【STANDBY PERIOD】
イェンとカオがいなくなり、ジンとふたりきりの映画館。
まあ、ロマンティックでないのだけは確かだわな。そうでなくてもヤロウふたりじゃムードもクソもねえけど。
それでも、することは山ほどあるから退屈だけはしなかったよ。
渡された飲料水の瓶から上手くも不味くもない、ぬるい水を飲みつつ、俺は手紙に書いてあった通り、注意深く言葉を選んでジンにいろいろと質問をしまくった。
あ、手紙になんて書いてあったかって?
うーん……結構内容が長いからな……とりあえず俺が今、話をするのに関わってる部分だけ言っておこうかね。
(壁に耳あり、障子に目あり)だよ。
言っとくが、この通りに書いてあったんじゃねえぜ。端的に言えばこうゆう意味ってことさ。
内容通りに書くと、この映画館は全体がジャミングされてるんだと。
平たく言うと、映画館の中はどこもかしこも妨害電波だらけって感じかな。
これは別に軍事的にどうこうってんじゃなく、映画の盗撮やトイレの盗撮なんかを防止したりとか、携帯を強制的に圏外にしたりっていう目的で出されてるらしい。
映画を違法に録画したり、トイレを盗撮したり、映画を見に来てるのに携帯の電源を落とさなかったり。そういった不心得者への対策さね。
ほんと、常識の無えやつってのはこんな未来になっても減らねえんだから、神様だって見捨てたくもなるよな。
おっと、これは失言だったか。
真面目に生きてて死んじまった人たちだって大勢いたろうし、こういう言い方は良くないな。反省、反省。
さて、
そういった利点を最大限に活かし、ジンはここを根城にしたようだ。
それでも、人力で盗み見したり聞かれたりしてたらどうしようもないから、ジンは用心深くあんな手紙を芝居じみた方法で俺に渡したわけだけどな。
今だってそうさ。どこで誰が見たり聞いたりしてるか分からない。どこにも誰も隠れてないって保証は無いんだからよ。
でもまあ、少し話を聞いただけでも、相当に人から恨みを買ってる感じだったから当然の自衛策なんだろうとは思うぜ。
ただ、聞き進んでいったら、さすがに怖くなってきたけど。
「私が始めてブランクに顔を出した時ときたら、それはもう滅茶苦茶だったよ。飲用可能な浄水を出せる設備はコン・マーっていう男が独占しててね。恐らく古くからブランクで水の管理をしてたんだろう。その知識を利用してマーはちょっとした独裁者を気取ってた。老人には水を与えず、男たちは顎でこき使い、女子供は……聞かないほうがいいかな?」
「……好奇心が無いと言ったらウソだあな。出来れば匂わせる程度の感じで話してもらえると有り難いけど……」
「そうだね……間接的な説明をするなら、マーはブランクの女子供をひとり残らず自分の欲望を満たすために利用した。女は無論の事だが、子供は女でも男でもマーにとっては関係無かったらしい。で、いざ欲望を満たそうとなったところで問題があったのさ。このマーという男、行為の最中に相手の血を見ないと欲情できなかったんだよ。おかげでブランクからは水を断たれた老人と、貞操と命を奪われた女子供が姿を消した……と、ひどい顔色だね。やはり聞かなければ良かったかい?」
「……後悔、先に立たずだわ……でも、おかげで空腹を忘れられたよ……」
そう言い、俺はまだ半分ほど残った瓶の水を一気に飲み干した。
少しでも胸糞が悪くなったのを改善できればと思ったけど、やっぱ水を飲んだくらいでどうにかなんてなりゃしないな。
でも、空腹を忘れられたのはほんとだぜ。とても飯を食う気にゃなれねえよ。こんな話を聞かされた後じゃ。
「じゃあ気分の悪い話はここまで。話を先に進めてしまおう。この状況を見て私が取った行動は至極単純だった。マーが自分の権力を維持するために使っていた浄水設備のシステムをダウンさせた。ブランクのあらゆる構造を知っている私には造作も無かったよ。で、代わりに私が生き残った人々に水を供給したのさ。もちろん見返りは無しでね。強いて言うなら、この映画館を私物化することを要求したくらいかな?」
「そいつは太っ腹なこって……それで、そのマーっていうロクデナシはどうなったんだ?」
「……聞かないほうがいいと思うがね……」
「やっぱりかよ……」
「しかし分からない範囲でなら話しておこう。君は生粋の日本人だし、まだ学生となると凌遅刑なんて古い中国の刑罰は知らないだろう。マーはこの刑に処せられ、結果的には四日後に死んだ……や、殺されたというのが正確か。刑は人が執行している以上、それはどう取り繕っても殺人だからね」
「……」
「どうしたんだいカケル。もしかして君は死刑反対派かな? それともまさか凌遅刑を知っているなんてことは……」
「……俺は基本、死刑賛成派だよ……これだけ言えば分かるだろ……?」
くそっ……無駄な知識があると損する場合もあるんだな。思わず手で顔を覆っちまった。
だけどそのマーとかいうやつのやったことを考えれば当たり前か。
それどころか、四日で死ねたんだから運が良かったのかもしれねえ。
つっても、またぞろ気分が悪くなっちまったのも事実だけど。
「それは気の毒したね……では本当にこういった話は終わりにしよう。もう説明する必要も無いと思うが、私はマーに代わってブランクの飲用水をすべて管理することにした。別に無償ですべての水源を解放しても良かったんだが、人間というのは誰かが手綱を持っておかないとすぐ暴走する。ここの浄水装置も然りだ。きちんと自分たちで管理できると思えば、私もわざわざ独占なんてしなくて済んだんだが、予想通りというか……任せてすぐに彼らは水を無尽蔵にあるものだと勘違いして無駄に使い始めてね」
「え、水自体は濾過さえすれば無尽蔵なんじゃねえの?」
「そこがまさしく彼らが陥った思考の落とし穴さ。確かに水は手に入れようと思えばどうとでもなる。だが浄水機能は永遠じゃない。すでに濾過機能は目に見えて落ちてきている。果たしていつまで持たせられるやら……」
言いながら溜め息を漏らすジンの顔には、絵に描いたような苦笑いが浮かんでた。
なるほどね。どう足掻いても人を管理するには嫌われ役になるしかないってわけか。
上に立つのも楽じゃあねえな。
「そういうわけで、私は心ならずもブランクの飲用水をひとりで管理することになった。ボスなんて大層な呼び名を頂いてね。けど、この名が意味するのは少なくとも尊敬とかの類じゃない。畏怖であり、憎悪だよ。マーの受けていたそれに比べれば格段に程度は落ちるが、それでも私がブランクの人々に憎まれているのは肌で感じているし、事実そうなんだ。誰だって自分の思い通りにできないことがあれば、その原因となっている人間を恨む。筋が通っていようといまいと関係無しに……」
まあた寂しそうな顔になっちまったよジンときたら。
とはいえ気持ちは分かるけどさ。
俺だってジンと同じ立場だったら、暗い顔のひとつもしちまう。
誰だって好き好んで嫌われ役になんてなりたかねえもんな。
「ただ、そうは言っても損な役回りをする人間は必要だ。その点については、私はもう諦めているから構いやしないんだが……問題は搭に侵入できたと仮定した場合の人間とHFの扱いなんだよね。困ったことにこれについては今の時点で答えを出せないから余計に難しい……」
「人間だから、HFだからって一概に扱うのは疑問だって話だろ?」
「その通り。人間だって善人もいれば悪人もいる。HFだって話せば分かり合えるHFと、どうやっても分かり合えないHFがいる。十把一絡げにどちらかを滅ぼせば平和になるなんていうのは、短絡的思考を通り越して愚の骨頂さ」
「まあねえ……」
気の無い感じで返事をしたが、ジンの言ってる内容には俺も賛成だった。
同じ人間同士でさえ、人種が違うってだけで惨たらしい歴史を作っちまえるのが人間のおっかねえとこだからな。それがまったくの別物となっちゃあ余計悲惨な結末しか頭に浮かばねえ。
自分と違うものは徹底的に排除しようっていうのは、もしかすると人間のもっとも重たい業なのかもしれねえ。
だからって、どうすることもできねえんだけどさ。
「んじゃ、搭への侵入が成功した場合、その後の対応は俺に一任……てえことでもう確定なわけかい?」
「それが一番自然だろうね。何と言ってもこの世界には物事を理性的に考えられる人間が少なすぎる。その数少ない人間のひとりが君だよカケル。重たい判断をまだ歳若い君に任せるのは心苦しいが、願わくば君の考える最善の道を選んでほしい。何せ、すべてを判断して答えを出すにはまだ情報が圧倒的に足りない。そして……」
そこまで言い、ジンはひとつ大きく息を吸ったかと思うと、
「……私はすべての判断材料が揃うまで、生きていられるとはとても思えないからね……」
そう言葉を継ぎ、話を終えた。
俺はっていえば、
うなずくしかなかったよ。渡された手紙を読んでただけに。
ああ、この人は何から何まで全部自分ひとりで抱え込んで死んでくつもりだって。
そうだと分かっててそれ以上、俺に言えることが何かあるか?
何もありゃしねえよ。死ぬ覚悟を固めた人にかける言葉なんて。
下らないことに対して死ぬ覚悟を固めてるってんなら、陳腐な言葉のひとつもかけられるかもしれねえけど、ジンが命を賭けてるのはそんな安っぽいことじゃあない。
うなずくしかないんだ。そうとも、
その点じゃあ俺だってある意味、おんなじなんだからさ。




