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14 呑んだくれの夜

 空母〈グラーフ・ツェッペリン〉


「だからなぁ、ブランドルはやっぱり海軍が判ってねぇんだよ」

 ブランドルが初めて建造した空母〈グラーフ・ツェッペリン〉。

 完成の祝宴の三次会ぐらいであろうか。食堂の一角でいつまでもグレゴール・ボルコフはくだを巻いていた。

「せっかく俺たちロシアが船を売ってやったのに、使い方が全く判ってない」

 捕まってしまったシュトラウスはあきらめた顔で酔っ払いのロシア人と林立する酒瓶を眺めていた。

「軍艦ってのは自分の港に後生大事にしまっとくんじゃなくって、敵の港のそばに浮かべるもんなんだよ」

「現存艦隊主義は良くないかね」

 シュトラウスはブランドル海軍のドクトリンを口にした。

 現存艦隊主義。

 積極的な決戦をせずに艦隊戦力の維持に務め、敵戦力を拘束する。

 建国以来ノルマンや秋津と云った強力な海軍国に囲まれているブランドル帝国海軍の基本方針であった。

「話にならねえ。高い金払ってる割に北海すら自分ちの庭にできないんじゃ世話ねぇよ」

 耳の痛い話ではある。しかし近くに強力な海軍国があっては取れる行動も限られてくる。

「俺たちロシア海軍はなぁ、いつかアキツの猿どもと幻唐洋で殴り合うための海軍を作ってきたんだ」

 ロシア合衆国と秋津皇国は潜在的な敵国であり、互いに海軍を強化してきた。

 幻唐洋を挟んで距離はあるが、いつか幻唐洋に点在する島々を取り合って戦う運命にあると、互いに思っているらしい。

「こうやって(ふね)やら飛行機やらを売ってるんだって、俺たちの積み重ねたものが本当に役に立つのか確かめたいんだ。それなのにちまちまとおっかなびっくりしやがって」

 それはそちらの都合だろう。シュトラウスは思ったが、ブランドル海軍が有力な海軍戦力を使いこなせていないのは事実であった。

「マイヅルでいきなり二隻損傷したから不安になったのだろう」

 秋津への先制攻撃で行われた舞鶴港攻撃。秋津海軍の四分の一を喪う大損害を与えて、海軍戦力のバランスを一気に傾けた偉大な勝利。

 しかしわずか十機かそこらの反撃で空母四隻のうち二隻を損傷してしまった。それがどうにもブランドル海軍を及び腰にさせてしまった。

 しかも二隻損傷時に赤い尾翼が目撃されている。やはりあの(キーラ)なのか。シュトラウスは頭痛に似た感触を覚えた。

「そんなんでふぬけになってどうする。もっと殴って殴って殴り続けて敵を痛め続けるんだよ。敵を休ませちゃいけねぇ」

 酔っ払った緩慢な動きでボルコフは拳を振るう。

拳闘(ボクシング)かい?」

 ロシアで流行っていると聞いたことはある。

「学生時代は結構強かったんだぜ」

 調子に乗って頭を振って見えないパンチを避けるが、どうやらそれで目が回ったらしくしばらく踞る。

「もっと戦ってくれないと、こっちも金が稼げないんだ。頼むよもう」

「金?」

「ああ、俺たちは一機撃墜すると五百ルーブル貰えるんだ」

「金のために命をかけるのか」

 軍人として、貴族として戦うシュトラウスには理解しがたかった。

「当たり前じゃないか。金は最高だぞ。金があれば酒も呑めるし女も抱ける。金以外に命をかけるほどの価値があるものか」

 そう云ってボルコフは盛大に杯を煽った。

「こうしてみていると君はとても軍人には見えないな。それともロシア人はみんなそうなのかね」

 どうにもロシア人は拝金主義者ばかりに見えてくる。

「どうかな。細かいことを云うと、今俺たちは合衆国海軍所属じゃないらしいし」

「どういうことかね?」

 確かに彼らの服装は私物が多いようだった。

「俺たちは義勇軍って建前だからな。軍籍を抜けてここに来ている。仕事が終わって帰国したら元に戻るって約束でな」

 現在ロシア合衆国はあくまでも中立を守っていることになっている。

 五万人以上は来ている彼らのような存在も、あくまで自由意志でやってきているということになっている。戦艦や空母に数千単位で乗り込んでやってきているのも、あくまでも自由意志である。そこに合衆国は関わっていない、はずである。

「それにしても君は砕けすぎではないのかね」

 他のロシア人と比べてもボルコフはだらしなさ過ぎである。本当に軍人なのか怪しむほどに。

「ん? ああ、俺は十年前に一回海軍辞めているからな」

 ボルコフは別の瓶に手を伸ばす。

「ちょっとやらかして辞めたあと、民間で曲芸飛行やってたんだ」

「曲芸飛行?」

「ああ、観客の前で派手な飛行を見せて各地を巡業するんだ。空中サーカスってところだな」

 そういうものがあるとは耳にしたことはあったが、実際にやっている人物を見るのは初めてだった。資本主義国家ロシアらしい。

「堅苦しい軍よりも俺向きな商売だったな。最高だったぜ」

 杯を眺めながらボルコフは自分にとっての栄光の時代を思い出す。

「『空を歩く男』グレゴール・ボルコフってな。イカした飛行を決めて地上に降りると万雷の喝采が迎えてくれるんだ。マフラーをたなびかせて歩くだけで子供は寄ってくるし、酒場に行けば女は選び放題だ」

 そう云って彼はやたらと長いマフラーを手元で振り回した。

「まあ客もだんだん慣れてくるのが困りものなんだが。最初の頃は宙返りしただけで拍手喝采だったのに、どんどん派手なことが求められて、しまいにゃ飛んでる翼の上でフェンシングやらされたもんよ」

 常軌を逸した言葉にさすがにシュトラウスが面食らう。

「飛んでいる飛行機の翼の上で、フェンシング?」

「そう、フェンシング」

 驚くシュトラウスを見られてボルコフは実に満足げに笑った。

「危なくないのかね?」

「危ない危ない。落っこちて何人も死んだよ。危なくなきゃ客は喜ばないんだ」

「物騒な話だ。戦争よりもひどい」

 大衆国家、衆愚国家のなれの果てというものだろうか。新大陸の連中はやはり理解できない。

 自分の祖国が秩序ある君主国家であることにシュトラウスは安堵した。

「まあその乱痴気騒ぎが君に向いていたのは理解した」

 軍人どころか秩序の破壊者らしい振る舞いも、そのたどってきた経歴ならさもありなんとシュトラウスには思えた。さぞや水が合ったであろう。

「どうしてまた軍に戻ったのかね?」

 こうした手合いが再び秩序の檻に入りたがるようには見えなかったのだが。

「カードの借金がかさんできたし、曲芸飛行の流行が過ぎたってのもあるんだが」

 ボルコフは天井を見上げる。

「またちょっとやらかしてね」

 もったいぶって格好を付けているが、きっとろくでもないことだろうとシュトラウスは確信していた。

「雇用主の情婦(イロ)とよろしくやってるところを見つかっちまってね。いやもう大変だったんだよ、すっぽんぽんで逃げ出して」

 案の定ろくでもない話だった。

「なんとか飛行場までたどり着いて商売道具の飛行機で逃げ出したんだ。すっぽんぽんだから寒くてねぇ」

 本当にくだらない。

「曲芸の興行主ってのはだいたいマフィアでな。下手に逃げても執念深く追っかけてきて鉛玉をぶち込まれる」

 そんな危ない世界にいながらなぜこの男は無用な火遊びをするのやら。シュトラウスは呆れた顔でボルコフを眺めた。

「そんとき思いついた安全な場所はもう古巣しかなかった。そのままオホーツクの基地まで飛んで飛行場に降りたんだ。衛兵の連中が武器を捨てて降りてこいってんだが、こちとら銃どころか服もないんだ」

 面白くなってきたのかボルコフは喉の奥で何かをこらえ始める。

「だから俺はすっぽんぽんで降りて云ってやったんだ『グレゴー・ボルコフ元中尉、シャバの一切を捨てて、この身一つで戻って参りました』ってなぁ」

 とうとうゲラゲラと笑い出した。

「困ったことにそこの基地司令が顔見知りでね」

「なぜそれが困ったことになるんだ」

 またろくでもない話だろうか。

「いやまあ、ほら前に海軍辞めたのって、女を(ふね)に連れ込んでパーティやったのがばれたんだが、そのときの艦長がオホーツクの基地司令に出世しててな」

 この男はそんな話ばっかりだった。

「『貴様のようなクズにあつらえ向きな仕事が、ちょうどある』って紹介されたのが、ブランドル義勇軍って訳だ。金は貰えるし戻ってくれば軍籍は復活するし、何よりロシアを離れられる。マフィアも借金取りも、さすがにブランドルまでは追っかけてこないからな」

「ブランドル義勇軍というのは、そんな連中の集まりかね」

 価値観が違いすぎて、相容れないのも仕方がない気がしてきた。

「身の上自慢で俺より面白かったのはいなかったけどな。まあすねに傷持つやつは多かったけど」

 そんなことを自慢されても困る。

「まあ先々のことを考えると、シャバに戻って大手を振って歩くにはかつての雇用主にワビを入れなきゃならねぇ。ワビを入れるためにはそれなりに金を積まなきゃならねえ。ついでに慰謝料やら養育費やら借金やら払わなきゃいけない金もある。ってわけでいっぱい金を稼がなきゃいけないわけだ」

 普通に考えればお先真っ暗な人生なのに、どうしてこの男はヘラヘラしていられるのだろう。シュトラウスは畏敬の念すら覚えた。

「なのに戦果を上げられたのは最初だけで、あとは引きこもってちゃ稼ぎにならねぇ。ここに来てから一年経つのに、六機しか堕とせてないんだぞ。知ってるか、基本給が月で六百ルーブルって話だったのに戦闘任務以外では出せるのは二百ルーブルとかふざけたこと云ってるんだぞ。今だって教官任務ってことで頑張ってようやく三百ルーブルなんだぜ」

 ひどい話だとは思うが、傭兵というのはそうやって足下を見られるのが落ちなのだろう。この様子では原隊復帰だって怪しいものだ。

「しかしもうすぐ戦争は終わるかもしれないぞ」

 少なくともブランドルの中ではそういう空気が支配的であった。

「即位式での皇帝陛下の和平提案からもうすぐ一月経つが、これまで大規模な戦闘は起きていない」

 向こうが諦めて講話方針を採るのもそろそろではないか。そう期待されていた。

「勘弁してくれよ」

 しかしこのロシア人はすがりつくように云った。

「アキツもノルマンも、もっと気合い入れろよ。舐められっぱなしで終わっていいのか」

 どこの陣営に属しているのか疑わしくなる言葉をボルコフは発する。

「そんなに戦争が恋しいか」

「ああ恋しい恋しい。愛しの君よ、もっと派手な戦乱を。せめてあと四機は堕とさないと算盤が合わないんだ」

「そうすると十機撃墜でエースになれるな」

「そう、そうすりゃ酒場でもっと女にもてるってもんだ」

 これだけ酒と女で人生を失敗してきて、なおもそれを追い求めるとは。呆れ果てるしかない。

「大体あんただって女を追っかけてここに来てるんだろ?」

 予想もしていなかった物言いにシュトラウスは顔をしかめる。

「聞き捨てならんぞその戯れ言は」

 しかしボルコフは下卑た顔で笑う。

「聞いたぜぇ、空飛ぶ騎士殿シュトラウス男爵様が、アキツの空飛ぶお姫様を追いかけているって」

 シュトラウスの顔が露骨に崩れたのを見てボルコフはまたゲラゲラと笑う。

「誤解だ、見解の相違だ。私は追いかけてなぞいない」

 弁解するシュトラウスを肴に、ボルコフはまた杯を空ける。

「判るぜぇ。男たる者、女に追いかけられてこそだが、気がつくとこっちが追いかけてるもんだ。それも男の悲しき(さが)ってものだ」

 したり顔でボルコフは語る。

「しかしまあ、そのキエラだかカーラだかって女が海軍だってんなら、こちらも海軍じゃないと追いかけられんぞ」

 それはシュトラウスも常々感じていた。相手が母艦ごと洋上に逃げられては、フォッカーでは追いかけることができない。

「このまま海軍に入っちまったらどうだい?」

「私の所属は空軍だぞ。ここにいるのは二ヶ月だけの出向だ」

 そのためにいろいろ手を尽くしてきたのだ。

「気にすることはない。あんたが海軍に入るっていたらここのお偉方がなんとかしてくれるだろう。」

 たしかに空軍に戻るために手を尽くしたということは、逆に云えば海軍に転属すると云えば諸手を挙げて歓迎してくれるだろう。

「ここの連中を見てきたが、あんたが一番なのは間違いない。出世し放題だぜ」

 獲物を見つけた悪魔のようなささやきだった。

「そう簡単な話ではないのだ」

 そうは云いながらも頭の端で損得の計算をしてしまう。

「悩め悩め。この世で悩むべき価値があるのは女と酒だけだ。あと金も」

 押しつけるようにボルコフはシュトラウスの杯に酒を注ぐ。

 ブランドルにとっての平和な夜はこうして更けていった。


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