16 ガレオン作戦 暴走開始
六時になり、日はすでに昇った。
海面も、艦も、艦上の人々にも等しく朝日が注ぐ。隠れようのない海面で、周辺を睨む対空砲にも緊張がみなぎってきた。
周囲の海を見回せばJ艦隊を構成する艦が浮いている。連合艦隊の姿はない。
J艦隊はヘルゴラント島攻撃で発艦タイミングが異なるので少し離れたところを航行している。
というかそれを言い訳にして連合艦隊から眼の付かないところにいるのだ。
もちろんこれから好き勝手やるためである。
艦橋や無線室に張り詰めた空気が漂い、誰もがしきりに時計を気にした。そろそろ、なのだ。
空母〈ヴィクトリアス〉のアンテナが、電波の揺らぎを捉えた。揺らぎは電気となって無線手の耳に音として伝えられる。無線手はそれを乱暴に書き写した。
「ト、三連。攻撃隊、攻撃開始しました」
ヴィルヘルムスハーフェンに到着した秋津海軍連合艦隊航空隊からの電文。「突撃」を意味するトの三連通信だった。
通信文を持って駆ける伝令、それを受け取る艦橋の司令部、聞き耳を立てていた搭乗員たちから歓声が上がった。
洋一も気になって上官である綺羅に用のある体で司令室に顔を出していた。綺羅は受け取った報告板にゆっくりと書き込んでいた。
「そろそろかな?」
小さく洋一にささやく。
「ああ君、ちょっと聞きたいのだが、アキツでは……」
同じく司令室にいたデズモンド少佐がどうでも良いことを尋ねてきて、にやりと笑う。これから起こる茶番に、居合わせさせてくれるらしい。
航空参謀は少しだけ眉の角度を変えたが言葉は発しない。航空団司令は何一つ動かさなかった。
通信文を持った伝令が駆け込んできた。
「連合艦隊よりJ艦隊へ通信です!」
司令室の空気が変わる。さあ、三文芝居の始まりだ。
「宛、J艦隊。攻撃隊発進せよ、直ちに。状況「K」確認、以上です」
サザーランド司令は振り返った。
「何、攻撃?」
「おい、見せろ」
航空参謀が通信文を取り上げる。
「なんだこりゃ、文意が変だぞ」
「電波状態が悪く、解読不能箇所が有りまして」
伝令兵がしどろもどろになる。なにしろ彼は電文を渡されただけなのだ。
「無線手がそうだというならそうなのだろう。後はこちらで判断する。ご苦労だった」
司令が助け船を出して下がらせる。
「しかし、我々に攻撃隊を出せとは、何事なのでしょうか」
白々しくも迫真の演技で航空参謀が尋ねる。
何しろこの電文は、本来は第二航空戦隊の空母〈金剛〉〈榛名〉へ宛てた、第二波攻撃を命じたものなのである。
それをJ艦隊宛と「誤読」した無線手は当然「反乱ごっこ」に加担している。
「ヴィルヘルムスハーフェンで何かあったのかも知れん。それにしても状況「K」とは」
サザーランド司令はもったいぶった芝居をする。
「司令、状況「K」とは一体?」
これまたよく知っているくせに、おくびにも出さずにデズモンド少佐が尋ねる。
「防御が頑強、もしくは艦隊不在などでヴィルヘルムスハーフェンが攻撃目標としてふさわしくないときに代替目標に攻撃を切り替える符丁だ」
航空参謀が解説を始める。これは実際に図上演習で検討された予備作戦ではあった。
もっともそれを提案したのはこの航空参謀なのだが。
「代替目標は「B」がブレーメン、「H」がハンブルグ」
「そして「K」がキールである」
サザーランド司令はデズモンド少佐の方を向く。
「デズモンド少佐、君の配下の雷撃隊は出撃可能かね」
デズモンド少佐は不敵に笑う。
「第八一〇飛行隊および第八二五飛行隊。ストリングバッグ雷撃機二十三機。ご命令さえ頂ければすぐにでも」
「白昼の攻撃では護衛が必要だ。紅宮少佐、戦闘機隊は出せますか」
航空参謀の問いに綺羅は頷いてみせる。
「第一中隊十二機が出撃可能です。艦隊防空は第二中隊にやって貰いましょう」
このために第一中隊の艦隊防空の割り当てを午後にしていたのである。
「よろしい。第八一〇、第八二五飛行隊、および秋津派遣戦闘機隊第一中隊は、キールのブランドル帝国バルト海艦隊を攻撃せよ。征ってくれるな」
J艦隊司令サザーランド少将の命令に、二人の少佐が踵を揃えて敬礼して応えた。
「了解しました。喜んで」
状況を取り繕うための三文芝居であるのは間違いないのだが、映画のような見事な光景であることも確かであった。そういう意味では彼らは皆名優であった。
そして二人の少佐はきびすを返して自分たちの愛機へ向かう。
「では行こうか洋一君、キールが我らを呼んでいる」
綺羅が傍らにいた洋一の肩を叩く。
「よろしく頼むぜ坊や」
デズモンドも洋一の背中を強く叩く。
まったく、端役はいつだって大忙しなのだ。洋一は背中をさすった。
そして舞台はさらに大きく、派手になる。洋一は飛行帽をかぶった。
綺羅と洋一はその足で秋津の搭乗員控え室に入る。
「諸君、聞いてくれ」
綺羅が前に立って声を上げる。搭乗員たちが瞬時に立ち上がって整列する。洋一は急いでその後ろに紛れ込んだ。
「ただいま連合艦隊よりJ艦隊に攻撃命令が下った。目標はキール」
予想していなかった単語に、多くは戸惑っていた。
「キールにはブランドル帝国軍バルト海艦隊が在泊している。雷撃隊全機を以てこれを攻撃する」
池永中尉がわずかにうなだれる。本当は頭を抱えたいところだろう。思っていたより更に大事になってしまった。
「我々戦闘機隊より第一中隊がこの直援につく。征けるな」
隊員たちの先頭にいた成瀬一飛曹がヤケのように声を張り上げる。
「第一中隊十二機、全機出撃可能です!」
第一中隊の全員が姿勢を正して気をつけの姿勢を取る。
「よろしい。第二中隊は艦隊防空を頼む。朝倉、J艦隊を護ってくれ」
綺羅は第二中隊長の朝倉大尉に向かい、わずかに微笑みかける。彼にはそれだけで充分だった。
「ああ、任せておけ。命に代えても紅宮の還る艦を護る。絶対にだ」
こうなってしまうと誰にも止められない。
「では諸君、最善を尽くしてくれたまえ。かかれ」