〈二十九章〉選択
朝、基地は徐々に活動を始める。
いつも通り、慣れた手つきで朝ご飯の準備や物資補充の準備が進んでいく。
そんな皆の手つきが一瞬止まった。
バンが一台、音を立てながらこちらに向かって来る。
一瞬身構えたが、
その緊張はバンから聞こえた少し懐かしいような
声で解かれた。
運転席から降りてきたのはルーカスだった。
痩せて、髪や髭が無造作に伸びている。
それでも、その目には光があった。
報告を受けたカイが、小走りで到着する。
カイ「ルーカス...」
ルーカス「ただいま。みんな」
ルーカスは小さく笑った。
目の隈、少し青白い顔色。それでもルーカスは満足気に笑っていた。
ルーカス「さて...話したい事が沢山ある。エネミーについて、そしてその根絶方法について。」
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会議室に全員が集められた。
椅子も机も足りない為、殆どが立っており、
いつもは広い会議室が皆んなの期待で満ちていた。
全員がルーカスの言葉を待っている。
ルーカスはパソコンを開き、画面に映した。
ルーカス「まず、エネミーの正体から話そうか。」
画面には、微小な黒い点が所々に映っている。
ルーカスは鞄からシャーレを取り出した。
中には透明な液体が入っている。
ルーカス「これがエネミーだ。」
騒めきが広がる。
今まで多くの仲間の命を奪い、人間をシェルターに追いやって今の世界を造った元凶。
鋭い牙や爪を持つ四足獣の姿は目の前にはない。
皆の混乱を予想していたかのように、ルーカスが続けた。
ルーカス「エネミーとは、細菌レベルの寄生体だ。」
ハル「...細菌?」
ルーカス「そうだ。皆んなが想像しているような
あの姿は、寄生した結果に過ぎない。これを見てくれ。」
ルーカスがパソコンを操作すると、画面が切り替わった。
そこには目の前にあるシャーレと同じ物が映っている。ルーカスが、そこに豚肉を一片入れた。
そうすると、豚肉は徐々に黒く変色していったのだ。
ルーカス「これは撮った映像を早送りしたものだ。この中には、エネミーの血を濾したものが入っている。」
映像の中の豚肉は膨れ上がり、エネミーの皮膚と似た形状に変わった。
ルーカス「エネミーとは、ただ生きるため、増えるために行動する細菌だ。
他の生物に寄生し、より生存に適した姿に変容させる。つまり外にいるエネミーはその変容の最終形という事になる。」
皆が息を呑んだ。
先程まで喧騒が広がっていた会議室が、神妙な空気へと変わっていく。
カイ「じゃあ...俺達の体にも...」
ルーカス「あぁ。だけど君達の、孤児の細胞はその変容の侵攻が遅い。君達の体は量産の為に簡易化した状態で造られた物だから...」
ルーカスの言葉が詰まる。
また過去の罪が、彼の体を蝕んでいく。
その心の暗がりを、レンの言葉が晴らした。
レン「ルーカス、大丈夫。続けて。」
一見すると、短く冷たい言葉。
ルーカスが前を向く。そこに居る孤児達は、もう誰もルーカスを恨んでなどいない。
その言葉は慈悲でも、優しさでもない。
仲間の罪を受け入れる心から生まれた言葉であった。
ルーカス「あぁ。ありがとう。」
ルーカスは一呼吸をおき、再度画面を切り替えた。複雑な波形のグラフが映される。
ルーカス「そしてこれが、ヴィクターが使用していた電波の構造だ。
ヴィクターは、特定の周波数でエネミー細胞に作用する電波を発見していた。まだ断定には至っていないが、エネミーを信仰していた街の電波も類似したものだと思う。」
カイは、過去にネバーリサーチを追い詰めた知能を持つエネミーを思い出していた。
ルーカス「そしてこの電波を使えば、エネミーを操れる。そして...殺すことも可能だ。」
全員の顔色が変わる
ハル「殺す...?」
ルーカス「正確には、行動を停止させる。全てのエネミー細胞の動きを止める。そうすれば、心臓や臓器の動きも止まる。
そして、エネミー細胞だって生きている。
行動が停止し、酸素の供給が止まれば死滅する。」
誰かの唾を飲む音が聞こえる。
ルーカス「この施設には、かつての通信ネットワークの残骸が残っている。それを利用すれば――」
カイ「世界中に、この電波を発信できる。」
ルーカスは静かに頷いた。
ハル「俺達の身体のエネミー細胞はどうなる?」
ルーカス「エネミーの死骸はタンパク質などに変わって吸収される。だから、エネミー由来の骨や筋肉が消失。結果として、血管や神経の圧迫は解消されるだろう。」
誰かが小さく笑った。
「...助かるのか?」
「俺たち...生きられるのか?」
声が、少しずつ大きくなっていく。
いつ寿命が来るかも分からない恐怖。
それから解放される。
さらにエネミーも居なくなる。
新しい世界への希望が広がっていく。
会議室が、笑顔で満たされていく。
しかし――
ハルとカイ、ルーカス、そしてレンだけは笑っていなかった。
その時、レンが口を開いた。
レン「...私はどうなるの?」
一瞬で、空気が凍りついた。
笑い声が止まる。
全員がレンを見た。
そして全員が少し遅れて理解した。
この希望には、代償がある。
ルーカスはレンを見た。
その目には、深い悲しみがあった。
ルーカス「レン。君は違う」
レンの心臓が、大きく跳ねた。
ルーカス「君の体の細胞は、ほとんどが再生済みだ。つまり、エネミー由来の細胞が大部分を占めている」
レンは理解した。
レン「...私は」
ルーカス「電波を発信すれば――」
言葉が、続かない。
でも、言わなくても分かった。
レンは、死ぬ。
カイが顔を落とす。そんな中、ハルが言葉をあげた。
ハル「論外だ。何か別の方法を探そう。」
ルーカス「あぁ勿論。今、電波を一部のみ遮断する方法を探している。見つかり次第、レンはそこで...」
レン「やろう。」
レンが言葉を遮った。ハルが、レンに顔を向ける。
ハル「レン...自分が何を言ってるか分かってんのか?死ぬんだぞ!」
レン「分かってる...それでも、その方法を探すまでどれだけ時間が掛かるかも分からない。
それに、この方法なら、エネミーを根絶出来て、みんなも生きられる。
皆んなが笑って生きるには、この方法が最善だ。」
ハル「違う!!!」
ハルが声を荒げる。
ハル「最善は、お前を含めたみんなが笑っている事だ!お前の言う“みんな”の中には、お前も必要だ!」
レンは真っ直ぐハルを見た。そして、少し悩んだ後に告げた。
レンは震える声で続けた。
レン「...私の再生能力が、強くなってるの」
ハル「...は?」
ハルの感じていた違和感が、最悪の形で答え合わせをされる。
カイが俯いた。
レン「次に脳を傷つけたら――」
レンの目から、涙が零れる。
レン「カリアのこと、忘れるかもしれない。サラのこと、忘れるかもしれない。」
レン「アキのこと、ナギのこと、リュウのこと。」
レンの声が、震える。
レン「...ハルのこと、忘れるかもしれない。」
ハルの息が止まる。
レン「私は...みんなが私の中から消えるのが怖い。私がレンじゃなくなるのが怖い」
レンは拳を握りしめた。
レン「それに――」
レンはハルを見る。
レン「このまま時間をかけてたら、
ハルや皆んなが死んじゃうかもしれない。
それを見ながら生きるくらいなら――」
レンは涙を流しながら、笑った。
レン「私は、今、レンのままこの道を選びたい。」
ハルの言葉が詰まる。
ハルは掠れた声で言葉を発した。
ハル「なんだよ、それ...お前が...お前まで居なくなったら...俺は...」
レンは静かにハルを抱きしめた。
レン「ごめんね...ありがとう。」
二人の間に、涙が数滴落ちる。
レンはゆっくりとハルから離れ、
一度だけ振り返って微笑んだ。
そして、部屋を出ていった。
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会議室に、重い沈黙が落ちる。
ハルは、その場に崩れ落ちた。
カイが、そっとハルの肩に手を置いた。
カイ「...ハル」
ハル「...くそっ」
ハルの拳が、床を叩く。
ハル「くそっ...くそっ...!」
涙が、床に落ちる。
誰も、何も言えなかった。
ルーカスは、パソコンを閉じた。
ルーカス「...すまない」
その声は、小さく震えていた。
ルーカス「私が、もっと早く...」
カイ「...誰のせいでもない。」
カイは静かに続けた。
カイ「これは、レンの選択だ」
カイが空を見上げる。
カイ「...俺たちは、それを尊重するしかない」
ハルは何も言わなかった。
ただ、涙を流し続けた。




