新しい道
そうして翌日、わたしはミレリオン王国の王城内にある訓練場にいた。
そこには話を聞きつけた貴族や騎士達も集まっていて、わたしと近衞騎士との手合わせは一種の娯楽として捉えられているようだった。
別にそのことに何かを思うことはない。
元々、わたしはレンテリア王国でも目立っていたし、注目されるのも慣れている。
動きやすいフリルやレースの少ないシャツにズボン、ロングブーツという男装姿のわたしはこの国でもやはり目立つらしく、人々から好奇の眼差しを向けられた。
夫人やご令嬢に向かって微笑んで手を振ると何人かが赤い顔をする。
貴族は男性でも中性的な顔立ちが好まれるため、男装姿のわたしは美青年のように見えるらしい。
レンテリア王国でもたまに女性から手紙や差し入れをもらうことがあったし、どんなものであれ、悪意より好意のほうがいい。黄色い声に応えるためにもう一度手を振り、顔を戻す。
アシュリー殿下が何故かとてもいい笑顔を浮かべている。
「あら、すごい人気ね。女性達の視線は全てあなたのものだわ、スカーレット」
「そのようなことはありません。……彼女達にとっては劇の俳優に熱を上げるようなものなのでしょう。話題の婚約破棄された令嬢が、まるで美青年のようで思わず声を上げてしまったというだけの話ですよ」
「まあ、自分でそれを言うの?」
肩を竦めてみせれば、クスクスとアシュリー殿下が笑う。
今度は柔らかな笑顔だった。
「レンテリア王国でも同じ反応をされていましたので」
アシュリー殿下の後ろには、昨日の若い男性騎士がいた。
マントを外しているのが動きやすさを重視してだろう。
わたしの視線に気付くと男性がニコリと微笑んだが、昨日見せた笑みと全く同じそれが少しばかり胡散臭い。あれは他人からどう見えるか計算した上で浮かべている笑みだ。
アシュリー殿下が男性に振り向き、わたしに紹介する。
「改めて、アタシの近衞騎士副隊長のリシアン・シェーンベルクよ」
「シェーンベルク伯爵家の次男、リシアン・シェーンベルクです。リシアンでも、シェーンベルクでも、お好きなようにお呼びください。本日はよろしくお願いいたします」
ニコニコ顔で騎士の礼を執るシェーンベルク殿にわたしも礼を返す。
「スカーレット・レヴァインです。わたしのことも呼びやすい言い方で構いません。本日はよろしくお願いいたします。……シェーンベルク殿と剣を交えられる幸運に感謝を」
「実は僕もレヴァイン殿と試合をしてみたいと思っていました」
多分、わたしもシェーンベルク殿も互いの剣の腕がどれほどか気付いているのだ。
本気で戦わなければ負けてしまうかもしれない相手。
そういう相手と戦うのは嫌いではない。
差し出されたシェーンベルク殿の手を、わたしは握り返した。
「リシアン」
「ご心配なく。僕は騎士として、レヴァイン殿に興味があるだけです」
不満そうなアシュリー殿下にシェーンベルク殿が苦笑する。
「それでは、よろしいですか?」
シェーンベルク殿の問いに頷き返す。
アシュリー殿下が訓練場の外まで下がり、わたしとシェーンベルク殿とで訓練場の中央に進み出る。
剣を構え、地面に鞘を突き立てる。
シェーンベルク殿は腰に下げた鞘から剣を抜いた。
そして、シェーンベルク殿の表情が消えた。
同時に感じる威圧感に、思わず笑みが浮かぶ。
「どうぞ全力で来てください、シェーンベルク殿」
わたしも全力を出すつもりだから。
「……そのほうが良さそうですね、レヴァイン殿」
シェーンベルク殿が僅かに口角を引き上げた。
だが、その目は全く笑っていなかった。
互いに剣を構える。
シェーンベルク殿は腰をやや下げて、歩幅を広く取り、前に剣を構える。
恐らく本来はもう片手に盾を持って戦う剣術なのだろう。
わたしは半歩片足を後ろへ引き、片手で剣を少しだけ傾けるように前で構えた。
「見たことのない構えですね」
「恥ずかしながら、剣は我流で覚えたもので。決まった構えはありません」
「それは面白い」
それから、審判として銀髪の女性騎士がわたし達からやや離れた場所に立つ。
「試合始め!!」という声が響き渡った。
しかし、わたし達はどちらもすぐには動かなかった。
……いや、動けないと言うべきか。シェーンベルク殿には隙がない。
こちらがわざと隙を作っても安易に踏み込んで来ないし、観察するような視線は感じるものの、警戒されているのが伝わってくる。
レンテリア王国からミレリオン王国までの道中でわたしは鍛錬を欠かさなかった。
シェーンベルク殿はそれを見て来た。
あちらも貴族令嬢が気紛れに騎士の真似事をしているだけ、などというような考えは持っていないだろう。だからこそ、これほど警戒されているのだ。
深呼吸を二度、繰り返す。
……ここは戦場で、そこにいるのは倒すべき相手。
……そしてここはもうレンテリア王国ではない。
呼吸を止める。
……わたしはもう、死ぬつもりはない。
* * * * *
対峙しているスカーレット・レヴァインの気配が変わった。
それまでの静けさが消えて、肌を刺すほどの殺気が放たれている。
……本当に貴族の令嬢なのか?
まるで幾度も死線を越えて来た騎士のような威圧を、リシアン・シェーンベルクは感じた。
片足を半歩下げ、体に対し切先をほんの僅かだが斜めに構えた剣。その体には不要な力が入っておらず、自然体で、それでいてどこか見覚えがある。
一体どこで、と思いかけて気付く。
その姿勢は貴族女性の挨拶をする直前に似ていた。
片足を後ろへ引き、あのまま膝を曲げればいつでも挨拶が出来る。
我流というのに納得した。令嬢として最も練習し、最も慣れた型を使っている。
こんな剣の構え方は初めてだった。優雅で、女性的で、それなのに隙がない。
「行くぞ」
口調も変わった。
そう思った瞬間、すぐ目の前に赤が飛び込んで来る。
考える暇などない。本能的に体が動く。
甲高い音を立てて腕に衝撃が伝わった。
気付けば、こちらの剣と相手の剣が交わっていた。
ググ、と剣が押し込まれる。
その見た目の細さを考えると剣にかかる圧はかなり重い。
押し返すように剣を払えば、相手は飛び退る。
しかし、その足が地につくと即座にまた飛びかかって来る。
「っ……!!」
力で言えばこちらのほうが強いはずだが、相手の剣は速く、鋭い。
反応して弾くので精一杯だ。
……強い!
なるほど、アシュリー殿下の近衛に望まれるだけのことはある。
旅の道中もずっと鍛錬を行なっていた姿は見てきたが、どうやら、あれは全力ではなかったらしい。
呼吸を整えるためか相手が僅かに下がる。
それを見逃さずに剣を突き入れる。
だが、相手は半歩足を下げるとスルリと避けた。剣先を赤い髪がすり抜けていく。
構わず二撃、三撃と剣を振るが、まるでダンスでもしているかのような動きで避けられていった。
筋肉をつけながらも女性特有のしなやかさは失っていない。
女性でありながら男性的でもある。不思議な人物だ。
「ハァアアアアァアァッ!!」
全力で突きの連続攻撃を行う。
突いて、突いて、突いて、とにかく隙を見せない。
しかし、キィイインと剣が強く受け流される。
間近で見た美しい顔は微笑んでいた。
伸びて来た手がこちらの頬に触れる。
「わたしと、ダンスを踊ろうじゃないか」
ぞくりとしたものが背中を駆け抜けて行く。
咄嗟に飛び退けば、相手は微笑んだままだ。
「今度はわたしがリードしても?」
「……女性側の踊り方は知らないのですが」
「では、どちらがリードを取るかの勝負だな」
初めて、相手が剣の構えを変えた。
剣を持つ手を後ろへ引き、もう片手を前に出す。恐らく突きの構えだ。
こちらも剣を突きの構えに直す。
そして、ほぼ同時に駆け出した。
互いの突きが繰り出される。
首に感じるピリリとした痛みに息が止まった。
その瞬間、勝敗は決したのだった。
* * * * *
ハラ、とこめかみの髪が僅かに舞い落ちる。
しかし、わたしの剣はシェーンベルク殿の首の皮をうっすら切っていた。
シェーンベルク殿が剣を引いたので、わたしも剣を下げる。
「僕の負けです」
シェーンベルク殿の言葉に銀髪の女性騎士が声を上げた。
「勝者はスカーレット・レヴァイン公爵令嬢!」
同時に人々の歓声がワッと広がった。
そこでようやく、わたしは深呼吸を行い、息を整える。
振り向き、地面に突き刺したままの鞘を取りに行く。
地面から鞘を抜き、土を払ってから剣を戻していると、シェーンベルク殿が近づいて来た。
「素晴らしい戦いでした」
差し出された手を握り返す。
「シェーンベルク殿も、とても強かったです」
「スカーレット殿には負けてしまいましたが……」
「あなたが『負けた』と言ったからですよ。あれは相討ちに近かったのに、何故?」
「スカーレット殿の剣は僕に届き、僕の剣は届かなかった。負けは負けです」
……そうだろうか?
だが、シェーンベルク殿がそう言うのであれば、あまりしつこく訊くべきではないか。
そんな話をしているとアシュリー殿下も近づいて来る。
「リシアン、スカーレット、お疲れ様。素晴らしい試合でしたわ」
ふと、近づいて来たアシュリー殿下を観察してしまった。
……殿下も多分、相当な剣の腕前だろうけれど。
女性的な言葉遣いや仕草にばかり目が行ってしまうが、アシュリー殿下は服の上からでも鍛えた体付きが分かる。細身だが、痩せているのとは違う。鍛えて引き締まった体だ。
「スカーレットの気迫もすごかったわ」
「並大抵の騎士では、スカーレット殿と対峙したら怖気付いてしまうでしょう」
「レンテリア王国でも訓練風景を遠目に見たことはあったけれど……リシアンとの試合中、何を考えていたのかしら? 少し怖いくらいだったわよ?」
と言われて、わたしは首を傾げた。
……試合中……?
「そうですね。……しいて言うなら『死にたくない』と思っていました」
「『死にたくない』?」
「はい。負けたら死ぬ、と思って常に剣を握っております」
目の前の二人が驚いた顔をする。
「レンテリア王国では命の危険でもあったの?」
「いいえ、そのようなことはありませんでした。ただ、いざという時に自分の身を守れないことが恐ろしいのかもしれません。……何も出来ず、無力感と苦痛の中で死ぬのだけは絶対に嫌です」
わたしは自分の手を見下ろした。
貴族令嬢とは思えない、筋張って、皮が厚くて、マメが出来て……綺麗とは言いがたい。
それでも、わたしは胸を張ってこの手を他人に見せられる。
わたしのこれまでの努力は、わたしが初めて選んだ道だから。
「試合、いかがでしたか? わたしの実力は分かっていただけましたでしょうか?」
顔を上げれば、アシュリー殿下が頷いた。
「ええ。今後、誰もあなたの実力を疑うことはないわ」
「もし疑う者がいたら、叩きのめしていいと思いますよ」
なんて二人が言うので、わたしは笑ってしまった。
足音がして、振り向けば、金髪の男性が立っていた。
鮮やかな金髪と若葉のような新緑の瞳を持つ男性は、謁見の間で見覚えがある。
「見事な試合だった」
男性はアシュリー殿下の兄であり、このミレリオン王国の王太子だった。
礼を執ると、片手を上げて返してくれる。
「お褒めいただき、光栄です」
「シェーンベルクに勝った以上、近衞騎士にしないわけにはいかないな。我が国にとっても腕の立つ騎士がいるというのは心強い。レヴァイン公爵令嬢の近衞騎士任命については陛下に進言しておこう」
「ありがとうございます」
王太子殿下の言葉添えがあるならば確実だろう。
「まあ、ありがとうございます、兄上。これでスカーレットはアタシの騎士になれるわ」
アシュリー殿下が嬉しそうに言うと、王太子殿下が微笑んだ。
「私の近衛に欲しいくらいだ。レヴァイン公爵令嬢、私の近衛にならないか?」
ザワリと周りの観客達が騒めいた。
王太子と第二王子が近衞騎士を取り合う。それも女性だ。
……確か、王太子殿下は既に結婚しているはず。
そうでなかったとしても、これは冗談に過ぎないだろう。
「わたしがお仕えすると決めたのはアシュリー殿下です」
「即答か。『王太子の近衞騎士』もなかなかに魅力的だと思うが」
「わたしは既に一度、レンテリア王国を捨てています。ここでもしアシュリー殿下の近衛ではなく、王太子殿下の近衛に入ったとしても、わたしは『野心ばかりで忠誠心のない者』と思われるでしょう。そんな者を本当に王太子殿下は重用してくださるのでしょうか?」
わたしだったら、たとえ入れたとしても近衞騎士の中の一人のまま放っておく。
王族の身辺警護として重要な立場でありながら、忠誠心が低いなど危険でしかない。
王太子殿下が微笑んだ。
何も言わなかったが、それはつまり、そういうことである。
「そうでなかったとしても、わたしは『アシュリー殿下の近衞騎士になるために』この国にまいりました。元より他の道は考えておりません」
「それは残念だ」
ははは、と笑い、王太子殿下がアシュリー殿下の肩を軽く叩くと、訓練場を出て行った。
「兄上がごめんなさいね」
アシュリー殿下の言葉に首を横に振る。
「いいえ。……兄弟思いの良い方ですね」
きっと、弟のそばに置く者として問題ないか確認したかったのだろう。
……王族だからこそ周囲に置く者には気を配らなければいけない。
一度目の人生で王太子妃教育を受けた時、わたしもそれを教えられたから覚えている。
本当に信頼出来る者というのは少ないのだ。