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第33話 既視感

 補給が届き始めても、前線の窮状はすぐに変わらなかった。

 兵の配給は多少持ち直したが、戦奴隷の食糧事情は相変わらず悪い。


 ローゼン川を越えてから、すでに一月近くが経つ。勝ち戦の勢いはとうに失われ、これ以上足を止めれば、ジルニッツに布陣の時間を与えるだけだった。


 やむを得ず、補給が整いきらないうちにオーランジュ軍は南下を再開する。するとその頃から、本国から前線へ向かう補給部隊が道中でたびたび襲われるようになった。


 荷車が焼かれ、馬が(たお)され、護衛兵が斬られる。

 生き残った者の話はどれも曖昧だったが、共通していることが一つだけあった。


 相手は魔法を使う。


「魔術師崩れか?」

「いや、そんな半端なもんじゃねぇらしい」

「ジルニッツの魔法騎士隊だとよ」


 そんな噂が兵たちの間を巡った。


 オーランジュ軍にも魔術師隊はある。しかし数が少ないうえに、正面戦力から切り離して単独で振り回せるほどの余力はない。

 そのため、補給路の護衛ごときに張りつけるのは現実的ではなく、急遽、迎撃のための部隊が編成されることになった。 



 野営地の一角で、配給の残りを口へ押し込んでいたエルネストの前へ隊長格の兵が立つ。


「またお前か」


 マルク・ディーボルトだった。

 三十二歳。平民出ながら現場で叩き上げられてきた男で、ローゼン川の奇襲でもエルネストと行動を共にしている。

 エルネストは答えず、視線だけを向けた。


「今回は後ろだ。補給線を荒らしている連中を叩く」


「……」


「魔力持ちがいる。お前も来い」


 エルネストは立ち上がった。

 

 集められたのは魔術師隊員五名に、盾兵、槍兵、弓兵を交えた混成二十名あまり。それにエルネストを加えた遊撃隊だ。

 盾兵は魔法と矢への備え。槍兵は接近阻止。弓兵は牽制。魔術師は索敵と迎撃。そして切り込み役がエルネスト。

 即席にしては、それなりの布陣だった。


「出るぞ」


 マルクの声を受け、兵たちが軍の後方へ向けて歩き出す。エルネストも黙ってその列へ加わった。

 補給線を狙う敵を叩く。ただ、それだけの任務だった。



 ◆◆◆◆



 魔法騎士隊にとって、補給部隊の襲撃は難しい任務ではなかった。

 相手は重い荷を抱え、機動力に欠ける。護衛がついているとはいえ、所詮は補給のための兵でしかない。

 局地戦に特化した魔法騎士隊が奇襲を仕掛ければ、ひとたまりもなかった。

 

 作戦は順調だった。

 

 斥候が補給部隊を見つける。

 地形を選んで先回りする。

 先頭と末尾を崩し、混乱したところを叩く。

 荷車を焼き、馬を潰し、動けなくする。


 繰り返すうちに手際はよくなり、成果も上がった。

 だからこそ、後味は悪かった。


 武器を持って護衛の任務に就いている以上、敵兵は斬られても文句は言えない。

 それでも、正面からぶつかり合う戦とは違って一方的だ。戦というより、狩りに近い。


 焼ける荷車を見下ろしながら、リリィが口を結んでいた。


「顔に出てますよ、フォーゲル副隊長」


 隣で声をかけてきたのは、オスカー・バルテンだった。

 男爵家の次男として生まれ、リリィが隊へ入る前から魔法騎士隊にいる古参である。

 三十三歳。外見にこれといった特徴はないが、実務に長け、現場の空気を読むのがうまい。

 リリィが一瞥する。


「出してるつもりはない」


「そう思ってるのは本人だけでしょう」


 声音は穏やかだが、甘やかす響きはない。言う時は言う。そんな感じだった。

 リリィが言い返そうとすると、別の声が割り込んだ。


「根が正直なのは結構だがな」


 ヘルムートだった。

 焼け跡の向こうで剣の血を払いながら、こちらを見ている。


「お前は顔に出すぎる」


 言ってから、冗談めかした顔をした。


「貴族令嬢として、腹芸は学ばなかったのか? 社交の場で餌食にされるぞ」


「……申し訳ございません」


 それしか言えなかった。図星だった。



 補給部隊を潰す必要性は理解している。理解しているからこそ、こうして剣を振るっているのだ。

 それでもなお、胸の奥には割り切れなさが残る。

 戦とはこういうものだと頭では分かっていても、感情までは追いつかない。


 オスカーはそのやり取りを黙って聞いていたが、誰にも聞こえない小さな声で言った。


「納得できる戦ばかりなら、誰も苦労しませんよ、副隊長」


「……分かってる」


「分かってて嫌になるなら、まだまともです」


 リリィはそちらを見たが、オスカーはもう視線を戻していた。

 慰めるでも、諭すでもない。ただ事実だけを置くような言い方だった。


 その時、斥候が駆けてきた。両肩で息をしている。


「新たな補給部隊を確認しました!」


「位置は」


「北西の街道筋です。規模は前回より大きめです」


 ヘルムートの目つきが変わる。


「追えるか」


「可能です」


「よし。すぐ出る」


 空気が一瞬で切り替わる。

 リリィも余計な感情を押し込み、馬へ向かう。オスカーがその横へ並んだ。


「今度は少し骨がありそうですね」


「補給部隊ごときに骨があってたまるか」


「そう願いたいところですが」


 皮肉とも本気ともつかない声だった。

 魔法騎士隊は再び動き出した。次の補給部隊を潰すために。



 ◆◆◆◆



 しかし、今度は違った。

 斥候の報告通りに補給部隊はいた。荷車も、馬も、護衛兵も見える。

 規模が少し大きい、それだけに見えた。

 

 だから、これまでと同じように入った。

 先頭を崩し、末尾を断ち、混乱させる。

 そのつもりだった。

 

 ところが、最初の魔力弾が飛んだ直後、街道脇の林から矢が返ってきた。


「伏兵!」

「散れ!」


 叫びが飛ぶ。


 補給部隊の護衛だけではない。見れば、隠れていた兵が一斉に姿を現し、盾を並べ、槍を突き出してくる。さらにその後ろでは、魔術師らしき者たちが詠唱に入っていた。


「読まれたか……!」


 リリィが舌打ちする。

 想定以上の抵抗だった。――いや、抵抗ではない。待ち構えられていたのだ。


 魔法騎士隊も即座に応戦したが、不意を突かれた分だけ立て直しが遅れる。前へ出すぎた者が二人、三人と押し返された。


「隊長! 一度下がりますか!」


 オスカーが声を張る。


「離脱だ! 体勢を立て直す!」


 ヘルムートの判断は早かった。

 無理に食い込めば被害が増えるだけだ。リリィもそれは分かっている。


「下がれ! 右へ回るな、開けた方へ出ろ!」


 命じながら、リリィは自ら剣を振るって退路を作ろうとした。


 その時だった。

 敵兵の一団の中で、ひときわ異様な動きをする男が目に入る。


 無駄のない動き。

 剣が閃く。

 盾兵の脇をすり抜けたかと思えば、次の瞬間には槍兵の懐へ入っていく。

 その合間に、ほとんど溜めもなく牽制の魔力弾が放たれる。

 

 リリィの息が止まった。

 

 その踏み込み。

 剣と魔力を混ぜたような、あの戦い方。

 

 見間違えるはずがなかった。


 かつて一度だけ、すぐ近くで見たことがある。

 演習の場で、胸を焼かれるほどの憧れとともに見たあの剣筋。


 ありえない。

 そんなはずがない。

 けれど目の前の光景は、嫌というほど鮮明に昔の記憶を引きずり出してくる。


「副隊長!」


 オスカーの声で、はっと我に返る。危うく足が止まりかけていた。


「下がれと言ったでしょうが!」


「分かってる!」


 答えながらも、視線はなおあの男を追ってしまう。


 返り血。

 無表情。

 生者の温度を感じさせぬ横顔。


 それでも、その剣だけは。


「まさか、あれは……」


 雨に濡れた空気の中で、リリィの呟きは誰にも届かなかった。

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