【at the price of one】
悔しさを感じられるほど自我を形成することは、果たして幸福なことなのか否か。
そこはもう今となっては私には分からない。
すでに自我の芽生えてしまった自分に、自我の芽生えるより以前の感覚を思い出すことは不可能だからだ。
変わってしまったものは取り戻せない。
そう、
その点についてはこの状況もまた然りか。
考えは尽くした。
そして答えも出た。
私の負けだと。
少なくともどういう結果が待っているかまでは分からないが、あの人間は搭に辿り着く。
ジンの計画通りに。
相変わらずホバー・クラフトは橋の真下を航行中。
ルーク1とビショップ2に妨害のための攻撃をおこなわせたところで縮められる航行可能距離は良くて1キロ。
現時点で3キロ近くも距離を離されている事実を含めると、これから奴らを追ったとしても追いつけるわけは無し。
あとは残り5、6キロの地点で人間はホバーを捨て、また橋に戻り、搭へと走る。
それだけだ。それだけ。
人間が搭に入れなければ、まあ最低でもひとり人間を血祭りに上げることは出来るが、やはりそれだけ。
こちらが失った駒は帰ってこない。
ナイト2、ポーン3、ポーン6、ポーン7。
合計4体。
たかが人間ひとりにHF4体。
思えば潮時かもしれないな。
始めは16体いた私の駒が、今やルーク1とビショップ2の2体だけ。
持ち駒ふたつ。これはもうギリギリだ。
ジンは死んだ。人間は搭に辿り着いても何を得られるか分かりやしない。
当面、最大の敵を倒したことで一応の勝利と考えるのがこの場合、最良とも思う。
私たちはこれ以上、戦い続けるには疲弊し過ぎたよ。
仮にピース・ピラーの内部へ人間が入れたと仮定する。
さらにピース・ピラーの内部に何か重大なものがあったとも考える。
だが、そうしたところで人間にしか搭は扉を開かない以上、人間を生きたまま確保でもしない限り、確実にこちらは後手だ。
そうでなくても、こんな仮定や憶測の積み重ねでしかないもののために、さらなる危険を冒す価値は見いだせない。
やはり今回はこれにて作戦終了が妥当なんだろうな。
ああ……ふらふらと歩いていたら、ようやく橋の前か。
後は人間が搭から戻ってくるのを、じっくり待つとしようかね。
何、時間はたっぷりある。気長に待つさ。
いくつかのとてつもなく低い可能性を除けば、人間は搭に入れようと入れまいと、この橋を戻ってくる。
その時、奴らへの引導は私が与えよう。
というより、私が与えなければ気が済まない。
自分の無能を差し引いても、駒を一度に4体も破壊されたこの怒りは、とてもではないが私自身で決着をつけなければ収まらないよ。
いや、
そうしたところで収まりやしないか。
それでも、形だけでも、最後は自らの手で終わらせなければ、私は自分を無理にも納得させる方法が思いつかない。
悔しいな……こんな時、人間ならば涙でも流すのかな?
まあいい。もはやどんなことを考えても人間的な言い方をすれば後の祭りというやつだ。
のんびり待って、さっさと殺して、ルーク1とビショップ2に合流しよう。
おっと、
そういえば両方に連絡を入れておかないとな。
私が引導を渡すつもりの人間を、先に狙撃されては締まらないからね。
それと今後のことを話す必要もある。早めに連絡をしておくか。
と、
そんなことを考えていた時だ。
ふと気が付いた。
ルーク1の位置情報がおかしいことに。
センサー類に異常が無ければ、ルーク1は何故か私からの支持も無しに独断で持ち場を離れ、潜んでいたビルの上階から下に向かっている。
どういうことか。思った途端さ。
『……こちらルーク1。マスター、至急話したいことがある。直接だ』
そうルーク1のほうから通信をしてきたのは。
「直接って……お前、それより私の指示も無しに持ち場を勝手に離れ……」
『そのことについては詫びるさ。償いもする。行動でな』
「待てルーク1、お前さっきから一体、何を話して……」
言いかけたところだったよ。
私が指示して潜ませていたビルから、ルーク1が姿を出したのは。
それも唖然とする姿でね。
右肩には剛雨と爆龍。左手には爆龍用弾頭を収めた巨大なサブ・パックを持って。
そしてなお、ルーク1は私に近づきながら通信を切り、口頭で話を続けつつ歩み寄る。
「念のために多く持ち込んでいて良かったよ予備弾頭。とはいえあまり種類を選べる数でもなかったから、とりあえず非貫通型の弾頭だけに絞って持ってきた。種類はバラバラだが全部で31発ある。相当に不確定要素は多いが、大まかな計算ではこれで11.2キロを約10分、前後の誤差プラスマイナス68秒以内で移動できる」
「……!」
ここで唖然から愕然に切り替わり。
当然だろう?
容易に想像はついたが、ルーク1がやろうとしていることを察したなら。
「無論、着地点の細かな状態や使用するごとに減る弾頭重量によるさらなる加速がどれほどかによって誤差が想定を超える可能性も多分に……」
「ちょっと待てっ!」
ルーク1が言い終わらぬうち、さしもの私も怒鳴ったよ。
あまりにもリスクとメリットの間尺が合っていない話を淡々とされたんでね。
「お前は馬鹿か? ルーク1、もし仮にその方法で人間に追いつけたとしよう。それでどうなるんだ? もしかすれば人間が搭に入れるかもしれない可能性を潰せるだけのことだろうに。この場で人間が戻るのを待ち、安全に、確実に殺すのとどう結果が違う? わざわざそこまでの危険を冒す意味がどこにあるというんだ」
「今までのデータによるとあの人間が出せる最高速は時速34キロ。ホバーで残り5キロ地点まで辿り着けたと考えた場合、全速力で5キロを駆け抜けるには8分49秒。しかし実際には人間が全力で9分近くも走り続けられるとは考えにくい。そうなると上手く誤差が生じれば、あるいは……」
「私の話を聞いているのかルーク1!」
「俺はあいつを殺したいんだよっ!」
驚いたよ。
急にルーク1が叫んだからじゃない。
その理由が、簡潔過ぎるその理由が、私の思っていることとまったく同じだったせいだ。
奇妙な気分さ。何か自分自身の心の声を外側から聞かされたみたいなね。
だからこそ声を失ってしまった。
「……マスター、あんたこそ分かってるのか? 4体だぞ? たかが人間ひとりに……」
「……」
「俺だって自分のやろうとしてることの無意味さは分かってる……こんなもの、ただの勝手な自己満足を得ようとしてるだけの愚行だって……でもな、俺はあんたみたいに利口じゃないから、そんな簡単に自分を納得させられねえんだよっ!」
絶句するまでもなかったよ。
こうまで理屈無視の感情で語られたら、かける言葉なんてあるはずがない。
特に、不本意ながらそこへ共感している自分を自覚すればなおさらに。
思っている間に、ルーク1は橋の前へ立つと、得物を背負い直しつつ、言った。
「……命令無視ついでに頼まれてくれるかマスター……ビショップ2に人間が橋へよじ登ってきたところを威嚇射撃してくれるよう伝えてくれ。もし成功すればさらに時間が稼げる。その間に俺は出来るだけ先へと進む。まず、もう戻ってはこれないだろう。だから……あんたからビショップ2にも伝えておいて欲しい。『バカな手駒だったせいでずっと迷惑かけて、すまなかった』って……」
返事はしなかった。
できなかったというべきかな。
ただ、こいつを止めることも出来ない自分が情けなくて、とにかく目の前のことだけに集中しようとしたよ。
ビショップ2へ通信を繋ぎながらね。
けど、腹の中では思っていた。
声にこそ出せなかったが、腹の中で。
「この大馬鹿野郎」ってさ。
ルーク1のために泣くこともできない、涙ひとつ流せない自分を呪うように。




