【BREAK A DEADLOCK】
言われていても怖いもんさ。どっかから確実に自分を狙ってるやつがいるのを知ったうえで、平気なツラして歩くってのはよ。
二時間ほど前のことだ。
ジンがふたつのカバンを持ってきたのはね。
この時、俺は詰襟を脱ぎ、Yシャツの袖をちぎり捨て、ズボンの裾を紐で結わえ終えるところだった。
上着と袖は単純に邪魔だし、ズボンの裾が走ってる最中にどこかへ引っ掛かったら面倒だなと思って施した急場しのぎのランナーウェアってとこだな。
そんで残るは靴の調整だと、靴紐を掛け直そうかって時にジンが声をかけてきたんだよ。
こんな状況でもやっぱり落ち着いたまんまでさ。
「お疲れ様、カケル。準備のほうはどうだい?」
「お疲れになるのはこの後だよジン。まだ気が早えや」
「その様子なら心配の必要は無いね。では予定通り、これを渡そう」
言って差し出してきたカバンは、どちらもA4サイズ程度の大きさをしたアルミケース。
いや、アルミケースかは分からないから名言しないでおこうか。実際にどんな素材で出来てるかは分からなかったしな。
ただ俺から見てアルミケースに見えた。それだけだ。
ジンの持ってきたカバンには、一方は小さな赤いシール。もう一方には青いシールが目立たないように貼られてた。
「繰り返しで悪いが、赤は危険、青は安全だ。絶対に間違えないようにしておくれ」
「分かってるよ。俺だってそんな間抜けなことで死にたかねぇからな」
「それならいい。では、君は君の用意を。私は私の用意を続けさせてもらおう」
そう言い残し、ジンはホールの隅へ行って、また何かガチャガチャとやり始める。
何をしてるのかは知ってるよ。けど、俺には関係の無いこと……いや、そう思いたいだけであって、ほんとは何か言いたいんだが、他にどうしようもないのが分かっているから黙ってるんだよな。
まあ、これは考えようによっては保険みたいなもんだから、(もしも)ってことが無ければ何事も無く済む。
だけど、困ったことにこの(もしも)が起きる確率がとんでもなく高え。
事情をよく知らない俺ですら、まず99%はそうなるだろうってぐらいの確率さ。
だからこそ、ジンは今になってのんびりと作業をしてる。
とっくの昔にこうなるかもってのを予測してたから、下準備は出来てるらしい。
おかげで本格的な用意をするのに時間も手間もかからずに済むときたもんだ。
まったく……頭の回るやつってのは尊敬するけど、回りすぎて浮世離れしちまってるのは見ていてやっぱり楽しくねえよ。
お、いけねえ。また話が逸れちまったな。
人間、大切なのは過去の話より今の話だ。中央通りを真っ直ぐに橋へと向かってる俺の話。
付き合いなんて言えるほど長く一緒にいたわけでもねえけど、それでも俺はジンを直感的に信頼してる。
俺に関する話がウソかホントかは別にして、襲われかけてた俺を助けてくれたのは少なくとも事実だしね。
それだけでも信用する要素としちゃあ十分だろ?
そのジンから渡された手紙に書かれていた内容のまた一部だが、俺の受け取った荷物の中身は簡単に言うと二種類。
赤いシールのカバンには、たっぷりと爆薬が入ってるらしい。
詳細までは書いてなかったからどれくらいの威力があるのかは分からねえけど、あんまり持ちたくないものなのは確かだな。
そして青いシールのカバン。これが俺の生命線らしい。
こいつがきちんと機能してくれれば、俺は最低でも途中までは悠々と橋に向かえるそうだ。
つっても、気持ちも悠々ってわけにはいかねえけど。
右手に爆薬ぎっしりのカバン。左手に保証書は付いてない命綱のカバン。
こんなんでリラックスできるほうがおかしいってもんだ。
でもジンの話によれば、俺がゆっくりと落ち着いて橋に向かえば向かうほど、HFどもは混乱するはずみたいなんで、言われた通り落ち着いた調子で歩きますとも。
橋まで残り50メートルを切るまではね。
それまでに加速する準備をしておきましょう。
気付かれないように、気づかれないように。
歩幅を少しずつ広く、でも速度はまだ落としたまま。
うーん……どうなんだろうな。
自分では上手くやってるつもりだけど、奴らにバレてんのかバレてないのか、分かんねえから余計に怖えよ。
とはいえ左手に持ったカバンの中身がちゃんと動いてくれてなきゃ、バレようがバレまいが、どっちにしたって殺されるみたいだけどさ。
何にせよ、この第一関門をクリアーしないとスタートラインにすら立てない。これもまた確かな事実だ。
あくまでもスタートラインは搭に向かう橋の入り口。そこに至らないことには、文字通り何も始まらない。
逆にそこまで行ければ、それこそもう無我夢中、死に物狂いで俺も暴れ回れるんだが、そこへ至るまでの道程が何とも遠く感じちまう。
けど、どんなに遅い歩みでも、歩み続けていれば確実に前進してるんだってことを、しばらくして俺は知ったね。
あんだけ長く、遠く思えてた橋のたもとがもう、くっきりと視界に入ってる。
目算であと橋まで40メートル。50メートルを軽く切っちまってんな。
やべえやべえ。ぼーっとしてる場合じゃねえ。
それじゃ、
待ちに待ったところで一丁、おっぱじめますか!
心ん中で自分の安全装置を外す。
セーブしていた心臓と肺の動きが活発になる。
もうブレーキは必要無い。止まる必要が無えんだから。
すべてが終わるまで、俺はブレーキの壊れた暴走車だ!
途端、前へ伸ばし右足で踏んだ地面を、
一気に後方へ蹴り飛ばす。
体が低空で宙を舞う。
体中を踊るみたいに血が跳ねる。
見ると、知らされていた橋のたもと近くのバスまで10メートルも無い。
躊躇いは無かった。
というより、もう何も考えちゃいなかった。
教えられたまま、俺は右手に持ったカバンを思い切りよくバスの背面に向けて投げつける。
自分で言うのも何だが、何とも綺麗な放物線を描いて、投げたカバンがバスの裏側に向かって落下していく。
カバンは視界からすぐ消えたが、それが地面に落ちる音は聞こえなかった。
その代わり、
瞬間、
まさに瞬間、
鼓膜が破れそうになる爆音とともに、バスから噴き出してくるみたいな感じで辺り一面、爆煙に包まれて何もみえなくなっちまったよ。
かなりでかい爆発だった気もしたが、想像していたより炎とかは上がらなかったな。
ただし、
10メートル先にあったはずのバスが、爆風で俺の横をかすめて吹っ飛ばされていったのにはさすがに肝を冷やしたけど。
視界はものすごい煙で、10センチ先も見えない有り様だったが、俺は足を止めなかった。
ひとたび走り始めたら、何があっても絶対に止まるなってジンに言われてたのもある。
だが、そんなことはもうどうだっていい。
俺は走るんだ。走れるんだ。他の理由なんぞ知ったことかよ。
思って、俺は前を遮る煙の壁を、斬り裂くように突っ切った。




