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灰色に窒息する

作者: 日向 葵

 それは、なんの変哲も無い曇りの日になるはずだった。




「おやペルヒタ、もう出るのかい」

「うん、師匠と特訓する前に自主練しようと思って」

「そうかい。雨が降るかもしれないから、雨具を忘れないようにね」

「精を出すのは良いことだが、無茶はするなよ」

「そうも言ってらんないよ! 最近物騒だし」

 普段の修行の日より早く家を出ようとしたら両親に立て続けに声をかけられた。父親の心配はありがたいが、それとこれは別だ。

 この半年で周辺の集落がいくつも襲撃を受けた。金目のものを根こそぎ奪われた後に家は燃やされ、女は犯されるか攫われるかし、男は年齢に関係なく殺され……聞くに堪えない被害状況は片田舎にまで連日届いている。

 今はまだ()()()だけど、いつかこういった魔物以外の物騒な輩とも相まみえるかもしれない。そう思うといても立ってもいられず、とにかく一日でも早く人を助ける側に回れるよう体を動かしたくて堪らなかった。

 出かける準備の仕上げとして髪をまとめていると、ノック音が聞こえた。こんな早朝から誰だろう? 髪紐を縛り終え一番ドアに近い私が応対に出れば、思いもよらぬ人が立っていた。

「あれ、師匠。お()……」

「ペルヒタ、俺からお前に教えることはもう無いと判断した。よって勇者として、これから世界を救う旅に出ると良い」

 私の挨拶を遮ってまで師匠が自分勝手に告げた用件は突然の来訪以上に驚いた。青天の霹靂というやつだ、今日は曇天だけど。

 下らないことの方に脳が回り、おかげで承諾も拒否も言葉どころかまず思考として形にならないでいた。

 家族二人も同じくびっくりしたようで、後ろでお母さんが息を呑む気配や、お父さんが席を立つ音がする。

「えっと……随分いきなりですね?」

「いきなり? 常日頃心構えをして為すべきことを為してきた者は、いつだって戦えるはず。ペルヒタ、お前は違うのか? 予定を教えてもらわなければ何も出来ないのか?」

 その真剣な目にハッとする。

「いいえ、私は今からだって戦えます。そのための努力は怠りませんでした」

「そうだろう」

 一つ確かに頷くと、師匠は常に背に負っている大剣を両手で私に差し出した。「天摩の秩序」と呼ばれるそれは、紛うことなき勇者のための剣――――ここで勇者と名乗ることを許された証だった。

「ありがとうございます!」

 万感の思いで受け取る。柄の感触がよそよそしい。まだ手に馴染まないそれは、少し重たいだろうか。重量を物ともせず意のままに操れるようになるのが喫緊の課題だ。

「早速だが、国境沿いの森で魔物の被害が相次いでいる。退治し安全を確立したら隣の街に報告し報酬と実績を得、旅を始める足掛かりにすると良い」

「はい!」

「世界に名の知れた一人前になるまでこの土地の土は踏んではならない。絶対にだ」

 厳しい面持ちと条件に、見えないけれどつられて私の表情もさぞ引き締まっていることだろう。尊敬する人から自分の力量に太鼓判を押されたのは感激だが、それ以外にも言いようのない感情がある。もしかしたら恐怖と表現出来るのかもしれない。

 うっすら立ち昇る煙のように徐々に姿を現した怖さを無視していそいそと憧れの剣を背負う。背筋が伸びたのは気のせいではない。

 「天摩の秩序」。その剣を空高く掲げたときは、いついかなる場合も正義の立場であらんことを……という勇者としての願いとも覚悟とも言える思いが詰まった武器だ。

 これまでの人生で文句無しに一番かっこいい私の姿で別れの挨拶をするべく体の向きをくるりと半回転させる。

「ということで、大変突然ですが、これから世界を救う旅に行って参ります。お父さん、お母さん、今まで大変お世話になりました」

 慣れない敬語を身内に使うのは少し気恥ずかしい。でもここで家を出れば次はいつ会えるか分からない。だからこそ、大事なこの瞬間にしっかり見つめ合い、丁寧に感謝を紡いだ。

「ペルヒタ、これを」

 旅が始まると分かってから私たちの会話の最中に持ってきていたのだろう。言いながらお母さんが私の手に握らせたのは、二つのメダイだった。

 古びた片方はお母さんが今は亡きおばあちゃんから受け取ったもの。そのおばあちゃんも先祖から継いできたらしい。楕円の銀の縁は所々傷があり、真ん中に彫られたマリア様もすり減り金属の退色が著しいが、その古さこそ信仰心の積み重ね。金銭的な価値とは正反対の貴い価値があるのは言うまでもない。お母さんが布で丁寧に拭いているのを何度も見かけた、大事なお守りだ。

 反対にもう片方は真新しく、金の台座の真ん中に青のエナメルが嵌っていた。そこに彫られたマリア様はより精密で、最近の彫金師による作だと分かる。裏面には私の名前が刻まれていて、つまり、いつかこうやって私が旅に出る日のために前もって制作を依頼したということだ。全く知らなかった。

「道中気を付けて行ってらっしゃい」

 まだ手を握ったままのお母さんの目には涙がうっすらと浮かんでいる。つられてこちらの涙腺まで緩みそうで、慌てて笑顔を作る。

 目尻を指先で拭ったお母さんが隣に戻ると、お父さんはお母さんの肩を抱き慰めた。

「立派な勇者になってこい」

 お父さんからの餞別は、短いその一言と銀貨数枚。シンプルだが十分すぎるくらいだ。

「名残惜しいが善は急げだ。早く出ると良い」

 師匠からの餞の言葉が何も無かったのはちょこっと残念だが、言ってることはご尤も。背中を押されるままに表に出る。あいにくの曇天で出立にふさわしいとは言えないが、私の方は晴れ晴れとした気持ちだった。

 庭を突っ切り更に少し進んだところで今一度振り返れば、庭先で私を見送る三人が微動だにせず佇んでいる。その表情は見たことがないほど硬く、私以上に緊張しているようだ。

「では、さようなら。お父さん、お母さん、師匠!」

 それならと思いっきり手を振り、ありったけの声を出した。最後に元気な姿を見せれば安心してくれると思ったからだ。

 師匠に実力を認められた嬉しさ。お母さんのもとを離れる寂しさ。お父さんの言葉の少なさから私への信頼が窺える心強さ。それら全てを抱えて私は旅路に就いた。 

 まずはこの町の奥にある森からスタートだ!





 三人は言葉も無く一人の少女の背中が灰色に暗い風景に溶けて消えるまでを見届ける。

 その後ろ姿が完全に消失してから、漸くペルヒタの母ハイケが口を開いた。

「フーゴさん。ペルヒタを町から出したってことはとうとう……」

「その通りだよハイケさん。この日が来ちまった。本当に申し訳ない。大事な一人娘を、私の賭けに付き合わせてしまって」

 時間の余裕は一切無いのに大人達の間に沈黙が満ちる。ペルヒタの実力を一から十まで知っているフーゴが、森で魔物と遭遇して彼女が生き残る可能性は五分を少し上回るくらいだと見立てた過去が、両親の脳裏に甦ったからだ。

 しかし、両親はそれを覚悟のうえで決断した。ペルヒタはここには残さない。それこそが希望になると、フーゴも交え相談した結果だった。そして愛娘はもう手の届かないところにいる。

 それなら後はもう既定の路線を進むだけだ。

「手筈通りベルトさんと教会の地下へなるべく急いで行ってくれ。まあそれだって安全を保障するわけではないがね」

「こうしちゃしておれん。荷物を持ってこなくては」

 父のベルトは、この日のために備え用意していた必要最低限のものをまとめた鞄を取りに慌ただしく家の奥へ駆け込む。

「では、私も行ってくる。二人とも、兎に角気を付けて」

「それはこちらのセリフですよ、フーゴさん。どうかご無事で」

 ペルヒタとは反対に入口方面へ去って行く元・勇者をハイケは祈るように送り出した。





 血で染まった剣を片手に大男が村の中を悠々と歩いていた。背後には仲間と思しき数人の男が連なっている。その男らの手にも弓や槍などが握られ物々しい雰囲気が漂う。

 明らかにまともではない集団の襲来に住民がバタバタと逃げていくのを、男たちは歪な笑みを浮かべ目で追いかけた。あの一人一人をどうやって甚振ってやろうか。想像だけでは飽き足らず、どうしようもなく体が疼く。

 誰も彼もが奥へ奥へと走っていく中、同じ、いやそれ以上のスピードで一人の男が無法者を目指し駆けて来た。

「なんだあ、お前」

 大男が舐め腐った態度でフーゴに尋ねる。

 とは言え目の前の男の正体はあらかた見当がついていた。男は斧や鍬など武器になりそうなものを両手のみならず背や腰に所持できるだけ所持し、戦う意思を前面に出していたからだ。おおよそ自警団あたりだろうと予想する。若いとは言えない風貌で、勇者の証もペルヒタに渡してしまったフーゴが元とはいえ勇者に見えないのは無理からぬ話だった。

「まだ火もつけてねぇってのにずい分早いお出ましじゃねぇか」

 その通りだった。これまで侵略してきた町村はどこもかしこも呑気で好き勝手恣に暴れられた。だが今日はまだ一人にしか手出し出来ていない。目立って騒がぬ内から何故こうも早く自分たちの存在がばれたのか不思議と同時に不愉快だった。とっとと殺させろ、と全員の顔に書いてある。

「これまで被害に遭った町の共通点を探すと、どこも曇りの日に襲撃を受けていた。大方、日中曇り空の下なら放火しても煙が目立たず警察などの到着を遅らせられるからだろう。だから今日みたいな日は特に見張りを強化し備えていた」

「そーかよ。でも折角見張ってたのに残念だなぁ。一人殺してもテメェしか出て来ないってことは……ここに勇者はいねぇな? こりゃついてる」

「確かに、ここに勇者はいない。――――だが、その勇者を育てた者がいることを忘れるな」

 手始めに斧を構えるフーゴのただならぬ気迫に荒くれ者どもは息を詰めるが、それも一瞬。数の利はこちらにあると思い出し、各々が戦闘態勢をとる。

「ぶっ殺してやんよ、おらァ!」

「させん!」

 威勢のいい叫び声を合図に、両陣営は交戦した。






「へえ! ペルヒタってお師匠様がいるんだ!」

 目を輝かせそう言ったのはベーレ。森の魔物の退治後出会い、そのまま旅を共にする仲間となった同い年の少女だ。

「いいな~かっこいい~ねね、お師匠様ってどんな人? 優しい? 厳しい? イケメン?」

 最後の質問はなんなのかと苦笑しつつ、ペルヒタは尊敬してやまない師匠を思い出す。

「最初の頃は特に厳しかったなぁ。師匠、自分が出来ることは他人にも出来るって思ってたから」

「ほえ~」

「だからこなくそ! って思う日もあったけど、今こうやって人の役に立てているは師匠のおかげだから。一日でも早く立派な勇者だと認められてたって報告しに帰りたいな」

「凱旋帰国ってわけね。じゃあ私もペルヒタが少しでも早く師匠に会えるよう頑張らなきゃだねっ」

 底抜けに明るいベーレが一緒だと、どんな辛い旅程も乗り越えられるはずだと自信が湧いてくる。ペルヒタは心強い仲間の存在に改めて感謝して言った。

「その時にはベーレにも一緒に来てもらいたいな。私の大事な仲間ですって、師匠にもお母さんたちにも紹介したいから」

 彼女はまだ、真実を知らない。

短編集用に書いたものをちょっと加筆修正。

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