【DEAD POINT】
分かって始めたことだ。
自分で分かって始めたこと。
32キロあるイェンを担いで6キロの道程を平均時速20キロで走破。
無理にもほどがあるのは分かってて始めたことだよ。
だけどさ、
実際にやってみて、ああ、やっぱ無理だわって思うまでは頭のどこかで何とかなるんじゃないかって考えちまうもんなんだよな。
バカな考えだってのは今なら自分で分かっけど、少なくとも32キロは平均的な女子の体重からすりゃあ、ちょい軽いしさ。
いけんじゃねえかって。思ったんだよ。
最初の200メートルくらいまではどうにかなった。
けど、
そっからさ。一気に失速しだしたのは。
早すぎると思うか?
だったら自分でやってみろよ。マジでシャレになんねえぞ?
こう例えちゃあイェンに悪いが、32キロある荷物を持って走るのは単に重たいっていう負担だけじゃねえんだ。
ただ重いものを持って走るだけでも、体中のいろんなとこに掛かってくる負担がすげえ。
腕で持ってるからって、腕の筋肉にしか負担が掛からねえと思ったら大間違いだぜ?
腕で持っていれば、その腕を支えるために肩や背中の筋肉も使う。
当然、走っているから下半身の……特に足に対しての負荷もでかい。
さらに言うなら、それらすべてを支えるための体幹の筋肉はそれ以上に酷使する。
特に今、俺が走ってるのは綺麗に舗装された真っ直ぐの道じゃあねえ。
隆起したり、穴が空いたアスファルト、放置された車なんかを走りつつ避けて進んでるんだ。
そのたびに、左右に体が揺れるから慣性の法則でイェンの体はより俺の体を軋ませる。
右に曲がれば右に踏ん張り、左に曲がれば左に踏ん張るを繰り返さなきゃいけない。
しかも負担は筋肉だけに掛かるわけじゃあねえのさ。
筋肉で吸収しきれない衝撃はダイレクトに骨や関節に掛かってくる。
実際、もう肘や膝、肩や股関節とかからは悲鳴が聞こえてきそうだよ。
で、余分に使わざるを得なくなった筋肉は、サドみてえに俺の体の中から貴重な酸素を奪っていっちまう。
普通に走るだけでも足りなくなる酸素を遠慮無しに無駄遣い。
こうなることは分かっていたとはいえ、本気で厳しいっての。
これだけ全身の筋肉をフル稼働させてるから、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
体が熱い。
稼働させてる筋肉量が多い分、発する熱量もハンパ無え。
せっかく乾いた汗が、さっき以上に全身から噴き出してくる。
滝みたいにってのはおんなじだが、今回は滝は滝でもナイアガラの滝って感じだな。
「……カケル……差し出がましいでしょうが、橋の上へ復帰後、進んだ距離は現在で約450メートル。時速は約12キロ……対して追手は……」
そこまでイェンが言ったところで、
また後ろで爆発音。
これも地味にキツイんだ。
爆発で微妙に揺れる足場が、なおさら体勢を保つために使う体幹の筋肉を酷使させやがる。
「……ほぼ安定して常に平均70キロを保持……カケル……」
心配そうな顔して俺を見ないでくれイェン。
こっちはそれどこじゃねえんだから。
ざっくり計算した感じだと、もう俺は一分間の呼吸数は約200。
心拍数もおんなじくらいかな。
骨や筋肉の問題以前に、心肺機能がそろそろギリギリっぽい。
認めたかあ無えけど、事実は事実だし、仕方無えか。
こういったとこは冷静に認識しとかないと、下らないヘマをするかもだし。
現時点での自分の限界を理解しておくのは大切だ。
言っとくが、諦める指標のためなんかじゃないぜ?
むしろ逆の理由さね。
にしても、
その限界ってやつが嫌でも見えてきたな。
呼吸をするたび、乾いた気管が焼け付いたみたいに熱く、痛む。
イェンを抱えた両腕は筋肉がパンパンだし、握力も萎えてきてる。
膝も相当にガタがき始めてるけど、ふくらはぎのほうが今は問題っぽい。
地味にふとももとかも乳酸が溜まってきてチリチリ痛んできてっし、どっかで疲労を誤魔化すべきか、それとも無視して続行か。
迷うとこだな。
とか、
思ってたらまた爆発音。
笑えねえなあ……体に余裕がある時だったとしても、精神的にかなりくるぞ?
とはいっても、泣き言なんぞ言ってて……いや、もうしゃべる余力も無いから思うだけなんだけどさ。
泣き言は心が萎えるだけ。
何かの足しになるなら別だけど、マイナスにしかならないようなことは出来るだけ思わないようにするべきだわ。
それに、
確信があるわけじゃないけど、俺の勘が……というか、聞いた話に上手くこの状況が引っ掛かってくれれば希望はある。
意識はもう飛びそうだけど。
体のほうはまだいいが、顔を流れ落ちる汗はマジにイラつくけどな。
チクショウ……また目ん中に汗が入りやがった……ほんと、ムカつくわ。
両手が塞がってるから拭くこともできねえし、いちいち癇に障んなオイ。
おまけに足も言うこときかなくなってきやがったし……ああ、クソッ!
「カケル、もう無理です! 時速10キロを切りますよ!」
頼むから、黙っててくれイェン。
返事なんかする余裕があったら、一回でも多く呼吸する。
言う通り、実際にもう無理なとこまで来てんだよ。
この上、無駄に疲れさせないでくれ。
「お願いですから……早く私を捨てて、貴方だけで搭に向かって下さい! このまま私を捨てるタイミングを逸すれば、貴方も消耗し過ぎて取り返しがつかなくなります! 追いつかれるのが明白なこの状況で……これ以上……」
あのさ……泣きそうな声でそんなこと言うなよイェン。
追いつかれる?
取り返しがつかなくなる?
知っててやってんだよ。
捨てる?
君を?
それこそできないことだろうが。
無茶振りはよせっての。
もうすぐなんだよ……多分、でしかないけど。
でも、もうすぐって気がするんだ。
苦しくって、めまいがする。
体はどこもかしこも力が入らない。
眼を開いてんのも、やっとこさ。
意識だっていつ飛んでもおかしくない。
だけど、
だから余計にもうすぐだって感じがする。
今、倒れたらどんだけ楽かって思う。
いっそ死んだほうが楽かもとか、物騒なことまでふと考えちまう。
それでも、
そう感じるからこそ、もうすぐ来るって感じるんだよ。
もうすぐ。
もう、
あと、
ちょっとで、
超えられるって……。
その瞬間だ。
一瞬、
はっきり自分の意識が飛んだのを感じた。
完璧に、視界がホワイトアウトしたのだけは何と無く覚えてたからさ。
でも一瞬だ。
そう、ほんの一瞬。
そうして、
途端だよ。
「……はっ……はは……はははははっ!」
思わず笑っちまった。
悲鳴を上げてた全身が、同じように笑い声を上げてるのが分かる。
呼吸も楽だ。
いや、極端を言ったら息しなくてもいいんじゃねえかとさえ思ったね。
腕が力を取り戻す。
足が羽みたいに軽い。
加速する。
どこまでも加速できる気すらする。
それどころか、
今なら空だって飛べる気がしやがるぜ!
そうだ。
楽しいんだよ走るってのは。
走る。走れる。走りたい。
走り続けたい!
「カ……カケル……? 貴方……一体、何が……現在の時速16……20……27……そんなことって……嘘でしょう……? さ、38キロ……!」
楽しいな。
たまんねえよ。
まだ十分に死ぬかもしれない状況ってことに変わりは無いのに、楽しくってたまらねえ。
悪いとは分かってても、驚いてるイェンの様子にさえ、噴き出しちまいそうだ。
そうかそうか……話にゃ聞いてたけど、こういうことかい。
最高だね。
それ以外に俺のボキャブラリーじゃ言い表せねえ。
とにかく、
最高の気分だ!
「……いいねえイェン……けど、驚くのはもうちょい後にしてくれるか? こんなもんじゃあねえんだよ……今の俺は、まだまだ……速く走れんだ……まだまだこんなもんじゃねえ……こんなもんじゃねえんだよっ!」




