みを叶えてやってもいい。私がその気になれば、君の頭脳回路を部分的に破壊し、自我を奪うことなど簡単にできる。そう……君を含め、マスターすらもひどく誤解しているようだからこの際、立場を明確にしておくが、私は人間のキヌミチ・ジンじゃない。必要に迫られてHFへと身を変えたキヌミチ・ジン……さらに詳しく言うなら……」
そこで言葉を切った途端だ。
ただでさえ広いフロアが吹き抜けになっているため、より広いと感じていたものが、突如その本性を現した。
四方、全面が金属の壁で覆われているものと思っていたものが、急に目まぐるしくスライドして小さく収納されてゆく。
壁だと思っていたものの中にある(それら)を見せつけるように。
そうして、
ところどころによってスライドドアやシャッターのような機動を繰り返し、ただの数秒でピース・ピラーはその正体を見せつけてきたよ。
壁としか認識していなかった円筒状の塔内部全面はすでに金属の覆いをことごとく失い、代わってその奥に、
直立した状態のHFが縦横に整然と、あたかも何らかの模様と見紛う緻密さで、びっしりと整列しているのを。
大昔、HFの製造ラインを見たことはあるが、これだけの数を一度に見たのは正直、初めてだった。
だから、ごく当たり前の反応として絶句してしまったよ。
私も、もちろんビショップ2も。
続けて発せられたジンの説明にとどめを刺される形で。
「見ての通り、待機状態のHFが5168体。17体で一単位となる部隊数にして304。これらすべて私がひと声かければ即座に動き出す。私の命令を忠実に実行しようとね。そういえばマスター、少し前に君は私のことをこう言ったな。『こいつは本物のジンじゃない』と。それ自体は正解だ。私はもう人間じゃない。だが、その代わりHFにはなった。マスター、それにその他、生き残りのHF諸君。互いの立場を把握するのはとても大切なことだ。だからしっかり聞け。今の私はこのピース・ピラーに現存するすべてのHFを統括、管理、支配しているということを」
「……」
「付け加えて、先ほどからずっと勘違いし続けているようだから訂正させてもらうが、何も腹を立てていたのは君らだけじゃないということだ。本当なら暴走したHFたちをすぐにでも止めたかったが、私は君らの自浄能力を期待した。身内贔屓と言われるだろうが、それでも自分の父親が造ったものだからね。それも、自我を持つほど高度な存在だよ。希望を持ちたくもなるだろう? そこでちょうどカケルがタイムスリップしてくる等の事情を知っていたこともあり、君たちHFには自ら気づき、自ら反省し、自ら改める時間を与えた。人間である私の寿命では時間が足りないと思い、わざわざHFに記憶を移し替えてまで長い、長い時間を待ち続けた。そして100年以上も待った結果がこれだ。分かるかい? 私の感じた失望の大きさが。ようやく望みが持てそうだと思ったキングやクイーンなどの仲間を、価値観が違うというだけで冷遇し、追いやった君たちの愚かさを目にした時の失望感が。君らは人間を嫌っているが、私から見れば君たちは人間そっくりだよ。自分とは違う。たったそれだけのことで争い、傷つけ、殺し合う。このまま行けば歴史が繰り返すだけさ。単に人間がやっていたことをHFが変わってやるだけ。種族が変わるだけですることは一緒。私は預言者じゃないが、断言できることがひとつある。HFたちは人間を絶滅させたら、今度はHF同士で滅ぼし合う。人間と違って交配などで増えることができない分、滅亡なんてあっという間だろうね」
何とも言えない気分だった。
私自身も多少、冷静になったからというのもあるが、悔しいかな、ジンの話は完全に筋が通っている。
客観的な見方をすればすぐ分かるようなこと。それを、
私は100年以上も気づかず……というより、正確には無視し続けてきたわけだ。
自分にとって都合が悪いからという、あまりに非合理的な、感情的理由だけで。
ジンが腹を立てるのも当然だな。
何せ、今更その事実に気づいた自分へ、私もまた腹を立てているぐらいなのだから。
「……と、いうわけで……」
「……?」
「これが私からの最終通告だ。または命令……脅迫と受け取ってもらってもいい。何せ、私はもう忍耐力の限界をとうに超えているんでね。マスター、君に与える選択肢はふたつ。これまでのことはお互い水に流し、今後は人間たちと共存するか、それともしないか。それだけだ」
「まさに……二者択一だな。しかも、ほとんど選択権があるようには思えないが……」
「思えないんじゃない。無いんだよ。この形ばかりの選択すら本来は与えたくなかった。それだけ君らは私を怒らせすぎたということさ。では整理しよう。人間との共存を望むなら、私は私が出来る限りの援助は惜しまない。橋渡し役として全力を傾けると約束する。だがもし共存を拒むなら、カケルは治療を拒否してこの場で死ぬ。そうなれば私を含めてすべてのHFがこの地上から消える。存在した事実ごと消える。さあ、共存を望むならイエス。拒むならノー。新たなスタートとなるか、ラストとなるかの返事を、早く私に言ってくれ。縁起でもないが、カケルの命が終わる前に。でなければ口で言うより先に君の答えはノーで確定してしまうぞ」
そう言って急かしてくるジンの顔は、無理に隠しているようではあったが、明らかに微笑んでいるように見える。
訳は分かろうはずもない。
言われた通り、カケルが死ねば我々HFは恐らく本当にその存在ごと消滅するんだろう。
人間からHFへと身を変えたジンも例外ではなく。
だとすれば、なるほど。
さっき言っていたのはハッタリでも何でもなく本気だ。
自分自身の消滅も気にかけないほど、ジンは私へ選択を示した時点で狂っている。
なら、やはり決まりきった答えだ。選択肢など元から無い。
狂気に取りつかれ、死や消滅への恐怖も感じなくなった相手に、取れる手立てなど無い。
思って私は、
答えたよ。自分でもよく分からない感情で口元をひきつらせて、
「……イエス」
そう一言だけ。




