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2 ノルマン海軍の食事風景

        五月二十七日

        空母〈ヴィクトリアス〉


 時は少し遡る。ブレストからの脱出を終え、新造空母〈ヴィクトリアス〉へ着艦した日の夜のことであった。


 すっかり陽も落ち、海上は闇に覆われていた。

 艦内は照明が真新しいペンキに反射していたが、夜に引きずられたようにどこか薄暗かった。

 そんな中の広い一室に、臨時で派遣された秋津皇国海軍航空隊の下士官搭乗員一同が収まっていた。

 奇妙なことにその表情は一様に沈痛であった。

 誰かが死んだわけではない。けが人はいたがあれだけ激しい戦闘の後で誰一人欠けることなく席に着いている。奇跡のように喜ばしいはずだった。

 喜ばしくないのは彼らの前に並んでいる今日の夕食だった。

 古木のように茶色く、石のように堅いパンには、奇妙な匂いのする黒いペンキのようなものが雑に塗りつけられていて、食欲を削る。

 皿の上には塩漬け肉が二枚ほど並んでいるがこれまた靴の裏のように堅い。先ほどから噛んでいるがいつまで経っても飲み込めそうにない。そしてとにかくしょっぱい。

 各人が取り分けるよう大皿に盛り付けられた酢漬けキャベツは、どう考えても腐敗に片足踏み込んでいる。

 唯一の温かみであるスープはおそらく野菜を煮込んだものであろうが、元の形が判らなくなるほど煮込まれていて謎の液体と化している。そしてこちらは全く塩気が無い。

 各人ノルマン料理は初めてではない。

 半数以上は二回以上の派遣で、宿舎の食事だけでなく何度か街にも繰り出している。口に合う合わないはあったが、それなりに美味いものもあったはずだった。

 だがこれは、人の食べるものだろうか。

 いや、確かに船の上の食事はいろいろ苦労が多い。

 保存食ばかりにならざるを得ず、烹炊はいつも苦労しているのは知っている。

 そして軍隊の食事は得てして雑である。不味いものは食べ慣れているはずだった。

 だがそんな彼らが音を上げるほどの食事がここにあった。

 いや、食事と云っていいのだろうか。今日一日の激戦で腹が減っているはずなのに、どうしても箸が進まない。

 これがノルマン海軍だというのだろうか。とんでもない(ふね)に乗り込んでしまった。

 最先任下士官である成瀬源六一飛曹はなんとか腹に流し込むと、食器を置き、そしてゆっくりと言葉を絞り出した。

「丹羽二飛曹」

 指名されてしまった丹羽(たんば)洋一(よういち)二飛曹は、どうしても噛み切れなかった肉を呑み込んだ。

「おまえがなんとかしろ」

 なんとかと云われても。

「何人か使っていい。明日来る整備にも話は通す。なんとしてでも食えるものを確保するんだ。でなけりゃ俺たちは戦わずに全滅だ」

 そんな大げさな。そう思って周囲を見回したが、誰もがすがるような眼で洋一を見ていた。

 それがまるで人類最後の希望であるかのように。


 翌日になって、洋一は「食料対策委員会」を立ち上げることになった。場所は厨房の一角。

 ノルマンの炊事員たちは自分の領分を荒らされることに難色を示していたが、秋津は食習慣が違うのでと説得してなんとか借りられるようになった。

 洋一をリーダーとして、搭乗員は同期の松岡と、海兵団上がりの武内三飛曹。今日到着したばかりの整備科から同じく同期の谷岡三技曹と、女性技官の沢村里美三技曹。

 洋一の目論見ではこのくらいのメンバーだったが、思わぬ増援もあった。

「え? 士官も同じ食事を?」

「うん、話を聞く限り、大きくは変わらないみたいだね」

 洋一の所属する戦闘機第一中隊の士官である池永中尉も加わってくれた。

「昨日の夜は、士官一同は艦長に招かれてディナーだったんだけど、メニューは黒パンに塩漬け肉にザワークラフトに野菜スープって、同じだね。まあ肉は四切れあったけど」

 普通士官と下士官兵で献立は異なり、それが下士官兵の不満になるものなのだが、逆にあの人の食べ物とは思えないものを士官にも出すとは。

「艦長とのディナーともなると士官みんなは礼奏だし、楽隊も付くし、お皿は豪華なんだけどね」

 それだけ聞くと絢爛華麗な食事会に思えるのだが。

「艦長が優雅な手つきで塩漬け肉をナイフで切るんだよ。あのゴムみたいな肉をね。そしてかかっている香辛料について蘊蓄をくださるんだ。これこそがノルマンの人々を世界の海に駆り立てた原動力だって」

 たしかに香辛料を求めて彼らは世界の海に旅立った。いわゆる大航海時代というやつだ。

 だからといって食事までそのときの苦しい時代を再現しなくてもいいだろうに。

「最初は虚勢を張っているのかなと思ったんだけど、あの様子じゃ本気で立派な食事のつもりらしくってね」

「隊長はどうしてたんですか」

 洋一は自身の指揮官の様子を尋ねた。

「艦長に向かってはにこやかに微笑んでたよ。こっち向いた途端にこの世の終わりみたいな顔してたけど」

 あの紅宮(あけのみや)綺羅(きら)をそこまで絶望させるとは。

「なるほど、私がこの(ふね)に着いたときにとにかくお菓子をせがんできたのは、そんなことがあったからなんですね」

 綺羅様の女中である島村(しまむら)(まき)も、協力してくれる一人だった。

「こっちもできるだけ協力するから頼むよ。もう帰るって綺羅様聞かなくって」

 ノルマン海軍であるこの空母〈ヴィクトリアス〉に彼ら秋津海軍航空隊が派遣されているのはノルマンの搭載機が足りないからと云う理由であったが、戦時下における両国の友好を深めるとかなんとか、とにかく政治的な思惑も含まれている。

 食事が不味いのは確かに深刻な問題だが、だからといって勝手に帰らせるわけにもいかない。

 戦闘機二個中隊の搭乗員に整備員を会わせて四十名の食事。これをなんとかしなければならない。

「そういえば朱音ちゃんは?」

 松岡が洋一の幼なじみで、整備科の小野(おの)朱音(あかね)の名前を出す。

 しかしいつになく洋一の言葉は冷たかった。

「あいつは、厨房に入れるな」

 これ以上事態を悪化されてたまるか。洋一は固く決意していた。

「オノアカ、料理はてんで駄目だからねぇ」

 朱音の同期の里美は料理の腕をよく知っているらしい。ちょっと変わったあだ名で彼女を思い出していた。

「さてどうするかねぇ」

 洋一は腕を組んだ。士官も同じものを食べているというなら、士官用の材料をちょろまかしてくるという手は使えない。

「いやな予感がしたから、白米二十升(三十㎏)と味噌醤油は持ちこんだ」

 整備の谷岡がありがたいことをいってくれる。

「それは助かる。すごく助かる」

「でも四十人で二十升だと五食ぐらいだよ」

 ありがたいがそれに頼り切るわけにはいかない。

「大麦は貰えそうですから、麦飯にしてかさ増しはできますぜ」

 武内三飛曹はすでに調達に動いていたらしい。さすがの手際だった。

「すばらしいです。二食は増やせるかな。他にも当座をしのぐために、現状を少しでも改善しよう」

 食材もさることながら、調理法もこの(ふね)はおざなりすぎる。

「まず例の塩漬け肉。少しでも柔らかくするには細かく切ってよく塩出しするか」

 多分塩がきつすぎて堅くなっている。

「パンもせめて焼こうよ」

 温かいは七難隠すはずだ。

「あのザワークラフト、漬かりすぎでしょ。うちの方だと古漬けを湯がいてちょっと炒めて七味かけて食べるから、その手が使えるかも」

「うちは胡麻だね」

「断然山椒、山椒」

 意外とどこでも似たような料理法があるらしい。

「後見てたら、連中野菜をまったく切らずに鍋に入れてるんだ。だから中まで火が通る頃には外は煮すぎてぐずぐずになってるんだ」

 それはいくらなんでも手を抜きすぎだろう。

「だから適当な大きさに切って火を通りやすくするだけでだいぶ良くなると思う」

 そういうことを積み重ねていくしかない。

「鮮度の低い野菜は煮込むに限るか。まあ船の料理ってそんなものだしね」

 元々生鮮食品の乏しい船の上では、古くなった食材をどうするかの戦いである。改めて、〈翔鸞〉の烹炊員たちは頑張っていたのだなと気づかされた。

 そういえば「ギンバエ」のついでに手伝っていたときに烹炊長も云ってたな。洋一は懐かしの母艦を思い出していた。

 古くなってきたらとにかく煮込む。ごまかすために味は濃いめにする。刺激も強い方がいい。例えば。

 ふと洋一は思い至った。

「カレーにしよう」

 思わず全員の視線が集まってしまう。

「カレー?」

「そうカレー。烹炊長が云ってた。食材が古くなってきたときの切り札だって」

 味と刺激が強く少々の食材の難をごまかせて、そして万人に受ける。

「材料はおおむね揃っている。肉にタマネギにジャガイモ。確か人参も見かけた。あの堅い塩漬け肉だって、タマネギと一緒に炒めて、じっくり煮込めばなんとかなる」

 わりと希望が持ててきた。

「でもカレー粉あるか?」

 とにもかくにも、カレー粉が無ければカレーは始まらない。

「ノルマン経由で伝わってきたんだからここの厨房にもあると思う。尋ねてみる価値はある」

 カレーは元々インド大陸の食事だが、大航海時代にノルマンの船乗りが本国に持ち込んで大流行りし、それが秋津皇国に伝えられた。

 秋津の中でも、カレーは洋食の代表なのだからノルマン料理だと思っている人がいるくらいだ。

 ノルマンの(ふね)ならきっとある。

「知ってるか洋一。殆どカレーの材料で豚汁作れるんだぜ」

「あとはシチューとか。煮込み系の味を変えていけばなんとか持つかな」

 カレーを突破口にして希望が見えてきたので、みんなも前向きなアイデアが出始める。

 なんだか山登りのときの飯ごう炊飯みたいだな。洋一は輪の中で思った。

 たまにはこういうのも悪くはないかもしれない。


 五日後に秋津からの補給が届くようになり、専属の烹炊員も二名ほど常駐するようになるまで、彼らの楽しくも困難な合宿生活は続いた。


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