20 空母〈グラーフ・ツェッペリン〉
何の気なしに見ていた先に飛行場があった。
ホルテナウ飛行場。
港に面した場所に造られた空軍の飛行場で、空母搭載の飛行隊が駐留している。
上空を訓練の飛行機が何機か飛んでいるかと思った瞬間、飛んでいる飛行機のすぐ下で何かが爆発した。
爆発は炎を産み、それは幾重にも分かれて地上に降り注いだ。
紅い炎が幾つにも分かれて地上に伸びるその様は、まるで海に巣くうタコのようであった。
そしてタコの足が何本も飛行場に伸び、あちこちで火の手が上がる。一つ一つの火そのものは小さくても、飛行場全体で燃えてしまえば大変なことになる。
「おい!」
その光景を見ていたボルコフがシュトラウスの袖を引っ張った。目はすっかり覚めている。
シュトラウスも同じ思いで対岸の飛行場を眺めていた。だが一つ、余計なことに気づいてしまった。
飛行場上空を飛んでいる機体の一機、その尾翼が眼に突き刺さるような鮮やかな紅に彩られていた。
「……あいつだ」
あいつだ、あの女だ。
キーラ・アケノミヤが我が物顔で飛行場上空を飛んでいる。
そしてあの女が現れたということは、これは紛れもなく、アキツの攻撃なのだ。
「出港準備急げ!」
思わず無駄なことを叫んでしまう。
さっきも艦長が云ってたではないか。あと二時間はかかると。
気を取り直して甲板士官のところに駆け寄る。
「こっちの蒸気圧は確保されているか!」
シュトラウスは艦首の方を指ささした。
「え、ええ! 今日使用予定でしたので蓄圧してあります!」
「よろしい。すぐ準備したまえ」
シュトラウスはかけだしていた。
「どうするんだよ!」
後ろから追いかけながらボルコフが叫ぶ。
「カタパルトだ。どうせ午後の試験で使うつもりだったんだ」
「そういやそうだったな」
「艦が停止しているなら、カタパルトを使って発艦する」
一刻も早く発艦しなければ。連中は飛行場を攻撃するのに夢中で、まだこちらに気づいていない。その隙になんとか発艦しないと。シュトラウスたちは格納庫に降りた。
「おいおい、なんだこりゃ」
ボルコフは格納庫に収められた自分の愛機を見て呆れた。
「なんで台に乗っているんだよ。いまさら整備か?」
ボルコフのマヌール戦闘機とシュトラウスのFo109Tがそれぞれ脚を引き込んだ状態で台車に載っていた。
「これでいいんだ、滑走台に載せた状態でカタパルトから射出する」
説明しながらシュトラウスはさっさと自分の機体に乗り込んだ。
「上げてくれ」
作業員に指示を出すと台車ごとエレベータに運ばれる。
飛行甲板まで上がる間、シュトラウスは機体の最終確認をする。
それを見ていたボルコフも仕方ないとばかりに自分の機体に乗り込んだ。
「前から云いたかったんだがな。おまえたち、自分は頭良いと思っているみたいだけど、はっきり云って莫迦だからな!」
エレベータの作動音に負けないほどの声でロシア人がブランドル人を罵倒していた。
飛行甲板の上にでると、台車ごと艦首に二つ並んでいるカタパルトまで運ばれる。位置に付いたと同時に両機ともエンジンを始動する。
振り返るとホルテナウ飛行場はますます混乱に満ちていた。
上がろうとしている機体もいるようだが、片っ端から銃撃されている。
その先頭に飛んでいる紅い尾翼の機体が嫌でも目立っていた。
『あれが旦那ご執心の姫様か。おっかねぇなまったく』
つながった無線でボルコフがからかってくる。
「誤解を招く発言はやめて貰えないかね」
筒音計が上がってくのをじりじりした気持ちで見ながらシュトラウスは応える。
まったく、とんだ悪縁だ。彼女が来るとろくな事が起こらない。
『しかしまあ、見たところ戦闘機だけだ。中隊規模かな。飛行場にボヤは起こせても、それ以上は大したことはできんだろ』
「それで済めば良いんだが」
そういったところでシュトラウスに悪寒が走った。
そうだ、キーラが関わって、それだけで済むわけがない。
シュトラウスは慌てて周囲を見回した。
上空、忌まわしき十式艦戦が飛び交っている。だがそれ以外の影はない。
ならば低空。海側をくまなく見たが、航空機や、あるいは変な船はない。
考えすぎだろうか。そう思いたくなったところで、視界の端に動く物が捉えられた。
『シュトラウスの旦那! 運河の入り口だ!』
先に気づいたボルコフの叫び声がシュトラウスの耳に刺さる。急いでそちらに頭を向けた。
燃えさかるホルテナウ飛行場の手前。カイザー・ヴィルヘルム運河の水門が見えた。
普段ならば船が出入りするその開かれた水門から、飛行機が飛び出してきた。
次から次へと連なって現れるそれは、古めかしい複葉機だった。翼も明らかに布張りである。
そんな機体がこんなところで何を。そう思ったシュトラウスであったが、目を凝らせて子細を確認しようとして、表情をこわばらせた。
「……まずい。魚雷だ」
その古めかしい複葉機の腹の下に、黒光りする長い筒がぶら下がっていた。間違いなく、魚雷だった。
複葉機はわずかに上昇すると編隊を組み、左旋回して軍港の方に向かってくる。その主翼にはノルマンの三色旗が描かれている。アキツではなくノルマンなのは奇妙ではあったが、どの道ブランドルの敵には違いない。
数は二十機前後。彼らは獲物を物色しているようであった。
ここはキール。獲物は豊富だ。
バルト海艦隊が駐留し、その主力は三隻の巡洋戦艦。あるいは二隻いる重巡洋艦に四隻の軽巡洋艦。そして当然、港のやや沖合に停泊しているこの〈グラーフ・ツェッペリン〉も含まれるはずだった。
「急げ! 発艦だ!」
エンジンもまだ暖まっていないし、艦の方の準備も整っていない。本来なら初のカタパルトによる発艦のため、慎重な手順で行われるはずだった。
しかし今はそんなものに時間を費やしている余裕はない。
振り返ると、複葉機のうちの三機が、この〈グラーフ・ツェッペリン〉めがけて高度を下げてきた。
シュトラウスはスロットルを全開にした。咳き込みながらフォッカーが身震いする。
「射出しろ! 命令だ!」
「いいから出せ!」
シュトラウスだけでなくボルコフまで叫んだので、圧倒された発艦士官がレバーを引いた。
「ご武運を!」
シュトラウスが横開きの天蓋を閉めた途端に、身体が座席に押しつけられた。
Fo109Tを載せた台車がレールの上を走る。圧搾空気によって合計三tを超す重量が140㎞/hまで加速され、そして艦の前方に放り投げられた。
翼が風を掴むのを感じると軽く操縦桿を引く。Fo109Tは緩やかに上昇し始めた。
不本意な形ではあるが、これがこの艦にとって、初の発艦であった。
シュトラウスの手によって、〈グラーフ・ツェッペリン〉は今日、航空母艦となった。
ブランドル帝国はノルマン、秋津、ロシアに続く世界で四番目に航空母艦を建造した国となった。
シュトラウスが振り返ると、マヌールも飛び出したところだった。こちらの方が更に軽やかに浮き上がる。
やはり元々艦上機として造られた機体は違う。
しかしその更に後方、今まさに飛び立った〈グラーフ・ツェッペリン〉の上を、複葉機が通過していく。視線をわずか下に転じれば、白い筋が凪いだ海面を走って、〈グラーフ・ツェッペリン〉の艦腹に達した。
艦橋よりも更に高く、水柱が上がった。
最初に一つ。続けてもう一つ。
「くそ、〈グラーフ・ツェッペリン〉が」
シュトラウスは天を仰いだ。
『あーあ、ようやく完成したのにな』
五年の歳月を費やして建造されたブランドル帝国初の国産空母〈グラーフ・ツェッペリン〉。水柱が収まるとすぐに左への傾斜が始まっていた。
とどめとばかりにもう二発の魚雷が傾斜した舷側に命中。一度も戦うことなく、港の中で息絶えようとしていた。
『新造空母がオンボロ複葉機に喰われるとはねぇ。あいつら、運河の中から出てきたよな?』
「ああ、そうみたいだな」
信じがたいが、この目で見てしまったのだから仕方がない。
『あの運河、トンネルになってるんだろ。あそこ飛行機も通れるのか』
「運河は船が通る場所だ。そんなことは想定していないし聞いたこともない」
そんなことを思いつく方がどうかしている。
『それよりこれからどうする?』
周囲を見回せばキール軍港は魔女の大釜になっていた。複葉の雷撃機が獲物を求めて飛び交っている。
『間一髪で発艦できたのは良いが、まだエンジンは暖まってないぞ』
暖機もせずに飛び立ったので、両機ともエンジンが時折咳き込んで回転が安定しない。
「まずい、来た」
シュトラウスは左に機体を傾ける。上空から二機の戦闘機がこちらに向かってきていた。
「全開飛行ができるまで、逃げ回るしかないな」
発艦直後で高度も速度も低い。上から襲われたら手も足も出ない。
追ってきた戦闘機の尾翼が紅くない事だけが救いだったが、圧倒的な不利であることは確かだった。
『にしてもどうやって逃げるんだ? どうやら飛んでる味方は俺たちだけだぞ』
「地獄の中に飛び込むしかあるまい」
速度を落とさない緩やかな旋回でシュトラウスは針路を変える。その先はホルテナウ飛行場。
敵の戦闘機隊の攻撃で幾つもの黒煙が上がっている。
更に一つ、大きな火柱が上がった。貯蔵していた燃料が燃えたのだろうか。
振り返るともう敵の戦闘機がすぐそこまで迫ってきていた。
躊躇せずにペダルを踏み込んで滑らせてから、シュトラウスは火柱に飛び込んだ。
視界の半分が炎に包まれる。プロペラでそれをかき分ける。
後ろの二機が驚いて避けたのを感じると、反対側に切り返した。
『こんなところで火の輪くぐりかよ。サーカスなら百ルーブルの特別手当だぜ』
文句を云いながらもボルコフも同じ炎に飛び込む。
盛大に燃えた空気を吸ったおかげでエンジンが激しく咳き込む。
しかしおかげで敵戦闘機はこちらを見失ったようだ。
下を見るとひどい有様だった。
空母搭載用のマヌール戦闘機や、防空用のフォッカーが燃やされて、破壊されて散らばっていた。
そしてキール港全体が、今まさに地獄と化しつつある。
まったくおまえは厄災の女だよ、キーラ。
シュトラウスは元凶と思われる女性の顔を思い浮かべた。
なんのしがらみもなく、屈託ない笑顔だった。




