10 予行演習は入念に
七月三日
富山湾
そろそろ夏が近づいてきた富山湾の上空を、洋一たちは低く飛ぶ。
すぐ真下を何隻もの船が行き交う。貨物船もあれば漁船もある。
古来より北前船の重要拠点であったこの富山湾は、今日でも秋津の有力港であった。
多数の船行き交う船の、そのマストをかすめるように十式艦戦の編隊が飛ぶ。
軍港である舞鶴とは違い、富山の船は海軍の飛行機になれていないのだろう。すぐ下で驚き、怒鳴っているのが見える。
叫んでいた船乗りたちが今度はのけぞった。洋一たちの十式艦戦よりも更に低く、通信マストより下を飛ぶ影が彼らの脇を駆け抜けたのだ。
二枚の翼を重ねた羽虫の群れ。フェアリー・ストリングバッグ雷撃機。三色のノルマン国旗を示した布張りの旧式機が我が物顔で秋津の空を飛んでいた。
まったく、あいつら下の船を驚かしてやがる。洋一は傍若無人な同盟国の機体を眺めた。
久しぶりの大規模な演習。今日の主役は彼ら雷撃隊だった。
複葉機故に速度は遅いが、その分他の機体よりも思い切った飛行、例えば低空侵入が得意であった。今も、タイヤが波をかぶりそうな高度を飛んでいる。
腹に抱えた魚雷には演習用を示す青帯が描かれている。それでも黒光りする魚雷を抱えて海の上を疾走する雷撃機の群れは迫力があった。
ストリングバッグの編隊がわずかに針路を変える。その先には標的となる艦が停泊していた。重巡洋艦〈足柄〉である。
『バッカニアリードより各機、獲物はあの重巡だ。海賊ども、かかれっ』
デズモンド少佐の声とともに三機ずつの編隊を三つ連ねたストリングバッグは〈足柄〉に襲いかかる。
当人たちは狼の群れのつもりなのだろう。しかし上から見ている分にはどうにも遅すぎて、老犬の散歩に見えてしまう。
それでも老犬たちの腕は確かであった。
海面の上を吸い付くように飛び、目標の船に迫る。三機編隊が翼を触れあわんばかりに距離を詰めているので、上から見ると一つの飛行機のようだった。
一方〈足柄〉は碇を下ろして動かないが、甲板上では何やらいろいろ動いている。
艦前部に三つ、後部に二つある主砲塔が雷撃機を向いているのが上からでも判る。中央部の高角砲も、あちこちに付いている対空機銃もうごめいている。
今回の演習での〈足柄〉の役目は標的艦だが、彼らは彼らで対空戦闘の訓練をしているらしい。そんな〈足柄〉にストリングバッグの群れが迫る。
標的の五百m手前で腹に抱えていた魚雷を投下。三機ほぼ同時だった。海面すれすれで落としたので大して波しぶきが上がらない。
やがて海面に白い筋が見え、落とした親を追いかけ始めた。
その頃にストリングバッグはすでに目標に達している。
彼らは三機編隊を組んだまま、艦前部を通過する。その高度は艦橋よりも低かった。一段高くなっている二番砲塔とは一mも無かったのではないだろうか。
束ねた三本の雷跡は白線を引いたように〈足柄〉の艦底中央部を通過した。
文句なしの「命中」だった。
「お見事、バッカニア」
上空で見ていた紅宮綺羅から称賛の声が出る。
「パイレーツ小隊も命中、コルセア小隊は、うーん、右の一本は外れかな」
静止目標とはいえ九本中八本命中は大したものだった。ノルマンの飛行隊の練度は確かに高い。これで機体さえ新しければ。
しかし演習だったらできれば動いた船を標的にした方が良いのに。彼らだけではない。
連合艦隊の他の空母航空隊も、連日この富山湾で静止目標相手に猛訓練をしている。
やはり意味があるのだろうか。
さて帰る頃合いかと思ったが、ストリングバッグたちは低高度のまま海面を疾走している。
「バッカニア、帰らないのかい?」
こちらは緩やかに高度を取り始めた綺羅が尋ねる。
「港に泊まっている船ってのは岸壁の隣にあるものでしてねプリンセス」
雷撃訓練は演習用魚雷を回収するために沖合で行うものである。
停泊した船を模するにはふさわしくないかもしれないが、岸壁にぶつけて演習用魚雷を壊す訳にもいかない。
「もっと港の中にあるのを狙わないと訓練にならない」
そう云って埠頭に停泊している貨物船めがけて進撃し始めた。
「野郎ども。目標は三つ並んでいるばら積み船だ。小隊ごとでいただいちまえ!」
狙われた船は海軍でも何でもない民間船である。まったくいい迷惑だ。
彼らは港の中に入り込んでいく。漁船のすぐそばを駆け抜けたおかげでひっくり返りそうになっていた。
そして気がつくとこちらの第二小隊長の成瀬機が翼を振りながら綺羅機の脇に出て、方向を示す。
「クレナイ一番より各機。陸軍さんのお出迎えだ」
指揮官機が針路を変えるのに洋一も続く。その先に黒い点が、こちらに向かって突っ込んできた。
演習の相手役として陸軍の戦闘機が迎撃に上がってくる手筈になっていたからそれだろうか。
数は三三の九機かな。洋一は眼をこらして相手の数を数える。先頭の三機が妙に速い。
あっという間にすれ違う。
彼らの狙いは雷撃隊。そして洋一たち戦闘機隊はそれを追い払うのが仕事であった。
「先頭の三機は隼かな」
陸軍も配備されたばかりで数が揃わない新型機を出してきた。
ただのやられ役で終わるつもりはないらしい。
「アカツキは残りをよろしく」
そして当然のごとく新型に食らいつくのは紅宮綺羅であった。洋一はそれについて行くしかない。
まったくみんな好き勝手やって。
眼下ではストリングバッグの編隊が民間船をかすめて我が物顔で港を飛び回っている。上空では戦闘機隊が派手に空に落書きのような航跡を描いている。
そして困ったことに、他の航空隊の演習でも似たようなものらしい。
誰も彼もが来たるべき大規模作戦のために許される無茶だと思っているのだろう。標的にされた港やら船やら人やらにとってはいい迷惑だった。
にしても。
一番機である綺羅を追いかけながら洋一は振り返った。この演習内容から察するに、その大規模作戦は港への攻撃なのは間違いない。
ならば、どこの港を狙うのだろうか。
ここ富山で演習をしているのも、おそらくその目標と地形が似ているからだろう。それは一体どこなのだろうか。