恋
「どこかに居ないかしら?ずっと一緒に居られる存在……」
────と、嘆いた数年後。
私はデビュタントの席で、衝撃的な出会いをする。
煌びやかな金髪と空色の瞳を持つ少年と。
「────君に一目惚れをした!是非、僕と結婚してほしい!」
挨拶も自己紹介も捨て置いて、少年は開口一番にそう言った。
思わず呆気に取られる私達一家を前に、彼は身を乗り出す。
「君に僕の全てを捧げると誓うよ!」
私の手を掴んで、少年は指先にそっとキスした。
かと思えば、真っ直ぐこちらを見据える。
あれ?なんか既視感が……あぁ、そうか────あの子達に似ているんだ。
この澄んだ目も、私を掴んでくる手も……全て。
蝶々達が指先に止まってこちらを見てきたことが思い出され、私は懐かしい気分になった。
その刹那、人混みの中から一人の男性が現れる。
「も、申し訳ありません!モータル公爵、夫人、令嬢!」
慌てた様子で駆け寄ってきた男性は、少年の隣に並ぶなりペコペコと頭を下げた。
腰まである金髪を振り乱すような勢いで。
「我が息子が、とんだご無礼を……!」
僅かに表情を強ばらせ、男性は空色の瞳に焦りを滲ませる。
『親子だったのね』と冷静に分析する私の前で、彼は少年の頭に手を掛けた。
「ほら、お前も謝りなさい!」
そう言うが早いか、男性は思い切り少年の頭を押す。
無理やりお辞儀することになった少年は、彼の手を振り払おうと藻掻いた。
「ちょっ……!やめ……!僕は何も悪いことなんて、していないじゃないか!」
『侮辱的な発言をした訳でも、危害を加えた訳でもない!』と反発する少年に対し、男性は眉を吊り上げる。
「初対面でプロポーズをしたという時点で、充分失礼に当たる!詫びて、当然だ!」
「ただ正直な気持ちを言っただけなのに……!?」
『納得いかない!』とでも言うように声を荒げ、少年は眉間に皺を寄せた。
「確かにいきなり不躾だったかもしれないけど、失礼と言われるほどでは……!」
「もういい!お前は黙っていなさい!」
『埒が明かない』と判断したのか、男性は会話を打ち切る。
と同時に、こちらへ向き直った。
「本当に申し訳ございません!この子には、後でしっかり言い聞かせておきますので!」
『どうか、お許しを!』と懇願する男性に、父は片手を上げる。
「気にしてませんよ、フェアレーター伯爵。子供の言うことですから」
大目に見ることを主張し、父は顔を上げるよう促した。
すると、あちらはパッと上体を起こす。
フェアレーター伯爵……フルネームは確か、フレデリック・マーク・フェアレーターだったわよね。
資料で読んだわ。
情報通りなら伯爵には二人の息子が居た筈だけど、この少年はどちらかしら?
体格からしてまだ幼いようだし、次男のアニス・ライ・フェアレーター伯爵令息?
『長男の方はもう十代後半という話だから』と考える中、フェアレーター伯爵は少しばかり表情を和らげた。
「そう言っていただけて、大変有り難いです……!」
家門同士の問題に発展するとでも思っていたのか、フェアレーター伯爵はホッと息を吐き出す。
が、何か言いたげな令息を見るなり顔色を変えた。
「では、我々はこれで……!」
半ば強引に話を切り上げ、フェアレーター伯爵は令息の手を引いて立ち去る。
『アニスがまた変なことをする前に!』と言わんばかりに。
私はそんな彼らの背中をただじっと見送った。
────その後、特に何事もなくデビュタントを終え、私は両親と共に帰宅。
軽く食事を摂ってから自室に戻り、私はベッドの脇に腰を下ろす。
「アニス・ライ・フェアレーター伯爵令息……」
初対面でプロポーズしてきた少年を思い浮かべ、私はスッと目を細めた。
彼のことが、ずっと頭から離れなくて。
こんなに誰かのことを想うのは、初めてだわ。
それに────この胸の高鳴りも。
少年と出会ったときから止まらない心拍の上昇に、私は違和感を覚える。
「私は一体、どうしてしまったのかしら」
最初はただ、蝶々達に似ている存在を見つけて興奮しているだけかと思っていた。
でも、それにしては状態異常が長すぎる。
何より、私は明らかに蝶々達のことより彼自身のことを考えているわ。
蝶々達との思い出に浸る訳でも蝶々達と重ねて見る訳でもない自分に、私は小首を傾げた。
「ダメね、さっぱり分からない」
『お手上げだわ』と肩を竦め、私はおもむろに天井を見上げる。
「明日、誰かに相談してみましょう」
────と、呟いた翌日。
私は一先ず両親に話を聞いてもらおうと、私室へ向かうものの……途中で侍女から大量の手紙や贈り物が届いていることを知らされ、一度自室に戻った。
先に送り主の確認や返信の手配をしてから、ゆっくり相談を行いたかったので。
デビュタントを迎えて正式に貴族となったからか、本当に凄い数ね。
テーブルからはみ出るほど積まれた手紙と贈り物を見やり、私は顎に手を当てた。
『とりあえず、手紙から確認していきましょうか』と考え、リストに目を通す。
────と、ここでアニス・ライ・フェアレーター伯爵令息の名前を見つけた。
「彼も送ってきていたのね」
リストの文字を指先でなぞり、私は少しばかり頬を緩める。
再び胸を高鳴らせながら。
『一体、どんな内容だろう?』と興味を持ち、私は封を切った。
と同時に、便箋を取り出す。
『昨日は大変失礼しました。心より、謝罪いたします。ただ、プロポーズそのものは真剣であり、本心であることをご理解ください。決して、その場の勢いや一時の感情で言った訳ではありません。もし、そうであるならば貴方のことを思う度こんなに胸が高鳴ったり、つい貴方のことばかり考えてしまったりしない筈です。これは貴方に恋をしている、何よりの証拠でしょう。ですから、どうか僕との将来を本気で考えてくれませんか?結婚相手の候補に加えていただくだけでもいいので、何卒』
便箋にビッシリ書き込まれた文章を前に、私は呆然とする。
手紙の内容……というか、言い回しに衝撃を受けて。
「────恋……」
そっと自身の胸元に手を添え、私は大きく瞳を揺らした。
相手のことを思う度に胸が高鳴ったり、相手のことばかり考えてしまったりするのが慕情なら私も令息と同じ気持ちということになるわね。
昨日からの状態異常を思い浮かべ、私は手紙を一瞥する。
「正直実感はないけど、だからと言って不自然にも感じない。妙に納得している自分が、居る」
『つまりはそういうことなんだろう』と考え、私は恋に落ちた現実を受け入れた。
「さて────それじゃあ、初恋を叶えるために動き出しましょうか」
便箋を封筒の中に戻してテーブルへ置き、私はソファから立ち上がる。
早速両親のところに行って結婚の相談をしよう、と。
『こういうのは、早い方がいいから』と思いつつ、私は一旦手紙のことを後回しにした。
さっさと部屋から出て廊下を突き進む私は、両親の私室を訪ねる。
「朝早くから、申し訳ありません。実はお二人に折り入って、お願いしたいことがございまして」
ソファに並んで座る両親を見やり、私は背筋を伸ばした。
改まった態度を取る私の前で、父と母は僅かに目を見開く。
「ビオラが、私達に頼み事か。珍しいな」
「一先ず話を聞くから、適当なところに掛けて」
驚きながらも対応してくれる両親に、私は軽く頭を下げた。
「はい、失礼します」
空いているソファに腰を下ろし、私は向かい側に居る両親を見据える。
と同時に、父が口を開いた。
「それで、『お願いしたいこと』とは一体何だ?」
『何か欲しいものでもあるのか?』と問う父に対し、私は小さく頷く。
別に間違ってはいないので。
「────アニス・ライ・フェアレーター伯爵令息との結婚を許していただきたいんです」
「「!?」」
両親は石のように固まり、こちらを凝視した。
かと思えば、
「何故だ?」
父が代表して、疑問を投げ掛ける。
どことなく戸惑った素振りを見せる二人の前で、私は迷わずこう答えた。
「彼のことを心から、愛しているからです」
「「!」」
ハッとしたように息を呑み、父と母は互いに顔を見合わせる。
「愛か……」
「ついにビオラも恋を……」
『もうそんな年齢に……』と感心し、両親は目元を和らげた。
が、どこか不安そうな素振りを見せる。
多分、蝶々の件が脳裏を過ぎったのだろう。
『もうあんなことには、ならないと思うけど……』と悩む二人を前に、私は席を立った。
「今度こそ、正しく相手を愛します。ですので、どうかお願いします」