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第13話 狩られる側

 無造作に間合いを詰めてくる完全武装の騎士が三人。

 鎧。剣。兜。

 磨き上げられた鉄が回廊の薄暗い光を鈍く反射する。


 対するエルネストは丸腰だった。帯剣せず、鎧もなく、粗末な衣一枚のみ。その姿は、武装した騎士たちの前ではあまりに貧弱に見えた。

 その落差を見て、騎士たちの口元に残忍な笑みが浮かぶ。いかに戦場で名を上げた猛者だろうが、この状況ではただの的にすぎない。


 勝負になるはずがない。

 誰が見ても、そう思える光景だった。


「このクソ奴隷がっ! 逆らったことを後悔するんだな!」


 ラファエルの剣が振り下ろされた。


 速い。


 言うだけのことはある。貴族騎士としては確かに優れた一撃だった。

 踏み込みも鋭く、腕の振りも迷いがない。


 だが――


 エルネストの身体が、わずかに横へずれた。

 ほんの半歩。

 それだけで、剣は空を裂いた。


 刃が石壁をかすめ、火花が散る。金切り音が響く。

 直後にエルネストの拳がラファエルの横腹へめり込んだ。


「ごはっ!」


 息が潰れる。

 肺の空気が一気に吐き出され、ラファエルの身体がくの字に折れた。喉の奥から空気の抜ける音が漏れる。


 逃がさない。

 エルネストはラファエルの髪を掴み、顔を無理やり引き上げた。

 そして――


 頭突き。

 鈍い音。


「ぐほぁっ!」


 鼻骨が砕け、血が噴き上がった。

 額と額がぶつかっただけに見えたが、その威力は凄まじかった。

 ラファエルが堪らず地に膝をつく。


 視界が揺れる。

 血が目に入り、世界が赤く染まる。

 それを庇うように、取り巻きの一人が前へ出た。


「貴様ぁ!」


 剣が横薙ぎに走る。

 だがエルネストは退かない。

 むしろ踏み込んだ。


 拳が振り下ろされる。

 狙いは――手の甲。

 骨が砕ける音。


「ぎゃっ!」


 取り巻きの指が弾かれ、剣が手から離れた。

 金属が石床に落ちる。

 だが――


 落ちきるより早く、エルネストの手が動き剣を掴み取る。

 距離はほぼ密着。

 腕を振り上げる。

 刃が走る。

 腹から顎まで一直線に。


 刃が腹を裂いた。

 血が噴き上がる。

 臓物がこぼれる。

 取り巻きの身体が二歩ほど後退し、膝が折れ、そのまま崩れ落ちた。


 即死だった。


 だがエルネストは止まらない。

 振り上げた刃の軌道が変わり、そのまま横へ流れた。


 もう一人の取り巻きは反応できない。

 喉が裂ける。

 血が吹き上がる。


 心臓の鼓動に合わせて、噴水のように赤が跳ねた。

 男は声も出せず仰向けに倒れ、剣が石床に転がる音だけが回廊に響いた。


 静寂。


 ほんの数秒。


 それだけ。

 剣が床を転がる音だけが、やけに長く響いていた。


 ラファエルは理解できなかった。


 さっきまで自分たちは三人だったはずだ。

 それが今――死体が二つ転がっている。


 頭が追いつかない。

 思考が混乱する。

 呼吸が浅くなる。

 胸が苦しい。


 そしてようやく、理解が追いついた。


 自分たちは――狩る側ではなかった。


「ひ、ひぃ……!」


 ラファエルが尻もちをついたまま後退る。

 横には物言わぬ肉塊が二つ。正面には剣を垂らした表情の読めない男が一人。


 化け物だ。

 逃げねば殺される。

 ……いやだ。

 死にたくない。


 面目も矜持も消え失せていた。あれほどイキり散らしていたラファエルだが、今や立ち上がることさえできなかった。

 顔を恐怖に染め、がたがたと全身を震わせる。

 股間には生暖かい染みが広がっていた。


 そんなラファエルを、もはやエルネストは視界に入れているのかさえわからない。

 瞳に広がるのは闇。

 色のない虚無。


 その時、不意にエルネストが剣を捨てた。金属音が石床を転がる。地を這うラファエルに一瞥もくれず、その場で踵を返そうとした。


 その時――


「止まれ! そこでなにをしている!」


 鋭い声。

 抜刀した数人の男たちが駆けてくる。服装から警備兵。

 血塗れの肉塊を前に一瞬鼻白んだものの、すぐに状況を理解した。


 片や奴隷、片や高級騎士。

 どちらを捕らえるかなど、考えるまでもない。


「動くな!」


 エルネストは逆らわなかった。抵抗もせず、ただ静かに腕を取られ、そのまま連行されていく。

 もはや興味がないのかもしれない。最後までラファエルに視線を向けることはなかった。

 そして狩りの痕跡だけがそこに残った。



  ◆◆◆◆



「やはり動いたか。――我が甥ながら、ため息が出るほど愚かだな」


 砦の臨時指揮所。長机が並ぶ室内の中央で、大柄な男が低く呟いた。

 オーランジュ軍大隊長、ハインツ・フォン・ゲルストナー。


 彼が報告を受けたのは、事件の直後だった。

 予想していたと言わんばかりの沈着な反応に、副官のマティアスは特に驚いた様子も見せない。ただ静かに、次の言葉を待っていた。


「それで、奴隷は?」


「ひとまず、石牢へ放り込みました」


「ふむ」


 短く頷き、ハインツが続ける。


「ならば、ラファエルはどうした。怪我はあるのか?」


「鼻を潰されましたが、命に別状はありません。しかし……相当な衝撃を受けたようでして。まったく口を開こうとしません。現在は屯所で休ませております」


 ハインツの片眉がわずかに上がった。そこに浮かんだのは、安堵でも心配でもない。むしろ、どこか冷えた嫌悪の色だった。

 軽く顎をしゃくる。


「ならば、ここへ連れてこい。今すぐにだ」


「承知いたしました。ただいま着替えを――」


「着替えなど無用だ」


 言葉を遮る。


「お言葉ですが、ラファエル殿は血に塗れております。加えて……その……粗相も……」


 言い淀みながら、マティアスが視線を伏せた。

 意味は伝わっている。それでもハインツは表情ひとつ動かさない。


「構わぬ。そのまま連れてこい。今すぐにだ。俺自らが検分する」


「承知いたしました」


 同じ言葉を二度言わせるつもりはない。

 マティアスは即座に踵を返し、待機していた伝令へいくつか短く指示を飛ばした。


 やがて室内には再び静寂が戻る。

 二人きりになったところで、ハインツはわずかに肩の力を抜いた。


「それで、見たのか?」


 主語のない問い。だがマティアスは迷わず答えた。


「はい。監視の者が目視しております。完全武装の騎士二名を、数秒で制圧しました。しかも――素手で」


「ほう……」


 低く息を漏らす。


「監視の報告では、あまりの速さに最初はなにが起こったのか理解できなかったそうです。気付いたときには、すでに騎士たちが倒れていたと」


「なるほど」


 ハインツの指が無意識に顎を撫でる。


「さすがは、あの(・・)コンラート・カーミールを屠っただけのことはある、というわけか」


「はい。本物ですね」


 マティアスが静かに頷いた。


「砦戦の場面は奴隷たちしか目撃しておりませんでしたから、兵の中には未だに眉唾と思っている者もおります。……正直に言えば、私もその一人でした。しかし、これで確信しました」


「うむ」


 短い相槌。

 ハインツは椅子の背にもたれ、ゆっくりと息を吐いた。


 エルネストの正体は、まだ判明していない。

 ジルニッツの騎士か、剣士か、それとも別のなに者か。


 罪を犯したのか。

 政争に巻き込まれたのか。

 なにもわからない。


 だが、ただ一つ確かなことがある。


 ――ジルニッツの毒婦、コルネリア。

 あの女に因縁を持つ人物である、ということだ。


 ラファエルが連れてこられるまでのわずかな時間、ハインツは黙したまま思考の底へ沈んでいった。

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