【next turn】
思うに、ジンは私が20キロ制限の抜け道を知っていて、かつ、それを何らかの手段でおこなうだろうことを予測しているだろう。
だが、世の中には予測していてもどうしようもない事柄もある。
橋への侵入を許してしまうことはほぼ無いと自負していたが、とはいえ侵入されてしまったからといって、どうということもない。
私はマスター。どんな状況に対しても最善の手を打つために造られた。
現状についても同じことさ。単に確率が高いと思っていた局面とは違う局面になっただけ。
この局面だって読んではいた。
ただし可能性は低いと踏んでいたが。
しかし読んでいたからには、別に慌てる理由も無い。
先ほどの人間が打ってきた手は、言わば奇手だ。そう何度も使える手じゃない。
そして私は奇手などという不確かな手段はまず使わないよ。
相手が私の打つ手を分かっていても、それでも回避不能な手。そういうものが私の一番、好む戦法だ。
知らずに回避できないのは当たり前。だが、
知っていて回避できないのはきついだろう?
特に感情で左右されやすい人間にとってはね。
さて、
そろそろ地上だが、その前にビショップ2と通信をしておこうか。
私の次の一手。どう転んだのか確認しておきたいからな。
「ビショップ2、私だ。もうすぐ地上に出るが、状況を報告してくれ」
『了解、マスター。今のところあんたの読み通りに進んでいる。ナイト2とポーン6は順調に人間を追っているよ』
「そうか……なら確認の必要も無いとは思うが、一応ナイト2とポーン6の作戦変更後の動きを大まかに知らせてくれるかい?」
『私もわざわざ説明の必要があるとは思えないが……しかし先手を人間に取られた経緯を考えればこうした油断も禁物だな。順を追って話そう。ナイト2とポーン6は予定通り、爆龍を使って一時、最大高度7メートルまで到達。以後は平均速度61キロで移動。おっと……話している間にナイト2、ポーン6ともに着地したぞ。ナイト2は橋の716メートル地点。ポーン6は738メートル地点』
「で、人間は?」
『惜しかったな……現在、780メートル地点を通過した。だが体温の上昇がかなり激しい。追い抜けなかったのは痛いが、相当な負担をかけたのは間違い無いだろう』
「抜けなかったか……確かに少しばかり残念だ。が、これでこの人間が継続して走り続けられる時間は大幅に削れたろう。追いつくのは時間の問題だね」
『ああ。それに土台、20キロ制限があっても私たちから11.2キロもの長距離を逃げ切れるはずはないだろうしな』
おや、久しぶりにビショップ2が機嫌の良い声で話した。これは珍しい。
とりあえず、私の作戦への賛辞として都合良く受け取っておくとしよう。
それにしても、
ジンのやつ、まさか私が爆龍を使って速度制限を破るとは思ってもいなかったろうな。
爆龍は単発式の対戦車ランチャーだ。
対戦車と銘打ってはあるが、取り付ける弾頭によって用途は多岐に渡る。
拡散榴弾頭を使えばHFや人間の歩兵が多数で密集しているところに大打撃を与えられるし、自壊貫徹式高圧焼夷弾頭を使えばどんな重装甲も貫通して内部を焼き尽くす。
どれほど優秀な兵器も、内部の精密機器は熱に弱いという点だけは今も昔も変わらない。
本当に頼もしくも使い勝手の良い武器だよ。
それだけに、その汎用性が爆龍を単なる武器としての用途以外での使い道を私に思いつかせてくれた。
通常弾頭に指向性爆薬を限界まで詰めた強装弾頭を使い、地面に向かってこれを発射すれば、爆発の反動で射手であるHFは高速で空を舞う。
この場合、どれだけの速度が出ていようとHFは不可抗力によって加速したことになるから、速度制限無視とは判断されない。よって安全上の問題で機能停止にされることもない。
完璧だね。我ながら惚れ惚れしてしまう。
ではあるが、
やはり追い抜けなかったのは勿体無かったな。
装備品をもっと減らしていれば、もしかしたら越えられたか?
計算上では十分に可能だったとは思うが……。
いや、未だにジンの目的が搭への侵入だと断定できない以上、ナイト2とポーン6に黒刀だけで向かわせるのは危険すぎだ。判断は間違っていない。
ナイト2には火龍……小型化して6連装の多目的弾頭を撃ち出せる爆龍の亜種。
ポーン6には剛雨……汎用重装機銃。秒間12発の速射と最大射程35キロの狙撃性能を併せ持つ。
何が不気味といって、あの人間の度を越した軽装がとにかく不気味だしな。
そこからしても、目先の利益に縛られて足元をすくわれるのが何より最悪。
ナイト2とポーン6はあの装備で問題無い。気にし過ぎるのはよそう。どちらにせよ早晩、人間には追いつける。焦ることは無い。
それでも、しつこいが確認だけはしておくとしようか。
「すまないビショップ2。すでに確認済みだが再度、人間の精密スキャンを頼む」
『了解した。気にするなマスター、注意してし過ぎるということは無いのは私にも分かる。今回も念入りにスキャンしよう』
「……悪いな」
そう、心配や注意は過剰ということは無い。
さりながら、
何事も例外があるのは私自身、よく知っている。
慎重さが過ぎて決断が遅れ、勝機を逸する場合もあると考えれば、時としてこうした慎重さが相手の術中にはまる危険性を高めることも有り得るだろう。
だからこそ、こうした警戒行為は時間のある時にだけ限定しておこなう。
考えずに敵の策にかかるのは愚。
考え過ぎて敵の策にかかるのも愚。
私はどちらの愚も犯さない。
人間などと同じような愚行を犯してたまるものか。人間などと……。
『……マスター、再スキャン完了だ。報告するぞ』
おっと、いかんな。
やはりどこかでジンに過剰な対抗意識を持ってしまっている感がある。
冷静に……私はHFなんだ。常に冷静さを忘れてはいけない。
「ご苦労。聞かせてくれ」
『当然だが、先ほどのスキャンとまったく同じ結果だ。有機質の総重量は58キロ。無機質も含めると60キロ。爆発物や妨害装置の反応も無い』
「そうか……やはり考え過ぎだったかな……」
『さっきのように妨害装置で爆発物の存在を隠しているとしたら?』
「そうだとしたら妨害装置の重量だけで総重量は軽く60キロを超える。それに加えて爆発物となったらさらにだ。想定はしておくが、可能性としては相当に低いだろう」
『確かに……』
「まあいい。とにかくお前とルーク1はセンサーの有効範囲内にいる間は人間を見張り続けていてくれ。といっても、そこまであの人間が動き続けられるとはとても思えないが……」
と、言った途端のことさ。
急に通信へポーン6が割り込んできた。
『マスター! 応答せよ!』
焦った声を出すんじゃないよポーン6。何事かと思って私まで焦ってしまうだろうに。
「ちゃんと聞こえてるよポーン6。もう少し静かに報告しろ。私の耳を壊すつもりか?」
『あ……悪い。いや、ちょっと予想外なことが起きたんで、少しばかり慌てちまって……』
少しばかりの慌てようでは無かったと思うがね。
いいよ。意地悪は言わずにおこう。さっさと話を聞かせておくれポーン6。
「で、予想外というと?」
『人間……今の今まで追ってた人間が、橋の上から……飛び降りやがって……』
「ん……? それはおかしいな。もし本当に人間が橋から飛び降りたのだとしたら、お前は私に通信など送ってこれるはずはないと思うが?」
『え、ああ、すまない……言い方が雑だった。正確に言うと、人間が上段の車道橋から下段の鉄道橋に飛び降りたんだ……』
「……?」
この報告には、さしもの私もかなり頭を捻ってしまったよ。
なるほど、ポーン6が動揺するのも分からなくはない。
橋の構造から考えて、車道橋と鉄道橋の間に通る狭い補修管理用通路へ向かったと考えるべきだろう。
あそこなら車道橋を追われながら走るストレスも無く、足場もそれなりに安定しているから、体にかかる負担も少しは軽減できるかもしれない。
とはいえ、何とも危険だな。
視界に入っていない間にナイト2とポーン6が自分より先に行ってしまったらという不安を、この人間は感じないのか?
もし先を越されていたら、上に戻った途端に蜂の巣だぞ。
またはもう追い抜かれないという自信でもあるのか?
それとも、その他の考えがあっての行動か?
いや……今はあまり考え過ぎないようにしよう。
少なくとも現時点では先を越される危険性は無いはずだ。
人間が姿だけ隠して橋の間を走ってる間はね。
「了解だ。ひとまずお前とナイト2は引き続き人間を追え。センサーで常に位置を確認しながらな。追い越せるタイミングがあったら確実に追い抜け」
簡単な指示を終え、私はすぐ通信を切った。少し考えを整理しようと。
どうもよく分からない。ここに至ってもまだ。
ジンは本当に何をしようとしているんだ?
搭に侵入しようとしているのは分かっている。それも可能性のひとつだからな。
そうなんだが……やはり私にはジンの目的がそうだとは……またはそれだけとは思えない。
何か裏があると感じる。
人間に喩えれば勘だとでもいうものかな。そうした何かが私にまとわりついて迷わせるんだ。
一体、あいつの真の目的は何なのかと。
しかし……まあそれももうあまり考える必要は無いかもしれないな。
橋の上の人間は事前に知らされたジンの計画に沿って動いているだけで、今後プラスしてジンの指令が届くことは無いだろうから関係は無いが、少なくともジンにはもう新たに作戦を立てることは不可能なのだから。
時間的にもうそろそろのはずだ。ジンの最期は。
そうなればジンが何を意図していたのだとしても、それを遂行することはできなくなる。
はてさて、
指図する者も無しに駒だけで、何をどこまで出来るものなのか。
ゆっくり見物でもするとしようかね。




