【PEACE PILLAR】
ビックリし過ぎると人間、記憶がところどころ飛んじまうもんなんだな。
さっきまで俺は大仰な仕掛けで開いた映画館のスクリーンと、その先を見てた。
それが今、そのスクリーンの先にあったものに乗ってる。
乗ってる?
そう、それは乗り物だ。厳密にはどうなのか知らないが、乗り物なのは間違い無い。
あー、めんどくせえ……分かりやすく言うよ。エレベーターだ。しかも映画館のスクリーンと同サイズのエレベーター。つまり、とびきりデカイってことさ。
そこに俺、イェン、ジン、そして……何故だかカオも乗ってやがる。ついてこなくたっていいってのによ……。
ま、そういう個人的な心情はこの際、置いといて話を続けますかね。
イェンがジンの座ってた席の下にあった何かを操作したのをきっかけに、いきなり映画が映しだされてたスクリーンが後ろの壁ごと上に上にと上がって消えてったとこまでは覚えてる。
んだが、そっから先が曖昧なんだよ。
確かポッカリ穴の空いたみたいになったスクリーンの跡へ、ジンが俺を招いたのはなんとなく覚えてるような、覚えてないような……。
そこの部分から一気に記憶が飛んで、今は超巨大なエレベーターに乗ってる。多分、夢遊病者みたいな感じで乗り込んだろうよ。
しっかし……ほんとにデケェんだこのエレベーター。何を運ぶためのものなんだかしらねえけど、下手しなくても平屋建ての一軒家くらいなら余裕で乗るぜこのサイズだと。
高さは目算で10メートル近く。広さは横が12、3メートル。奥行きに至っちゃ20メートル越えるかもって感じだ。
そいつが、ゆっくりと下に向かって下りてゆく。階数表示とかの類が存在しないとこを見ると恐らく上と下、2フロアだけの移動用なんだろう。
人間4人だけじゃあスペース余り放題なんで、広すぎて逆に変な圧迫感を感じたりすることもあるはずなんだが、不思議とそれが無え。
天井、床、左右と正面、スライド式のドアに閉鎖された背後も含め、もれなく淡いオリーブグリーン……日本語的な表現だと鶯色かな? で鮮やかに塗られているおかげも大きいかもな。色が与える心理的な安心感ってのはバカにできないもんがあるんだと再認識させられたよ。
なんて正直、相当に面喰っちまって本来しなきゃいけない考えを忘れ、どこかぼんやりとエレベーターの緩い振動と同じくらい緩い思考に身を任せてると、
「ボ、ボス……何なんだ……? この仕掛けは……」
俺がするべき質問を、先にカオがしちまった。
まあ答えさえ聞ければ結果は同じだから構いやしないっていえばそれまでなんだがな。
「ああ、このことはカオも知らなかったんだったね。だが意外だな。受けたショックの度合いと、それについて知りたいという欲求は大抵の場合比例するから、てっきりまずはカケルから問われるものだと思ってたんだが……」
一瞬ぎくりとしたけど、継がれた言葉を聞いてジンがどうやら俺のことを過大評価してるって気が付いたよ。
「さすがと言うべきかな。君にとって今の状況は見るもの聞くものすべてが容易にその心から理性を奪い、混乱せしめるほどのものであるはずなのに、かくも冷静でいられるとは。やはり選ばれた存在というのは一部に限らず、全般に特別なものなのだね」
何も言ってねえのに、勝手に褒められちまった。
いや、決して悪い気がするわけじゃねえが、単に呆けて何も口に出来なかっただけだったものを誤解して、まるで俺が悠然と構えているとでも勘違いされたってのが何やら気恥ずかしくってさ。かといって白状するのも労力がいる上に恥かくだけで何の得にもならねえから、下手を言わずにそのままその評価は受け入れることにしたよ。特に誰かが損することでもねえだろうからな。
悪く見られるよりは、誤解であっても良く見られるに越したことも無いってね。
で、さらに都合のいいことに、聞きたかった疑問へジンは自分から次々と答えてくれたよ。
「仕掛け自体はさほど特別なものじゃない。知っての通り、この町はその昔に日本国防軍が臨時の軍事拠点として基隆港へ建設した軍事閉鎖都市だ。海が黒く染まった時点でここには港として存在する価値が失われたからね。有効な廃物利用だったわけさ。で、そんな重要軍事施設なら当然、この程度の仕掛けはいくらもある。驚くほどのことでは決してないんだよ」
知っての通りじゃねえよ……これっぱかりも知らねえよ。
思った時さ。さすがにこういうのは顔に出るもんなんだろうかね。
何を言ってやがるのかと、ジンへ目を向けた時、偶然にジンと視線が合った。
そこで俺の表情から何か読み取ったのか、少しばかりはっとした様子を見せたと思うや、ジンは続けて話し始めてくれたさ。ま、俺がわざわざ質問しなくて済んだってえのは良いことだったのかな?
ただし、一言くらいは言わせてもらったけどさ。
「失礼……また君のことを失念していた。自分が知っているからといって他者もそれを知っていると思い込んでしまうのは自己中心的思考の表れだ。反省せねばいかんな……」
「失礼も反省も、そんなもん極端を言えばいくらされても構いやしねえよ。問題なのはその後にきちんと説明をしてくれるかどうかだ。俺にとっての重大事は必要な情報をもらうことであって、礼非礼なんざ、それに比べりゃ気に留める価値も無え。頼むから早々に説明してくれ。でないと俺の冷静さとやらだって、どこまで保てるか知れねえぞ?」
「……まさしく……そうだな」
どうなんだろうな。俺のちょいと厭味ったらしい言い方が響いてくれたのか、そっから先のジンの説明は今までより数段は分かりやすかった。
「先ほど説明した通り、始まりは地球上の海水がすべて原油に変わったことだ。が、見方を変えれば始まりはもうひとつある。中国による台湾本土への侵攻。これに対して日本国防軍が台湾の防衛に当たるため派遣され、作られたのがこの町なんだよ。HFは当時……いや、それ以降もだが……絶対的軍事機密として扱われていたから自然、ここも軍事閉鎖都市となったわけさ。そのため、この町には名すら無い。というより、それが名になっている。人はこの町をこう呼んだ。『Blank City(ブランク・シティ……情報の無い町)』とね……」
「……ブランク……」
「最初こそ急場しのぎで中国軍を撃退するための軍事拠点として建造されたんだが、中国軍の撃退後も台湾政府から正式に防衛目的での駐留を嘆願され、施設の増改築と、埋め立てによる基地面積の拡充を繰り返して現在に至っている。駐留する国防軍の生活を考え、都市内部には警察、消防、病院、学校、娯楽施設に至るまでが建設され、まさに独立した一個の都市となり得たわけだ」
「そりゃまた……壮大なこって……」
「そうでもないさ。他の駐留基地の規模を考えれば、ここもそう大して大きいわけじゃない。重要なのは扱っていたもののほうだよ。すなわちHF。中国軍との戦いの際にはまだ試作段階だったHF10系から始まり、一旦は中国軍を押し戻した後にも研究は続けられ、20系、30系と格段の進化を遂げていった。それもこれも、一度は日本で完成させたHFに関する技術が漏洩しないよう、HFの研究開発機関をここ台湾へ造ったからに他ならない。さらに正確な言い方をするなら、その施設はこの町に……」
「この町にある?」
「残念。わざわざ先回りしてくれたようだが、答えは少し違う。この町に極めて近いが、ある意味では離れた場所にある。だ」
これを言われた時の俺の表情、自分で見てみたかったね。さぞや苦い顔してたろうなって思うからさ。こっちの答えが違うと言っておいて、正解として言ってきた解答がナゾナゾじみてるとか、意味が分かんねえってな。
とはいえ、それほど眉間にしわを寄せていなくても済んだのは素直に喜ばしかったよ。
俺の顔見て察したのか、それとも始めからそこまで説明する気だったのかはジンにしか分からねえが、何にせよ分かりやすく、そしてきちんとした解答をジンは改めてしてくれた。
「HFの技術は最高機密。その漏洩を避けるためにブランクは十分な機能を果たすだろうとは思われたが、何事も万が一ということがあり得る。何と言っても地理上は台湾本土内であることに変わりは無いからね。予想外の大攻勢を受けてブランクが陥落しないとも限らない。だから国防軍は一計を案じ、少し工夫を凝らして施設を……」
そこまで言うと同時、エレベーターが停止した。ガクンッ、とわずかな振動を立てて。
瞬間、乗り込んだ時とは反対側の壁……まあそう思ってただけで、実際はこっちもスライド式のドアだったんだが……の開いてゆくのをジンは手で示しつつ、ニヤリと笑って一言。
「こんな具合に建てたのさ」
そう言ったジンの言葉が聞こえた途端さ。開いたドアの向こうに見えた景色に、まさしく俺は度肝を抜かれちまった。
見えたのは整備された海岸部。事前に説明されてた通りの真っ黒な海。そして、
バカみたいに長くてデカい橋と、その先にそそり立つ棒切れみたいな建物だった。
この見た目をどう言い表したもんかな?
真っ黒な海の真ん中に鉄骨が一本おっ立ってて、そこに向かうためらしき長くてゴツくてバカデカい橋が黒い海を突っ切ってるんだ。
あー、クソッ! いまいち上手く伝えられてる気がしねえ!
とにかく、どこまでも広がる真っ黒な海の真ん中に、ひょろ長いビルとそこへ繋がってるバカデカい橋がある。そういう感じだよ。
まあ細かい説明はジンがしてくれたから、そいつを聞いてくれ。
「自然の景観としては決して美しいとは言えないが、そこを差し引いてもなかなかに壮観だろう。漆黒の広大な海の彼方に突き刺さる一本の搭……あれが話していたHF研究開発施設。日米の共同資本で創設された世界で唯一のHF研究開発及び生産企業、ロンダート社の最重要機密施設、『Peace Pillar』(ピース・ピラー……平和の柱)』だ」
何だか知らねえが、どこか自慢げにジンは件の施設をそう説明してくれたよ。別に自分で建てたわけでもねえだろうにさ。
だがそんなことはどうでもいいか。
事実、本当に大事な話はこっから後の部分だったからな。
「最初期型の10系から始まり、最新型の70系まで、今や世界中に存在するHFのすべてがあそこで生産された。研究、開発、生産を一括してね。つまりあそこはすべてのHFにとっての故郷であり、母体であるんだ。そうだな……極端な表現をすれば聖地と言ってもいい。それほど特別で、大切な場所なのさ」
「はー……だとするとHFの連中、あの搭を根城にして人間を虐殺してるってわけか……で、本拠地を叩こうって、そういう算段なわけか?」
複雑そうな話だったように見えて、意外に単純な流れだなとこの時は思った。つーか、そのぐらいしか想像がつかなかった。つくわけがなかったんだよ。
まさか俺に課せられることになる事柄が、こうも込み入ってるとは思いもしなかったし、思いたくも無かったからかもしれねえ。
けど、事実は小説よりも奇なり。俺に降りかかってきた運命ってのは、まさにそういう類のもんだったのさ。
おかげで、ジンが続けた話を聞きつつ、俺は自分の頭がおかしくなったのか、それともジンの頭がおかしいのかが分からなくなったくらいだ。
「またしても残念だカケル。そう単純な話なら、とうに色々と決着はついてる。強硬手段を用い、奴らと最終決戦なんてシナリオもあったかもしれない。が、そうなっていたら間違い無く人間は絶滅していた。前にも言ったように、HFは自分たちから遠ざかってゆくものには威嚇射撃しかしないが、向かってくるものには容赦なく完璧かつ致命的な攻撃を仕掛けてくる。もし奴らに根城があったとしても、そこへ攻め込むなんていうのは人間にとって不利にしか働かない。HFの思う壺なんだよ」
「えっ……けど、それじゃあ……」
「勘違いしているようだから補足しよう。ピース・ピラーはHFにとって特別な場所ではあるが、その意味合いが少し違うんだ」
「……どういう風に……?」
「これももう話したが、ピース・ピラーは最重要軍事機密施設。人間でも関係者以外はおいそれとは近づけない。それがHFとなったらさらに厳しいのさ。地上からピース・ピラーに向かう唯一の手段であるあの橋……車両と専用鉄道が通行可能だが、そのどちらの手段を取っても搭には近づくことさえできない。橋の各所に設けられたセンサーによって、人間の関係者以外が橋を渡ろうとすると、自動ロックがかかってしまい、搭には侵入できなくなるんだよ」
「なんだよそりゃ……」
「それもこれも、塔の内部に保管された機密を秘匿するための安全対策さ。無論、HFに関する機密をね。まあ具体的にその機密というのがどういったものかは分からないが、人間にとってもHFにとっても重要であろうことは疑いない。可能性の話になってしまうが、もしかすればその機密を入手することで、人間はHFに対抗できるかもしれない。閉塞した今の状況で、見ることのできる唯一と言っていい希望なわけだよ」
「……なるほど……でももしその機密とやらがHFに対抗する手段とかでなかったらどうする気なんだ? というか人間もHFも入れないんじゃあ、博打を打つにも打ちようがないだろ。もしHFの目を盗んで橋を渡れたとしても、搭に入れるのは関係者だけなんだろ? あんたの口振りだとHFはその手の関係者は真っ先に皆殺ししてると踏むけど、どうなんだ?」
「……今度は真逆の意味で残念だカケル。君の予想はまったくの正解さ。すでにこの世界にはピース・ピラーに入る資格を持つ人間はひとりとして生存していない。だから今までは博打すら打つこともできなかった。歯痒いことといったら無かったね」
「だろうな。せめて運試しでもできるなら、まだ希望も持てようってもんだろうに……って、ちょっと待て。今……何かおかしな過去形の使い方しなかったか……?」
「どこについてだい?」
「その……今まではって……今まで博打は打てなかったって言い方、つまり今だったら博打が打てるっていうように聞こえるけど……」
「その通りだよ」
「……は?」
「今までは無理だった。関係者が全員、殺されていたからね。しかしカケル、君が現れた。現れるべくして。科学的証明による未来予測によって、君は現れたんだよ」
「な、なんだ……? 言ってる意味がどうもサッパリだぞ?」
「明白なことさ。君は予測されて未来に来た。成すべきことを成すために」
「成すべきために……来たって、何を……?」
「それはもちろん」
と、一拍。間を空けてジンはひと呼吸して、
「ピース・ピラーへ赴き、内部にある機密を手に入れるためだ」
なーんて、真顔で言いやがったよ。
え? こんなこと言われた直後の俺の心境?
さあて……それは俺にも分かんねえよ。というより覚えてねえ。なんたって俺はこの時、
あまりに矛盾だらけのジンの話に、まるで頭ん中がグチャグチャに掻き混ぜられたみたいになっちまってたからさ。




