9 初めての着艦
二機はそのままユトランド半島を越えて北海に出る。
エルベ河の河口辺りだろうか。眼下にはいくつも船の航跡が見える。
「どこまで行くんだいフラミンゴ」
しびれを切らしてシュトラウスが尋ねる。
フォッカーはマムールほど航続力があるわけではないのだ。
『そろそろかなっと、お、いたいた』
少しずつ高度を下げていたマヌール戦闘機が翼を振った。
沖合に少し太い航跡が見える。真っ平らな甲板が陽光を反射している。
『ボロジノ級空母〈ネフスキー〉。たしかあんたらの付けた名前は〈オットー・リリエンタール〉だったかな』
ロシア合衆国からブランドル帝国が購入した四隻の空母のうちの一隻。
マイヅル空襲をはじめとする数々の作戦に参加した武勲艦であった。
駆逐艦二隻を伴い、北海を疾走している。蹴立てる波の様子から、かなりの速度を出していることがうかがえる。
周辺を周回しているマヌールやスツーカがまるで羽虫のようだった。
『ちょうど良かった。発着艦訓練の最中らしい。ちょっくら挨拶と行くか』
ボルコフは高度を下げると大きく翼を振って合図を送って、空母の上を通過した。シュトラウスもそれに続く。
『というわけで、着艦してみようか』
いきなり無茶なことを云い始める。
「普通はもっと段階を踏むだろ」
先を行くにもほどがある。
『あんたの腕なら大丈夫だろう。それとも』
マヌール戦闘機が間隔を詰めてくる。
『そのぶら下げている勲章は飾りかい?』
まったく、不愉快な男だ。シュトラウスは無礼なロシア人を睨みつけた。
『まあまあ、俺が手本を見せるから、そばで見てなって』
返事も聞かずにマヌールは翼を翻した。
『あー、こちらフラミンゴ。俺が降りるからおまえら散れ』
ボルコフは無線で訓練中の機体を蹴散らす。無茶も良いところだが、それでも周囲が従う辺り、それなりの立場は築いていることがうかがえる。
『まずフックを下ろして甲板上を通過、着艦の合図をしてから第一旋回』
ゆっくりと九十度旋回する。
『ここで高度と速度をそろえる。この辺は普通の着陸と同じだな。この辺で風防を開けて座席を一番上に上げる。そして第二旋回』
再び九十度旋回して艦と反航する。
『ここで脚下げ、フラップ下げ。それ、それ、それ』
どうやらマヌールの脚下げは手回しらしい。一生懸命回している様子がうかがえる。
フォッカーは油圧なので無駄に疲れなくてすむ。シュトラウスは少しばかり優越感に浸った。
『ったく、最近の若いもんはすぐ楽する。ここで最終調整だ。ベルトがしっかり締まっているか確認する。艦を通過して少ししてから第三旋回。ここで艦を見ながら一気に高度を落とす』
降下旋回でマヌールが螺旋階段を降りるように下がっていく。
「そして最終旋回。針路をしっかり艦に合わせる。普通の着陸よりも機首を立て気味にして、少し推力を入れる」
少しふかし気味に。横から見ると立ち上がって見えるほど座席を上げ、風防から頭を出してボルコフは艦を視界に捉える。
『カウリング端に艦がかかるぐらいで進入。この角度をしっかり保持するんだ』
吸い込まれるように艦に向かって降りていく。
微動だにしないあたりさすが口も態度もでかいだけのことはあった。艦尾で旗を持って針路を指示してくる士官が見えたが、その手の旗は中央の位置で止まったままだ。
艦がどんどん迫ってくる。
『艦尾をかわったら更に引く。ケツを突き出して三点着陸。これが着艦だ!』
機体が艦の上に到達したところで更に機首が立ち上がり、主車輪と尾輪が同じ高さとなる三点着陸の姿勢となる。
減速され、失速した瞬間に突き出した着艦フックが艦に張られたワイヤを引っかけた。わずかに艦に叩きつけられると、なおも前に進もうとする機体を無理矢理引き留めて、静止させた。
真横を併走していたフォッカーは、マヌールの着艦を見届けると再び加速して上昇に転じる。振り返るとマヌールはワイヤを外して艦の前方に移動しつつあった。
『こんな感じだ、やってみな』
見ただけでできるくらいなら誰も苦労はしない。しかしここまできてやらないという選択肢はなくなってしまった。
シュトラウスは一度高度を取りながら着艦経路に入る。
車輪も着艦フックもすでに出しているので手順は大分省略される。それとフォッカーは座席の高さを変えられるようにはなっていない。
反航の位置から見ると、ボロジノ級空母の特徴であるやたらと大きい煙突から灰色の煙が盛大に吐き出される。
やるしかないか。腹をくくったシュトラウスは大きく機体を傾けた。
みるみるうちに高度が落ちていく。二回ほど九十度旋回し、着艦姿勢に入った、はずだった。
ドラグーン星形十四気筒エンジンのための太い機首のおかげで、目標である空母が全く見えない。
普通の着陸だったら、滑走路の先の方とか、周辺の見え具合で針路を保つことができる。
だが滑走路に比べれば遙かに短い航空母艦は太い機首に隠れてしまっている。
そして広い海原は、目印となるべきものが乏しい。
ならばとボルコフに倣って座席に立ち上がってみようとしても、あるいは頭を横に突き出して前方を確認することもできない。
そもそもフォッカーは、飛行中に風防を開けられないのだ。
くそ、あのロシア人判っててやったな。シュトラウスは心の中で散々に罵った。
下でにやけながら見守っているボルコフの顔が想像つく。
彼だけでなく、多くの人間がウェルター・フォン・シュトラウスの一挙一動を見守っている。
気持ちは焦っても、飛行甲板は待ってはくれない。なんとかせねば。
シュトラウスは瞬時に思考を巡らせる。
Fo109は着陸が難しい機体ではあるが、自分はもっと難しい機体にも乗ったことはある。例えば、F o109R。シュトラウスは、かつて自分が世界記録に挑んだ機体を思い出した。
速度記録更新を目指して作られたFo109Rは、名前こそFo109を冠しているがほぼ別の機体である。座席が後ろで胴体に埋め込まれ、エンジンがもっと長くて前方視界はとにかく悪かった。
あのときはたしか。
閃いたシュトラウスは、右のペダルを大きく踏み込んだ。操縦桿は反対である左に倒す。Fo109Tは、機首を右に振って横滑りで空母に進入した。
機首が横にどいてくれたおかげで、空母の甲板を視界に捉えることができた。
変な姿勢で飛行しているおかげで操縦はかなりややこしいことになっている。そもそも迎角を付けて飛んでいるので機首が左に振ろうとする。それを押さえ込んで更に右に振ったおかげで、今度は機首が持ち上がろうとする。
だがややこしかろうが接地すべき目標が見えれば着艦できる。
実際着陸進入でちょくちょく機首を横に振って進入方向を確認するのはフォッカー乗り必須の小技である。それを大げさにやっているだけだ。
蟹のように横滑りしながらFo109は空母めがけて降下していく。
艦尾の誘導士官も最初はあっけにとられていたが、自分の本分を思い出したのか、少し下げろと指示してきた。シュトラウスはスロットルを少し戻す。
速度は操縦桿で、高度はスロットルで。妙な姿勢であっても基本は変わらないはずだ。
甲板がぐんぐんと迫ってくる。だが狙うべき艦尾の見える方向は変わらない。真っ直ぐ進んでいる証拠だ。
確信を持ってシュトラウスは操縦桿を握った。
Fo109Tが〈ボロジノ〉級空母〈オットー・リリエンタール〉の艦尾に達する。
一度下がり、そして浮かび上がったような感覚がシュトラウスに伝わってくる。
スロットルを引くとともに踏み込んでいた右ペダルを戻す。機首が針路に向き直る。操縦桿を更に引き、機尾を突き出して三点着陸の姿勢となる。
横滑りから戻す作業で更にあちこち振り回されるが、外から見ればスムーズに着艦姿勢を取り、そしてワイヤを捉えた。
首根っこを捕まれたような衝撃がシュトラウスを襲う。
ワイヤを引っかけたことによる強烈な減速は、搭乗員の身体を前方に放り出すようだった。シートベルトが無ければ計器盤に叩きつけられていただろう。
機体は甲板に引き留められて、静止する。
空転するプロペラの音がやけに大きく聞こえた。シュトラウスは大きく息を吐き出した。
「初の着艦おめでとう。いやあ、大したもんじゃねぇか」
機体が押し戻されている最中に、ボルコフがやってきた。エンジンはまだ回っているのに操縦席まで昇ってくる。
「Fo109Tでの着陸自体が初なのだがな。さすがに地上で離着艦訓練を一回やっておくべきだったぞ。」
嫌みの一つも云わずにはいられなかった。
「悪かったって、今度一杯奢るから」
まったく悪いと思っていない様子で、また「一杯」のツケが増えていく。
「まあ奢ってくれるのは俺だけじゃなさそうだしな」
ボルコフが示した方を見ると、技術者らしき男と、空軍の佐官がこちらに駆け寄ってきている。
「あんたはこの機体を救ったんだよ」
「どういうことだ?」
走ってくる彼らの表情がやたらと興奮しているのがどうにも気になった。
「あんたがT型の着艦第一号なんだ。これまで誰も成功したことがなくって、艦上機失格で開発中止になりかけていたんだ」
ボルコフを押しのけるように機体に昇ってきた民間人らしき男が幾重にも感謝の言葉を重ねる。空軍の佐官はどうやったんだとしきりに尋ねてくる。整備員や派遣されていた搭乗員たちもシュトラウスの機を取り囲む。
「大したもんだ。さすが俺が見込んだだけあるぜ、シュトラウスの旦那」
なれなれしくボルコフはシュトラウスの肩を叩いた。