11 楽しい反乱ごっこ
七月五日
空母〈ヴィクトリアス〉艦内
「反乱ごっこ」のたまり場となってしまった倉庫に、今日もまた搭乗員たちが集まっていた。
ランタンに照らされた薄暗い倉庫の中央に木箱が並べられ、机のようになった周囲を男たちが取り囲む。その真ん中にデズモンド少佐は地図を広げた。
「さあ、こいつが来たるべき『ガレオン』作戦の目標だ。諸君たちは明日これを知ることになる」
これまでささやかれていた大規模作戦。
その内容が一日とはいえ早く彼らの知るところとなったのである。
地図に描かれているのはどこかの海岸線。彼らはそこに書かれた文字を読み取った。
「ヴィルヘルムスハーフェンか」
取り囲んでいた搭乗員たちがどよめく。
ヴィルヘルムスハーフェン。
ブランドル帝国の北部に位置する、ブランドル海軍の主要港である。
「攻撃するのはアキツが連合艦隊。〈翔覽〉〈瑞覽〉〈金剛〉〈榛名〉そして我らが〈ヴィクトリアス〉。空母五隻による航空攻撃だ。歴史に残る一大作戦になるだろう」
敵の中央部に殴り込みをかけるとなって搭乗員たちはいやがおうにも盛り上がった。
「こいつは確かに豚肉皇帝にガツンとかませる」
「秋津にとっては舞鶴の仕返しだね」
「ノルマンだってそいつに参加しなきゃ男がすたるってもんだ」
「ところでこのポテトのフライ美味いな」
「だろ?」
聞いていた洋一は呆れた顔で彼らを眺めた。
「どうしてこっちでもつまみを作らなきゃならないんですかもう」
秋津の搭乗員の食事問題も、まだ完全に洋一の手を離れてはいないのに。
この艦に乗ってから食事の心配ばかりしている気がする。
「まあ気にしない気にしない」
そう云って綺羅は洋一の作った。じゃがいもの素揚げに手を伸ばす。
「にしても美味しいねこれ、どうやったの?」
「芋を下茹でするときに塩漬け肉の戻し汁を少し混ぜたんですよ」
出汁と塩味が染みこんで下味がついた格好となった。下茹でしたおかげで高い温度でからっと揚げることもできる。料理人としては会心の出来だったのは確かであった。
「なるほど、君を仲間に引き入れた甲斐があった」
反乱ごっこの首魁であるデズモンド少佐もフライを口に運んではラム酒を味わっていた。
「そりゃどうも少佐殿」
まったくうれしくなさそうに洋一は応える。
「できればノルマンの方で用意していただきたいものですが」
こういうことは向こうの下っ端にやらせてほしい。
「うちの連中はあまりこういうことは得意ではなくてな」
フライを味わいながらデズモンド少佐は云った。
「君たちアキツの食べ物はなかなかだな。まあ魚を生で食べる奇っ怪な風習だけは理解できないが」
ああ、そう思われていたのか。洋一は変に納得してしまった。
このところ魚が捕れたときに秋津側だけ刺身を見せつけるように食べていたのだが、ノルマン側の視線は羨望ではなく、恐怖のようなものだった。
なんだかもう、いろいろすれ違っている。
「だいたいもう、茶番なのはもうみんな判ってるのだから、食堂辺りでやればいいじゃないですか」
そうすればつまみも酒も簡単に手に入るだろうに。
「そうもいかない。我々は所属組織である君たちの連合艦隊の命令に背こうとしているのだ。謀議は隠密に進めなければならない」
「艦隊司令にも立場というものがある。表だって加わる訳にいかないからこうやって自分が来ているのだ。形式は重要だよアキツの少年よ」
そう云っている高級将校はJ艦隊航空参謀であった。つまりこの「反乱ごっこ」にはJ艦隊司令部も噛んでいることになる。ますますもっておかしな話だった。
「もうここまで来たら艦丸ごと巻き込んじゃえば良いじゃないですか。両方の飛行隊長に、艦隊司令までいて、後はもう艦長も巻き込めば逆らうやつはいませんよ」
これだけ大規模ではあるが、艦内では一応知らないふりをしなければならないのは洋一としても面倒でならなかった。
「艦長ねぇ」
しかしノルマン人たちは首をひねっていた。
「あの人こういうことに向かないんだよねぇ」
「真面目なのは良いけど融通が利かないというかノリが悪いというか」
「味覚もちょっとおかしいし」
あまり遊びには誘いたくないタイプらしい。
あとあの粗食は艦長の意向で、彼らも納得していないことは判った。
「そっちはどうなんだ。もう一人の中隊長は知らないんだろ」
ノルマン人たちが第二中隊長の朝倉大尉のことを尋ねてくる。
「彼も隠し事は向かないたちでね」
綺羅がポテトフライに手を伸ばしながら答える。
「ま、私が頼めばなんだかんだで聞いてくれるから大丈夫。何しろ同期だから」
それは同期だからじゃないんだよなぁ。洋一は目を瞑ってしまった。
「しかしアキツも思い切ったことをするものだな。皇帝即位はこの前だって云うのに、これほど大規模な作戦を短時間で立案するとは」
「元々大きなな反撃は色々と考えていたらしいんだけどね。で、例の演説でやり返すならって選ばれたのがこの『ガレオン』作戦ってわけ。おかげでアイスランド奪還作戦がまた延期になったけど」
大規模な作戦はそれだけ大きな物資も消耗する。玉突きで各所に影響も出る。それだけに失敗するわけにはいかない。
「しかし問題なのは我らJ艦隊の扱いだ。『ガレオン』作戦への参加は決まったが、我々の任務はXデイ夜明け前にヘルゴラント島を爆撃、飛行場を破壊した後は第二次攻撃へ備えて待機、となっている」
木箱の上に、作戦前日に開示されるはずの作戦予定表がおかれた。
案の定、彼らノルマンの雷撃隊は本命たるヴィルヘルムスハーフェンへの攻撃には参加しないことになっていた。
「一応補足しておくと、先陣、一番槍は秋津の価値観だと名誉なことなんだ」
綺羅の指が地図の上をなぞる。
ヘルゴラント島はヴィルヘルムスハーフェンから七十㎞ほど沖合にある小さな島である。小さいとはいえ飛行場があるので、北海から侵入する連合艦隊にとっては潰しておかないとやっかいな島であった。
「だとしても、我々は雷撃隊なのだ。艦を攻撃せずにどうする」
それでも彼らは納得しない。
「第二次攻撃が行われる確率はどんなもんですかい?」
予定表では第一次攻撃については詳細に書かれている。
秋津の空母の場合、一度に出撃させられる機数はおおよそその搭載機の半数であった。
そのため第一波を出撃させた後、残りの半分を飛行甲板に上げて一時間後に第二波を出撃させる手筈になっていた。
しかし第二次攻撃については幅を持たせた表現になっていた。これは還ってきた攻撃隊を収容、補給して再出撃まで様々な要因に左右されるためであった。
「正直、連合艦隊としては第一次攻撃を収容したらとっとと離脱したいんじゃないかな。何回か図上演習したけど、その日の午後には周囲の基地から爆撃機がわんさと飛んで来たそうだから」
敵の本拠地に殴り込みをかける以上、向こうの反撃も苛烈になるはずであった。
空母五隻、総勢五百機は強力な航空戦力ではあるが、向こうも攻撃可能な範囲に一千機ぐらいはいると予測されていた。
しかも連合艦隊はその位置をすべて把握はしていない。
「そうすると第二波になんとか間に合わせますか?」
「難しいぞそれは」
着艦収容して燃料補給をして魚雷を搭載となると一時間以上はかかる。
それにストリングバッグは足が遅いのだ。何をするにしても時間はかかってしまう。
「仮に間に合ったところで第一波ならともかく、第二波では奇襲は期待できないよなぁ」
奇襲で叩き起こされて、ようやく怒りとともに目が覚めたところに鈍足の複葉機で喧嘩に駆けつけることになる。ひどい目に遭うだろう。
勝手気ままな彼らとて無駄に命を散らす趣味はないらしい。
地図を囲んでうなっているノルマン人たちを洋一は外から眺めた。
「おとなしく七式艦攻でも買ってればこんなことに悩まないだろうに」
洋一は秋津語でつぶやく。
速度が百㎞/hも遅ければ一緒に編隊も組めない。別行動や仲間はずれにされるのも仕方がないことのように思えた。
「それを云ってはおしまいだよ」
綺羅も秋津語で話しかける。
ノルマンの搭乗員たちにしてみれば、祖国の機体で闘うからこそ意味があるのだろう。
「それに七式艦攻はこの艦のエレベータに乗せられないから断念したんだって」
七式艦攻も主翼を折りたたむことができるが、そのときの幅は七・三mである。幅六・六mのエレベータでは少しはみ出てしまう。
永嶋飛行機の設計陣も、開発時にノルマンの空母への搭載は想像だにしなかっただろう。
「まあ一回殴って逃げるみたいな作戦だからね。使える空母をかき集めて、その一回をできるだけ強くするわけだ」
「その一回のためにみんなで富山に集まって訓練ですか」
まあ軍隊なんてそんなものかもしれない。さんざん射撃訓練して、一度も戦地に行かずに除隊する人もたくさんいる。
そう思えば一回だけでも充分に有意義なことであろう。
「にしても、富山ってヴィルヘルムスハーフェンに似てますかねぇ?」
地図を上から見て、洋一は考え込む。
「北側に海があるけど、港の形とかは結構違うし」
まあそうすべてがそっくりな地形があるわけではないが。
「能登半島がユトランド半島っぽいところは似てるかな」
云われてみればそんな気もしてきた。
「そうすると舞鶴は……そうか」
綺羅様が何かを思いついたらしい。
あの口元の笑みからすると、きっとまたとんでもないことだ。
嫌な予感のする洋一を尻目に、綺羅は地図の上に身を乗り出した。
「諸君、魅力的な獲物はなにもヴィルヘルムスハーフェンだけではない。例えば」
綺羅の指がヴィルヘルムスハーヘンから東に動き、ユトランド半島を横断する。
「ユトランド半島の反対側にもう一つ、ブランドル帝国海軍の重要拠点があるではないか」
形の良い彼女の指が、地図の一点をとんとんと叩いてみせた。
「……キール」
ざわめきが次々とキールの名をつぶやく。
ヴィルヘルムスハーフェンと並ぶブランドル海軍の根拠地で、魚雷で攻撃すべき獲物がたくさんいることは確実であった。
「そう。富山がヴィルヘルムハーフェンなら、舞鶴はキールだ。ヴィルヘルムスハーフェンは多少警戒はしているだろうが、ユトランド半島の向こうにまで手を出してくるとは思ってもいまい」
奇襲が、誰よりも人の意表を突くのが好きな綺羅らしい提案であった。
「ま、まってくれプリンセスキラ」
搭乗員の一人が手を上げる。様々な思考を忙しく回しているため頭が何度も上下している。
「たしかにキールは魅力的な獲物だ。ヴィルヘルムスハーフェンと同時にキールまで叩ければ北海側のブランドル海軍は壊滅する」
成功すれば大西洋は秋津やノルマンのものとなるだろう。
「しかし、しかしだ。ユトランド半島を百㎞以上も白昼に横断できるのか? 我らのストリングバッグで」
地上からの目撃通報で近隣から戦闘機隊が飛んで来たら、鈍足のストリングバッグでは逃げられない。正直云って七式艦攻でも怪しい。
「いやまて、我らがストリングバッグだからこそできる」
デズモンド少佐がずいと地図の上に身を乗り出す。その指がユトランド半島の根元を切断するようになぞった。
「ノルマンの男なら誰もが知っているだろう。タルカス・ブラフォード卿だ」
秋津人の洋一は知らない名前が出てきた。
しかしノルマン人たちはそれですべてを理解したらしい。その知らない人物の名を連呼してした。
「タルカス卿の示した勇気は我らノルマンの男の魂にある。征くのだキールへ。この俺たちが、我らのストリングバッグで!」
秋津人たちを置いてけぼりにしてノルマン人たちは盛り上がっていった。
「キール、キール、キール!」
遂には唱和までし始める。これまで見たことがないほどノルマンの飛行隊は高揚していた。
困惑した洋一は同じ秋津人のはずの綺羅を見る。彼女は満足げにノルマン人たちの盛り上がりを見ていた。
「なんだか判らないけど、面白くなりそうだね」
たきつけた本人はもっと楽しそうだった。