8 ブランドル初の艦上戦闘機
七月一日
リューゲン島飛行場
空軍から海軍への出向手続きやら、座学やらで、シュトラウスが自分の乗るべき新型機の前に立つのに三日が必要であった。
少し暑くなってきた朝、格納庫へとシュトラウスは向かう。そこには今日自分が乗るべき機体がすでに引き出されていた。
シュトラウスは機体を眺めるべく大きく一周する。一見いつも見慣れたフォッカーFo109に見える。塗装も通常の空軍塗装とほぼ同じである。
整備員が気を利かせたのか、尾翼は黒く塗られ、そこに銀の兜まで描かれていた。
こうしてみると格納庫にしまわれている乗ってきたE-4と間違えそうであった。
シュトラウスの脚が主翼の端で止まる。両の手を伸ばしたような主翼、それがいつもより長く見えた。
「そいつがブランドル初の国産艦上戦闘機、Fo109Tだとさ」
声の主を振り返るといささかくたびれた飛行服の男が立っていた。
まるで民間人が着るような茶色い革の上着に、やたらと長くたなびかせた白いマフラー。規律正しきブランドル軍人とはかけ離れた格好の男であった。
シュトラウスが沈黙を保ったままなのでその男はわざとらしく肩をすくめた。
「おいおい、初対面って訳じゃなんだぜ。俺だよ。グレゴール・ボルコフだよ」
数秒してようやく思い出した。この基地に来るときに絡んできたロシア人であったか。
あのときは無線を通してしか会話していなかったが、そういえばあんな感じの革の上着を着ていた。
「あんたシュトラウスの旦那だろ。ずいぶんと若いんだな」
そう云うボルコフは、想像していたよりも老けて見えた。
飛行帽を外しているため、その額がずいぶんと後退しているのが嫌でも判ってしまう。
「ボルコフ中尉、だったかな。そういえばその革の上着は見覚えがある」
「覚えてくれて光栄だぜ大尉殿」
そう云って乱暴に握手してくる。
見たところ三十の後半は行ってそうだが、それでまだ中尉とは。ロシア軍の昇進速度はよく知らないが、訳ありなのだろうか。
「今日はどういったご用件で中尉」
「俺たちの仲じゃないか、そう他人行儀になるなよ」
そう云ってなれなれしく肩を叩いてくる。
遭うのがこれで二回目の男に、これ以上どう親しくしろと云うのだ。シュトラウスは整った顔をわずかに歪ませる。
「何しろまだ奢って貰えてないんでね」
「おっとこいつは痛いところを突かれたな。まあそいつは追々ってことで。まあ仕事の話だが、しばらく俺があんたの面倒を見ることになった。ここでの俺の仕事は教官だからな」
あまり教育者には向かない顔をしている。
「フォッカーとはもう三年以上の付き合いになる。飛ぶことに関して今更人に教わることはないと思うが」
ブランドル空軍の中で、自分より上は十人といないとシュトラウスは自負していた。
「海軍機には海軍機の流儀ってものがある。あんた空母に着艦したことあるのかい?」
さすがにそれはシュトラウスにもない。
「ま、そういうこった。そう難しく考えることはないさ」
気安く云ってボルコフは海軍型フォッカーを叩く。
「こいつはFo109の主翼を1mほど伸ばして翼面積を増やしている。着陸速度が8㎞/hほど遅くなった」
狭い飛行甲板に着艦するために、艦上機はゆっくり飛んで短い距離で離着陸できることが求められる。
小さい翼で弾丸のように飛ぶFo109は着陸速度が速くて難しいため、本来艦上機に全く向いていない。そのための主翼延長だった。
「それと着艦フック。これを引っかけて着艦するってのは座学で聞いたな」
後ろに回るとボルコフは尾輪の前を軽く蹴り上げる。そこには黒く塗られた棒が取り付けられていた。
先端が曲がっていて、そこでワイヤーを引っかけられるようになっていた。
「ま、俺に云わせりゃ付け焼き刃なんだが、あとは飛んでみりゃ判るだろ」
雑な物言いだが、操縦桿を通しての方が伝わることも多いのはシュトラウスも同意見だった。
「じゃ、とりあえず上がってくれや。俺は乗り慣れたのに乗るから」
そう云うとボルコフは自分の愛機であるマヌールに向かっていった。シュトラウスは勝手知ったるフォッカーに乗り込んだ。
ベルトを締めてエンジン始動、そして暖気。この辺りはいつものE型と何ら変わらない。『こちらフラミンゴ。シルヴァナー聞こえるな』
無線を通して20m先のボルコフの声が聞こえてきた。
「こちらシルヴァナー。離陸準備よし」
『それじゃぼちぼち行くか』
無線と同時に操縦席から手を降って合図をすると、マヌールはするすると進み始めた。
少し間をおいて、フォッカーもその後に続く。
誘導路を進み、滑走路端に着く。ブレーキを踏んだ状態で大きくエンジンを吹かし、調子を確認する。
大いに身震いさせると一度回転を落とす。
手で合図をするとマヌール戦闘機は滑走路を走り始めた。車輪の間隔が広いので、安定した走り出しである。
九気筒の星形エンジン故の丸太のように太い胴体は、見た目のわりに軽やかに空に昇る。あの大きい翼のおかげだろう。
先行機が離陸したのを確認すると、シュトラウスもスロットルを開ける。大きな身振りとともにフォッカーも滑走路を走り始めた。
十四気筒のドラグーンエンジンの音はいつ聞いても心地よい。こちらは車輪の間隔が狭いので、震えから来るブレをを軽く押さえ込む必要がある。
速度計が140㎞/hを指した辺りで操縦桿を軽く引くと、ふわりと浮かび上がる感触があった。なるほど、確かに離陸が軽い。そのまま空への階段を上り、脚を引き込んだ。
上昇していくフォッカーの隣に、回り込んできたマヌールが並ぶ。同じ空冷エンジンの機体なのに、太さに大分差がある。
『海上に出たら、ちょっくら肩慣らしといこうか』
ボルコフはそう云いながら翼を大きく振る。
「一杯は賭けないぞ」
機体の性能を確かめて身体になじませるのが目的なのだから、いちいち勝負してはいられない。
『判った判った。評価項目通り、2460で水平旋回二回な』
高度を変えて飛行特性を確認。
フォッカーもマヌールも、過給器という空気を押し込む仕組みがあるため、空気の薄いところでも存分に飛行することができる。
そうすると自ずと得意な高度と苦手な高度ができてくる。それを把握することも空の戦いにおいては重要なことであった。
空に決められたような航路で弧を描く。合わせるようにマヌールも旋回するので、比較することができる。
全開高度は同じようなものだが、フォッカーの過給器が無段階変速のおかげで向こうの切り替え直後はこちらが上であった。
その他いくつかの試験項目を終えて、シュトラウスは艦上型フォッカーの性能を掴んだ。
最高速度が落ちる分、旋回性能は上がっていて飛ばしやすくはなっている。
あの驚異の旋回性能を誇るあの「10」に対して、こいつなら対抗できるだろうか。
『よし、じゃあ次行こうか』
そう云ってボルコフは先導する。だが進路は南ではなく西だった。
「一旦基地に戻るんじゃないのか」
予定では午後から飛行場で擬着艦訓練のはずだったが。
『あんたの腕なら先行って大丈夫だろ。燃料もまだあるし』
そう云ってずんずんと東に向かっていく。全く勝手なやつだ。我が儘な教官機の後をシュトラウスは追った。