【deabolical grin】
手持ちの駒すべてと、以前からこちらに情報を流しているカオという人間への手間の掛かる作戦説明も終え、ようやく下準備は出来たと安心していた時だったよ。
通常、命令も無しに私の部屋へ入ってくることは禁じているのに、明らかにそれを承知でルーク1が部屋のドアを開けて入ってきたのは。
しかもひどく怖い顔をしてね。
「ルーク1、お前をここに呼んだ覚えはないが?」
「ちょっと、話……いいか?」
「お前に話すべきことはすべて話した。これ以上お前に話すことは無いよ」
「あんたに無くても、俺にはあるんだよ!」
途端、荒げたルーク1の声が広い室内に反響する。
おいおい、それがマスターに許可を得ようっていう態度かい?
それじゃ完全に強制だろう。
といって、こう怖い顔をして言われたんじゃあ断るにも断れないか。
まあ仕方ないから付き合うとしようかね。
手駒の機嫌を損ねて作戦行動に支障が出たりしたらそれこそ笑えないからな。
「分かった。だが、あまり長話をするのは勘弁してくれ。私には考えなきゃならないことが多い。下らないことで考慮時間を潰されるのは痛いからな」
「……あんたの演算能力なら、それほど時間を気にする必要なんて無いように思うが……?」
「ルーク1、私が今回の作戦のために何手先までジンやその他の人間たちの動きを読まなきゃならないと思っている? いくら私の演算処理機能がマスター用HFのものでも、単にお前たちと比べて早いというだけだ。おだてられて処理能力が伸びるほどお手軽じゃないぞ」
「……」
「いいさ、ある程度なら付き合うよ。もう私も自分の不手際で手駒に裏切られるのは御免だからね。思えば、こうしたコミュニケートを軽視したのが原因でキングもクイーンも……」
「そいつらの話は止めろ!」
お前……急に驚かせるなよルーク1。私が話している途中へ声を被せるとはどういう了見だ?
それに話をしようと言ってきたのはお前だろうに。
情緒不安定なHFなんて冗談にもならないぞ。
しかし、
気持ちは分からなくはないか。
キングとクイーンのことは今でも皆、しこりが残っている。
そこに触れた私のほうが軽率だったかもしれない。
古傷は、やはりそっとしておくべきなんだろう。
「……すまない。少し言動が軽率だったようだ。もうこの話はしない。どうせもう終わったことだしな」
「……」
「で、お前の話というのは?」
「……」
今度は自分が話したいと言ってきておいて無言か?
頼むから私に変な負担をかけないでくれ。
お前たちと違って、私には全体を把握してお前たちを動かす責任と義務がある。
私たちHFは人間と違って疲労は感じないが、消耗すれば機能は低下するんだ。
そこをどうもこいつは分かってくれない。
まったく、上に立つのは楽じゃない。
なのに、何故あのカオとかいう人間は自分から苦しい立場に自分を置きたいと思うのだろう。
これも人間とHFが理解し合えない大きな要因だな。
などと考えていたら、ようやくルーク1が口を開いてくれたよ。
「……人間……」
「え?」
「……なんで……あんな人間なんかに、大事な作戦を任せたりした……?」
我ながら間の抜けた話だが、これを聞いて始めて気が付いた。
ルーク1は怖い顔をしていたのではなく、不満を顔に出していただけだったんだ。
これにはさすがに少しばかり苦笑してしまったよ。自分に対してね。
なるほど、その不満をぶつけたくてわざわざ私のところに来たわけか。
「何がおかしいんだよっ!」
おっと、いけない。
そりゃあこんな話をしている時に私が笑ったりしたら腹を立てるよな。
いかんいかん、顔を戻さないと。
「いや……悪かった。違うんだよ今の笑いは。お前に対してじゃあない。お前がそんな風に思うことまでは予想していたが、まさかそこまで不愉快な思いをさせるとは思っていなかった自分の粗忽に対するものだ。気分を害したのなら謝るよ」
「あ……や、俺のほうこそ悪かったよ……どうしても話に人間が絡むと冷静でいようとしても出来なくて……悪い、マスター……」
ふむ、誤解は解けたようで何よりだね。
それにしてもルーク1は単細胞だから扱い方さえ間違えなければ素直で良い駒だってことを忘れていたことのほうが私の失態は大きいな。
もっと手駒たちとの関わり方に気をつけないと、それこそまたキングとクイーンの二の舞だ。
今後のこともあるから、よくよく参考にしておこう。
さて、
それではルーク1を納得させる作業に移るとしようか。
「ルーク1、お前は『何で人間なんかに』と先ほど言ったが、それはどういう意味でだい?」
「そ、そりゃ……大事な作戦行動を俺たちでなく、人間なんかにって……思って……」
「だね。作戦行動は大切なことだ。けどルーク1、私は作戦行動よりも大切なものがあると考えている。それに比べたら作戦行動自体の価値なぞ大したものじゃないんだよ」
「……作戦行動より、大切な……もの?」
「お前たちだ」
「……!」
いいね。そう期待通りの反応をしてくれると歯が浮くようなことを言った甲斐がある。
なら、本題に入るとしよう。
「確かに今、始めは16体いた駒が6体まで激減した事情も大きい。でもそれとは関係無く、お前たちはすべて私にとって何よりも大切な駒だ。他の方法があるなら極力危険には晒したくない。だから今回はあの人間を利用することにした。お前たちを危険に晒すことなく作戦を進めるために。ルーク1、理想だけを言うならあらゆる作戦行動においてもっとも望ましい経過と結果とは、どういったものだと思う?」
「え……と、最小限の行動と最小限の被害……?」
「それを極端に言えば?」
「……?」
「最上なのは『一切こちらは動かず、相手が自滅する』だよ。が、これはさすがに欲張りすぎだ。現実にこれが可能になる場面はほぼ有り得ない。だがそれを目指すのがマスターの役割なのさ。理想形にどれだけ近づけるかが……ね」
「あ、それで……俺たち手駒のリスクを軽減するため、人間を……?」
「そう。仮にとはいえ気分は良くないと思うが、あの人間はお前たち本物の駒を温存するために使った仮の駒。捨て駒さ」
「そう……か。そういうこと……」
よし。穏やかな顔になったじゃないかルーク1。それでいい。
「さ、分かってくれたならお前も早く橋の周辺を偵察しに戻ってくれ。くれぐれも言っておくが偵察だけだ。威力偵察は無し。心配いらないよ。人間たちがどう動こうと、私はすぐ次の手を打てるように考えているからね」
「……ああ、分かった。けど……マスター、最後にひとつだけ」
「なんだい?」
「そうは言っても、あの人間に貴重な水源を提供したりしたら……単に人間たちの首が挿げ替わるだけで、大した被害も与えられないんじゃないかと……」
はあ。そんなことまで気になっていたのか。
何と言うかどうも……役割の違いとは大きいものだな。
私には普通に理解出来ることも、他のHFたちには分からない場合もある。
ほんとに、苦労ばかりで何も得が無いな。マスターなんてものは。
が、役割は役割だ。
いいかいルーク1、ちゃんと聞いてくれよ。
「……質問されておいてすまないが、ひとつ質問返しだルーク1。私は確かにあの人間へそう約束をした。そこがお前は気になっているわけだな?」
「ああ……」
「だが、だ。私があの人間とした約束を、何で私が守るとお前は思うんだ?」
「……は?」
まずいな。また笑ってしまう。
しかし今度は大丈夫だろう。
この笑いの対象が何であるか、さしものルーク1でももう分かるはずさ。
「私は水源をあの人間に提供すると約束した。が、その約束を守るとは一言も言っていない」
「……」
「ルーク1、約束をするのは簡単だ。しかし約束を守るかどうかはまた別問題。あの人間がどう思おうと、約束を守るか守らないかは私が決めることなんだよ」
そう言いながら、私は自分の顔が醜い笑みに歪むのを、はっきりと感じた。
私からすれば当然の事なのに、何故か驚きの表情を浮かべているルーク1を見ながらね。




