【STRANGE ACTION】
「……現在、時速33キロから35キロの間で安定……ピース・ピラーまでは残り約600メートル。アクシデントが無ければ、あと1分ほどで到着します……」
呆然としつつも、イェンは律儀に状況報告をしてくれた。
ま、それだけで済ませられるほどは落ち着いてなかったけどね。
当然ながら聞いてきたよ。
「それと……これは私の抱いた勝手な疑問ですので答える気や、もしくは答える余裕が無ければ黙っていても構わないんですが……」
「ついさっきまで今にも死にそうたったやつが、どうしていきなりこんな長距離を全力疾走してるのか。そんなとこだろ?」
自分で言うのも何だけど、ほんと綺麗な即答だったからな。イェンのやつ、さすがに予想外みたいだったらしくて目をパチクリさせてた。
「俺も詳しいことは知らないんだけど、長距離走ではつらいだの苦しいだのが極まると『セカンド・ウィンド』とか『ランナーズ・ハイ』とかって状態になるらしいんだ。それまで苦しかったのがウソみたいに楽になって、思う通りに体が動くようになるってさ。思うに今の俺はその状態なんだろうよ。と、知った風に言ってはいるが、俺は基本、短距離しかやらないから聞いてた通りの状態になれるかは賭けだったんだけどな」
「そんな……経験も無いことに賭けるなんて無茶なことを……」
「まあね、無茶だったのは俺も認めるよ。でも結果的にできたんだからオーケーなんじゃねえの? 大体、経験があるからって必ずしも成功するわけじゃあない。未経験だからってできないかは、やってみなけりゃ分からない。どうせ賭けなんだから、そういうとこは覚悟を決めてやりゃあいいだけなんじゃねえかと思うぜ?」
そう答えると、
イェンは驚いた様子から代わって今度は呆れ顔で俺を見てきたよ。
いや、分からなくはないけどさ。
いくら人間臭いといったって、イェンもHF……つまりは機械だ。
機械に運任せなんて根拠も無くする行動を理解してくれってほうが無理があるよな。
つっても、
機械的、合理的にあの場で行動してたら間違い無くイェンを連れていくって選択肢は無い。
軽い言い方しちまうと、結局のところは好みの問題なんだよ。好みの。
どんなに成功率が高かろうと、低かろうと、好きな選択肢を選びたくなるのが人情だ。
この辺りは、まあおいおいにイェンにも分かってもらいたいもんだね。
さて、
もう搭は目の前。
入り口っぽいものも見えてきた。
そうなると……これはこれで、
少し考えることが出てくるんだよな。
なんて思ってたら、
「搭まで……500メートルを切りました。これよりピース・ピラー全体からの生体スキャンが開始されます……」
「はいはい、ようやく俺がほんとにキヌミチ博士とかってのとおんなじかが分かるわけね。そして、もしそうでなかったらここまでの苦労は水の泡……なーんてね♪ 始めっから何の当ても無い大博打だ。ダメでもともと。そん時ゃ、そん時……」
余裕かましてイェンに答えてる最中さ。
人の話してるとこへ被せてくるように、搭……や、橋から直に体へ響いてくるみたいに、事務的だがえらく音量のでかい音声が流れてきた。
『精密スキャンを開始します……精度を保つため、その場で停止または時速10キロ以下に減速してください。繰り返します。スキャンの精度を保つため、その場で停止または時速10キロ以下に減速してください……』
「カケル、減速を!」
「えっ? あ、お、おう……」
言われるまんま、俺はゆっくりスピードを落とすと、普通に歩くペースに速度を落としたよ。
その途端、
また後ろででかい爆発音がしたから、あんま気分のいい感じじゃないのは確かだったけどね。
「ところで……ペース落とすのは別に構わないけど、後ろのやつとは今、どのくらいの距離があるんだ?」
「心配ありません。後ろの……恐らくルーク1はまだこちらまで約3500メートルの開きがあります。仮に時速70キロをこのまま維持できたとしても、私たちに追いつくにはあと3分はかかるでしょう。スキャンのために減速した分を差し引いても、搭には私たちが40秒ほど早く到着できます」
「……俺的には、あんま余裕を感じられる差には思えないけどな……」
「確かにそうかもしれませんね。もしカケルが失速したら、もしくはむこうが加速したら、簡単に覆る差ではあります。が、ここに来て不測の事態を恐れても仕方の無いこと……そうでしょう? カケル」
おや、考えが柔軟になったねイェン。俺の影響か?
まあいいさ。どっちにしろその通りなんだから。
思い煩う時間は終わった。
あとはどうとでもなれってな。
ただ、
『骨格構造……エラー……内臓位置……エラー……予測肉体年齢……エラー……』
「……なんか、エラーばっか出てるみたいだけど、これ……大丈夫なのか……?」
「大丈夫です。DNA型と網膜パターン以外は補助的にスキャンしているに過ぎません。すべての情報を総合して個人を特定するシステムである以上、DNA型と網膜パターンさえ同じなら、最終判断は変わりません」
「なら、いいんだけどさ……」
こういうのって、機械に弱い人間にとっちゃあ心臓に悪いとしか言えなかったよ。
どういう理由でもエラー、エラーって連呼されちゃあさ。
だけど、
大抵は心配し過ぎってことがほとんどなのを、すぐに知らされた。
『……全体スキャン完了……ようこそ、キヌミチ博士。お手数をおかけして申し訳ございませんでした』
これが聞こえてきた時は思わず、ほっとし過ぎて力が抜けそうになっちまったね。
何事もそういうもんだけど、済んじまえばどうってことないもんだな。
もちろん無事に済んだからこそ、そんなこと思えるんだけど。
自分のこととはいえ、人間なんてのは結果が出ると単純なもんだ。
て、ちょっと気が抜けたとこにすぐさまだよ。
またまた後ろから爆発音。
しかも、もうかなり近い。
「カケル、スキャンは終わりました! 早くピース・ピラーへ!」
「りょ、了解! いくらなんでもゴール手前でゲームオーバーとかは楽しくないにもほどがあるからな!」
言って、のらくら歩いてた足に力を込め、俺は一気に走り出そうとした。
が、
瞬間だ。
力を入れて地面を蹴ったはずの足が一瞬、膝から折れた。
それとほぼ同時かな?
また変な音声が聞こえてくる。
『……緊急連絡ですキヌミチ博士。スキャン結果により、心肺機能に致命的な問題が検出されました。現在、血中酸素飽和濃度78%……ただちに適切な医療処置を受けてください。危険です……危険です……』
「……!」
咄嗟さ。
聞こえた音声に反応したのか、いきなりイェンが片足しかないのに地面へ降りようと身をよじらせたのは。
「ちょっ、ちょい待てイェン! 何しようってんだよ!」
「それはこちらの台詞です! いいから早く降ろしてください!」
「ばっ……理由も分かんねえのに降ろせるかよっ! どうしても降りたけりゃ、せめて理由を言えっての!」
そう返したら、やっと大人しくなってくれたよ。
とはいえ、
どっちにしても、もう完全に降りるつもりなのは目を見ただけで分かったけどな。
「……聞いたでしょう? 貴方の血中酸素濃度は今、70%台だと……普通こんな数字は有り得ない数字です……人工呼吸器が必要なレベルの数字……」
「じ……え?」
「通常なら死の目前でしか出ない数字……これ以上はとても無理です……お願いですから早く私を置いて搭に……」
刹那、
もうほぼ間近で爆発音。
なるほど、
時間も、俺の体も、どっちも余裕無しってことね。
「……そうか……思ったより、シャレで済まない状態になってたわけか俺の体……」
「そうです! だから早く……」
「オーケー……じゃ、急ぐとしますか……」
言うや、俺は、
これまで以上に足へと強く力を込めると、転瞬、
猛然と搭に向かって走り出した。
当たり前だが全速力。
そして、
当たり前だがイェンは抱えたまま。
驚き、イェンは何か俺に言おうとしたのが見えたが、間髪入れず、
「イェン、死んでも言うことは聞かねえ! それに俺の体力の無駄だ! じっとしてろっ!」
怒鳴りつけるみたいにそう言うと、さすがにイェンも大人しくなってくれた。
これでいい。これで。
今は理屈をこねてる時間も惜しいんだ。
気配で分かるぜ。敵さん、ほとんど俺の真後ろまで来てる。
だから言わんこっちゃねえよ。
40秒の差なんざ、あっという間だって。
何にせよ、もうつべこべ言うのも考えるのも無しだ。
さっさと搭に入る。それだけ。
入り口らしき場所は見えるけど、問題はそこでもたつかず、すぐ中に入れるかだな。
ちょっとでも手際が悪けりゃ追いつかれるぞマジで。
思って、ふと何気無く今まで気にもせず、まともに見もしてなかった搭を見上げてみた。
軽くめまいがしそうな高さだぜ。
まさか中に入れても、これを今度は登れとかってことにならないことを祈ろう。
いくらなんでもそれは本気で死ぬと思う。
ああ……なんだかんだで橋を抜けた。
搭だけが立つ、だだっ広い島みたいなとこへ足を下ろすと、後は広くて足元がしっかり舗装されたところを真っ直ぐ入口へ走るだけ。
目算で残り200メートル……150メートル……100メートル。
近づいたその時、
熱気と爆風を感じるほど近くで爆発。
途端、
鼻先まで近づいた入り口っぽい場所の金属に反射して見える。
マジで真後ろまで迫ってるHFが。
低空で飛びながら、俺の背中にぶち当たってくるいきおいで迫ってた。
速度は間違い無く、あっちが速い。
でもこっちだってゴールは目の前。
だけど、やっぱ問題は入り口だ。
これ、自動で開くのか?
もう何か操作してる暇とか無ぇぞ?
というか、操作の仕方なんて分かんねえし。
ええ、クソッ!
なるようになれや!
あと50メートル……30メートル……20メートル……10メートル!
つけられるだけの加速をつけた俺の足が地を蹴り、最後の一歩で入り口らしき場所へ突っ込む瞬間、
思わず、
(開けゴマッ!)
何故だか心ん中で叫んだ俺は、
ふっと、ロウソクの火でも消えるみたいに遠のく意識の中、
自分の足が、外から内へと入る感触を感覚的に味わっていた。




