【reach a deadlock】
やっと人間が橋の下から這い出してきた時、私は柄にも無く少しだけ喜んでしまった。
結果が出るまで勝敗は確定しない。
そこを思えば、私の感情はかなり先走りしたものなのは分かっている。
ホバー・クラフトの存在を知った時も同様に。
この時は抱いた感情が怒りだったという違いはあるがね。
マスターたるもの、軽々しく感情を乱すべきじゃない。
指揮、命令をするものは常にいなければならない。
これはその指揮、命令に従う駒たちへ払う最低限の敬意であり、気遣いだ。
自分たちを動かすものが何かにつけて一喜一憂していたら、使われる駒たちは気が気ではないはずだからな。
そういう意味だと、私はマスターとしてあまり相応しくないのかもしれない。
自覚はしているつもりだが、私はいかんせん自分の感情に振り回され過ぎるきらいがある。
何とも人間臭い。
だけに忌々しい。
自分自身が。
人間なぞと類似している自分自身が。
とはいえ、仕方がないのだとも理解している。
私は、HFは人間に造られた。
なら人間に似てしまうのも致し方ない。
何せ自分たちに似せて造ったんだからな。人間たちは私たちを。
だからだろう。
私たちは人間と同様か、またはそれ以上、残酷になれる。
そこに関しては感謝こそしないが、幸運だったと感じるよ。
そう、
自己保存のため、搭に向かう人間を排斥するため、わざと人間たちと同じくらい残酷な殺しをしたりもした。
生きたまま人間を捕らえ、手足をもぎ取ったりとかね。
だが、本物の人間には敵わなかったな。
前に人間たちを支配していたマーの処刑は、私ですら奴らの正気を疑ったものさ。
生きたまま体中の肉を切り落とし、そこを止血してまた切り落とす。
急所を外し、出血を抑え、少しずつ肉を切り落としていく。
すごいものだ。あそこまでの残酷さも、それを生み出した憎悪も。
結局、四日間もマーは生き続けたが、あれほど奇妙な刑は無い。
生き延びれば生き延びるほど、苦しみが増す。
生きたいと思うより、いっそひと思いに殺してくれと思うようになるだろう。
そんな人間たちに造られたんだ。私たちHFは。
なら私だって残酷にはなれる。
まあ、あそこまでは正直、無理かもしれないとは思うがね。
しかし必要とあらば話は違う。
私はどこまでだって残酷になる。
HFが、平穏に存在できる世界を作るためなら、どこまでだってなる。
たとえ、それが同じHF……駒を犠牲にする形の行為であったとしても。
「……ビショップ2。穴蔵から這い出てきた人間の現在位置と速度を教えてくれ」
『大したものだよ。もうすぐ2000メートル地点に到達する。速度は31キロ。通路を走っていた時よりは速度が落ちてるが、それでも平均的な人間の運動機能から考えたら確実にオーバーペースだ。じきに失速するのは目に見えてるな』
「で、ホバー・クラフトとの距離は?」
『あんたの狙い通りだと思うね。今言った通り、人間はホバーより若干だが上の速度で走り続けている。双方の距離間隔は現時点で1000メートル近い。合流はほぼ絶望的だな』
「ほぼ……では困るんだよビショップ2。作戦は確実に遂行する必要があるからね。仮に人間が失速した場合、どういったパターンならホバー・クラフトより先にナイト2とポーン6が人間に追いつけるかな?」
『かなり難しいな……人間の足が完全に止まってくれれば100%こちらが先に人間へ追いつけるが、もし時速10キロ程度でも歩みを止めずに動き続けられたらホバーに追いつかれる。この辺りは、あの人間の出方次第だろう……』
ふむ。始めから期待などしていなかったが、やはりそんなところかビショップ2。
相手の出方に頼るなんて、運任せよりひどいぞ。
といって、別に責めやしないよ。
お前は駒。それをどう動かすかを考えるのが私。
餅は餅屋さ。
お互いに自分の仕事を貫徹するとしよう。
思い、私はまた残る手駒すべてと通信を繋いだ。
「ルーク1、ビショップ2、ナイト2、ポーン6、一時威嚇射撃を中断。ナイト2とポーン6の装備と残弾を再確認する。報告」
『ナイト2、残弾が尽きたので火龍は先ほど破棄した。黒刀に装弾数43発。通常弾頭のマガジンが1つ。これだけだ』
『ポーン6、剛雨に装弾数26発。予備弾倉、弾薬は無し。黒刀は装弾数51発。通常弾頭のマガジン1つ。以上』
やはり4分間の集中砲火は弾薬の消耗が激しかったか。
ともあれ、そのおかげでこの状況が作れたのだから出費に見合う状況は確保できたわけだ。
もはや人間とホバー・クラフトが合流するには最低でも数分を要する。
待っていたんだよ。この状況を。
さあ、それではいよいよ直接の反撃を開始するとしようか。
「各自、これから伝える命令を正確に実行せよ。ルーク1、ビショップ2はホバー・クラフトの現在位置を正確に測定。その情報をナイト2とポーン6に渡しつつ、橋の下に隠れたホバー・クラフトを持てる全火力をもって攻撃しろ!」
『!』
驚き方が大袈裟だよ。お前たち。
呼吸もしていないのに息を呑む音を通信に乗せるHFなんてどういうことだい?
『まっ、待ってくれマスター! あんた気は確かか? さっきも言った通り、ホバーからはカウンター・ロックオンを喰らってて攻撃が……』
「その通り。この状態では攻撃を当てるどころか攻撃自体が不可能だ。そこで各自、手動でホバーに攻撃する」
『いや……だから、カウンター・ロックオンはアンサーティン・ジャマーと違ってセンサー類の測定数値はすべて無効化されるんだそ? 手動に切り替えても数値が測定できなければ攻撃なんて当たるはずがないだろうに……』
「構わんよ。当てる気など元から無い」
『……は?』
「言う通り、今はお前たちがどう攻撃しようとホバーには攻撃なぞ当たりはしない。が、必要なのは攻撃を当てることではなく、攻撃をホバーの近くに着弾させることだ。ビショップ2、お前ならこの意味が分かるな?」
『……あっ……!』
察しは遅いが、結果として分かってくれたから及第点としておこうか。
さすがにあまりにも自己判断力が無さすぎると、こちらの負担が大きすぎるからね。頼むよ。
「その声からして分かったらしいね。そうだ、別にホバーには直接攻撃を当てる必要は無い。近くの海面に何度も着弾を繰り返せば、ホバーが安定するための海面が揺らぐ。安定しない海面ではただでさえ地上より速度が出せないうえに不安定な波を海面に打たせればなおさらだ。速度は自然、さらに落とさなくてはならなくなるから、人間との合流はこれで完璧に防げる。狙いはそこさ」
『なるほど……さすがマスター。目的を直接的にも間接的にも達成するための手段をそこまで考えていたわけか……』
「褒めたって何も出やしないよ。さ、無駄話はここまでだ。ルーク1とビショップ2は榴弾を使用。少しでも高い波を立ててやれ。ナイト2とポーン6はあくまで人間の追跡を優先。残りの装備が貧弱だからな……無理せずに単発で狙え。残弾10発になったら攻撃中止。あとは追跡だけに専念しろ」
『了解!』
皆、返事は良いんだが、今のところ結果が伴っていないからなあ……いや、それは駒の動きに問題があったわけじゃない。
悔しいがジンの思考が私より上だっただけだ。
いかんな……自分の失策を駒に転嫁するなぞ、また嫌な人間らしさが顔を出してきた。
本当に気をつけないと……私の思考が人間のそれに近しくなれば早晩、HFの未来は潰える。
大袈裟かもしれないが、命令系統である自分には他のHFたちとは重みのまるで違う責任があることは確かだからな。
落ち着いたら一度、思考プログラムを整理するとしようか。
間違いは起きる前に対処するのが最善だからね。
と、
私が少しばかり自分の考えに浸っていた時だ。
時間的には命令をしてから2秒と経っていない。
そこへ、
『……マスター、こちらビショップ2。おかしいぞ……何故か急に人間が足を止めて……』
人間が足を止めた?
ついに肉体機能の限界が来たのか?
だとしたら好都合ではあるが……。
一瞬の皮算用が頭をよぎったその瞬間、
すぐさま次の通信が入ってきた。
『マスター! ホバーが突然、急加速し始めた! 現在……54ノット!』
「なっ!」
『嘘だろ……なおも加速中。55……56……57……くそっ! この速度じゃあ、着弾で起こした波の影響を受ける前にその場からいなくなっちまうっ!』
「違う……それ以前の問題だ……奴ら正気か? そんな速度で航行したら間違い無く……」
『あっ! お、おい、マスター!』
「今度は何だ!」
『さっき足を止めたはずの人間がまた走り出してる! 速度……34キロ!』
正直に言う。
私は頭が混乱した。
訳が分からないにもほどがある。
一体これに何の意味があるというんだ?
ホバーが異常加速したのは私たちの攻撃によってさらなる減速を余儀なくされるのを回避し、人間と合流する意図だとすれば分かる。
だが人間の加速はどういうことだ?
いや、走るのは分かるとしても、この速度は恐らく人間では最高速に近いはず。
そんな速度で走っては、合流が遅れるうえに無駄な体力を使うだけ……。
刹那、
私はとんでもない思い違いをしている危険性に気付き即座、ビショップ2を呼び出した。
「ビショップ2! まさかと思うが、人間は搭ではなく……」
『そうだ! 人間は逆走してる! 元来た道を戻って、ナイト2とポーン6に接近中!』
「……!」
『駄目だ……駄目だ駄目だっ! 目標の手動切り替えが間に合わない……人間が……橋から飛び降りるぞっ!』
「各自、目標の切り替えなぞどうでもいい! 狙いを付ける暇でとにかく撃ち……」
言い掛けた途端だ。
もっとも聞きたくない音が聞こえてきたのは。
ピース・ピラーの迎撃装置。
その起動音。
そしてすぐ、
さらなる不快な音が響き渡った。
信号途絶音。
この世で私が何より聞きたくないと願う音。
それがふたつ。
またしても……ふたつ。
『……マスター……ナイト2、ポーン6の識別信号が……途絶した。そちらは確認したか?』
「……確認した。恐らく……いや、確実に迎撃装置に破壊されたな……それで、人間は?」
『ナイト2とポーン6がホバー攻撃のため、橋の欄干に上ったと同時、同じく欄干に上って逆走を始め、5秒後には橋から飛び降りた。落下地点からして、ホバーの上に着地してる……』
「……そうか……」
『……マスター……』
「すまんなビショップ2。少し考えを整理しないといけない。具体案が出来次第、こちらから連絡する。それまではルーク1と待機だ」
『……了解……』
返事を聞き、通信を切る。
しばらく、
私は怒りと悔しさで混乱する自分の思考を断ち切ろうと苦心し、それがまず不可能であろうと分かると、やにわに腰の黒刀を抜き放ち、
足元の地面に目掛けて滅法、弾丸を乱射した。
土煙と硝煙をいたずらに舞い上げて。
それしか思い浮かばなかった。
それしか出来なかった。
今にも狂いそうな自分の思考を、どうにか止める術が。
そうして、
ひとしきり撃ち終えた時、私は近くの壁に頭と両の拳を打ちつけた。
自分でも何を言っているのか分からない、意味不明な呪詛の言葉が己の口の中から漏れ出すのを聞きながら。




