13 決戦前夜
同七月十四日
北海 空母〈ヴィクトリアス〉
時刻は午後六時となったが北海の空はまだまだ明るい。何しろ日没は午後九時を過ぎるのだ。
少しだけ傾いた日差しを浴びた空母〈ヴィクトリアス〉の甲板に搭乗員と整備員が勢揃いしていた。
彼らを前にしたJ艦隊司令サザーランド少将は即席の壇上で懐中時計を眺めていた。そして頷くと二百名の部下たちに向かって語り始めた。
「現時刻、一八〇〇を以て『ガレオン』作戦が発動された。我らノルマン海軍J艦隊は友邦秋津海軍連合艦隊と共に歴史に残る一大作戦へ参加する」
艦隊司令が手を広げる。見回せば周囲の海域に鉄の城が林立している。総勢五十隻以上の大艦隊であった。
艦隊司令の隣に立つ秋津海軍派遣戦闘機隊飛行隊長、紅宮綺羅少佐が秋津語で艦隊指令の言葉を翻訳する。
「我が艦隊はこれより二十六ノットで北海へと突入する。目標はブランドル大海艦隊の拠点、ヴィルヘルムスハーフェンだ」
すでに聞き及んでいても、ヴィルヘルムスハーフェンの名前が出ると搭乗員たちの空気が変わる。
「そして先陣を務めるのは我ら〈ヴィクトリアス〉の八一〇、八二五両飛行隊となる。明日〇四〇〇に出撃し、ヘルゴラント島の飛行場を攻撃、敵の目を奪う」
「戦闘機隊はJ艦隊の上空援護を行い、母艦を守る」
自分たちはヴィルヘルムスハーフェンへ行かないのかと、落胆の空気が秋津の搭乗員たちに漂う。
「歴史に残る一大作戦に参加できることを、神に感謝したい」
「そして勇敢なる諸君らの一層の献身を願う」
艦隊司令と派遣飛行隊長。こうやってみんなの前で並んで立っている二人が、まさか命令を無視して勝手にやろうとしているとは。洋一は眼だけで周囲を見回した。
いや、雷撃隊の搭乗員は大半がその企みに加担している。雷撃隊の最前列にいるデズモンド少佐なぞ不敵に笑っている。
そうするとここにいる半分ぐらいはこの説明が茶番であることを知っていて聞いているのだ。自分を含めて。なんとも奇妙な光景だった。
「明朝の出撃に備えて、搭乗員はよく身体を休めてくれたまえ。我らが必ず出撃地点まで送り届ける」
その脇に控えていた〈ヴィクトリアス〉の艦長が声を張り上げる。
ややこしいことにこの人はその陰謀に全く関わってはいないのだ。かわいそうに。洋一は感動した表情の艦長を哀れんだ。
秋津海軍とノルマン海軍。様々な習慣の違いが多くの軋轢を生んできたが、一つ同じような慣わしがあった。
大規模作戦の前日の夕食が、いつもより豪華になることである。
食堂はいつにも増して賑やかであった。配膳に並ぶ兵士たちもどこかうきうきしている。
ノルマン側の食事はベーコンエッグであった。似たような物のはずなのに、そのベーコンはいつもの塩漬け肉とは香りからして違う。
そして卵。ノルマン人たちは卵が付くとどういうわけだか士気が上がる。そして明日出撃の搭乗員たちには卵が二つであった。
彼らはそれをパンの上に載せていた。そのパンも普段の硬いパンとは違う柔らかい白パンだった。
片や秋津海軍。こちらはなんとウナギであった。
富山を離れる際に最後の補給としてわざわざ仕入れられていた。樽に水を張って生きたまま積み込んだので、ノルマンの炊事兵たちは困惑どころか恐怖の眼差しで見ていた。洋一も捌くのを手伝わされた。
蒲焼きにして香ばしい匂いが漂うと秋津人の士気も眼に見えて高揚してくる。今日ばかりは麦のない白米がふんだんに炊かれ、その上にウナギの蒲焼きが載せられた。
食堂の両方で大いに盛り上がる食事となった。いつものただ流し込む葬式のような風景とは大違いである。
ノルマン側の搭乗員は一大決戦に向けての高揚がそこに加わっている。劣勢続きの戦争の中で強力な一撃を喰らわせる。その気概があった。
対して秋津側はただウナギを味わっている。
発表された作戦だと、艦隊防空だけで終わりそうで危険で冒険的なことにはならなそうであった。
彼らの殆どは、水面下で動いている陰謀を知らない。
「いいかお前ら、海軍がただでウナギを喰わせてくれると思ったら大間違いだ。追加のお座敷がかかるつもりでいろよ」
下士官搭乗員のまとめ役である、成瀬一飛曹が緩みがちな戦闘機搭乗員たちを引き締めにかかる。
「おい丹羽、お茶」
そしてぞんざいに洋一を呼ぶ。ヤカンを持って近づくと、成瀬はそっと小さな声で囁いた。
「で、本当になんかやるのか、あいつら」
成瀬は大きく盛り上がるノルマン人搭乗員たちを見る。
彼は秋津側で数少ない、何かを察している人物だった。
洋一は周りに気づかれない程度に頷いて、後ろの壁に貼られていた地図の一点をさりげなく指し示した。
「まじかよ……」
キールの文字を見て、成瀬は数秒目を閉じた。命令を無視し、連合艦隊と連携も取らずに別の重要拠点に殴り込みをかける。しかもこちらには何も知らされずに。
とんでもない即興に合わせる身にもなってほしい。
つじつま合わせに苦労させられるであろう成瀬に洋一はいささか同情した。もっともこの件で一番振り回されているのは洋一であろうが。
秋津とノルマン、双方久しぶりに美味いものが食べられて盛り上がってはいる。だが両者の間には未だに見えない分厚い壁があるように感じられた。
大半は言葉が通じないし、生まれも習慣も信仰も何もかも違う。
しかしそれでも明日共に戦う仲間なのだが。どうにかならないものだろうか。
ウナギを味わいながら洋一はノルマン側の食卓を眺めた。
「丹羽二飛曹、連中が気になりますか?」
武内三飛曹が声をかけてきた。
「うん、まあもっと仲良くできないものかなって」
「二飛曹は優しいですな」
階級は下でも六歳上なので、まるで兄のような様子だった。
「ではちょっと友情を深めてきますか」
そう云ってお盆を持って武内二飛曹は立ち上がってノルマン側の食卓に向かう。たまたま厨房に向かっていた一人に近づくと、何やら話しかけ始めた。
二人は歩きながら厨房の前に立ち、ぎこちないながらも会話している。
どうやらノルマンの搭乗員の卵が一つ足りなかったらしい。大げさに頷いた武内は自分のお盆からウナギを一切れノルマン搭乗員に渡した。
おかずの交換というやつだろうか。まあ交流なんてそんなところから始まるのかもしれないが。
そして武内は厨房の奥に声をかける。自分の分となった卵を持ってきて貰う。ただし生で。
向こうが怪訝な顔で尋ねている。焼いてないぞと。おーけーおーけーと云いながら武内はどんぶりの縁で卵を割り、そのまま白米の上にかけた。残っていたウナギも載せて、全体的に混ぜ合わせる。
対面にいたノルマン兵のみならずその周辺にいたノルマン人たちもぎょっとした顔になる。たしか向こうは卵を生で食べる習慣はないと聞いていた。
武内三飛曹はかまわずそれをかっ込む。
「うん、美味いぞ」
そう云って武内は笑ってみせる。ノルマン人たちの眼は、まるで異常者を見ているようだった。
その様子を見て武内の口角は更に上がる。それは友好を深めると云うよりはゲテモノを喰って挑発しているようだった。
おかずを交換したノルマン兵の中の何かに火が付いたらしい。
自分のお盆にあるウナギと、厨房の中を数秒眺める。
ウナギをパンの上に載せ、秋津の炊事兵に声をかける。ウナギのタレが入った壺を持ってこさせると、入っていた刷毛に手を伸ばす。
タレをよく含ませると、ウナギを載せたパンにべちゃりと付けた。ウナギどころかパン全体が茶色くなるほど塗りたくると、それを二つに折って口に運んだ。
あれではタレを食べている、いやタレを飲んでいるようなものだ。
驚愕している秋津人を見ながら彼は満足げに何度も頷いた。
「nnn delicious!」
どこか勝ち誇ったような顔のノルマン人と、異常者を見る目の武内三飛曹。
とても友情が深まった光景には見えない。
これで明日、肩を並べてキールに殴り込みをかけるのか。大丈夫なのだろうか。洋一には不安しかなかった。