24 運河での死闘
『いやっほう! 死ね死ね死ねぇ!』
喜々としてグレゴール・ボルコフは複葉機を撃っていた。
『鴨撃ちじゃねえか。楽な仕事だなこいつは!』
狭い水路の中では雷撃機は真っ直ぐ飛ぶしかなく、逃げようがない。
普通ならがっちり編隊を組んで多数の旋回機銃で弾幕を張って対抗するだろうが、この中ではそれもできない。一列になって後ろから一機ずつ攻撃されてしまう。
そして何より遅い。最高速度が200㎞/hも違っては、逃げようがない。
布張りの機体はたやすく引き裂かれ、火が付いたらあっという間に燃え広がった。上翼が炎に包まれ、水面に落ちていく。
運河の中はストリングバッグ雷撃機の屠殺場と化していた。
『よっしやこれで二機目だ』
燃え落ちた雷撃機をボルコフは躱す。
「こっちも二機目だ」
シュトラウスの声と共にもう一機が空中分解した。
『これで千ルーブルか、たまらないなぁ。全部落としたらいくらになるんだ』
先ほどからボルコフの下品な笑い声が止まらない。
『なあ旦那、どっちが沢山落とすか勝負しねぇか。十マルクで』
「まあいいだろう」
シュトラウスは適当にあしらう。雷撃機の後ろには旋回機銃が一丁ついていて、懸命に撃ってくる。それを避けるのに忙しい。
実は逃げ場がないのは攻撃側も同じなのだ。
普通なら優速をいかして航過したり、角度を付けたりして旋回機銃の照準を合わせづらくする。
しかしこの狭い運河の中では大きく避けられない。脚を出してふらふらの状態で舵も俊敏には利かない。フォッカーはもう100㎞/h、いや200㎞/h以上で最適に飛べる機体なのだ。
まあ少々手こずることもあるが、こちらが一方的に有利なのは変わらない。
どうせ上からは手を出せないのだ。運河の出口までゆっくり全滅させれば良い。
これならキーラに一泡吹かせられるかな。そう考えたところでシュトラウスに悪寒が走った。
あの女が、ここで大人しくしているか?
云いようのない不安にかられて、シュトラウスは振り返った。薄暗いトンネル状の運河がどこまでも続いている。
そんな中で、何かが光った。
シュトラウスは反射的に機体を滑らせた。
光の矢が、先ほどまでいた空間を抜けていった。何度も見慣れている機関銃の曳光弾だった。
即座にスロットルを開いて加速する。
「後ろから敵だ。加速して逃げろボルコフ中尉」
主脚を引き込みながらシュトラウスは相棒に警告する。
『おいおい、こんな狭いところを飛ぶ酔狂なやつが他にいるってのかよって、おおっ!』
向こうもすんでの所で回避した。
「あれが、キーラ・アケノミヤだ。世界で最も酔狂な女だ」
影しか見ていないが、シュトラウスには判る。
『ほんとにおっかねぇな! あんたあんなのに惚れてるんかよ!』
「誤解を招くようなことを云うな!」
この狭い運河の中では回避もままならない。
上昇して運河から飛び出すこともできない。そうなるともう、逃げ道は前しかないのだ。
これまで絞っていたドラグーンDB601エンジンが待ってましたとばかりに吠える。
速度を増したフォッカーの先には、ストリングバッグ雷撃機が並んでいた。シュトラウスはその脇をすり抜ける。
当然ながら猛烈に撃たれる。今まで仲間を散々なぶりものにしてきたのだ。
狭い運河の中で機体を上下させてなんとか躱すが、それでも何発かは喰らう。
しかし前に出なければならない。何しろ後ろからはもっとやっかいなのが来ているのだ。
シュトラウスは雷撃隊の隊列の中に滑り込んで回避する。
度肝は抜けたらしく雷撃機の機銃が追いつかない。シュトラウスは反対側に抜ける。後方にはマヌール戦闘機がいた。
『くそう、もっともっと稼ぎたかったのに』
少し加速が遅かったので大分後ろにいる。
『待ってくれよ、こっちは引き込むのが、手回し、なんだ、から、よ』
油圧で主脚を引き込むフォッカーと違い、マヌールは手で30回転ハンドルを回さなければ引き込まない。これがかなり疲れるし時間もかかる。
シュトラウスは待ってられないので隊列を縫って前に出る。そのたびに銃火が運河の中で乱射された。
その後ろをようやく脚を引き込んだマヌールが追う。当然ながらこちらも派手に撃たれる。
『おいこら、撃つんじゃねぇよ。書いてあるのが見えねえのかよ』
機体を傾けて主翼に書かれた「撃たないでくれ」という文字を見せる。
必死に逃げている最中なのに操縦席の中ではお馴染みらしく両翼を指差していた。
「前から云いたかったんだが、ロシア語では読めないんじゃないかな」
『教養のないやつらだ』
命がかかっているのに、いやだからこそ、くだらないことを云い合っていた。
『五百ルーブルは大人しく俺の財布に収まってれば、うおっ!』
マヌールに激しく銃弾が浴びせられる。R-1820星形九気筒エンジンから灰色の煙が吹き出した。
いつの間にか接近していたストリングバッグ雷撃機の後部座席から、7.7ミリ機銃を激しく撃ち込まれる。明らかに殺しに来ていた。
『ノルマン海軍を舐めるなよ』
デズモンド少佐が、三座の中央に座って敵機を睨みつけていた。
雷撃隊の指揮官機がわざわざ下がってきて屠殺者に噛みついていた。
銃撃が今度はマヌールの胴体に伸びる。
風防が飛び、燃料が噴き出す。
「ボルコフ!」
叫ぶがシュトラウスには何もできない。早く逃げなければ自分が同じ目に遭う。
『くそったれ! 舐めんじゃねぇぞこのカエル野郎どもが!』
隣を飛ぶ雷撃機に届くほどの大声でボルコフは叫び、銃撃が不意に止む。
デズモンドが振り返ると後部銃手は血を吹いて仰け反っていた。再びマヌールを見ると、操縦席のボルコフの手には拳銃が握られていた。
『俺を誰だと思ってる! 「空を歩く男」グレゴール・ボルコフ様だぞ!』
トカレフ自動拳銃を前に向けると、ストリングバッグのエンジンに二発撃ち込む。
今度はモーガンエンジンが煙を吐き出した。
『金も、酒も、女も、喝采も! 全部俺の物だ!』
身動きが取れなくなったストリングバッグの操縦員に、銃口が向けられる。
恐怖で歪む顔を堪能して、ボルコフは引き金を引いた。
『邪魔するやつは全員ぶっ殺す! マフィアだろうとカエル野郎だろうと!』
崩れ落ちる操縦員を見て、引きつった笑い声を上げる。
『こんな地の果ての洞穴でくたばってたまるか! このっ!』
グレゴール・ボルコフの叫びは、銃弾で遮られた。
眉間を撃ち抜かれたロシア人は、反対側に倒れ込む。
炎に包まれたマヌールは、翼を傾けながらカイザー・ヴィルヘルム運河に落ちていった。
「下品でうるさい男だまったく」
回転式拳銃を握りしめたデズモンド少佐は、水面に落ちて流れていく敵戦闘機を見送った。




