準備
◇◆◇◆
────同時刻、モータル公爵家の自室にて。
私は執事に頼んで集めてもらった資料を見ながら、先程の出来事を思い返していた。
アニスって普段は色々と滅茶苦茶なのに、いざってとき機転が利くわよね。
正直『愛している』の言葉がなければ本気で手足を奪っていたため、私は素直に感心する。
きっとアニスに深い考えはなかっただろうが、見事に毒気を抜かれてしまった。
「奇想天外で突発的なところは、出会ったときから変わらないわね」
突然プロポーズされた場面が脳裏に甦り、私は笑みを漏らす。
「今度は私の方から、プロポーズしてあげる。もっとも、私達はもう夫婦だけど」
小さく肩を竦めて椅子の肘掛けに寄り掛かり、私は足を組んだ。
「それでも、形はしっかり整えておいた方がいいでしょう?」
執務机に並べた資料を見下ろし、私はゆるりと口角を上げる。
楽しみで楽しみでしょうがない心境になりつつ、私は早速準備に取り掛かった。
────その翌日、私は確認と様子見を兼ねてアニスのところに足を運ぶ。
「ごきげんよう、アニス」
ソファに座って食事している彼を見据え、私は穏やかに微笑んだ。
すると、アニスはこちらに視線を向ける。
「あ、ああ」
ぎこちなくではあるものの、アニスは確かに返事をした。
以前までなら、無視したり怒鳴りつけたりしていたのに。
やっと、自分の立場を受け入れるようになったのかしら?それとも────。
喜ばしい変化に思いを馳せながら、私はアニスの元まで行き、隣に腰掛ける。
「左手を出してちょうだい」
「えっ?何で?」
「ちょっと確かめたいことが、あるの」
『大丈夫、痛いことはしないから』と述べる私に、アニスは戸惑いつつも左手を出した。
まじまじとこちらを見つめてくる彼の前で、私はポケットから紐を取り出す。
「じっとしていてね」
そう声を掛けてから、私はアニスの左手の薬指に紐を巻き付けた。
ピクッと反応する彼を他所に、私は紐を結んで指から抜き取る。
「もう手を下ろしていいわよ」
用事が終わったことを告げ、私は紐をポケットに仕舞った。
「それじゃあ、私は行くわね」
『食事中に失礼したわ』と言い、私は席を立つ。
その刹那────アニスが、私の手を掴んだ。
「なあ……昼食がまだなら、一緒に食べないか」
「!」
僅かに目を見開き、私はアニスのことを凝視する。
まさか、食事に誘われるなんて思ってもなかったので。
『早く立ち去った方が、アニスとしては嬉しい筈なのに』と驚く中、私は頬を緩めた。
もし、何か作為があったとしても愛する人に声を掛けてもらうのは嬉しくて。
「ええ、喜んで」
アニスの隣に座り直すと、私は使用人を呼んで追加の料理を用意した。
おもむろにカトラリーを手に取ってスープを飲む私は、目を細める。
「美味しいわね」
味付けは普段と変わらないのにアニスとの食事かと思うと、格別だ。
久々にちゃんと味わって食べている、というのも大きいだろうが。
『最近は何かと忙しくて、料理を楽しむ暇なんてなかったものね』と思案する私を前に、アニスもスープを飲む。
「本当だ、凄く美味しい。一人で食べていたときより、ずっと」
僅かに表情を和らげ、アニスはパクパクと食べ進めていった。
本心だということが分かる彼の態度に、私は少し胸を高鳴らせる。
こういう言動を取られるのは数ヶ月ぶりだからか、喜びを隠し切れないわね。
罠かもしれないのに、我ながら呑気なことだわ。
隣に居るアニスを眺めつつ、私はパンをちぎった。
────その後、何事もなく昼食を終えて私は自室に戻る。
「毒殺でも企んでいるのかと思ったけど、至って平和だったわね」
先程の食事風景を思い返し、私は口元に手を当てた。
単なるご機嫌取りだったのかしら?
まあ、なんにせよ楽しい一時だったわ。
穏やかな表情を浮かべ、私はおもむろに椅子へ腰を下ろす。
『また食事に誘ってくれると、嬉しいのだけど』と思いながら、私はポケットから紐を取り出した。
「これで、指輪のサイズは問題ないわね。あとは、材料の調達を待って加工に取り掛かるだけ」
執務机の上に紐を置き、私は椅子に腰掛ける。
『じゃあ、次の案件に移るとしましょう』と心の中で呟き、私は資料を手に取った。
────それから三日ほど部屋に籠り、私はまた別件でアニスの元を訪れる。
「アニス、そこに立って」
室内のちょっと開けた場所を指さし、私はそう指示した。
すると、アニスは
「分かった」
と、二つ返事で席を立つ。
早速指定した場所に移動するアニスを前に、私はポケットから巻尺を取り出した。
「両手を広げて」
「こうか?」
こちらに向かって両手を伸ばすアニスに、私はクスッと笑みを漏らす。
『これでは、まるで私が腕に飛び込んでくるのを待っているみたいね』と思って。
「腕は真横に、尚且つ真っ直ぐ伸ばして」
アニスの手を掴んで位置を調整し、私は巻尺を引っ張る。
「しばらく、その状態を保っていてちょうだい」
そう言うが早いか、私はアニスの体のサイズをあちこち計り始めた。
所謂、採寸である。
「えっ?何でこんなこと……使用人にでも、任せればいいだろ」
アニスは困惑した様子でこちらを見つめ、狼狽えた。
『公爵令嬢のやることじゃない』と捉えている彼を前に、私は小さく肩を竦めた。
「私がやりたいのよ。それに、貴方の体を他の人に触られるのは我慢ならないの」
アニスの胸元あたりをスルリと撫で、私は笑みを深める。
『これは私の特権でしょう?』と示す中、彼は頬を赤く染めた。
「そうか……まあ、ビオラがいいならいいんだ」
ぶっきらぼうな言い方に反して、アニスはどこか嬉しそうに振る舞う。
僅かに頬を緩めている彼の前で、私は一先ず採寸を済ませた。
「楽にしてくれて、いいわよ。もう終わったから」
巻尺をポケットに仕舞い、私は『お疲れ様』と労う。
と同時に、アニスがチラリとこちらの顔色を窺ってきた。
「用事はこれだけか?」
「ええ」
「なら、お茶でも飲んでいかないか?」
『せっかくだし』と言って、アニスはこちらに手を差し伸べる。
先日の昼食に続き、今回も誘いを受けるとは。
本当にアニスは変わったみたいね。
まだその胸の内までは、分からないけれど。
空色の瞳を見つめ返し、私は『何を考えているのかしらね』と思案した。
「構わないわ」
どんな意図があるにせよ、嬉しいことに変わりはないため誘いを受ける。
『本当か!』と目を輝かせるアニスの前で、私は使用人を呼び出した。
お茶や菓子を用意させるために。
『量はそんなに要らないから、とにかく早く準備して』と指示を出すと、彼らは直ぐさまセッティングした。
テーブルに並べられたティーカップやケーキスタンドを前に、私はソファへ座る。
すると、アニスがすかさず隣に腰を下ろした。
「ビオラ、ここ数日は何をしていたんだ?」




