【QUADRILION SYSTEM】
「待った。とにかく待った。言ってることがおかし過ぎて訳が分からねえ」
思わずそう言って、俺はちょいと頭を抱えちまった。
無理も無いよな?
だって言ってることメチャクチャだぜ?
遠く黒い海の水平線におっ立った建物に、HFへの対抗策があるかもしれない。繰り返すぜ。(あるかもしれない)だ。普通ならまずこれだけでも色々と考えちまう。
まあそこはいいさ。百歩譲ってそこはいい。何せ人類の存亡がかかってるとなったら、危険な賭けでもしなけりゃってのは分かる。不治の病を患った時、黙って死ぬよりはあるかどうかも分からない万能薬を探しに行きたくなる心境だろうよ。そこは俺だって分かる。
だが問題はそこから先だ。
人間もHFも関係無しに近づけない。近づけるのは関係者だけ。そして関係者はとっくに全員HFが殺しちまってる。
この前提で、何で俺に行けって話になるんだ?
俺が頭抱えちまうのも無理ないよな?
とはいえ、考え無しでこんなこと提案してくるわけもないだろうってのも察しはつく。
少しだけ冷静になって俺なりに考えてみたよ。そして聞いてみた。
「えーと……それはアレか? あの橋についてるっていうセンサーを、どうにかする方法でもあるとか……?」
「それは無理だね。実際、HFたちもセンサーの無力化には何度か挑んでいる。しかしことごとく失敗した。理由は簡単さ。センサーに下手な手出しをすると、ピース・ピラーからの自動迎撃装置に攻撃されて木端微塵にされる。さすがのHFでも、あの塔の迎撃装置にだけは勝てないらしい。不幸中の幸いとも言えるが、同時にHFでも無理なものは人間なんかにはもっと無理だよ」
「……じゃあ、どのみち無理じゃねえかよ……」
「いや、ピース・ピラーの迎撃装置はHFに対してしか働かない。人間については攻撃される心配が無いから、橋を渡るのは不可能じゃない。だがその場合、人間に危害が及ぶのを防ぐために迎撃装置は完全停止するから、HFがそれを好機と見て追って来ることは十分に考えられるから安心は出来ないな。加えてもし橋を無事に渡りきれたとしても、辿り着いた搭の前で門前払いにされるのには違いない。渡り切れても搭の前で行くも退くもできなくなっているところを、追ってきたHFに殺されるだけのことさ。ピース・ピラーは関係者以外には決してその扉を開くことは無いからね」
うん、まさしく絶句だ。さらに続けて質問することも無くなっちまったし、あったとしても聞こうって気力も萎えて完全に沈黙。俺の頭ん中はハテナマークがグルグル。
ところがその時さ。
またもやカオのヤロウがしゃべり出しやがった。
何だか知らねえが、人を小バカにするみてえな笑い声あげながら。
「はははっ、ボス、あんたでも算段無しに何かをしようとすることがあるんだな。俺はてっきり、あんたは何事も計算ずくでしか動かない人間だと思ってたのによ」
言って、続けざまにカオは腹抱えて笑いやがった。どうでもいいが、自分のことでなくてもこうあからさまに嘲った笑いってのは聞いてて腹立つな……。
なんて思ってたら、しばらくしてカオの笑いが小さくなった頃を見計らったみたいに、またジンが話し始めたよ。カオのバカにした笑いなんて気にも留めてないって風で。
「そんなことはないよカオ。私は君の言う通り、何事でも計算で動く。無論、100%の確率を求めて動くなんて無茶はしないが、少なくとも8割以上の勝算が無い勝負はしない」
反論とか、そういう次元の低い応答じゃなかった。口調こそ柔らかいが、明らかに上からの物言い。つまり『そうじゃねえよマヌケ』みたいな感じさ。
すげえよな。言った言葉の中にはまったくそんな単語は含まれてねえのに、間違い無く人のことを見下してるのが分かるんだよ。こういうとこは、やっぱ年の功ってやつなのかね。
と、その辺りの俺の感想は置いといて、これに対するカオの反応は分かりやすくって楽しかったぜ。笑うほどじゃ無かったけどな。
一転してムカついたって顔してさ、カオのやつジンに食って掛かったよ。
「それじゃあ何か、ボス。これだけどうしようもない条件が揃ってるってのに、あんたはまだ手立てがあるとでも言いたいのか?」
困ったことに、この質問には俺も納得しちまった。だってそうだろ?
聞かされた話の内容からして、どこにも希望なんて見出せねえ。ま、超がつく楽天家が『なんとかなるだろ♪』とか無責任なこと言うのがせいぜいってくらいで、理屈の上では希望なんてこれっぱかりも浮かんじゃこない。
それがだ。ジンはまったく揺らぐことなく、はっきりこう断言しやがった。
「無ければ話さない。提案などしない。私は確信しているからこそ口にしているんだよ。カケルは間違い無くピース・ピラーに侵入できる。とね」
ここまで思い切りよく言い切られると、逆に聞き返すのに困ったりしたが、その役はまたしてもカオのヤロウが勝手にしてくれた。ありがたいとは絶対に思わねえけど。
「へえ……ならその根拠を聞かせてもらいたいもんだな。いくらボスの言うことでも、何でもかんでも諸手を挙げてってわけにはいかないぜ」
「当然だな。私も人の話をすべて鵜呑みにするような人間は信用できない。その点では意見が一致するなカオ」
「だったら、さっさとその根拠を教えろ! 俺にもあんたを信用させろ!」
気を持たせるジンの言動に誘われて、カオが怒鳴り声を上げてから数秒。や、数十秒ほどしてからかな……ジンは急に俺のほうへ視線を向けると、カオを無視して俺に話しかけてきた。しかも妙な質問の形で。
「……カケル。この世にはまったく同じ顔の人間が三人いるという話を知っているかい?」
「え? あ、ああ……何か聞いたことあんな……確かそんな話……」
「では、顔以外の部分が同じ人間というのも存在したとして、おかしいことはないな?」
「あー……まあ、理屈から言えばそうだろうなあ……」
そう俺が答えたのと、ほぼ同じくらいのタイミングかな。またカオが怒鳴り声を上げた。
いや、すぐに気付いたが怒鳴り声じゃあなかった。叫び声だ。
「おい……まさかボス、あんた(あれ)を……突破する気なのか!」
「突破は表現として適切でないな。通過だ。普通に、何の障害も無く通過。無理などせず自然と通過する。カケルがね」
「……あんた、ついに頭がどうかしちまったのか? そんなこと誰にも出来るわけがない……(あれ)を通過するなんて誰にも……」
「まともに考えれば絶対に不可能だろう。が、カケルなら可能なのさ。あの絶対的な個人識別認証システムである『Quadrilion System』を通過することが」
まただ……また意味の分かんねえ言葉が出てきやがった……。
ただ、ウンザリはしなくて済んだよ。俺が顔をしかめるよりも前に、ジンが続けざまで説明を始めてくれたんでね。
ただし、相変わらず喩えが多すぎるというか……回りくどい説明だったんで、その部分に関してはやっぱりウンザリさせられたけどさ。
「カケル、君のいた時代にはすでにDNAによる個人識別の技術は不完全ながらも存在していたはずだね」
「まあ……不完全かどうかは詳しく知らねえからアレだけど、存在するのは知ってるよ。で、それがどうかしたか?」
「実は君のいた時代、DNAによる個人識別には理論値で一千兆分の一という確率でまったくの赤の他人が一致してしまうという話があったんだ」
「はあ……?」
言われたケタがデカすぎて、いまいちピンとこなかったが、ジンは話を続けた。どうやらジンにとっちゃあ、こっちが話を理解してるかどうかはさほど問題じゃ無いらしい。
「普通に考えたら、この確率は無視しても差し支えが無いほどの数字に思えるかもしれない。だが君のいた時代の総人口が約七十億人だから、現実には一致する確率は約十万分の一。高い確率とは言えないが、かといって低いとも言えない。四葉のクローバーが発生する確率がやはり約十万分の一。こう喩えてみると危うく感じるだろう?」
「……うーん、クローバーと人間をおんなじように考えるのもどうかとは思うけど、十万分の一の確率で冤罪にされる危険性を考えたら、おっかねえわな……宝くじの一等を当てるよりも全然楽勝ってのは……」
「その通り。相当におっかない。こういうものは完全とはいかなくとも完全に近いものでなければ時として重大な問題が起こる危険性を孕んでいる。ゆえに科学者たちはより精度の高い、偶然の入り込む隙が極めて低い個人識別の手段を研究していった。結果、出来上がったのが先ほど口にしていたクアドリリオン・システムさ」
「つまりは、それがあの搭に入ろうとするやつを見定めるシステムの名前……ってか?」
「その通り。クアドリリオン(Quadrilion)は英語で一千兆という数字を意味している。これは完成度の低かったDNA鑑定法の確率を、あえて名にすることで今後の戒めとしようと考えた科学者たちの言うなれば反省を込めた名なんだよ。実際のクアドリリオン・システムの誤認確率は一千兆分の一なんてものじゃない。DNAに加えて、網膜パターンの照合を組み合わせることで飛躍的にその精度を高め、実に誤認率を一載分の一にまで下げた。単位が大きすぎて分かりづらいかもしれないが、十の四十四乗と言えば分かりやすいかな?」
「……」
こう話された俺としちゃあ、まあ無言だ。てか、当然の無言だ。
こっちのほうが分かりやすいか、じゃねえよ! どっちも分かんねえよっ!
けど……困ったもんさ。そうやって知恵熱なんて出してる暇もくれないんだよジンは。
これまで遠回りしてきたのがウソみたいに、いきなり本題を突きつけてきやがったんでな。
「さて、ここで問題になるのが関係者の不在だ。こればかりは常識で考えれば解決不可能だと思うだろう。特にクアドリリオン・システムの精度を思えば余計にね。DNA型に関してはクローンを造ることで無理やりクリアすることも可能だったんだが、網膜上血管の構成パターンはたとえ同一のDNAを持っていても同様の構成にはならない。だからこそ、クアドリリオン・システムは最高機密を守るべくピース・ピラーの個人認証システムとして取り入れられたんだが……しかし、もしも関係者の誰かとまったく同じDNA型と、それに加えてまったく同じ網膜パターンを持った人間がもし……この世界に存在するとしたら?」
「……待ってくれよボス。さっきからのあんたの言い方……まるで本当にこいつがそうだって言ってるみたいに聞こえるぜ……?」
「私はずっとそのつもりで話していたつもりなんだが……もしそう聞こえていないとしたら私の言い方が良くなかったんだろうな。口下手ですまない」
「や、そういうんじゃなく……というか、そんなことあり得るのかよ……あんた自分で言った確率を忘れてやしないか? そんなとんでもない偶然があるんだとしたら、もはやそんなもんは奇跡どころの騒ぎじゃあ……」
「奇跡じゃない。必然さ。とうの昔に知られていたことだよ。ただ知っていた人間は私を含めてもごく少数だったが……」
「は……?」
はい、ここでまた選手交代。カオに問いかけられて話してたジンが、まーた俺へ向かって話し始めやがった。
「カケル、さっきホールで話していた時、私は君にこう言ったね。君の時間移動は予測されていたと。そしてそれを予測していたのが、奇しくも私の父の友人グループだったんだ」
「……え?」
「私の父と、その友人たちは分野こそ違えど同じ科学者仲間でね。うちへ遊びに来た時、父に面白い予測結果が出たと、酒を飲みながら笑って話してた。その時は私も子供心に冗談だとばかり思っていたし、どこかで残酷な現実から逃げるために信じようとしていたところがあったのも確かさ。だが、君がここへ来たことで確信したよ。ああ、父の友人たちが話していたのはジョークなんかでなく、真実だったんだと……」
「そいつは……良かったな……何年来だかは知らねえけど、子供の頃に聞かされた話の真偽が今になって分かって……」
「そうだね。長年、胸の中に仕舞い込んでいたものが、まさかこんな重大なことに関係するとは思いもしていなかったから、期待こそしていたものの、心のどこかでは信じ切ってはいなかった。が、カケル、君はこの時代にやってきた。これでやっと私もあの日の話を信じられる。まずは半分……」
「……半分……?」
「聞かされた話の内容は要点を抜き出せばふたつ。ひとつは前後の誤差半年ほどで、共有歴217年……西暦変換すれば2526年に君がここにタイムスリップしてくるということ。この点に関してはすでに君がここにいる現実によって証明されている。だが、肝になるのはもうひとつのほうさ」
「……何だ?」
「少し考えれば察してもらえると思うがね……私の父やその友人たちが第一線で研究をしていた頃には、物質の時間移動現象は実行こそまだ不可能だったが、予測だけなら比較的簡単に出来るようになっていた。なら、わざわざ畑違いとはいえ同じ科学者である父に知らせるほどの時間移動とは何か。人間の時間移動が珍しい? 時間移動によるショックで死亡しないことが珍しい? 陸地よりも海のほうが面積が広いのに、しかも台湾のような島国へ移動してくるのが珍しい? どれも違う。彼らが父に伝えた理由はもっと大きな理由。さっきのカオの言葉を借りるならもはや奇跡さ。必然でありながら奇跡。それほどまでにとてつもない偶然……」
少し……怖くなったよ。明らかにジンの目が爛々と光り出したからさ。最初から薄気味悪いやつだとは思ってたけど、こういう反応されるとなおさら怖いわな。何をする気だか分かんねえ怖さって意味で。けどさ……、
何だろうな……俺も、なんだか興奮してきてたんだ。
そのせいかもしれねえ。ジンが継ごうとしている言葉に、ものすげえ不安と同時、『そうであってくれ!』って願いをかけてた。
そして、その答えは思った通り……というより信じられない、認めたくないっていう、どこか無駄に理性的でいようとしてた心のブレーキがかかってたせいで、とっくに気づいていたものを意固地に無視してた答えだったんだけどな。
そう、まったくもって思ってた通りの答えだったんだよ。ただ、いくつか予想外のことも混じってたけど。だから驚かなかったわけじゃない。想像はしてた答えでも。
「カケル、君のDNA型と網膜パターンは私の父と完全に一致している。ゆえに君は本来なら無関係の人間であるにもかかわらず、ピース・ピラーに入り込める。これこそ、君が単なるタイムトラベラーなどではない、そんなものとは比べ物にならないほど特別な存在である点だ。完全証明はあの橋を渡るまでは出来ない。が、私はすでにほぼ確信しているよ。君なら、父の残したHFに関する最重要機密とやらを手に入れられるだろうと」
この後半部分さ。予想外……まんま、予想もしてなかった事実を急に混ぜ込んできやがって、驚いたのは俺だけだったってのが、なおのことムカついたけど、頭を冷やして考えれば当たり前のことだったんだ。
「父……親って……あんたの……?」
「そうだ。私の父……キヌミチ博士の残したものを、今や君だけが手にする可能性を秘めているんだよ。そのため私はブランクに残った人間たち全員へ、タイムスリップしてくるはずの君を無事、私のところへ連れてくるよう伝えていた。私がホールで映画に見入っていたと思っていたかい? もしそう思っていたのなら、勘違いも甚だしいね。私は君が訪れたという現実に危うく気を失いかけていたのさ。夢現という言い方でも良いかもしれない。そうとも、有り得ないことが本当に起きたんだ。それくらいの醜態は晒したって構いやしないだろう?」
「い……いや、何だ? キヌミチ……博士って、だって……あんた、名前が……」
「ワンは母方の姓だよ。正式にはキヌミチ・ジン。HF研究の第一人者だった人物が父親だと知れれば、私は人間でありながら全人類から命を狙われるだろうからね。自衛の策さ。そしてブランクの秘密施設や諸々の構造を父から教えられていたのを利用し、名を偽ってブランクで生き続けてきた。HFとブランクに関する知識を利用することで、今ではボスとまで呼ばれているが、あくまでも私の目的は君だった。ピース・ピラーへ足を踏み入れられる君という存在を待ち、その助力をするためだけにこの日までHFから逃げ回り、素性を隠して生き延びてきたんだ。このことを知っているのはイェンとカオのふたりだけだったが、これでめでたく君も仲間入りだよカケル」
とてつもなく危ない告白をしながら、ジンはどんどんと気を昂らせていく。
聞いてる俺はといえば、これもやっぱり興奮してきてた。何故かなんて聞くなよ?
想像してみろよ。滅びかけた世界で唯一、ただひとり、俺が、俺だけが、そんな世界を救えるかもしれない存在だとしたらどんな気分になるかを。
分かってる。状況が状況だ。死ぬかもしれない。いや、かなりの高確率で死ぬだろうさ。
でも、世界を救えるやつが自分だけって事実の前じゃあ、そんなもんはどうだってよくなる。
だってそうだろ?
生まれてきた意味を考える苦労をするやつは多い。俺だってそうだった。
何のために生まれて、何のために死ぬのか。この答えを一生、分からないままで死んでくやつのほうが圧倒的に多い中で、俺はこれほどはっきりと自分の存在意義を見出せたんだぜ?
単なるヒーロー願望かもしれない。かっこつけてるだけかもしれない。自己満足なのかもしれない。
だとしても、俺ひとりに人類……世界の存亡がかかってる。これで興奮しなかったら何に興奮するってんだ?
「さあ、ようやく役者が揃った。舞台の幕が上がる。カケル、君が主役だ。私たちも出来るだけのことはする。貸せるだけの力を貸す。だから……この世界を、生き残った人類を、一緒に救ってみないかい……?」
もうとても正気の人間がする目じゃあなかった。ジンのやつ、完璧に酔った目で俺を見てた。世界を救うって大仕事に、酔いつぶれた目だ。
けどさ、俺も人のことは何も言えなかったろうな。
俺は何も答えなかった。というか、声も出なかったんだよ。出せなかった。
興奮しすぎて頭が混乱しちまって。だけと、
分かることもあったのさ。見つめてきてるジンに対して視線を逸らさず目を合わせ、俺は、
返事の代わり、火照って熱くなった自分の顔へ極上の笑顔を浮かべたっていうことだけはね。




