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第8話 血路

「し、司令殿! 歩廊に敵が取り付きました! ただいま応戦中ですが、次第に厳しい状況になりつつあります!」


 血と汗、そして焦げた脂の匂いが漂う司令室へ、一人の兵士が転がり込んできた。鎧の隙間から血が滲み、息は荒く、喉がひきつった音を立てている。

 砦の司令官――コンラート・カーミールは伝令への指示を止め、ゆっくりと視線を向けた。それを横目に副司令官が兵士へ詰め寄る。


「厳しいとはどういう状況だ!? 具体的に言え!」


「はっ! 歩廊への侵入を許した敵兵の中に只者ではない者がおりまして、その対応に手間取っております!」


「手間取るとは!?」


「恐ろしいほどの手練れで、奴一人に二十人以上の兵が斬られました! もはや手に負えません! このままでは歩廊を制圧されてしまいます!」


 報告する兵の声が裏返る。鼻腔にこびりついた血の臭いが言葉を濁らせた。


「なんだと!? 何者だそいつは!?」


「わかりません! 風体から戦奴隷のようですが、詳細は不明! わかっているのはその強さが化け物じみているということだけです!」


「化け物だと……? いや待て、そんなヤツがそうそういるはずもなかろう!」


「し、しかし副司令――」


「やめろ、時間の無駄だ。其奴(そやつ)が何処の誰かなどどうでもいい。邪魔者は排除する、それだけだ」


 副司令官を手で制しつつコンラートが立ち上がる。

 その顔に焦りはない。むしろ、わずかな愉悦が浮かんでいた。


「そうか、化け物か。ふふふ、いいだろう。久しぶりに楽しませてくれそうな相手だな。――おい、俺が出てやる。支度しろ」



 ◆◆◆◆



「や、やめろ! 助け――」


 ザシュッ。


 悲鳴が途切れ、血が噴き上がる。歩廊の石床を赤黒い液体が伝い、溝へと流れていく。足を踏み出すたびにぬるりと滑った。

 転がった首がまだ瞬きをしていた。

 砕けた肋骨の隙間から白いものが覗き、内臓が石にぶつかって湿った音を立てる。


 時間にして数分。だが歩廊には、すでに二十を超える死体が積み重なっていた。血の匂いが濃く、吐瀉物と焦げた脂の臭気が混じる。

 その中心に立つのは戦奴隷のエルネスト。足元は滑りやすいが、足取りは揺るがない。


「す、すげぇ! たった一人でこれだけの兵を……」


「何者だ、あいつは!?」


「確か新入りだったよな? あの、ひ弱そうな」


 後続の戦奴隷たちが息を呑む。そこへ野太い声が飛んだ。


「無駄口叩いてる暇があんなら働け! ここはあいつに任せて俺たちは門を開くぞ! 手柄を上げてぇ奴はついてこい!」


 バートだ。

 言いながら階下へ向かって駆けだそうとする。しかし直後に足を止めた。


 階下へ向かう石造りの階段。その角から現れた一人の男。

 豪奢な鎧。磨かれた刃。

 血の臭いの中でも、彼だけは戦場の泥を拒絶するかのように立っていた。


 恐らくは隊長級――いや、それ以上に違いない。一目で高級士官とわかる騎士が足を踏み出しつつ言った。


「面白そうな奴がいると聞いて来てみたが……お前がそうか?」


 口元を微笑が彩り、あくまで口調は柔らかい。言葉には隠し切れない気品が滲む。けれど瞳だけは冷たく暗い。

 面白がっている。殺すか殺されるか。命を賭した刹那であるのに、間違いなくその男は目の前の状況を楽しんでいた。


 エルネストが振り返る。しかし問いには答えず、無防備にもつかつかと騎士の方へと歩み出し、バートの横を通りすがりに小さく口を開いた。


「……あいつは俺が始末する。お前たちは門を開きに行け」


「お、おいエルネスト! まさか一人で殺るつもりか!? 見てわかる。あいつはやばい、マジでやばい。俺も一緒に――」


「邪魔だ。それとも、死にたいのか?」


 いつもと変わらぬ平坦な声。


「お前でなければ門は開けられない。俺にかまう暇があるなら、あいつらを連れて早くいけ」


 平坦ではあるが、その声には有無を言わさぬ意思が込められていた。

 いつもは無言の男が、ここでだけ言葉を発した。門が開かねば、この殺戮も無意味だとでも言うように。

 尋常ならざるものを感じたバートが、歯を食いしばり、階下へ走る。


 エルネストは足元に転がる死体から剣を拾い上げた。刃は欠け、血で滑るが、気にする様子もない。


 間合いは二メートル。一息で交わる距離。

 コンラートが笑った。


「まずは名乗ろう。俺はこの砦の司令を務めるコンラート・カーミールだ。部下の言う『化け物』とやらを見に来たのだが、どうやらお前がそうらしいな。なかなかどうして、派手にやってくれたものだ」


「……」


 周囲に散らばる兵士たちの肉塊。それへ一切の感情を見せずにコンラートが言う。対してエルネストも無表情という名の表情を返した。

 敵の前へ単騎で現れながら、己の身分を平気で(うそぶ)く。普通であれば正気の沙汰とも思えぬものだが、不思議とコンラートには似合っていた。


 それは絶対的強者のみが持ちうる、余裕に裏打ちされた自信に他ならない。己が負ける、ましてや死ぬなどとは微塵も考えたことがなかったのだろう。

 事実、彼は強かった。騎士爵家に生まれながら、次男であるがゆえに家督の継げないコンラートは幼少期より徹底的に鍛え上げられた。

 それは、騎士の世界で生き残らせるための鍛錬だった。コンラートはそれを疑いもせず吸収し、ただ強くなった。

 

 もとより才能に恵まれていたのだろう。本人の努力もあったのかもしれない。結果、紛争地帯にある砦の司令を若くして任されるほどその実力は突出していた。

 そのコンラートが問う。


「貴様……戦奴隷か? 名はなんという?」


「……」


「なぜ奴隷落ちした?」


「……」


「なぜその身分に甘んじている? 貴様ほどの腕であれば逃げ出すのも容易かろうに」


「……」


 無言を貫くエルネストの目に感情はない。


「ふん、まぁいい。ここで会ったのもなにかの縁だ。俺が引導を渡してやる。精々楽しませろ」


 言葉が終わるか終わらぬかのうちに、コンラートの身体が前へ滑った。

 踏み込みは鋭く、無駄がない。予備動作らしい動きもなく、すでに刃は振り抜かれている。空気を裂く音すら遅れて届くほどの速さだった。


 常人であれば、見たときにはすでに斬られている。

 だが。

 甲高い金属音が、血臭の満ちた歩廊に弾けた。


 エルネストの剣が、横から叩きつけるように振るわれていた。刃で受けたのではない。鈍い鉄塊を、ただ力任せにぶつけたに過ぎない一撃。


 その衝撃が、コンラートの左腕を内側から砕いた。骨が軋み、鎧の内側で肉が潰れる鈍い感触が握った柄越しに伝わる。

 剣の形をしているが、(なまくら)であるがゆえに切断には至らない。だが関節は逆方向へ折れ曲がり、剣を支える力を失わせるには十分だった。


「うぐっ!」


 短い呻き。

 驚愕が、ようやくその顔に浮かぶ。


 返す刃。

 エルネストは一歩も引かず、踏み込みながら今度は右手を狙う。鋭さではなく重さで叩き潰す。鈍剣は肉を裂く代わりに、骨を打ち砕いた。


 手首が潰れ、指が開く。

 磨き上げられた名剣が、血と脂で滑る石床へ転がった。


「うがぁ! ま、待て! 話を――」


 さきほどまで余裕を滲ませていた声が、喉の奥で引き攣る。

 誇りも自信も、その瞬間には意味を持たない。ただ生き延びたいという本能だけが、情けなく口を動かしていた。


 だが、エルネストの動きにためらいはない。

 振り上げた剣が、わずかに陽光を反射する。その刃こぼれだらけの鉄塊は、本来なら騎士の剣と呼ぶにはあまりに粗末だった。


 それでも十分だった。

 叩き落とされた第三撃が、コンラートの頭部にめり込む。

 肉を打つ湿った音。

 続いて、殻を割るような軽い破裂音が響いた。


 兜の下で頭蓋が潰れ、灰色のものが飛び散る。視線から光が抜け落ち、膝が崩れた。


 コンラート・カーミールは、そのまま力を失った。若くして砦を任された気鋭の騎士は、名乗りを上げたその場で血と脳漿にまみれて歩廊へ沈んだ。

 流れ出た血が、すでに広がっていた血溜まりと混ざり合い、靴底をぬるりと包む。


 エルネストは剣を引き抜いた。

 砕けた骨片が石床に落ち、乾いた音を立てる。

 周囲に残っていたジルニッツ兵たちは、声も出せずに後ずさった。

 目の前で起きたのは決闘ではない。力比べでもない。


 一方的な処理(・・)だった。


 エルネストは倒れ伏した騎士に一瞥もくれずに、ゆっくりと視線を巡らせる。

 次に斬るべき敵を探すその目に、勝利の高揚も殺意の熱もない。


 ただ、排除すべき障害を確認するだけの、冷え切った光があるだけだった。

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