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第10話 妬みと敵意

「で、何が目的でここにいる? ジルニッツ人よ」


 黙殺は許さぬ。そう言わんばかりの誰何(すいか)の意思が滲むハインツの問い。静かでありながら、逃げ場を与えない圧を帯びていた。

 部屋の空気がわずかに重くなる。壁際に控える士官たちが息を潜め、視線だけがエルネストへと集中した。


 これまで沈黙を貫いてきたエルネストも、さすがに口を開かざるを得ない。いかに戦で手柄を立てようと、所詮は戦奴隷。もとより拒む権利などなかった。


「……目的か」


「そう、目的だ。その訛り、語調。貴様はジルニッツ人だろう。知っての通り我々は貴様の祖国と戦をしている。にもかかわらず、敵国人が軍中にいるとなれば問い質すのは当然だ。違うか?」


「……違いない」


 短い肯定。否定する気も、取り繕う気もない。


「ならば答えよ。何者だ。何が目的だ」


 棒立ちのまま、わずかな沈黙。室内の視線が一斉に集まる。

 値踏み、猜疑、軽蔑。あらゆる感情が交錯する中で、エルネストだけが揺らがない。

 やがて言った。


「ジルニッツの王妃は知っているな」


「もちろんだ。コルネリア・ローゼ・フォン・ジルニッツ。毒婦と名高い女だな」


「……あれを殺す。それだけだ」


 簡潔すぎる答え。

 だがその声には虚勢も激情もなく、ただ事実を述べる調子だけがあった。

 部屋の空気がわずかに揺れる。ハインツが訝しげに目を細めた。


「理由を言え」


「私怨だ。語る気はない」


 それ以上は踏み込ませない。その意思が、沈黙よりもはっきりと滲んでいた。


「それほどの腕があるなら、単身で忍び込むこともできよう。なぜ戦奴隷に甘んじる」


 エルネストは一瞬だけ視線を落とし、すぐに戻した。


「戦は数だ。俺一人では変えられん」


 それだけ言って黙る。

 理屈も補足も自己弁護もなかったが、意味は十分に伝わった。


「……なるほど。勝ち続ければ、その先に王妃がいるというわけか」


 ハインツの声にわずかな愉悦が混じる。

 エルネストは否定もせず肯定もしない。沈黙をもって答えとした。

 やがてハインツが低く笑った。


「面白い。ではどうだ。正規兵に取り立ててやろうか。あえて戦奴隷でいる必要もあるまい。身分も待遇も、すべて変わる」


「今のままでいい」


 即答だった。迷いの影すらない。


「理由は」


 視線が突き刺さる。


「……罰だ」


 それだけ。


 幹部たちの間にざわめきが走る。

 相手は大隊長であり辺境伯でもある男。その面前で(おもね)る様子を一切見せず、敬語は使わず、必要以上の説明もしない。

 その態度には、さすがの幹部たちも立場を忘れて激昂した。


「貴様……!」


「大隊長閣下の御前だぞ!」


 怒声が飛ぶ。

 無礼。横柄。生意気。


 彼らの苛立ちは礼儀だけの問題ではなかった。

 いかに戦功をあげようと、相手は卑しい戦奴隷。所詮は露払いに過ぎぬというのに、先に手柄を挙げられた。

 本来ならば自分たちが立てていたであろう武功を、この汚らしい奴隷が掠め取ったのだ。

 そもそもそれが気に入らない。


 妬みと敵意。それはあまりに稚拙な感情だったが、エルネストを貶めることでかろうじて平静を保とうとしているように見えた。

 そんな彼らを、ハインツは手を上げて制した。


「よかろう。戦奴隷のままで構わん。とはいえ、さすがにそれを褒章とするにはいささか外聞が悪い。いかに戦奴隷とて、手柄に報いぬわけにもいかぬのでな。――なにか望みはあるか?」


 わずかな間。


「……ひとつ」


「言ってみろ」


「アンナという女を後方へ下げろ。戦闘中、統制を乱す。足手まといだ」


 何人かが顔を見合わせる。意外だったのだろう。


「ほう……女か」


 ハインツの片眉が上がる。


「ならば其奴を前線から外そう。飯炊きにでもしてやる。それでよいな」


「あぁ」


「ずいぶん安い望みだな」


 ハインツがくつくつと笑う。


「正規兵への登用も考えていたのだがな。……まぁよい。それが望みというなら叶えてやろう。――話は終わりだ。下がれ」


 口元に微笑を浮かべながら、目だけは笑っていない。なにかを見透かすように細めた瞳でハインツが命じる。

 これで茶番も終わり。いささか緩んだ空気が周囲に流れ始めたその時、居並ぶ幹部の中から声が上がった。


「ふざけるな!」


 甲高い声が室内を裂き、一人の青年が列から踏み出す。

 豪奢な鎧。整った顔立ち。怒りで紅潮した頬。目には露骨な敵意が見える。

 この軍の大隊長であり辺境伯でもあるハインツの面前であるにもかかわらず、まるで遠慮を知らぬように声高に叫んだ。


「おとなしく聞いていれば調子に乗りやがって! 大隊長殿が直々に褒章を与えると仰ったのだぞ! それを無下にするとは何事だ!」


 男――ラファエル・フライが、さらに一歩踏み出した。


「それに……コンラートを討つのは俺の役目だった! 『ジルニッツの紅い悪魔』に引導を渡す栄誉は、本来この俺のものだったのだ!」


 激情に任せて抜刀する。

 刃が灯りを反射し、室内に鋭い光が走った。


「卑しい戦奴隷の分際で、俺の獲物を横取りしやがって!」


 顔を真っ赤に染め、エルネストににじり寄る。

 今にも斬りかからん勢いで剣を振りかぶった。


 その瞬間――


「やめんか、ラファエル。場をわきまえよ」


 低い声が割って入る。

 ハインツだった。


「伯父上!」


「人前で伯父と呼ぶなと言ったはずだ」


 静かな叱責。だがその声には逆らえぬ重みがあった。


「話は終わった。褒章も決まった。それ以上は私への異議と受け取るが?」


 穏やかな声音の奥に、鋼のような冷たさ。

 ラファエルの喉が詰まる。怒りは消えないまま、声を絞り出した。


「しかし……此奴(こやつ)の態度は看過できません! 私の名誉も踏みにじられた!」


「名誉?」


 ハインツの視線がわずかに鋭くなる。


「では問う。お前はコンラートを討てたか」


 沈黙。


「答えよ」


 ラファエルが歯を噛み締める。


「……いずれ討てました」


「結果を出してから言え」


 冷ややかな一言に、室内の空気が張りつめた。


「いいか、ラファエル。ここはお前の欲求を満たす場ではない。戦は功で語る。感情ではない」


 容赦のない言葉。それでも叱責は穏やかだった。

 血縁ゆえの贔屓だろうか。そこはかとない甘さが滲む。


 ラファエルはなおも不満を飲み込めず、しかしこれ以上は踏み出せないと悟り、刃を収めた。

 ぎり、と奥歯を噛む音だけが響き、やがて列へ戻る。


 その背を、エルネストは一瞥もせず、ただ静かに立っていた。

 怒りも、侮蔑も、勝者の余裕さえない。

 あるのはただ、次へ進むための暗い情念だけだった。


 ハインツはその様子を、測るように見つめる。

 そしてわずかに笑った。


「……下がれ、エルネスト」


 命令は簡潔だった。

 

 エルネストは一礼もせずに踵を返す。背後で交錯する視線を、まるで存在しないもののように置き去りにして。


 彼の去った部屋には、妬みと敵意の渦がいつまでも残されたままだった。

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