王子と騎士と
「ねえ、スカーレット、今度の夜会にアタシと一緒に出てもらえないかしら?」
アシュリー殿下の言葉にわたしは返事をした。
「お断りします」
「即答されるとちょっと傷付くわ……」
苦笑する殿下に少し罪悪感が湧いた。さすがに即答は失礼だった。
「申し訳ありません。ですが、そこから外堀を埋められて流されて婚約することになったとしても、わたし自身は納得出来ませんので」
「それもそうね。アタシとあなたがそういうつもりがなくても、周囲はそうではないものね」
アシュリー殿下がわたしに声をかけたのは、恐らく、少しでもこの国の貴族達と顔を繋げて交流を持つことで、ミレリオン王国に慣れてもらおうという意味合いもあったのだろう。
それに、ここではわたしは後ろ盾がアシュリー殿下だけだ。
殿下はわたしに、自分以外にも後見人となれるような者を作りたいのかもしれない。
「パートナーとして出るのは控えさせていただきますが、護衛という名目で同伴することは可能かと。騎士の装いのまま出席すれば皆も分かるでしょう」
「まあ、いいの?」
「殿下のお気遣いは嬉しく思っておりますので」
わたしの言葉に、何故かアシュリー殿下のほうが嬉しそうに微笑んだ。
* * * * *
数日後の夜会当日。
わたしは護衛として騎士の正装で、アシュリー殿下も夜会用の華やかな装いをしている。
もう一人の騎士は舞踏の間までの護衛なので、普段通りの騎士の装いである。
舞踏の間まで歩きながら思う。
……この未来は想像もしていなかったけど、存外悪い道ではない。
前を行くアシュリー殿下の背中が一瞬、レンテリア王国の王太子のものと重なった。
一度目も、二度目も、王太子はわたしに見向きもしなかった。
本当に嫌なら両陛下を自ら説得すれば良かったはずなのに、あの男は自身の意見が簡単には通らないと分かっていたから、あのように衆人環視の中で婚約破棄などという馬鹿げた行為に及んだのだろう。
……今頃、ウィルモット侯爵令嬢は苦労しているだろうな。
一度目の人生で、公爵令嬢であるわたしですら寝食を削って学び、努力し、ようやく合格をもらえたくらいなのだ。いくら侯爵令嬢で賢かったとしても王太子妃教育はつらいと思う。
けれども、それは仕方のないことだ。
王太子の苦手が多ければ多いほど、王太子妃はそれを支えるために勉強が増える。
あの王太子が今更、真面目に王太子教育を受け直すとは考えられないので、どこかで二人の関係は破綻するか、側妃を娶って公務を分担するかとなるだろう。
だが、王太子妃教育が受け切れないので側妃を娶りました、なんて恥以外の何物でもない。
両陛下がそれを許したとしても、きっと王太子とウィルモット侯爵令嬢の貴族達からの支持は落ちる。次代の王と王妃が出来て当たり前のことが出来ないのだから当然の対応だ。
「スカーレット」
と声をかけられて顔を上げれば、舞踏の間に到着していた。
……いけない、護衛騎士がボーッとしているなんて職務怠慢だ。
「はい」
「もし、アタシが壁の花だったら、一緒にダンスくらいは踊ってもらえないかしら?」
それに驚いた。王族が壁の花なんてありえない。
「そのようなことはないかと思われますが……」
「ふふ、アタシはちょっと『規格外』なのよ。でも、王族が主催した夜会で、第二王子が一度も踊らないなんて外聞が悪いでしょう? 一度だけでいいからお願い」
「……分かりました。一度だけなら」
「ありがとう、スカーレット」
そうして、目の前の扉が開かれる。
アシュリー殿下の到着を告げる声が響き渡り、歩き出した殿下に付き従う形でわたしも中へ入る。
集まる視線ももう慣れたものだ。気にするまでもない。
中へ入ってすぐにミレリオン王国の両陛下が入場し、挨拶を行うと、夜会が始まった。
煌びやかな舞踏の間に、楽団の奏でる軽やかな曲が響く。
しばらくしたら今度はダンス用の曲が流れるようになるだろう。
アシュリー殿下と共に両陛下のところへ移動する。
「陛下、この度はスカーレットの近衞騎士就任を認めていただき、ありがとうございました」
殿下の言葉に国王陛下が頷いた。
「我が国に新たな騎士が増えるのは良いことだ。息子達から聞いたが、レヴァインは相当に腕が立つそうだな。それほどならば余も模擬戦を観戦したかったと思ったものだ」
国王陛下の視線がこちらに向いたので礼を執る。
「そのうちご覧になる機会もありましょう」
「そうだな、楽しみは残しておいたほうが後でより楽しめる。……レヴァインよ、これからも息子を頼んだぞ」
国王陛下の言葉にわたしは深く頭を下げた。
「アシュリー殿下の近衞騎士として、いただいた任務に尽力いたします」
その後、少し話をしてからアシュリー殿下は両陛下から離れた。
代わりに多くの貴族に声をかけられ、挨拶を交わし、話をする。
その様子を見ていて気が付いたのだが、令嬢を連れている貴族がいない。
普通は未婚の王族に挨拶をする時、出来るだけ娘を売り込もうと連れて来るものだが、アシュリー殿下に声をかけて来た貴族には一人もそのような者がいなかった。
令嬢がいない者ばかり話しかけているというわけではないだろう。
恐らく、令嬢は別のところにいる。
そうして貴族達の挨拶が終わる頃、舞踏の間にダンス用の曲が流れ出した。
「少し休憩しましょう」
アシュリー殿下が言い、壁際に移動する。
わたしは給仕から飲み物を受け取り、殿下に差し出した。
殿下はグラスを受け取ると口をつけ、一息吐く。
「ね、ご覧の通り、アタシは壁の花なのよ」
令嬢達は結婚相手を探すために有力貴族の令息に話しかけたり、ダンスを踊ったりしているけれど、アシュリー殿下に話しかけてくる者はいない。
……何か理由があるのだろうが。
何となく、皆、遠巻きにしているのが伝わってくる。
アシュリー殿下がグラスを片手に、ダンスの輪を眺めている。
その横顔はどこか羨ましげに見えた。
寂しそうな、切なそうな、諦めたような表情にも見えた。
わたしはグラスの中身を飲み干すと近くの給仕に返す。
そして、殿下に手を差し出した。
「踊りますか、殿下」
アシュリー殿下が驚いた様子で振り向いた。
「女性をダンスに誘っておいて、冗談でした、は通じませんよ」
そう続ければ、アシュリー殿下が嬉しそうに笑ってわたしの手を取った。
殿下が歩き出し、わたしもそれに続く。
自然と人波が分かれて舞踏の間の中央、ダンスの輪まで道が出来る。
そこを通ってわたし達はダンスの輪に混ざり込む。
曲の途中からだが、問題ない。
ダンスを始めた瞬間、ふわりと体が軽くなるような感覚がした。
……ああ、さすがアシュリー殿下。
こちらの歩幅と帯剣していることを考慮しながらリードしてくれている。
体が軽く感じるのは、次にどう動けばいいか、アシュリー殿下が促してくれるから。
アシュリー殿下のリードは目を閉じていてもダンスを踊れそうなくらい丁寧だ。
わたしの人生でダンスを踊ったことがあるのは、公爵家と王家のダンス専属の教師と王太子だけなので比較対象にしていいものか分からないが、アシュリー殿下はダンスも非常に上手い。
「お上手ですね」
「ふふ、ダンスは得意なのよ。でもスカーレットは特に踊りやすいわ。基本をきちんと学んで、身に付けているのね。一つ一つの動きがとても綺麗だもの」
「ありがとうございます。アシュリー殿下も踊りやすいですよ」
途中から踊り出したので、結局、一曲半踊ることになった。
それは、まるでわたしとアシュリー殿下の関係そのもののようだ。
他人同士の一曲にしては長く、婚約者同士の二曲にしては短すぎる。
踊り終えると途端に貴族のご令嬢達に囲まれた。
「素敵なダンスでした……!」
「素晴らしかったですわっ」
そして、ズズイと令嬢達が近づいてくる。
「レヴァイン様、どうか私と一曲踊っていただけませんか?」
「思い出づくりに是非……!」
「お願いです、レヴァイン様っ」
……あれ? わたし?
てっきりアシュリー殿下に声がかかるかと思っていたのだが。
「申し訳ありません。わたしは殿下の護衛ですので、おそばを離れるわけにはまいりません」
「そんな……」
「美しい姫君達と夢のようなひとときを過ごしたいと願っている方々は多いようですよ」
チラリと視線を向ければ、やや離れた場所で年若い令息達がこちらに近づけずに困っていた。
「彼らに機会を与えられるのはあなた方だけです。姫君達も、どうか良い夜をお過ごしください」
パチリとウィンクをしてみせれば、令嬢達は下がっていった。
壁際に戻るとアシュリー殿下が呆れた様子で言う。
「本当に手慣れているわね。レンテリア王国でもこうだったのかしら?」
「はい、以前は令嬢から申し込まれた時は踊っておりました。ただ、ダンスカードが足りなくなってしまったので、それ以降は夜会で踊るのはやめましたが」
「なるほどね」
話していると人影が近づいて来る。
振り向けば、そこには二人の令嬢がいた。
令嬢達がアシュリー殿下に礼を執ったので、わたしは一歩下がった。
「ミレリオン王国第二の星、第二王子殿下にご挨拶申し上げます」
と片方の令嬢が言う。恐らくこちらの令嬢のほうが家の爵位が高いのだろう。
白金色の髪に淡い水色の瞳の可愛らしくも美人な令嬢のほうが立場が上で、一歩後ろにいる銀髪に青い瞳の物静かで控えめそうな令嬢は黙っている。
白金色の髪の令嬢の言葉にアシュリー殿下がニコリと微笑んだ。
「バートランド公爵令嬢、テセシア侯爵令嬢、お久しぶりね」
微笑んでいるはずなのに、何となく警戒した雰囲気を感じた。
「レンテリア王国よりのご帰還、とても嬉しく思います。殿下がおられない間、どのような夜会に出てもわたくしは寂しく感じてしまいました。また殿下と言葉を交わす機会が得られて幸せですわ」
「まあ、ありがとう。アタシも皆と過ごす夜会が好きだから嬉しいわ」
うふふ、とアシュリー殿下と白金色の髪の令嬢が微笑み合っているが、どこか緊張感が漂う。
白金色の髪の令嬢の視線がわたしに向けられた。
不躾ではないが、分かる程度には見つめられる。
「殿下、こちらの方はどなたでしょうか? よろしければご紹介していただきたいですわ」
アシュリー殿下がチラリとこちらに視線を向けたので、わたしは少し前に出た。
「こちらはスカーレット・レヴァインよ。レンテリア王国レヴァイン公爵家のご令嬢で、今はアタシの近衞騎士でもあるわ。……スカーレット、こちらはバートランド公爵家のイレーナ・バートランド公爵令嬢よ」
「ご紹介に与りました、スカーレット・レヴァインです」
「イレーナ・バートランドです。近衞騎士の制服、よくお似合いですね。我が国では貴族の令嬢が騎士になることは少ないので、男性と見間違えてしまいました」
褒めているのか、貶されているのか。
……恐らく後者だろう。
何故初めて会ったばかりの令嬢に敵意を向けられているのかは分からないが、アシュリー殿下が警戒している以上、下手な対応はしないほうが良さそうだ。
わたしは右手を胸に当て、出来る限り美しく見えるように微笑んだ。
「バートランド公爵令嬢のような美しい姫君にお褒めいただき、光栄です。男性と見間違えるほど、わたしは騎士としての姿勢が身に付いているということなのでしょう。今後も騎士として努力していく所存でございます」
「殿下が目をかけていらっしゃる騎士は多いですものね」
「はい。近衞の皆様は実力のある方々ばかりで、わたしはまだまだ弱く、お恥ずかしい限りです。偶然の出会いとは言え、近衛にと望んでくださった殿下には心から感謝しております」
バートランド公爵令嬢が微笑みながらも扇子で口元を隠す。
……わたしが売られた喧嘩を無視しているからか。
「アタシもスカーレットのように優秀な人をそばに置くことが出来て嬉しいわ」
アシュリー殿下がわたしを見つめて来たので、わたしも見つめ返す。
数秒、意味深に微笑み合ってから顔を戻せば、バートランド令嬢がニコリと笑う。
「まあ、殿下が羨ましいですわ。わたくしも優秀な騎士が欲しくなってしまいました」
「バートランド公爵には既に優秀な騎士が大勢いるわ」
「殿下のお眼鏡に適う方は少ないですわ」
ジッと潤んだ眼差しでバートランド公爵令嬢がアシュリー殿下を見つめるけれど、殿下はそれに気付かないふりをして微笑む。
「アタシにとってはスカーレットは特別な女性なの」
ピタリとバートランド様の動きが一瞬止まった。
「特別……ですか?」
「ええ、離れたくなくて、レンテリア王国から引き抜いて来てしまったの。騎士として優秀な人だけれど、努力家で真面目で、情に厚い素晴らしい女性で……だからアタシ以外の人には渡したくないのよ」
アシュリー殿下がわたしへ顔を向ける。
優しい、慈愛に満ちた眼差しとまっすぐな言葉に息が詰まる。
ドキリと心臓が大きく脈打った。
三度目の人生にして、ようやく、誰かに認めてもらえたという実感が湧いた。
剣を握るために騎士の道を選んだ。
それでも、王太子を守るためと理由をつけなければ許されなかった。
王太子妃教育を身に付けても、剣の腕を磨いても、誰もが『さすが未来の王太子妃』と言って、わたしの血の滲むような努力を見てはくれなかったし、誰もが『優秀なレヴァイン公爵令嬢』のわたししか興味がないようだった。
「決意と覚悟を持って己の道を行く。そんなスカーレットだから、アタシは惹かれたのよ」
バートランド公爵令嬢が扇子を取り落とした。