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ナイトメアシティ

作者: Àzolt

 息苦しさを感じて目が覚めた。

 酸素が減り、朦朧とした心地が意識を過去へと跳躍させる。

 あの日。あの夜。ごみ溜めとされる《0番地区》の中でも、とりわけ下層にあるその通りで、私は人を殺した。

 相手は女。目的は金だったが、正直のところあまり覚えてはいない。あの夜の私はどうしようもなく破滅的で、缶コーヒーひとつ買えないような金で妙にニコニコした男から「サービスだから」と安っぽい袋をいくつかもらい受け、そのなかに入っていた錠剤を水もなしに飲みこんだ。体中の血液が煮え立つような興奮がたちまち脳を支配し、それに身を任せた私はたまたま目に入った親子へ感情をぶつけた。

 ふいに浮かんでは消える記憶の中で、あの親子の、特に母親の顔だけが、今でも強烈に頭に残っている。

 どのようにして殺したのかも覚えていない。あるのは命を奪ったという確かな感触だけ。ドラッグが切れ、虚脱感に支配された体を引きずってスラムを歩き回る間も、ずっと脳裏に焼き付いていた。あの、すさまじい表情。どれだけの理不尽に耐え忍べば、あのような表情へと変じるのか。その、彼女の忍耐というコップに最後の一滴を加えたのは、間違いなくこの私だ。

 ちょうどこのような。目の前にある、怒りとも哀しみともつかない表情。私の首を絞める、この女のような……

「……あ」

 意識とは関係なく目が見開いているのがわかる。眼球がこぼれ出てしまうのではというほどの拡張にこめかみがキリキリと悲鳴をあげた。が、それよりも確実に私の体は死に近づいている。肉のない、痩せ細った腕では絞めるというより抑えるだけで精一杯のようだが、向けられた視線は私から生を奪い、体内に死を充満させるのに十分な殺意をはらんでいた。色素を失い、ガラス玉のようになった眼球には、苦悶する私の顔が鮮明に写っている。これが、あの娘たちが言っていた……。

 ゆっくりと浮かびあがってくる記憶。

 消えそうになる意識を繋ぎ止め、力の入らない腕へ必死で命令を送った。悪夢のようなこの状況は、奇しくもあの夜、私が彼女を殺した時とまったくの逆の体勢だった。


 あの時私が殺した女が。今夜、怨みを晴らすため、私を殺しにやってきた。



 ★



「ねぇ、おじさん――最近、誰か殺しちゃったでしょ?」

 その少女たちはいつのまにか目の前にいた。

 サイズの合わない帽子。擦り切れた外套。歳の頃は十二、十三くらいか。ストリートチルドレン自体はこの《0番地区》では珍しくもなんともないが、口にした内容が問題だった。思わずまじまじと見つめ返してしまう。お世辞にも色気を感じるとは言い難いが、ふたりとも程良く整った顔立ちをしている。片方はまだまだガキっぽさが滲み出ているが、話しかけてきた方の少女は落ち着いていて、将来性を感じさせる美貌だった。これなら顧客には困るまい。

 だが、売春の文句にしてはタチが悪い。

「知ってる? ここでは人を殺すと、殺した相手が復讐しにくるんだ」

 そんな私の葛藤を知ってか知らずか、少女は言葉を続ける。その様子は、私が人を殺しているということを確信しているみたいだ。確かに事実はそうだが、この少女たちにそれを知るすべは――

「なんのこと――」

「とぼけたって無駄だぜー、おっさん。あたしらには、『それ』がわかるんだ。人を殺したのかそうでないのか……。おっさんだってまだ死にたくないだろ?」

 フードを被った、活発そうな方がにやりと口を歪めて言う。目が語っていた。かませではない。なんなんだこいつらは……。

「……仮に、そうだとして。君たちはおれになんの用だい? わざわざ殺されることを宣告しに来てくれたのかい?」

「そうなのです。実は、私たち死神……」

「ちげーだろ。獏だろ獏」

 バク……? 落ち着いてると思いきやいきなりふざけ出す少女はさておき、聞き慣れない単語に私は眉をひそめる。

「つまり、私たちはおじさんを殺そうとする亡霊ファントムを退治してあげるのです。そうすればおじさんは復讐されずに済むし、もう悪夢を見ることもなくなります。めでたしめでたし~」

「説明が軽すぎんだよ……まぁ、あってるけど」

 さっぱり理解できない。亡霊? 悪夢? こいつらはなにを言ってる……?

「……あー。ほら、おっさん困ってんじゃねーか、カナ。ちゃんとしろよ、大事な客なんだから」

「そうだよねー。労働は尊いよねー」

 あいかわらずの調子でそう答えると、ふっと最初の落ち着いた雰囲気を取り戻す。いや、そうじゃない。落ち着いてるというよりは、冷たい。それでいてなにかを誘うような甘さ。心の奥底に語りかけるような、契約を迫る悪魔のような……

 腰まである黒髪が、風をうけてゆらりと揺れた。

「私たちはばく。簡単に言うと退治屋。《0番地区》では、殺された人間は亡霊ファントムとなって自分を殺した人間に復讐しにくる。亡霊とその相手は『夢』を通じて繋がっているから、決して逃げることはできない。おじさんも見るでしょ? 悪夢。自分が殺した相手の夢」

 ぎり……と胃の奥が捻じれる感覚。喉がひりつき、急激に喉が渇いた。

 夢。

 私は夢を見ない。ここに来てからは、毎日泥のように眠っている。夢を見るゆとりはない。気づいたら、朝になっている。そして、泥沼のような一日が、また始まるのだ。

 だが、ふいに浮かんでくる記憶。

 あの日。あの夜。正式な名称はなく、ただ《0番地区》とだけ称される無法地帯で。私が殺した。私が殺した女が。ふいに、頭に浮かんでくる。バーで飲んでいる時も。犬のように媚びへつらう時も。そして今、この瞬間も。

 これが悪夢だというのか。私は後悔しているのか。妻に別れを切りだされた時も、娘に罵られた時も。私はなにひとつ言い返さなかった。元来、私はそういう人間なのだ。自分を潜め、誰かの顔色を窺いながら生きている。それがどうだ。たったあれっぽっちの薬ぐらいで。今までの自分をかなぐり捨て、あんな暴挙に走ったというのか。

「私たちが悪夢を取り除いてあげる。大丈夫だよ、おじさん。心を痛める必要なんかない。だって、その人は死んでるんだもの。死人に口なし。もともと《0番地区》に法律なんてないけれど、ここを出れた時、人を殺した事実に怯える必要はなくなるよ。あいにくここでは、死人は怨み晴らし放題なわけだけど、それも心配なし! なんてったって、私たちは百戦百勝。亡霊退治のプロだからね☆」

「おい、最後に☆つけるなよ。今までの雰囲気が台無しじゃん。てか、百戦もしてねぇ」

「いいじゃんいいじゃーん。それにこのキャラ疲れるんだもーん。そんなに言うなら今度からチコが『つかみ』やれば?」

「だから! あたしじゃこう……感じで出ねぇんだよ! カナの方が向いてんの! ったく生活かかってんだから真面目にやれよなー。そうやってカナはいつもいつも……」

「あーはいはいわかったわかった。――で、おじさん。肝心の料金のほうだけどー、……ってあれ?」

 まだなにか話していた少女を置いて、私はその場を離れていた。復讐したいならすればいい。いや、されるべきだ。なんの罪もない彼女を死に追いやった。私はその償いを――罰を、受けるべきだ。



 ★



 ――といった考えは悲鳴とともに吹き飛んでいた。

 ほの暗い月明かりに照らされた0番地区の街並みを、私は必死に走っていた。『彼女』の姿は見えない。追いつけないはずだが、それでもすぐ現れることはわかっていた。

『彼女』の動きは緩慢そのもので、まさにゾンビと形容するにふさわしい。だが逃げられない。少しでも足を止めて振り返れば、すぐそこに『彼女』の姿が現れるのだ。今にも折れそうな足で地を歩み、私の首を絞めようと骨張った手を伸ばしてくる。こちらから襲いかかればそれで済むようなものだが、おそらく無理だ。

 なぜなら私は彼女に触れられなかった。彼女は私に触れることができるが、その逆はできない。彼女に触れようとしても、私の手は彼女の体に沈みこんでしまう。底無しの沼に手を突っ込んだような感覚と、えも言えぬ冷たさ。幽霊のように実体がないわけではない。だからなのかはよくわからないが、私は彼女に抵抗することができる。首を絞められても、突き放す事ができるのだ。もがき、必死に抵抗することで逃げることはできる。が、それはひどく体力を消耗するだけで、彼女が諦めることは絶対にない。逃げられないというわけだ。0番地区を出るか、夜が明けるまで。

 0番地区は眠らない。常にそこかしこで、金と欲望がうねりをあげて渦巻いている。だが、今は人っ子ひとり見当たらない。それどころか、自分がどこを走っているのかもわからない。這いずり回り、通りのひとつひとつまで体が覚えてしまったはずの街並みが、今夜ばかりは初めてここに来たときのように、右も左もわからなかった。

 つまり、そういうことだ。私は決して彼女から逃れられな――

「よーう、おっさん。まだ生きてるー?」

 いきなりの声に、私は思わず叫びそうになる。慌てて振り返ると、そこには昼間の少女がいた。活発そうな方だ。

 フードの下に隠れていた栗色の髪を、頭の後ろでふたつに結んでいる。外套は羽織っておらず、動きやすそうなキャミソールにホットパンツ。この状況において、およそ相応しくないラフな格好だ。いや、そもそも、この少女はどうやってここに……

「よかったー間にあって。せっかくの金づるなのに、あっさり死なれたらどうしようかと思った」

  こちらも帽子とコートを脱ぎ、すらりとしたノースリーブの服で現れる。緊張感の欠片もない態度に思わず張り詰めた糸が緩みそうになるが、その背後に身を引きずるようにして近づいてくる彼女の姿が、この絶望に終わりがないことを告げていた。

「おーおー。こりゃいつにも増して怨みこもってんなー。いったいなにされたらあんなおっかねぇ顔して追いかけるようになるんだ?」

「それはもう、酷いことにきまってるよー。口には言えないあーんなことやこーんなことを……」

「待て。それなんか違くないか? ……いや、まぁ、絶対ないってことはないだろうけど」

 ちらりと私に目をやって意味ありげな笑みを浮かべる。

「で、どうすんだよおっさん。逃げ回ってるってことはやっぱ殺されるのはごめんなんだろ? けど無理だぜ。もう気づいてるだろうけど、あんたは死ぬまでこの追いかけっこを続けなきゃいけない。当然捕まるのが遅いか速いかの違いだけだ。亡霊はいつまでも追ってくる」

「そんな絶望的なあなたに救いの手が! 一度断られたからといって、そう簡単には見捨てたりしません! 凄腕美少女獏ふたり、今ならなんとこのお値段で、おじさんの悪夢を取り除いてさしあげます! さぁ早く決断を。こうしてる間にも、亡霊が近づいてきてるよー」

 少女の言う通り、彼女は新たな来訪者には目もくれず、ただ私だけを見て歩みを進めてくる。――伸ばされた手。いまだ首筋に残る手の感触が、かすかに残っていた罪悪感をうち消した。

「……わかった。頼む、あの亡霊を追い払ってくれ」

「契約成立ー。私たちに頼んだからにはもうだいじょーぶ。0番地区きっての武道派アイドルのチコちゃんが、たちどころに退治してくれまーす」

「あたしかよ! てかなんだよ武道派アイドルって! はじめて聞いたぞ!」

「はいはい細かい事は気にしなーい気にしなーい。それより早いとこやっちゃってよ。あんまり夜更かしするとお肌の調子が」

「いくつだよ! まだそんなこと気にする歳じゃねーだろ! ……はー、まぁいいけどさー」

 もはや恒例らしいやり取りを交わすと、チコと呼ばれた少女がおもむろに彼女の方へと歩きだした。

「なんだ? なにをするつもり……」

 さすがの彼女も近づいてくる異分子にガラスのような目を向ける。チコはそれを気にする風もなく、

「なにをするつもりかって?」

 ふいに左足に体重を乗せて、

「こうすんだよっ!」

 駒のように胴体を回転させ、白い肌を曝した右足が、弧を描いて振り抜かれる。沈み込むはずのつま先は本来の威力を失うことなく、彼女の顔面に突き刺さった。

 いや、違う。蹴られた顔面。その箇所が、文字通り吹き飛ばされていた。

 そう、吹き飛ばされたのだ。消えた、のではない。まるで大砲の弾を食らったように、彼女の肉体――肉体と呼べるのかは定かではないが――は強大な威力によってその存在を抹消されていた。

「わー。いつ見てもチコの回し蹴りはおっかないねー。その道で頂点狙えるんじゃないの?」

「アホ言ってんじゃねーよ! 人を暴力女みたいに……。とにかくこれで、終わりだ」

 ひゅ、と踵が振り下ろされる。真っ二つになった彼女の体は、その場で灰のように霧散していく。数秒後、そこに亡霊の姿はなかった。跡形もなく消えている。消えた。こんなあっさり。質の悪い夢から覚めたように。

「はい終了ー。よかったね、おじさん。これでおじさんは死なずに済んだよー。すぐに《夢》から出れるはずだから、そしたら早速お金の方を……」

 あいかわらずの調子で少女が喋りはじめる。その顔から、ふっと表情が消えた。

「――どうしたの? チコ」

 声をかけられた少女は、背中を向けたまま反応がない。気のせいだろうか。わずかにつま先立って、体が震えているような……


 ――コキッ、


 という音が、実際に鳴ったものなのか私の脳が錯覚したものなのかはわからなかった。

 少女の首が、あってはならない方向に曲がっている。小柄な体が、糸の切れた人形のように力を失って倒れた。死んでいる。脈絡もなくそう思った。あれは駄目だ。見たことがあるからこそわかる。あれはもう、命の抜けた抜け殻だ。

 手が。なにもない空間から手が突き出ている。さっきまでの骨張った手ではない。それどころか、人のカタチですらなかった。

「形態変化……。そう、なにがあったか知らないけど、あなたはそんなにも悪夢を溜めこんでいたんだね」

 険しいながらも、どこか憐れむような表情で少女が呟く。私はといえば理解できない状況に混乱していた。いや、理解できない状況はもうかなり続いているのだが、それにも増して意味不明だ。私は、助かったのか?

「ごめんね、おじさん。おじさんについた亡霊ファントムは想像以上に悪夢を溜めこんでたみたい。亡霊になって、怨みを晴らして。それだけじゃ足りないほどの悪夢を、この人は見てきたみたいだ。タマシイのカタチが、変わっちゃうほどに」

「どういうことだ? あの腕は、どうして彼女は……あんな、あんな……」

 言葉を続けられなかった。まるでそこから肥大していくように、腕から――『彼女』の体が生えてくる。

「人間はね、いろいろなものを溜めこみながら生きてるんだ。その人の願望、思い。そして絶望。でも溜めてばかりだといつかはパンクしちゃうから、どこか別の場所へやって忘れてしまうんだ。それが《ユメ》。時々、なにかの拍子で思いだしたり、寝ている間に夢に見ることがあるけど、たいていすぐにまた忘れてしまう。そうやってみんなバランスを取ってるんだ。けれど、《ユメ》だって無限じゃない、限りがある。とくに絶望はものがものだけに溢れだすと大変なことになる。だから溢れやすい場所ではそれなりの措置があるんだ。例えば――そこで殺されて死んだ人間は、殺した相手を自分の手で殺し返せる……とかね。でもまぁ彼女はそれだけじゃ採算取れないみたいだね、溢れた絶望が彼女のタマシイを変容させてる。なにをするつもりか知らないけど、すごくマズそうな雰囲気だね☆」

「わけわかんないこと言ってないでなんとかしろ! おまえたちなら退治できるんだろ?」

「はははー。あいにく、今は『たち』じゃないんだけどねー……」

 そうだ。もう片方は首を折られてあそこに転がってる。余裕そうな事を言っておいて。なんてことだ。どうしておれが、こんな……

「まぁそう心配しないでよ、おじさん。言ったでしょ? 百戦百勝だって」

 くるくるとなにか杖を回すような動作をする。なにも持っていないはずなのに、いつしか『それ』は少女の手に握られていた。

「じゃーん! カナちゃん専用武器アポカリップスー。スキル名はカタス・ト・ロフィ。苦労して強化した最終形態だぜー」

 鎌。

 自分の身の丈ほどもある鎌を軽々と振り回し、少女は高らかに宣言する。黒々としたオーラを纏ったような不気味な気配だ。彼女の手の冷たさの、何百倍、何千倍ものなにかをそういったカタチに押し固めている。そんな気がした。もし私が触れようものなら、たちまち発狂してしまうだろう。

「そういことなので、お代はまた今度おねがいしまーす。おじさんを巻きこまない自信ないんで。お帰りはあちらー」

 す、と鎌が空間に線を引く。べろりとはがれた先には、真っ暗な闇が広がっていた。

「はいそこ怖がったりしなーい。勇気を出して飛びこんでみようー。もといた家へ帰るために!」

 くそ。いちいち癇に障るガキだ。

 尻込みしていたことを見透かされ、私は勢いのまま足を踏み入れた。

 ――ずぶり。

 全身の毛が逆立つ。冷たい。体の芯にまで喪失感が伝わっていく。

 そうだ、これは絶望だ。会社に見放され、家族からも捨てられて0番地区の薄汚い路地裏で夜を越した。

 どこにいても変わらない。結局は誰かの走狗として使われる日々。私だけではない。ここでは誰もかれもがみな絶望を抱えている。人生のどん底に突き落とされて。それでも薄汚く生きていこうとする意志を、理不尽に踏み躙られたら。亡霊なんてものになるのも、当然なのかもしれない。

 そういえばあの子はどうしたのだろう。彼女が。あの母親が連れていた、あの少女は……



 ――ぶすり



 ★



「いやー散々だったねー。ちょっとした路銀稼ぎのつもりが、思わぬババ引いちゃったよー」

「だな。よほど幸薄かったんだろーなー、あの女」

「まぁ戦ったのは私で、チコは首折られて倒れてただけだけどね」

「うっせ。いつもあたしにばかりやらせやがって、それなら今度からもカナがやれよ」

「え~だって私こんなにか弱いのにー。戦いなんてできませーん」

「あんなでかい鎌振りまわしてるくせになに言ってんだ……」

「それにほら、チコは武道派アイドルだし」

「まだ言うかそれ!? てかまじで武道派アイドルってなんだよ!」

「そんなことよりさー。あのおじさんまだ見つからないねー」

「そんなことよりって……。そのうちばったり会うんじゃね? まぁ良いじゃん。今回はお手柄ってことでボーナスもらえたし」

「でもちゃんとお代もらわないと契約違反だよ?」

「いや、まぁそうだけどさ。見つからない以上どうしようもないっつーか、ここじゃ誰がいつ死んでもおかしくないっつーか」

「ああ確かに。なにかの拍子でざっくりやられそうだよね、あのおじさん」

「なんだよざっくりって。――ん? なんだ?」

「どしたの?」

「ほら、あれ。あいつら集まってなにしてんだろ」

 ストリートチルドレンたちが根城にしている廃墟群のひとつ。その一画で、十人ほどの子どもたちがなにかを囲むように固まっている。

「ほんとだ。まぁどーでもいいけど」

「おーい! おまえらなにしてんだよ。あたしも混ぜろよ」

「って聞いてないし……」

 顔なじみの少年がこちらに気づいてやってくる。

「――なんだおまえらか。なんか用か?」

「いや、集まってなにしてんのか気になってさ」

「ああ……別におもしろい話とかじゃないぜ。何日か前にいなくなった仲間が帰ってきたんだけど、様子がちょっとおかしいんだ」

「ふーん。どの子?」

「あいつだよあいつ。あのちっこい女の子。けっこう前に仲間に入ったんだけど、最初は全然口きかなくてさ。いつもなんか怖がってるみたいにびくびくしてるし。かと思えば夜中にいきなり叫び出すしで大変だったんだ。最近は話すようになったし、わりかし普通だったんだけど、突然いなくなって。帰ってきてからはあの調子さ。呼びかけたって応えやしねぇ」

 少年の指を辿った先には、十歳ぐらいの少女が膝を抱えて座り込んでいた。まわりの子どもたちが話しかけているが、頑なに顔を伏せている。

「――カナ。ひょっとして……」

「うん、ビンゴだね。やるなーあの子。私たちが見た中では最年少ね」

 顔を見合わせてそう呟く彼女たちの目は、少女に向けられているようでその実もっと奥にあるなにかを見つめていた。

 知らず口が三日月の形をかたどっている。それが少年には、――月並みな表現だが――絵本に出てくる悪魔みたいに見えた。

「おい、おまえらなに言って……」

「はーい! どいてどいてー。私たちは今からその子に大切なお話がありまーす」

「蹴られたくなかったら散っとけー? 怪我するぞー」

 子どもたちの輪をかきわけて現れたふたりにも女の子は微動だにしない。カナは薄く嗤って、

「おやおやー。ずいぶん手が荒れてるねー。いくらなんでも洗い過ぎなんじゃないの? そんなに取れない? ――血の匂い」

 びくりと肩を震わせる。ゆっくりと起き上がる幼い顔。見開かれた瞳には、驚愕と、恐怖が入り混じっている。

「どうして……なんで、知って……」

「私たちが助けてあげる。お代はそうね……出世払いでいいよ。特別に」

 漆黒の双眸が、少女の内側を見透かすようにゆっくりと覗きこんでくる。そして見た。その瞳に映る、自分ではない誰かの。忘れたくても忘れられない、その顔を。

 ……近づいてくる――

「だから、教えて? その真っ黒に染まった、あなたの『ユメ』を」

 にっこりと。おやつを目の前にした子どもの顔で、獏の少女はそう言った。


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