第38話 喉の奥の刺
魔法騎士隊には予備兵がいなかった。
歩兵ならば、欠員が出てもどこかから埋められる。騎兵も、質を問わなければ数だけは揃えられる。
しかし、魔法騎士隊は違う。
魔力持ちそのものが少ないうえに、戦場で使い物になるまで鍛えられた者となれば、なおさら限られる。
欠員が出ても、そう簡単に補える部隊ではない。
それでも任務は止められなかった。
補給線を断つことができなければ、オーランジュ軍は息を吹き返してしまう。こちらが一度打ち崩したところで、物資と時間を与えれば、また立て直してくる。
それを知っているからこそ、魔法騎士隊も動き続けなければならなかった。
前回と同じ経路を進めば、また待ち伏せを受ける。
そう見て、ヘルムートは前よりもさらに北寄りの道を選んだ。
ローゼン川南部に近い補給路。
街道そのものは細く、左右を林と起伏に挟まれている。補給部隊としては通りづらいが、逆に言えば、そこを使うなら狙いも甘くなる。そう踏んだのだろう。
だが、オーランジュ側も馬鹿ではなかった。
昼を少し過ぎた頃、魔法騎士隊はその補給部隊を捕捉した。
荷駄車が連なり、護衛兵も見える。規模は中程度。地形も悪くない。魔法騎士隊にとっては、襲うには十分な条件に見えた。
だから動いた。
いつも通りに先頭を崩し、末尾を断ち、混乱させる。
そのはずだった。
けれど、最初の魔力弾が飛んだ瞬間、街道脇の林から矢が返ってきた。
「またか!」
誰かが叫ぶ。
潜んでいた盾兵が前へ出る。槍兵が間へ割って入り、明らかに補給部隊の護衛ではない兵たちがこちらへ殺到してくる。
前より多い。単なる補充ではなく、待ち伏せをするために数を増やしていたのだ。
「散れ! 横へ広がれ!」
ヘルムートの怒声が飛ぶ。
魔法騎士隊も即座に形を変えた。局地戦闘に慣れた者たちゆえに、乱された程度で簡単には崩れない。
しかし、それでも今回は相手の厚みが違った。
そして、なにより――あの男がいた。
兵というには、あまりに異様な姿。
返り血に塗れたまま、変わらぬ無表情で剣を振るってくる。
踏み込みは深く、剣の運びに無駄がない。合間に放たれる低威力の魔力弾が、こちらの拍子を乱してくる。
リリィは前へ出た敵兵を斬り払いながら、その姿を視界の端で追った。
――あの戦い方を知っている。
いや、知っているどころではない。
かつて胸を高鳴らせながら見つめ、自分もあのように在りたいと願った剣だ。
ありえない。
だが、もはや、ありえないでは済まされないところまで来ていた。
「副隊長、右です!」
オスカーの声で意識を戻す。
右手から迫った槍を打ち払い、返す刃で兵を退ける。けれど、前のように道は開かない。増員された遊撃隊は明らかに粘りが違った。
その中心に、あの男がいる。
「……くそっ」
珍しく、罵りが漏れた。
敵の一隊が側面へ回ろうとする。それをリリィが反転して遮った。
そこへ一歩遅れて入ってきたのがエルネストだった。
視線は合わず、ただ剣が来る。速い。重い。受けた腕が痺れる。
その瞬間、もはやリリィの中で否定の余地はほとんど消えていた。
あの男だ。
そうとしか思えない。
しかし戦場は、答え合わせをする暇さえ与えてくれなかった。
横合いから矢が飛び、魔力弾が地面を抉る。後ろでは別の魔法騎士が押し返され、ヘルムートの怒声が再び響いた。
「離脱だ! 食い下がるな!」
隊としての判断は早かった。
これ以上は損耗が重い。押し切れないなら退くしかない。
魔法騎士隊は散りながら後退に移り、リリィは最後尾に残った。
殿だ。
「先に行け! 右へ回るな、奥の森へ入れ!」
怒鳴りながら、自ら敵の前へ出る。
迫る兵を斬り伏せ、詰めてきた槍を払い、詠唱の気配に魔力弾を返す。
時間を稼ぐ。それだけに徹した動きだった。
最初は二人いた味方も、気づけば見えなくなっていた。
土煙と木立と怒号の中で、隊は分断されたらしい。
リリィは深い森へ踏み込む。
地面は湿り、下草が足を取る。木々が視界を遮り、街道の気配は遠のいた。
追手を引き受けるには都合がいいが、味方とはぐれるには十分すぎた。
ひとつ、息を吐く。
決して静かではない。遠くから剣戟の音が聞こえてくる。
それでも、この一角だけが切り取られたように人の気配を失っていた。
その時、前方の影が動いた。
剣が上がる。
反射的にリリィも構えた。
木立の間から現れたのは――エルネストだった。
距離は近い。
すぐに間合いへ入れる。
互いに剣を下ろさない。
けれど、どちらもすぐには動かなかった。
数瞬の間。
先に口を開いたのは、リリィだった。
「……お前、誰だ」
返事はない。
男はなにも言わず、ただ無表情にこちらを見ている。
その沈黙が、喉の奥をひりつかせた。
「その剣を、私は知っている」
風が木々をわずかに鳴らした。
遠くの戦場の音が、ここではひどく薄い。
「答えろ」
なおも沈黙。
否定もしない。肯定もしない。
リリィは剣を構えたまま、半歩だけ踏み出した。
「これで二度目だ。もはや、見間違いでは済まされん」
男の目が、ほんのわずかに動く。
それだけで十分だった。
顔ではない。傷でもない。汚れでもない。そんな表面的なものではなく、もっと深いところでもう答えは出ている。
それでも、リリィは言わずにいられなかった。
「……エルヴァンなのか」
その名が、森の中へ落ちる。
一瞬だった。
呼吸ひとつぶんにも満たぬ短い間。
男の剣先がわずかに止まった。
リリィの胸が詰まる。
やはり――
そう確信しかけた刹那だった。
横手の茂みの向こうで魔力が膨らんだ。
「副隊長!」
オスカーの声だった。
次の瞬間、炎の塊が木立を裂いて飛び込んできた。
リリィが舌打ちしながら身を跳ねる。エルネストも同時に後ろへ飛んだ。
直後、地面で火球が爆ぜた。土と枝葉が吹き上がり、熱と煙が一気に視界を埋めた。
「くっ……!」
思わず腕で顔を庇う。
焦げた匂いと土埃が鼻を刺した。
「副隊長! 無事ですか!」
煙の向こうから、オスカーが駆け込んできた。剣を抜き、次の魔法を放つ構えを取っている。
リリィを助けに来たのは明らかだった。しかし、煙が流れた時には、もうそこにエルネストの姿はなかった。
木立の奥。
闇の深い方へ、気配だけが遠ざかっていく。
追おうとして、一歩だけ踏み出す。
だが、その前にオスカーがこちらへ目を向けた。
「怪我は」
「……ない」
「危ないと思いました」
「……そうか」
それ以上、言葉は続かなかった。
助けられたのは間違いない。
オスカーは正しい判断をした。それも分かっている。
だが、あとほんの一瞬あれば届いたかもしれない答えが、煙の向こうへ消えてしまった。その事実だけが、喉の奥に刺のように残る。
オスカーはリリィの顔を見て、わずかに戸惑っていた。
「副隊長?」
「いや……なんでもない」
自分でも驚くほど曖昧な言葉が出た。
森の奥からは、もう気配は感じない。
追えば追えたかもしれないが、すでに隊は撤退に移っている。ここで深入りするのは愚かだ。
リリィは剣を下ろさずに、煙の薄れていく木立をしばらく睨み続けた。
問い詰めきれなかった。
答えも得られなかった。
それでも、なにも得られなかったわけではない。
あの一瞬の沈黙。
名を呼んだ時に見せた、ほんのわずかな揺れ。
それだけで、もう胸の底ではほとんど答えが出ていた。
「戻るぞ」
リリィがようやく言う。
オスカーはまだ腑に落ちない顔をしていたが、問おうとはしなかった。
それが彼の気遣いなのか、単に戦場だからなのか、リリィにはもう分からなかった。
二人は森を後にする。
去り際にリリィは一度だけ振り返った。
けれど、そこにあるのは焦げた土と、立ちこめる煙だけだった。




