【CHASE RESTART】
「カケル、そろそろ支度を。もうすぐ船体維持の限界です」
そうイェンが声をかけてきたのは、ジンのメッセージを見終えてしばらくのことだったよ。
もう少し余裕があるかと思ってたのに、こういう時の時間経過って怖いぐらい早いな。
ま、息を整えるのには十分な時間だったけどね。
ただ、筋肉疲労やらはそう簡単には抜けない。メッセージ見ながら自分でマッサージとかもしてたんだけどさ。
あ、言っとくけどダジャレじゃねえぞ?
いくら俺でも、この状況でギャグ言えるほど神経は図太くねえからな。
でも、
考え方によっちゃあ、そのほうが理想的なのかも。
変に緊張してしくじる場合ってのも多いわけだし、難しいもんだ。
「……どうかしましたか?」
「え? あ、悪い。ちょっとボーッとしてた。支度は特に無えからすぐ出られるよ」
「そうですか。では参りましょう」
納得すんの早いねー……イェン、普通はもう少しなんか聞いてきたりとかしない?
いや、聞かれても答えるような話も無いし、別にいいんだけどさ。
こう淡々とやられちゃうと正直、寂しいやね。
あれ?
俺、構われるの苦手なタイプだったのに、おかしいな。
ヤバイヤバイ……気持ちがブレると体の軸もブレちまう。
しっかりしろよ俺。まだ終わったわけじゃねえんだから気をつけねえと。
思ってる間に、重複していたエンジン音がひとつ減った。
気付かないうちにもう操舵室へ戻り、後始末をすべて済ませたイェンが戻ってくる。
「お待たせしました。本船は現在、自動操縦で推進エンジンのみ停止し、ゼロ速度飛行状態で維持。スカート部の汚損は激しく、地面効果の喪失まで推定であと5分ほどかと思います」
「……悪い、イェン。俺はそういう専門的なのはまるきりだからよく分からねえわ……」
「簡潔に言えば、残り約5分でこのホバーは海に沈むということです」
「また極端に縮まるね……」
じゃあ最初のは何のために細かいことを言ってきたのかと疑問に感じたけど、それより問題は時間だってのだけはさすがに理解出来たからそれ以上は聞かなかったよ。
諸々と事情があっての残り時間5分なんだろうが、とにかく短いってのははっきりしてる。
マジで余裕が無えから、まずは橋の上に戻るの優先で動かねえと怖えしさ。
で、どうやって登るのかってえと、
ここでも俺は出番無し。
イェンが船体の脇に添えつけられたゴツイ機械を使ってどうにかしてくれるのを見てるだけ。
こういう時の手持無沙汰ってのはほんとイヤだよな。
急いでるのに、自分が急げないってのは。
何やらカチャカチャやってんのを横で見てるしかないって、けっこうしんどいよ。
「……高速ウィンチの固定位置は上段、車道橋の約5700メートル地点、欄干の外側に仕掛けます。ここなら巻き上げの勢いで欄干に激突せず、そのまま車道橋の上に放物線を描いて着地できるでしょう。ただしクッション無しでは確実に人体の耐えられる負荷を超えますので、その辺りに転がっている防弾ベストを着ておいてください。慣性に任せれば計算上、背中から着地します。対ショック姿勢を取っていれば無傷で橋の上に復帰できるはずです」
「橋の真下から橋の上に戻るんだもんな……そりゃそういう逆バンジーみたいな戻り方になるんだろうけど、その高速ウィンチとかってのはどうやってこんな場所から橋の欄干に引っ掛けるんだ? 角度的に無理があるように見えるぜ?」
「すみませんが言っていることが理解出来ません」
「いや、だから角度的に無理があるって……」
人が言ってるそばからだ。
思いっきり無視してイェンは早々に高速ウィンチとやらを発射しちまった。
ワイヤーのついた筒みたいなのが、どう考えても橋の上を狙うには低すぎる角度で飛んでく。
「おい、それじゃ低すぎ……」
早口に言葉を継いだ途端さ。
撃ち出された筒が空中で火を噴いたかと思うと、急角度で方向転換して橋の上に消えてった。
ちょうど、くの字を書くみたいにしてね。
すると今度は橋の上からガンッて、金属音が響いてきたよ。
なるほど、
俺の時代にあった物と性能を比較してる時点で間違ってたんだな。
どうりで俺が飛び降りる時以外はずっと橋の真下を走ってたわけだ。
無駄な動きは最小限にってことかい。素晴らしいね科学の進歩って。
「発射角度に問題はありません。私のセンサーでもウィンチは予定位置に固定されたのが確認できました」
「……俺も確認できました。500年後には自分の常識が通用しないんだってことがさ」
「意味不明な話はそれぐらいにしてください。さ、早くこのワイヤーをベストのクリップに。巻き上げ開始はあと2分11秒後に自動でおこなわれます。対ショック姿勢を取って待機を」
はいはい、意味不明ですかそうですか。
こうも見事に会話が成立しないと、さすがに粗雑な俺でも傷つくぞ。
なんて、
ちょっとばかし勝手に胸を痛めてた時だった。
ふと気になってイェンの差し出してきたワイヤーを受け取りつつ、懲りずに質問してみたよ。
思えば、もっと早く気付くべきだったんだけどな。
そうすりゃ、少なくとも自分が如何に自分のことしか考えてなかったかを痛感しなくて済んだろうってね。
自己中心的なとこは未来に来ても変わらずか。
つくづく救い難いや。
「あれ? で、俺はそれでいいとして、イェンはどうやって上に……?」
聞いてみたら、イェンは少しだけ表情を曇らせたように見えた。
そして言ったよ。
「私は……ここに残ります」
「えっ?」
俺が疑問の声を上げるのは当然だよな。
今度は俺の番。
イェンが言ってることの意味が分からなかったんでね。
それでもまだ疑問に答えてくれただけマシっちゃあマシだったけどさ。
「この先、マスターたちの追撃がある可能性は極めて低く、しかもそれが成功する確率はさらに低いのは私にも分かります。が、それでも速度制限のある私が同行するのはその少ない危険性を高めることになるのは明らかです。ジンが己の使命に準じて去った今、私も自分の使命に準じるべきと考えるのは間違っていますか?」
これに対しての俺の回答だけど、
少し考えてみた。
元々そんなにフレンドリーってわけじゃなかったが、そこを差し引いても妙なほど俺への口のきき方が事務的になっていた理由。
簡単なことさ。ちゃんと考えれば。
イェンはジンが死んだことで自棄になってる。
有り得る話だよな。何たってイェンとジンとは付き合いが長いんだ。
しかも、仲間のHFたちから抜けた時点でイェンとジンはひどく孤独な気分だったろう。
助ける対象として人間を見ることは出来ても、正体を隠している以上、常に心は開けない。
ジレンマだね。
正体を明かせば敵。かといって正体を明かさなければ永遠に見えない壁が間にある。
そんな立場のやつが長年、一緒にやってきた片割れを失ったらどうなるか。
こうなるわな。
だが、こうなるわなじゃ済まない。
問題はどうやってイェンを思いとどまらせるかだ。
困ったことに、俺は自殺志願者が自殺しようとしてるのを止めた経験も無ければ、それが人間じゃないなんてバカみたいなレアケースに遭遇したのも始めてだからさ。
実際、どう止めたらいいのか分からなかった。
加えて問題がもうひとつ。
あんまりにも時間が無さすぎる。
体感的に、贔屓目でももう残り時間は1分前後。
ダラダラ話してる猶予は無い。
となると、
方法はひとつしかねえ。
思って、俺は覚悟を決めようと大きく深呼吸をし、
それから答えた。
「……忘れた」
「……は?」
そう、質問には答えない。
それが俺の答えだ。
「カケル……貴方、何を言って……いえ、そんなことより早くワイヤーを……」
「それの付け方も忘れた」
「はあ?」
「対ショック姿勢の取り方も忘れた」
「ちょっ、ちょっとカケル……こんな時に冗談なんて……分かってるんですか? もう時間がほとんど無……」
「残り時間も忘れた!」
言い放ち、俺はイェンの目を見据えた。
グダグダと話さなくても、イェンならもう分かるはずだ。
もし一緒に行かないなら、俺もこのまま海に沈む気だってな。
さあ、早くしろよイェン。
おんなじ言葉をお前に返すぜ。もう時間が無いだろ?
早く答えろよ。
陸上やってたから体内時計にはかなり自信があるけど、恐らく残り時間って2、30秒も有るか無いかだろ?
シャレにならねえから、頼むから早く決めろよ!
ほとんど悲鳴みたいに心ん中で叫んだ瞬間さ。
ゆっくり、
躊躇しながらも、ようやくイェンが口を開いてくれたのは。
「……分かりました。私も……一緒に行きます……」
知らないうちに息を止めてた俺は、それ聞いて咄嗟に息をした。
とはいえ、全然まだ安心できる状態じゃ無かったけどね。
時間が無いって事実は変わってねえんだから。
だってえのに、イェンときたらこの期に及んで、だ。
「ですが」
付け加えてきやがった。
お願いするから、時間かかる質問とかは止めてくれ。
軽い内容、出来れば即答できるようなのにしてくれ。
祈るように……じゃねえな。完璧に祈ってた。そこへ、
「もし、途中で私がカケルの足を引っ張る状況になったら、その時点で私を置いて搭に向かって下さい」
「……」
微妙な質問されちまったよ。
受け取り方によって、いくらでも解釈を変えられる内容。
俺とイェン。どっちがそれを判断するのかで意味がまるで変わる。
戸惑って、なんて答えたもんかと半ば絶句。
ところが、
「回答は?」
意外にもイェンがせっついてきたんで、俺も答えざるを得なかった。
だって予想できるからな。
イェンが急かすくらいだ。
もう本気で時間が無いんだってくらい、簡単に分かるさ。
でも、
俺は最高に日本人らしい答えを返してやったぜ。
「……考えときます……」
言ったのとほぼ同時だった。
イェンは乱暴に俺を右手で抱えると、残る左手へワイヤーを巻きつけたと見えた刹那、
ものすげえGがかかるのを感じた時には、
俺とイェンは凄まじい速さで巻き取らてゆくワイヤーに引かれ、一気に宙を舞ってたよ。




