【fatal intrigue】
「……俺が……ボス……ブランクのボス……」
いいねえカオ。そうそう、そうやって欲望に身を任せろ。それこそ人間本来の姿さ。
といって、こうもうっとりとした顔で呆けていられたんでは色々と心配だな。
欲望は正気を失うほど激しくては逆に扱い難い。
じっくりと、冷静な中にふつふつと湧き立つ熱湯ぐらいの情念が最適。
こちらのコントロール下へ置くだけを考えると理性は邪魔になるが、思う通りに、高い精度で動かすには理性的でいてもらわないと困る。
矛盾するように見えて、実はここが人間を操るうえでもっとも重要。
冷静さを欠いた人間には単純な行動しか指示出来ない。それでは意味が無いんだ。何せ相手はあのボス……ジンなわけだからな。単純作業で葬れるような可愛げのある相手じゃあない。
さあ、そういうわけでカオ君。お前にもきちんとなってもらうよ。私の駒に。
人間にHFほどの働きを期待しやしないが、少なくとも私の駒としてそれなりの働きをしてもらえるよう、上手く操作しないとね。
「ただし……ほいほいと物事が進むなんてことは有り得ない。正直に言って楽な作業ではないよ。そこは隠さず言っておこう」
「……危険が……あると?」
ほお、たった一言リスクを匂わせることを言っただけで、一瞬前まで何やら夢見て空中を見ていた目がすぐさま現実へと舞い戻ってきて私を見つめてくるとはね。
本当に人間という生き物は、メリットにもデメリットにも非常に感度が良くてよろしい。
おかげでコントロールする側としては苦労が無くて助かる。
他の人間たちも、この人間と同じように簡単だと楽ができるんだが、現実にはメリットよりデメリットに対する反応が著しく強いものが多いからコントロールは難しいんだよな。
まあ、生物として見ればデメリット……不利益や危険に対して敏感なのは決して悪いことではないんだが、私の都合からすればカオのようなタイプは貴重だ。
リスクとリターンを秤にかけ、リターンが大きいと思えばリスクに目をつむる。
駒として扱うにはこういうのが一番、使いやすい。
その点で考えれば、とりあえず私は運が良いのかもしれないな。
駒にするには最適な人間を得たという部分では。
「それはね……何の危険も無く得られる利益などというものは、たかが知れているよ。当然、大きな利益を得ようと考えれば相応の危険は付きまとう。が、危険を恐れていては何も得られはしない。勇気を持って一歩を踏み出す者にしか勝利の女神は微笑まない。そうだろう?」
「……」
良い沈黙だ。理性を取り戻しつつ、欲望の炎は火勢を弱めていない。実に良い傾向だね。
にしても……我ながら歯の浮くような台詞だな。交渉術と割り切ってはいるが、ここまで思ってもいないことを臆面も無く言えるのは私がHF故なのか。
や、面の皮が厚い人間ならばこのくらいは平気で言えるだろう。
その辺りは人間もHFも大差はないのかもしれない。
やはり似通っているのは認めたくないが事実なんだろう。
人間とHFか。分かっていても不愉快な事実だよ。
さておき、
話を続けるとしようか、カオ。
「しかし、私が言うのも変な話だが、今回の提案はリスクとリターンを比べればはるかにリターンが大きい。細かな内容はこれから話すが、概要だけ先に言えば簡単なこと。ごくシンプルな首のすげ替えだ。ジンをボスの座から引き摺り下ろし、そこへ君を据えようという話。よほど馬鹿な失敗さえしなければ極端を言ってリスクは無い。私の指示した手順に従い、動いてくれればそれだけでいい。そこを間違えさえしなければ確実に君がジンの後釜に座れる。ひどく好条件だと思うんだが、どうだろう。ひとつチャレンジしてみる気はないかい?」
「……まず、細かい話を聞いてからでないと返事のしようが無いよ……」
おーお、やはり欲はあっても自己防衛本能はしっかり働くか。
構わないよ。その反応も当然、計算の内だ。よくよく私の話を聞いたうえで、私が思った通りの答えを出してくれればそれでいいさ。
「確かにそうだろう。いくらリターンがリスクより上だと言っても実際、天秤にかけるのは君自身だ。詳細を知らずに返事は出来ないのも無理は無い。分かった。では細かな説明をさせてもらうとしよう」
「……頼むよ」
「まずは極めて基本的なことの確認。ジンは何故に皆からボスと呼ばれ、畏怖されているか。理由は分かっているね」
「ああ……あいつをボスと呼ぶ理由はただひとつ……水だ」
「その通り」
我ながら芝居がかって声を返す。
やはり問題は無い。
カオは正確に認識している。ブランクのボスというものの立ち位置が何によって支えられているのかを。
なら誘導も容易だ。もう決まったな。
「君たち人間は現在、体内常在菌のおかげで食事の必要こそ無いものの、水分摂取だけは必要不可欠。何せ体組成成分の8割以上が水分だからね君たちは。しかし世界はこの有り様。とても飲用可能な浄水を安定して手に入れるには困難な状況だ。何せ、海があんなことになっている。浄水以前に水自体を手に入れるだけでもひと苦労。しかも雨水には今でも高濃度の炭化水素が含まれているから、煮沸によって水蒸気を回収する方法でも汚染した水しか得られない。まあ、さらに手間をかけて自然に水中の炭化水素が気化するのを待つ方法もあるが、これではあまりに効率が悪すぎる。それに生き残っている人間すべてに必要な分の水をこの方法で確保しようとすれば、相当に大規模な設備を必要とするのは明らかだろう。どちらにせよ現実的ではないと言わざるを得ないな」
「そんなことは百も承知さ。だから俺たちは……」
「ジンにすがるしかない。だね?」
「……」
「ブランクに存在する浄水設備はどれもジンにしかその操作方法が分からない。だからジンにすがる。当然だと思うよ。もしジンに逆らい、水を絶たれれば死ぬのは確実だ。間接的な殺人と言ってもいい。そういう意味で言うとジンは君たちを恐怖で支配している。これは由々しき問題だと私は思うね。実際、不満を抱いている人間は多いんじゃないかな?」
「良くは思われてない……のは確かだ……」
「だろうとも。それが自然さ。本来人間は自由意思で生きたいと思うのが普通だ。それを強制的に望んでもいない相手に従属するのは楽しいはずがない。特に……その相手が私たちHFの生みの親であるキヌミチ博士の息子だとしたら、なおさらだろうね」
「!」
ありがとうカオ。そう分かりやすく驚いてくれるとやはりうれしいよ。
その驚きは私に貴重なふたつの情報を与えてくれる。
私がジンの正体を知っていることを今まで知らなかったということ。
そして驚き方の質から、予想通り君だけは人間たちの中で唯一、その事実を以前から知っていただろうということ。
大変に貴重な情報だ。せいぜい有効に使わせてもらおう。
「私がジンの正体を知っているのは別に不思議なことじゃない。私たちHFはキヌミチ博士に造られた。創造主に関する知識をある程度は持っていても、さほど不思議なことではないと思うがね」
「だっ……で、でも……知ってるならなんで、お前ら俺たちにそのことをばらしてジンを失脚させようとしなかった……?」
ああ……予想していた愚問だね。
だが予想はしていても、この絶望的な思慮の浅さには呆れてしまうな。
さりとて話は続けないと。
それに馬鹿と鋏は使いよう。だからこそこんな人間でも生かしておいたんだ。
最後まで使い切らねば、これまでしてきた辛抱が無駄になる。
個としての感情に振り回されるんじゃない。
私はHFなんだから。
「見解の相違があるようだから補足しておくが、何も私たちHFは人間をひとり残らず抹殺しようだなんて思っていない。もし君の言う通り、私たちがジンの正体を君ら人間に知らせていたら、三通りの結果しか予測できない。そしてそのどれもが私たちの望むところではない」
「……三通り……?」
「ひとつ。私たちの言うことを信じて君らがジンを抹殺するという結果。一時の感情でこんなことをすれば君らは早晩、乾ききって全滅だ。いくら気に入らないからといって、ジンを殺せば君らは水の供給源を失う。自分たちで自分たちの命綱を切り落とすような行為さ。いくら敵対関係にあるとはいえ、そこまで虚しい人間の自滅は見ていて楽しくないだろうな」
「……」
「そしてあとふたつ。君らが理性的であるならこれらの結果が一番可能性が高いと思うが、たとえ私たちがジンの正体を知らせても、水を得る手段……生きる手段を優先してジンの出生については目をつむるか、もしくは始めから私たちHFの言うことなど信じず、今まで通りの生活を続ける。どちらにせよ我々には何の利益も無い。やるだけ無意味なことをするのはただの徒労だよ。何か私たちに有益な結果が予想できるなら試しもするが、少なくとも現時点でそんなことをする必要性を私は感じない。だからしなかったのさ」
「確かに……俺だってあんたらからその話を聞いてたら、腹ん中では疑ってかかったろうな。いや……正直ジン本人から直接このことを聞かされた時だって、まさかって気持ちのほうが強くてにわかには信じられなかった。そこを思えば、あんたらがそんなこと言ったところで信じるやつなんてそうはいないだろうな……」
ふむ。このくらいのことは理解してるか。
というか、理解してくれないと困るがね。
だが、ひとまずは安心して良いようだから幸運だと考えておこう。
「さて。ここまで話したことで、ジンをボスの座から引き摺り下ろすために必要な条件が出揃ったと思うが、分かるかな?」
「……俺の……口から他の連中にジンの正体をばらす。俺がそんな嘘をつく理由は無いから、皆はこの話が本当だと信じるだろ。それでジンは元からほとんど無かった人望を完全に失う。けど、それだけじゃあダメだ。もうひとつ、条件が揃わないと……」
「もうひとつ……とは?」
「俺たちが生きるのに必要な水を手に入れる手段をジンだけが握っている事実は変わらない。どんなに敵愾心を煽っても、この事実がある以上は誰もジンには手が出せない。どんなに腹が立とうと、相手に首根っこを掴まれてる以上は反乱なんて起こしたくても起こせない……」
「そうなるね。当たり前だが相手を殺したら自分も死ぬなんて関係じゃあ、とても反逆なんて出来ない。そういう意味でもジンの存在はまったくもって厄介だ。が、見方を変えればそれはジンにとっても同じことなんじゃないかな?」
「……え?」
「水の供給源を掌握していることはジンにとっても生命線だ。やつはそれがあるから今の地位にいるし、身の安全も保障されてる。なら、水の供給をジンに頼らずに済むようになったとしたら……君たちはどう動く?」
「……?」
苛立つね……まさかこんな簡単なことが察せないのか?
だとしたら思っていた以上にこいつの利用価値は低いな。本当に仕事をこなせるか疑わしい。
とはいえ、ここまで話して仕事をさせないわけにもいかないしね。
それにこの仕事は成功しようと失敗しようと大差は無い。
実行されること自体に意味があるわけだし、深く考える必要もないか。
加えて、捨て駒だとしても詳しい説明をするぐらいの手間は惜しむべきじゃない。今後は気を付けることにしよう。
さ、切り替えて早々に説明を済ませるか。
「知ってるとは思うが、私たちHFも君たちと同じく水は必要不可欠なものだ。私たちを動かしている水素エンジンは名の通り、水素で動く。それなりの量なら水素単体を集めるのは可能だが、とてもそんなものではまともに動けない。水を補給することで体内の水分解水素製造機に水素を取り出すやり方以上に効率的な方法は無い。言うなれば君たちと我々HFは水が常に必要という点においてはよく似た立場なんだよ」
「あ……そういえばジンがそんなようなことを話してたな。直接、そういう話をしたわけじゃないけど、言われれば確かに人間もHFも浄水が活動に不可欠ってのは共通してるのか……」
「そこまで考えが至っているならもう答えは目の前さ。つまり、私たちがこうして動いているということは私たちも独自に水の供給源を持っているということだよ。それを君らに開放すると言ったら、ジンの立場はどうなると思う?」
「!」
これだけ話してようやく目を見開いたか。感が鈍いにもほどがあるな。でも良しとしよう。
とにかく、これでお膳立ては整ったわけだからな。
「察してもらえたようでうれしいね。では、あとは君が何をすべきか。言わなくても分かるだろう。さあ、時代の動く時が来たのさ。君は君のやるべきことをやるといい。恐れることは無い。運はすでに味方しているんだから。君が流れを逸してチャンスを手放さぬよう、全力を尽くしてくれることを期待しているよカオ」
「……了解だ……任せておいてくれ。ああ、もうあのいけすかない男の言うことを聞かずに済むんだと思うと、やる気も出るってもんさ。待っててくれ。必ずあいつを引き摺り下ろしてやるよ。期待には応えてみせる……」
勇ましい顔をして勇ましいことを言うねカオ。
だけど私にはその顔がひどい間抜け面に見えて堪らないが。
せいぜい自分の欲望を達成するため頑張ってくれ捨て駒君。
自らを破滅へと導く行動だとも気付かずに、全力を賭して。
私は期待半分、君の仕事ぶりを高みの見物と洒落こませてもらうことにするよ。




