婚約
「今度こそ、正しく相手を愛します。ですので、どうかお願いします」
深々と頭を下げ、私は切実な気持ちを表す。
相手を信じて尊重することを改めて誓う私の前で、両親は肩の力を抜いた。
「分かった。そこまで言うなら、結婚を許そう」
「フェアレーター伯爵家には、私達の方から話を通しておくわ」
『少し待っていなさい』と告げてくる両親に、私は小さく首を縦に振る。
「ありがとうございます」
────と、お礼を言った数ヶ月後。
私は無事に令息と……いや、アニスと婚約を結んだ。
『これでやっと胸を張って、彼の隣を歩ける』と歓喜する私は、何度もアニスのところへ行く。
単純に『会いたいから』というのもあるが、相手のことをちゃんと知って親睦を深めたかったので。
一目惚れで始まったこの関係を、より強固なものにしたかったのだ。
おかげで、今では相手のちょっとした癖や弱点も知るような仲に。
まさに順風満帆。唯一の懸念があるとすれば、アニスの異性に対する態度くらい。
ちょっとフレンドリー過ぎる気が、するのよね。特に、美しい女性に関しては。
まあ、彼のことは信じているから口出しする気はないけど、やっぱり婚約者としては複雑ね。
乙女心とも嫉妬心とも言うべき感情を抱きつつ、私は胸元に手を添える。
「それでも、やっぱり────愛する人と過ごす日々は、とっても幸せだわ」
とてつもなく満たされる心と輝いて見える世界を前に、私は頬を緩めた。
『結婚したら、きっと更に喜びと安らぎを感じることだろう』と想像しながら、私は挙式を楽しみに待つ。
だが、しかし────
「ビオラ・インサニティ・モータル公爵令嬢、君との婚約を破棄する!」
────建国記念パーティーにて、アニスから手酷い裏切りを受けた。
今、なんと?『婚約を破棄する』と言ったの?私に向かって?
目の前に立つアニスを見据え、私は口元に手を当てる。
『聞き間違いかしら?』と思い、チラリと周囲の反応を窺うものの、残念ながら事実のようだ。
唖然としている貴族達を見て少し実感が湧く中、アニスが軽く両手を広げる。
「また、僕は────ミモザ・バシリス・フスティーシア王女殿下に一生を捧げることを、この場で宣言する!」
「!」
僅かに目を見開き、私は固まった。
まさか、ここで他の人物……それも、女性の名前が出てくるとは思わなかったため。
つまり、アニスは他の女性に想いを寄せるようになったから婚約を破棄したいということ?
ようやく見えてきた事の全貌に、私はそっと目を伏せた。
『最近ちょっとよそよそしいな、とは思っていたけど……』と思案し、私はゆっくり顔を上げる。
「じゃあ、私のことはもう愛していないの?」
具体的にどのくらいアニスの心が傾いているのか確認したくて、私は質問を投げ掛けた。
もし、少しでも気持ちが残っているなら自分を磨いてもう一度振り向いてもらうようにするわ。
でも、そうじゃないなら────。
最悪の事態を想像する私の前で、アニスは一歩後ろに下がる。
「悪いが、君への未練は一切ない。僕の心はもう完全にミモザのものだ」
愛情の欠片も残っていないことを告げ、アニスは自身の胸元に手を添えた。
その瞬間────私は自分の中で、何かが壊れる音を耳にする。
「そう……それは残念だわ。とてもね」
頭の中が冷えていく感覚を覚えつつ、私は穏やかに微笑んだ。
「出来れば両想いのまま一生を共にしたかったのだけど、この際しょうがないわね。最悪、片想いでもいいわ」
「……はっ?」
怪訝そうな表情を浮かべるアニスに対し、私はスッと目を細める。
黒い瞳に、暗く濁った感情を滲ませて。
「これからもずっと一緒よ、アニス」
婚約破棄に同意しない旨を宣言すると、アニスは明らかに動揺を示した。
この婚約は言うまでもなく、モータル公爵家が優位に立っている。
なので、いくらアニスが『婚約破棄だ』と喚いてもあちらから関係を切ることは出来ない。
まあ、だからこそ今回の騒動を起こしたのだろうけど。
大勢の前で恥を掻かせれば、こちらも婚約破棄に同意すると踏んで。
『通常なら、効果抜群の手でしょうね』と考えながら、私はアニスの頬を両手で包み込む。
「私は何があっても、貴方のことを手放さない。それだけは覚えておいて」
────と、告げた数時間後。
私は建国記念パーティーを終え、帝都にある別邸へ戻った。
そして、直ぐさま両親に会いに行く。
「お父様、お母様。ただいま帰りました」
私室のソファで寛いでいる父と母を見据え、私は優雅に一礼した。
すると、二人はにこやかに応じる。
「おかえり、ビオラ」
「疲れたでしょう?今日は早めに休むといいわ」
気を利かせてくる両親に、私はすかさず首を横に振る。
「いいえ、そういう訳にはいきません。このあと、直ぐに動き出す予定ですので」
「動き出す?一体、何をするつもりなんだ?」
「緊急の案件でも、出来たの?」
不思議そうに首を傾げ、両親は目を瞬かせた。
じっとこちらを見つめてくる二人の前で、私は口を開く。
「実は────アニスを完全に屈服させて捕えておく必要が、出てきました」
「「!?」」
目を丸くして驚き、父と母は額に手を当てた。
「何がどうなって、そんな結論に……」
「建国記念パーティーで、何かあったの……?」
理由を尋ねる父と母に対し、私はこう答える。
「はい、婚約破棄を宣言されました」
「なんだと!?」
「しかも、原因は他の女性に心を奪われたことのようです」
「そんな……!」
珍しく声を荒らげる父と母は、愕然としていた。
『あれほど、ビオラを好いていたのに今更……!』と憤る二人を前に、私は一歩前へ出る。
「私はアニスのことを諦めるつもりなんて、ありません。たとえ、彼が誰を好きであろうとも」
このまま結婚する気であることを明かし、私はおもむろに天井を見上げた。
「ただ、このままでは手に入らない可能性が高い。あちらには、駆け落ちという最終手段がありますから。なので────」
そこで一度言葉を切り、私は小さく笑う。
「────アニスの自由を奪って、ここに閉じ込めておきたいんです」
「「!」」
ビクッと大きく肩を揺らし、両親は僅かに身を乗り出した。
「び、ビオラ……」
「それはあまり……」
「分かっています。『間違っている』と言いたいのでしょう?でも、見てください。この結果を」
『信じて自由を与えたら、目移りと婚約破棄をされました』という状況に、目を向けるよう進言した。
途端に口ごもる両親を前に、私は後ろで手を組む。
「別にお父様とお母様の愛を否定するつもりは、ありません。世間一般では、間違いなくそちらの方が正しいんでしょうし」
別に自分の愛を正当化したい訳じゃないことを告げ、私は背筋を伸ばした。
「でも、私は────正しく愛してアニスを失うくらいなら、身勝手に愛して手に入れることを選びます」
両親の目を見つめ返して宣言すると、二人は明らかに動揺を示す。
「ビオラ、私達は……」
「貴方の愛を……」
悩ましげに眉を顰め、父と母は視線を逸らした。
言動の端々に迷いを滲ませる二人の前で、私は身を翻す。
「お父様、お母様。私の愛を認めてほしいとは、言いません。ただ、これからすることに口出しはしないでほしいだけです」
────邪魔立てするなら、お二人も消さなければなりませんから。
とは言わずに、ゆっくりと部屋から出ていった。