5 シュトラウスの海軍出張
六月二十七日
バルト海上空
相談を受けた翌日には、シュトラウスはもう機上の人となって新たな任地へと向かっていた。機体は乗り慣れたFo109E-4。尾翼は黒く塗り上げられ、その中央にはシュトラウス家の紋章から取った銀の兜が描かれている。
どうせなら新型機であるF型で乗り付けたかったところではあるが、中隊でもまだ半分しかない機体をただの移動に使うほどの余裕はなかった。
途中ハンブルグで給油してからの旅行となった。国内の移動でも燃料の心配をしなければならないのはフォッカーの悪いところだった。
そういえばアキツの「10」はノルマン領内からベルリンまで往復していた。何かの間違いと当時は云われたが、ベルリンで赤い尾翼が大勢の市民に目撃され、そしてアミアンに帰ってきたところはシュトラウス自身が確認した。信じがたい航続力だった。
アキツはなぜ単座戦闘機にそんな尋常でない航続力を持たせたのだろうか。理解しがたい。これも、海軍とやらなのだろうか。
目的地はリューゲン島。海軍の飛行隊が拠点としている場所だった。バルト海最大の島で、上から見ると本土と河のような海峡で切断されていた。
本土のすぐそばだし最近橋が架けられたそうだから、まあ文明的な生活は送れるだろう。保養地としても知られた場所である。ちょうどいい息抜きにもなろう。シュトラウスは上空から島全体を眺めた。
確か島の真ん中辺りに飛行場があったはず。シュトラウスが見回して、そして視線を少し上げる。黒い点が一つ、上空に浮いていた。
黒点はこちらに向かってくる。近づくにつれてそれが黒と云うよりも青であることが判ってきた。太くて丸い、アブのような飛行機。
はっきり見えるほど近づいたところでその機体は翼を振る。いや更に一回転した。
『そこのフォッカー、リューゲンに来るお客さんかい?』
無線に向こうの声が入る。
「こちらシルヴァナー1、ウェルター・フォン・シュトラウス。ブランドル帝国空軍大尉。評価要員としてリューゲン基地に派遣された。よろしく頼む」
『はっ、貴族様とは。そりゃご大層なこって。歓迎するぜ』
ずいぶんと砕けた物言いだった。それ以前に少し妙な訛りがある。
『こちらフラミンゴ、グレゴール・ボルコフってんだ。よろしくな』
反転して並んできた機首が太く、翼も丸いその機体はマヌール艦上戦闘機、ロシア合衆国の機体だった。
「君はロシアから来た技術顧問かね」
発音からして、ブランドルの人間ではなさそうだった。
『まあそんなところだ。合衆国海軍中尉』
ブランドル帝国はロシア合衆国から主力艦を買うことによって、劣勢だった海軍戦力を強化している。しかし艦だけ買っても動かす人材の育成には時間がかかる。そのため技術顧問という形で多くのロシア人たちが来ているとは聞いていた。
『教官って触れ込みだったがマイヅルにもブリュッセルにも征ったぜ。金さえ出してもらえばアキツ人だろうとノルマン人だろうと殺してやるよ』
腕に自信はあるらしいが、粗野な物言いだった。
『それよりあんた、勲章持ちなんだそうだな』
品のない言葉使いだ。シュトラウスは眉をひそめる。
「騎士鉄十字章を、先月授与された」
ロシア人は口笛を吹いた。
『そいつはいいや。ここのブランドルの連中は塩気の足りないふぬけどもばかりで退屈してたんだ』
そう云いながらマヌール戦闘機はシュトラウスを中心に大きくバレルロールのような軌道を取って、フォッカーを表から裏まで舐め回す。
『なあ貴族の旦那。ちょっくら遊んでくれねぇ、かなぁ!』
マヌールが背後に襲いかかる。そのときにはもうフォッカーは翼を翻していた。
『そうこなくっちゃな!』
急降下で離そうとしたがすぐにマヌールは追ってくる。
上昇に転じながらシュトラウスは相手を振り返る。野蛮な男だが、腕は悪くないな。しかし負けてやる気は更更にない。
斜めに上昇しながら緩やかに旋回する。大きな螺旋が二筋、天に昇るようだった。
太陽の方向に入った瞬間にシュトラウスは軌道をぶらしたが、ロシア人も惑わされずに付いてくる。なるほど、悪くない。
シュトラウスは両者の性能を推し量る。真っ直ぐ飛べばフォッカーの方が速い。主翼が大きい分旋回性能はマヌールの方が上だろう。
降下に転じて最高速勝負に持ち込めば振り切れるであろうが、それでは面白くない。なら誘うか。シュトラウスは操縦桿を返して、あえて横の旋回に切り替えた。
案の定、マヌールの方が旋回半径が小さい。みるみるうちに向こうが内側に食い込んでくる。
ボルコフは照準でフォッカーの背中を追いかける。もう少し。そう思った瞬間、視界が白く染まった。
雲に飛び込まれた。
操縦桿を引いて旋回を強めると、ボルコフのマヌールはすぽんと雲から抜け出た。ちぎれ雲のような小さな雲だった。
もう少しで捉えるはずだった獲物はもう目の前にはいない。ではどこに。見回したところで無線が聞こえてきた。
『後ろだよロシアの客人』
振り返るとすぐ真後ろにFo109が銃口を向けてこちらを見ていた。
「参った参った」
ボルコフは大げさに両手を挙げて見せた。
「撃たないでくれ」
ロシア語でそう云うと、ボルコフは左右の手で両翼を指さした。
同じ言葉が、主翼いっぱいに書かれていた。
『たいしたもんだ、あんた。今度奢らせてもらうぜ』
負けたくせに更に機嫌の良い声で話しかけ、なれなれしく機を横に並べてくる。
『ここの酒は最高なんだ。ついでに女も最高だぜ。あんた、そっちはどうなんだい』
「ウェルター・フォン・シュトラウスだ。ロシアの客人」
しつこいのでもう一度名乗ってやる。
『おっとこいつは失礼、シュトラウスの旦那。グレゴール・ボルコフってんだ。グレゴールって呼んでくれ』
向こうも悪びれずに名乗り返してくる。
「わかったよボルコフ君」
まったく退屈しなそうだ。シュトラウスは海軍の戦闘機と、ぶしつけな海軍の搭乗員をしげしげと眺めた。






