意図せぬ再会
◇◆◇◆
────同時刻、モータル公爵家にて。
私はアニスの部屋を訪れ、ソファに腰を下ろした。
ベッドで寝たフリをしている彼を見ながら。
『言葉を交わす気はない』という意思表示ね。
相変わらず、子供っぽいんだから。
まあ、そこがとても愛らしいのだけど。
ギュッと目を瞑ってじっとしているアニスに、私は穏やかな眼差しを向けた。
『どうやったら、目を開けてくれるかしらね』と考えつつ、トントンと指先でソファの肘掛けを叩く。
「ねぇ、アニス。ミモザ王女殿下は今、輿入れのためフスティーシア王国を出たみたいよ」
「!」
アニスはピクッと僅かに眉を動かし、手を強く握り締めた。
悔しさや虚しさを露わにする彼の前で、私は顎に手を当てる。
やっぱり、ミモザ・バシリス・フスティーシアの現状は気になるみたいね。
妻としてはちょっと複雑だけど、別にいいわ。
『まだチャンスはあるかもしれない』と変に希望を持たせるより、しっかり現実を突きつけて諦めさせた方が効率的だもの。
『これくらい我慢出来るわ』と目を細め、私はおもむろに席を立った。
「結婚式はあちらに到着でき次第、行うそうよ」
フェンネル国王陛下の手紙で知ったことを口にし、私はベッドまで足を運ぶ。
「もうすぐ、ミモザ王女殿下は手の届かない存在になるわ」
ベッドの端に座り、私はアニスの頬を撫でた。
反射的に顔を背ける彼を前に、私はクスリと笑みを漏らす。
「どれだけ足掻いても、結局貴方とミモザ王女殿下は結ばれないのよ。そういう運命なの」
優しく諭すように言い聞かせ、私はアニスの首……それも、先日作った赤い痕を指先でなぞった。
『さすがにかなり薄くなっているわね』と冷静に分析する中、彼が飛び起きる。
「僕に触るな……!」
また首を絞められるとでも思ったのか、アニスは私の手を払い除けた。
急いで後退りこちらから距離を取る彼の前で、私は『まるで、野良猫みたいね』と微笑む。
その刹那────窓ガラスが割れた。
「「!?」」
思わず目を見開く私とアニスは、音のした方へ視線を向ける。
すると────そこには、黒のローブを羽織る謎の集団が。
一体、どうやって屋敷の敷地内に入ってきたの?
ここは皇城と同じくらい、警備が厳しいのに。
余程の実力者でなければ、こんなの……いいえ、今はそんなことを考えている場合じゃないわ。
窓の鉄格子を外そうと奮闘している黒のローブの集団を一瞥し、私は立ち上がった。
「何者かの襲撃を受けたわ!直ぐに来て!」
扉に向かって叫ぶと、モータル公爵家の騎士達は直ぐさまなだれ込んでくる。
恐らく、先程の物音を聞いてずっとこちらの様子を窺っていたのだろう。
対応が非常に迅速だった。
「ビオラお嬢様達は、こちらへ!」
とりあえず廊下に出るよう促してくる騎士団長に、私は小さく頷く。
ここに居ると危ないのは、誰から見ても明白なので。
「行きましょう、アニス」
『早く避難しないと』と呼び掛け、私は手を差し出した。
と同時に、アニスはようやくこちらを向く。
「あ、ああ」
まだ動揺が収まらないのか声を震わせているものの、アニスは素直に応じた。
僅かに身を乗り出して手を伸ばしてくる彼の前で、私は何とも言えない高揚感を覚える。
『アニスの方から触れてくるのは、数ヶ月ぶりね』と頬を緩める中────
「アニス!」
────私じゃない誰かが、彼の名を呼んだ。
ハッと息を呑む私は、慌てて視線を上げる。
聞き覚えのある声だったので……どうしても、正体を確かめなければならなかった。
「────迎えに来たわ、私の愛する人!」
そう言って、こちらへ歩み出てきたのはローブの集団の中でもかなり小柄な女性。
『まさか、本当に……?』と驚く私を他所に、彼女はフードを取り払う。
それにより、オレンジがかった金髪と太陽のような瞳が露わになった。
「私と一緒に逃げましょう!」
他の誰でもないミモザ・バシリス・フスティーシアが、手を差し伸べる。
駆け落ちという選択肢を挙げる彼女に、アニスは大きく瞳を揺らした。
かと思えば、ミモザ王女殿下の方へ向き直り彼女の手を取ろうとする。
本来であれば、私の手を取る筈だったのに……よりにもよって、恋敵へ方向転換するだなんて。
嗚呼、心がざわめく。
不快な気持ちが胸に広がり、私は無造作にベッドのシーツを引っ張った。
それにより、アニスは見事にバランスを崩す。
「なっ……!?」
空色の瞳に焦りを滲ませ、アニスは背中を強打した。
と言っても、ベッドの上なのであまりダメージはないだろうが。
「絶対に行かせないわよ、アニス」
私は真っ直ぐに前を見据え、彼の手首を掴んだ。
『決して放さない』という意思を込めて、強く……強く。
「貴方は私のものなんだから」
思い切り手を引いて、私は強引にアニスの体をこちらへ近づけさせた。
『我ながら、凄い力ね』と驚いていると、ミモザ王女殿下が顔を顰める。
「アニスはモノなんかじゃないわ!今すぐ、手を離してちょうだい!」
「ミモザ王女殿下に命令される謂れは、ありません。私は貴方の家臣じゃないので」
傍まで引き寄せたアニスを抱き締め、私はニッコリと微笑んだ。
その途端、ミモザ王女殿下は強く奥歯を噛み締める。
「そういう話をしているんじゃないの!人として、当たり前の常識を……」
「常識、ですか。今まさに他人の夫を奪って、駆け落ちしようとしている人のセリフとは思えませんね」
「っ……!」
一応非常識な真似をしている自覚はあるのか、ミモザ王女殿下は言葉に詰まった。
が、決して引き下がることはなく
「いいから、アニスを解放して!」
と、再度要求する。
どこまでも頑固で融通の利かないミモザ王女殿下は、少し身を屈めた。
アニスを奪うために。
「────お下がりください!」
黒のローブの一人がミモザ王女殿下の肩に手を掛け、後ろに押す。
勢い余って転倒しそうになる彼女を前に、彼は剣を振るった。
そのおかげで、こちらの騎士が投げたナイフを防ぐことに成功。
残念。あの男性が割り込まなければ、ミモザ・バシリス・フスティーシアの腹を刺せたのだけど。
まあ、下手に怪我させても後々面倒だし、むしろ良かったかもしれないわね。
『いい方に捉えましょう』と自分に言い聞かせつつ、私はアニスをどうにか立たせようとする。
が、力及ばず……ただ引っ張るだけの形に。
『仕方ないわね、騎士に運んでもらいましょう』と考えて顔を上げると、モータル公爵家の騎士が更に駆け込んできた。
恐らく、屋外の警備を行っていた者達だろう。
『これで、あちらはもっと不利になったわね』と冷静に分析する中、黒のローブ集団はジリジリと後退していく。
さて、そろそろ決着をつけようかしら。
『あまり長引かせても、メリットはないし』と思い立ち、私はパンッと手を叩いた。
「ミモザ王女殿下を手助けしている皆さん、一つ提案です────このまま殿下を置いて、帰っていただけませんか?」
「「「!」」」
黒のローブ集団のみならず、モータル公爵家の騎士まで息を呑み、固まった。
『いきなり、何を言い出すんだ……』と戸惑う彼らを前に、私は笑みを深める。
「勝負はもう見えているでしょう?これ以上、争っても無駄な血を流すだけです」
まだ誰も倒れていないものの、戦力差は明らか。
その上、アニスはまだこちらの手の中に居る。
目的を果たしてここから去るのは、ほぼ不可能だ。
「もし、提案を呑んでいただけるのなら貴方達の主人に迷惑が掛からないよう最大限配慮して事を収めましょう」
『最悪の事態は避ける』と遠回しに告げると、黒のローブ集団は明らかに動揺を示し、モータル公爵家の騎士達は困惑を露わにする。
理解が追いつかないのか言葉を発せずに居る彼らの前で、私は口元に手を当てた。
「貴方達の主人が、ミモザ王女殿下じゃないことは分かっています。これほどの精鋭を彼女の力で、用意出来たとは思えませんから。間違いなく、手を貸した人物……それも、かなりの大物が居る筈です」
確信を持った口調でそう言う私に、黒のローブ集団は明らかに“迷い”を見せる。
本当の主人のために、どうするのが一番いいのか?と。
「……分かりました」
黒のローブの一人が口を開き、おもむろに武器を下ろした。
「ビオラ嬢の提案を受け入れます」
手を引くことを宣言し、彼は他の者達に目配せする。
────と、ここでミモザ王女殿下が焦りを見せた。
「えっ?ちょっ……!話が違うわ!」