帰路
小学六年生である少年少女の物語です
ピュアピュアで尊いです
秋の風が寒さを伴い、完全に冬になろうとしている十一月の冬でした。
ある少年と少女は、身を寄せ合うどころか、いつもより少しばかり離れて歩いていました。
少年は口に丸めた手をやり、思い悩む様子で歩いています。少女はその様子を心配そうに見て、いつもの明るい彼女にはあまり現れないような、浮かない表情をしています。
彼らはいつも夜遅くまで市のバトミントンクラブで練習をして、その帰路を自転車を漕ぎながら楽しく過ごすのです。例えば、バトミントンのことについてであったり、彼らは同じ学校の同じクラスですから同級生についての話だったり、最近起こった面白いことだったり、たいていの場合は少女が天真爛漫にその話題について喋り、それを少年が笑顔で聞いているというわけです。
しかし、夢見心地なその時間も永遠には続かない事を、少女の言葉で思い知らされたのです。
「あのね、私、……私ね、バトミントンの強豪校に行くために、県外の中学校に通うことになったんだ」
変な力がこもった、少女が発した言葉の裏に隠れているのは、もう少年とクラブに行くことができないということでした。少年の反応を見て彼女は、「ごめんね」と付け足しました。しかし、心の優しい少年も、言ってくれた彼女にお礼を言うような気力は一切残っていませんでした。
冷たい風が彼らの身体を抜けるようにサッと、けれども触れた肌をぼろぼろにしてしまいそうなほどビュッと音を立てて通り過ぎていきました。月の光に照らされた彼らは、ずいぶん古びたトンネルを抜けて国道沿いの歩道を歩いていました。
その足取りは、やはり重々しいものでした。
それから十五分程度経ったのでしょう、二人の横には人工照明の明るいコンビニが一つありました。田舎寄りのこの地域では、夜の明かりはよく目立ちます。
彼らは少女の自転車の後輪がパンクしたので、押して歩いています。そのせいで、家までの帰路がいつもよりもずいぶん長いように感じるのです。
いつもトンネルを出てすぐしたら見えるコンビニが、今はやっとたどり着いたような思いがしたので、少年はとても小さい声で「行こう」とそこを指しました。
コンビニヘ入ると、少年は一つため息をつきました。後ろを向くと、ガラス張りの壁にたくさんの虫がたかっています。自分の身体も見て、パッパッと肩を払って前を見ると、おでんが店頭に並んでいました。
特に買うものもなかった彼らですが、体を温めるためにホットココアと、二人でおでんを買いました。支払う時も、おでんを受け取る時も、彼らは何かぎこちない様子でした。それでも、ココアとおでんの温かみは彼らの心を少し落ち着かせ、イートインスペースで最後の大根を頬張る頃には、二人の固まった表情筋を溶かしてくれました。
彼らがおでんの容器を捨て、ココアを片手にコンビニを出ようとした時、コンビニの店員に声をかけられました。首につっている名札には店長と書かれています。どうやら、揚げ物が余っているらしく、その何本かを頂けるらしいので、彼らはその言葉に甘えて唐揚げ棒を2本貰いました。
まだ温かみを持った唐揚げ棒を頬張りながら、彼らはまた歩き出します。店長のご厚意と唐揚げ棒、片手にあるココアは彼らの雰囲気を先程よりもふんわりと、柔らいものにしています。
何も喋らない2人ですが、今夜だけはその沈黙も、感傷に浸るための素晴らしいスパイスとなりました。
今夜はやはり月が綺麗です。彼らの帰る向きとは反対側にあるため、二人は見ることはありませんが、月はしっかりと彼らを照らしています。月の光は、ずっと遠くに見える、国道沿いの暗くなった道にも降っています。
今夜の風は、よく変わります。先程まで心地よい寒さと涼しさを醸す風だったのに対し、今は凍てつくような寒さと、心臓まで侵してしまいそうな冷たさを湛えた風が吹いています。彼らは、その酷寒の中を一歩ずつ、ゆっくりと前進しています。
彼女は不安げな顔を、彼はひどく深刻そうな顔をしています。
これだけ寒い風が吹くのです。彼らの間にある、暖かくふんわりとしたその空間すらも吹き飛ばされ、永久に彼と彼女が離れ離れになってしまうことを危惧するのも、無理はありません。
しかし、時は無常です。そう悩んで、決めあぐねているうちにも時間は過ぎていき、もう月の光が届かない、二人のマンションに着いてしまいました。彼女は五階、彼は二階で、いつも彼は彼女に別れの挨拶を言われる立場でした。
彼らは横にある階段をあえて使わず、二人だけのエレベーターへと入っていきます。
二階と五階のボタンを押し、閉じるボタンは押さずに、自然に閉まるのを待ちました。少し経つとドアは閉まり、エレベーター内は暖かい空気と冷たい空気がごちゃ混ぜになっていました。
エレベーターは上へと上がっていきます。第一目的地は二階なので、数秒もしないうちに着き、冷たい空気が中へと入ってきます。
少年は、もう帰らなければなりません。
ところが、彼は重々しく足を動かし、エレベーターと二階の間を踏むと、そこで立ち止まってしまいました。
彼のその姿を見て彼女は、そんな気分でもないのに笑みが溢れて来ました。
彼女は嬉しかったのです。引っ越す事を告げた時に、深刻な顔をしてくれた事。別れに感傷的になってくれた事。そして、今目の前で帰りたくないという姿を見せてくれた事。彼が、自分の事を本当に大切に想ってくれている事が。
「いこうよ」
だから、彼女は笑みを浮かべて、彼に手を差し伸べたのです。
彼はその言葉で振り返り、彼女のいつもの笑顔を見ました。くだらないことを話し合っているときの、大好きな彼女の笑顔を。
彼は、差し伸べられた彼女の手に、ゆっくりと、自分の手を近づけます。
指の先だけが微かに触れ、彼女の指の間へと滑っていきます。
彼女がその手を握ろうとしたそのとき、ドアが閉まる音がしました。
彼は足がもつれ、後ろに転んでしまいます。
手は、彼女が手を握る前に滑り落ちていきました。
ドアはほとんど閉まり、希望の兆しは閉ざされていきます。
彼は目の前の光が潰えるのを阻止するように、全力で手を伸ばします。
もう光が潰えた、というところで、彼の手は彼女に掴まれました。そして、身体が浮くような力でエレベーター内へ引っ張られました。
ドアは完全に閉まり、彼らは笑い合います。
そして、向き合い、一言だけ、言葉を交わします。
エレベーターがガタンと揺れます。エレベーター内の電気が一瞬だけ途切れ、二人の心臓の音が聞こえてくるような、純度の高い沈黙が続きます。
夜は、さらに深みを帯びていて、そこらじゅうにある暗闇が、二人の乗ったエレベーターを覆っています。
エレベーターが五階に着き、ドアが開きます。彼らは遠慮がちに一歩を踏み出し、同じ歩幅で、お互いの手の甲を少し触れ合わせながらエレベーターを出てきました。
彼らの間には、もうどれほど凍てつく風が吹こうとも吹き飛ばされない、暖かく柔らかで、そして鎖のように頑丈な空間が出来上がっていました。それは、形式だけの関係を柔らかく揉みほぐしたような、硬くて柔らかいものでした。
さて、今夜も月が綺麗です。
読んでくださり有難うございます
アドバイス等、してくれるとありがたいです