【TAKE THE BULL BY THE HORNS】
経験が無い動きっていうのは正直、おっかないもんだ。
俺は生まれてこのかた一度として遊園地とかの類に行ったことは無いんで、絶叫マシンなんかに乗ったことも無い。
だからこういう日常生活の中じゃあ有り得ない動きやスピードって状態は慣れてないから本音を言って、かなりビビっちまった。
ま、正確には近い感覚は味わったことがあるけどね。
こっちに飛ばされる前、風に飛ばされて橋から川へ落ちてった時の感じが、恐らく俺の知ってる感覚の中では一番、近いかな?
とはいっても、あくまで近いってだけだ。
空中に体を躍らせてる部分は共通してるけど、重力に引かれて落ちていくのと、ウィンチに引かれて放り投げられるみたいに上へ引っ張らり上げられるのじゃ、似てるようでまるで違う。
視界はグルグルと回転し、三半規管はシェイクされて平衡感覚もクソも無い。
それでも幸いだったのは、そんな正気とは思えない状況が、そう長く続かずに終わってくれたことだろうな。
ホバーに乗ってた時ですら酔わなかったのに、これには危うく酔いそうになってたから、早めの終了はマジで有り難いと思ったぜ。
つっても、
そう優しい終わり方はしてくれなかったけどさ。
視界の端に映るものが一瞬、また一瞬ごとに変わっていく。
始めは遠ざかるホバーと、それが浮かぶ黒い海。
次いで薄く雲が走る青い空。
最後は、
遥か上空から見下ろす橋の光景。
そこから、
急転直下。
俯瞰していた車道橋がすげえ勢いで近づいてくる。
いや、実際は俺が近づいてたんだけど。
なんて、そんな問題じゃ無いよな。
感じ方が違うだけで、起きる結果はおんなじだ。
頭から凸凹のアスファルトに激突する。
そう思って頭を抱えた瞬間だ。
ズンッて、重い衝撃が体に響いたのと同時、
「……着地完了です。車道橋の上、5721メートル地点に復帰。カケル、体のほうは問題ありませんか?」
言うイェンの声を聞いて目を開けてみたら、
あーあ、
お恥ずかしいったらねえよ。
大の男が姿だけとはいえ自分より華奢な女の子にお姫様抱っこされてたんだぜ?
着地の衝撃から俺を守るためだったのは分かるけど、これってかなり男の自尊心をズタズタな行為だと思わない?
ああ、分かってるさ。そうでもしてもらわなきゃ、無事に橋の上に着地なんて出来なかったろうってことぐらいは。
でも理屈と感情は違うだろ?
恥ずかしいもんはどう考えて誤魔化しても恥ずかしいんだよ!
と……悪い。八つ当たりもいいとこだな。
とにかく冷静に行こう冷静に。
「えー……おかげさまで五体満足でございます。のでお姫様、早く俺を地上に降ろしていただけませんかね?」
「それなら安心しました。では……」
言われて静かに降ろされた。
分かっちゃいても、やっぱすげえなHF。とても人間なんかじゃ真似できねえや。
「ふう……地に足がつくとなんだかんだで安心するな。まだ軽ーく目が回ってる感じもするけど、この程度なら走るのに差し支えねえだろ」
「とはいえ搭までは残り5479メートル。まだ半分にも達していません。急ぐ必要は無い以上、ここは不必要な無理をせずに進んだほうが……」
そこまで言いかけたとこだ。
想像もしてなかったし、想像もできなかったし、何より想像なんかしたくなかったことが起きたのは。
ふと、横に立ってたイェンの姿を見てた時だよ。
偶然か必然か。わざわざ俺がイェンと目を合わせて話してる時じゃ無く、彼女の全身を見てたその時、
突然、イェンの体が斜めに傾いたと思ったら、
イェンの右足が、
吹っ飛んでた。
俺は一瞬、何が起きたんだか分からなくてパニクったけど、右足の無くなったイェンのほうは至って落ち着いたもんだったよ。
ただし、
それで状況が好転するってわけでも特に無かったけどな。
右足……の、ほぼ全部か。太股の下辺りからごっそり無くなっちまったイェンは、それでも傍らに止まってた車に手をついて、何とかその場に立ってた。
何か小さな声で、
「……失態です……」
みたいなことをつぶやきながら。
すると同時、
どでかい爆発音が後ろから聞こえてきた。
何かと思って振り返るのは人間として、動物として自然な反応だよな。
けど、後悔したね。
(Curiosity killed the cat……好奇心は猫も殺す)なんてイギリスのことわざがあるが、まさしく過ぎた好奇心てのは厄介なもんさ。
だからといって、見ないで済ませられる事柄でも無かったから、結局のところ逃げ場無しだったんだけど。
最初に聞こえた爆発音に振り返ってしばらく。
また同じような爆発音。
しかも今度はさっきより近い。
今にも混乱して考えることも出来なくなりそうな自分を必死に抑えて、俺は爆発してる地点を橋の地点をよくよく見てみた。
そして気が付いた。
爆発の炎と煙の中、人影らしきものがえらい勢いでこっちに飛んできてるのが。
見間違いだと思いたかったね。
というか、見間違いだってことにして欲しかったよ。出来ることなら。
正直、何が起きてるんだか分からないってのが俺の素直な感想だったけど、胃札も通りと言うべきか、答えはイェンが教えてくれた。
「……完全に油断していました。さすがにもう諦めたろうと勝手に思い込んで……せめてホバーのカウンター・ロックオンが切れると同時に私もすぐカウンター・ロックオンするべきだったのに……」
「なっ……なんだよイェン。何が起きてんだ? これって……」
「識別信号は私のものも相殺しているので推測しか出来ませんが、恐らくあれはルーク1でしょう……足を撃たれながら読み取れた少ない情報だけですので保障の限りではありませんが、少なくとも遅まきながらカウンター・ロックオンしましたので、これ以上の攻撃はまず無いと考えてよいと思います。ただ……」
「……ただ?」
「仮にあれがルーク1であろうと無かろうと、1体のHFがこちらに急速接近しているのは確かです。始めに他のHFがおこなったものより相当大規模な形で、爆龍の弾頭発射時に起きる反動と、弾頭そのものが起こす爆風を使って制限を超えた速度で移動しています。現在の速度は……安定していませんが、平均で時速約70キロ……」
「……マジで……?」
「はい」
絶望感からか、それともさっきの酔いがまだ残ってるのか。俺は堪らずめまいを感じたよ。
有り得るか?
最初に言われてたHFの速度は20キロだぞ?
それだってかなりのきつさだ。
だってえのに、
70キロだあ?
ふざけんのもいい加減にしろってんだ!
人間の俺が出せる限界なんて30キロちょいがどうやったって限界だっての!
倍以上の速度で追ってきてる相手なんて、どう振り切れってんだよ!
腹立ち紛れ、手近な車のタイヤを蹴っ飛ばして頭を整理しようとする。
だけど当たり前。何にも浮かばない。
どうしろってんだチキショウッ!
思った時だ。
人間の感情なんてのは面白いもんさ。
主観に引っ張られてると、つい周りが見えなくなって苛立つが、そこへふと客観的な視点が入ってくると、途端に頭が冷える。
もちろん、普通には入ってきやしない。
こっちは自分の世界に入ってるんだからな。
それでも、
入ってくるもんは嫌でも入ってくるんだ。嫌でも。
例えば、この時のイェンが言った言葉がその良い例さね。
「……カケル……」
「……なんだ?」
「現在、相手の速度は圧倒的に貴方の最大速力を超えています。が、距離は未だに4キロ強は離れています。計算上、貴方が残りの距離を20キロ以上で進めば、この異常な追撃もかわすことができるはず。どうか早く搭へ向かって下さい。出来るだけ早く……急いで!」
こう言われたところで、やっと気が付いたんだ。
俺の視点はあまりにも大事な部分が欠けてたってことに。
「……その口ぶりだとイェン、君は……」
「私はここに残ります。とてもではありませんが右足無しでは制限速度の20キロどころか、歩行自体が不可能です。カケル、約束は忘れていないでしょう? 私が貴方の足を引っ張るようなことになったら置いていってくださいと……」
「……」
腹は立つが、今回ばかりはイェンの言ってることに反論の余地は無い。
搭に行きつく。その目的を思えば、現実的にここでイェンを置いていくのはむしろ自然だ。
分かってる。よーく分かってる。
そう、分かってるからこそ、
「……イェン、ひとつ質問……いいか?」
「……はい?」
「女の子にこういう質問はエチケット違反だと承知で聞くけど……体重いくつだ?」
「体……重?」
「いいから早く言えって!」
「あ……私のメインフレームや各部動力機関はほぼすべてが過結合カーボン・チップで構成されていますので、総重量は約32キログラムですが……それが何か……?」
「何かも何もねえっての。そりゃあよ……」
答えながら、
俺は躊躇う事無く、すぐさま片足立ちしていたイェンを抱きかかえた。
さっきと立場逆転。
今度は俺が御姫様抱っこする番だって感じにね。
イェンはっていえば、
慌ててたよ。
面白いよな。
あんだけ沈着冷静を絵に描いたみたいな態度ばっか取ってたくせして、いざ自分は抱きかかえられただけで動揺してんだからさ。
真面目に言って、
すっげえ可愛いとか思っちまったもん。
「なっ、何を……カケル! 何をしてるんですか! 早く降ろしてください! こんなことをしてふざけている時間は……」
「……ふざけてねえよ」
「……は……?」
「イェン、HFなら聞き間違えなんて有り得ないよな? 俺は確かに約束した。もし君が足を引っ張るようなことになったら置いていけって。その時、俺はなんて答えた?」
「そ……れは……『考える』と……」
「そういうこと。誰も置いていくとは明言してない。よって約束違反にはならない」
「む、無茶苦茶です! そんな理屈! だ、大体カケル、貴方がそう言うということは約束通り、『考える』ことはしたんでしょう? だったらこんな行動は……」
二度目になるな。
イェンが言いかけてるところに被せて話すのは。
だが、俺は言い切ったぜ。
軸足を引き、利き足を前に、そして叫ぶように、
「考えた! そして決めた! 置いてかねえってなっ!」
言い終え、俺は走り出した。アスファルトを蹴り上げて。
もう迷いなんて無い。
というより、迷いなんて知ったことかってんだ!
32キロ担いで残り約6キロ?
上等じゃねえか!
イェンを担いで走るなんてのは無茶。
だけど、
イェンを置いていくのも同じく無茶。
だったら、
もうあとは決まってらあ。
無理だろうが無茶だろうが無謀だろうが、最高に上等だぜ!
ここでこうでもしなかったら、俺は男としても、人間としても、自分を許せねえ。
奇妙だな。後ろから聞こえてくる爆発音も気にならなくなった。マジ不思議なもんさ。
もうどうでもいい。どうでもいいんだよ!
好きなだけ追いかけてきやがれこのポンコツども!
そう思い切れたところで、だ。
俺は息が切れる前にイェンへ最後になるかもしれない言葉をかけた。
俺なりに、とびきり……最上級の笑顔でね。
「分かってもらえるとも思わねえ。そして分かってくれとも言わねえ。けどなイェン、納得のいかねえ無茶して生き延びるより、納得のいく無茶して死ぬかもしれねえってほうが、人間ってのは気分良く走れるもんなんだぜっ!」




